【完結】僕らにはもう辿り着けない場所がある

松莉あげみ

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青い春編

第15話

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 3月。春の陽光を遮る分厚い雲の下、怜史はスマホを片手に、まだ馴染みのない校門の前で立ち止まっていた。
 この日は合格発表の日だった。怜史はエスカレーター式に進める高等部への進学は選ばなかった。隣町の電車を何本も乗り継いでいくような、同じ中学から行く生徒はほとんどいない高校を受験した。
 誰もいない場所を選んだのは同じ中学の人間が好きではなかったから。ほとんど環境の変わらない高校には興味を持たなかったから。

 その理由と同じくらい深刻に考えていたのが『流生の大学に少しでも近い場所にいたい』という、進学理由としては到底適切になり得ないことだった。怜史にとってそれが最優先事項だった。

 合格発表には流生が一緒に来てくれることになっている。今怜史が足を止めているのは結果を見るのが恐ろしいからではなく、単純に流生の到着を待っているからだった。

「遅いな……」

 門のすぐ傍に植えられた桜の、芽吹き始めた蕾を眺める。この地域の桜は遅い。年々温暖化で開花時期は前倒しになってきているものの、卒業の門出にはいつも間に合わない。
 蕾は今にも降り出しそうな雨雲に覆い潰されることを怯えているように、風に揺らされていた。

 流生から『道が混んでて少し遅れる』と送られてきたのがもう十五分前だ。怜史がそれに了承のメッセージを送ってからはずっと途絶えている。
 少しずつ怜史の中に不安が募っていく。合格発表だからと真面目に制服を着てきたが、ここしばらく羽織っていたカーディガンにすれば良かったと思う。あれは流生から譲り受けたものだった。あれがあればこの不安と寂しさを紛らわせるような気がした。

『流生さんのカーディガン着てくればよかった』

 思ったままに流生に送る。既読は付かない。
 同じように止まったメッセージを思い出す。二度と動くことはないトーク画面を、怜史は二度と増やしたくなかった。
 車でやってくるはずの流生を想って、嫌な妄想が膨れ上がる。自分の受験番号がこの門の向こうで張り出されているかどうかよりも、流生が万が一来なかった時のことばかり考えてしまう。

 怜史の横を同じように期待と不安で膨れ上がった学生たちが横切っていく。いつものように怜史に目を止める人はいない。皆それどころではない。そういう場所で怜史だけが逆行していく。

「浅賀ッ!」

 だが誰も彼も怜史を透明人間だとは思ってくれなかった。怜史を現実に引き留めようとする声が、もう何度も投げ放たれた声が、怜史の背中の方から走って飛んでくる。

「――柏葉? なんでここに」
「あ? ……俺もここ受けたからだよ!」
「……は?」

***

 年の初めに怜史が刹那に尋ねた時、高等部にそのまま上がると聞いていた。

「まあ隣町出ても対して変わらねえべさ」

 と、受験への関心などほとんどない様子で話していた。

 刹那は根っからの土着の民だった。古くからある酪農家の一家として地元の人間に頼られているし、刹那自身も同級生に関わらず大人たちからの信頼が厚い。

「俺の未来は決まってんだ。うちの高等部卒業したら親父の牛達継いで、でっかい車買って、地元の誰かと結婚する。子供は三人で、家も建てる。うちの家は皆そうしてるっけ」

 そう話す刹那の目は一切の疑いを持っていなかった。
 怜史にとって人間に囲まれている刹那は羨望の対象だ。だから、未来図を描き切っている刹那はその通りに生きるはずだと思った。

 それが高校一つのことであっても揺るぎないものだと思っていた。

***

「なんで、」
「なんでも何もねえ! んなとこ突っ立ってねで、こっちさ来!」

 そう言いながら刹那は怜史の腕を掴むと、刹那は一気に校門を駆け抜けていった。
 怜史を追い抜いていった数多の学生達を通り越して、誰よりも前へ前へと進んでいく。
 怜史の意志など向こう見ずに、刹那はあっという間に合格発表が貼り出されている昇降口へ怜史を連れてきた。

「ちょ、ちょっと……!? 何いきなり……っ」

 肩でぜいぜい息をしながら、怜史が少しだけ刹那を睨む。刹那は気まずそうに目線を逸らして、何も聴こえていないかのように無数の番号の方を指差した。

「早く、探そうぜ」
「……」

 怜史は刹那を見て呆気に取られていた。スマホの画面を見る。まだ流生からの連絡は来ない。
 ここまで来て何もしないわけにはいかなくなり、怜史はやむなくスマホの画面をメッセージアプリから写真フォルダに表示を切り替えた。一番最新の、自分の受験票が載った画像を開く。

「番号出したか?」
「うん」

 刹那も同じようにメモ帳に記した受験番号を表示させ、怜史のスマホとぴったりくっつけてきた。
 307と309。怜史の番号から一つ挟んだ後ろが刹那だった。受験当日もそれだけ近くにいたはずなのに怜史は気付かなかった。怜史が後ろから見えていたはずの刹那も声をかけなかった。

「さんびゃく……向こうだ!」

 刹那は怜史の身体ごと左側に押し寄せる。無遠慮だがいつもと変わらない刹那を肌で感じて、怜史の視界は揺らいだ。涙がぱた、と音もせず落ちる。

「あった! 浅賀あったぞ!」

 刹那の声を聞いて慌てて顔を上げる。涙は止まっていない。二人の番号が上下に並びあっている姿も、ピントが一向に合わない。
 刹那は張り出されている二人分の番号を写真に収めて、それを怜史に見せようとする。

「よっしゃ、これで春からまた一緒に……浅賀?」
「……っく、」
「ちょ、ま、待てってば……」

 ぐしゃぐしゃになるほどに泣いている怜史を見て刹那が絶句する。制服のポケットからティッシュを取り出して、慌てた様子で手渡してくる。

「な、なんだおめさ……そんなに嬉しいのか……いや俺も嬉しいんだども……」
「かしわばっ、また話しかけてくれたから……ッ」
「は!? そっちかよ! 違うだろッ! ほら、合格、合格のこともっと喜べって!」
「う、うぅ……っ」
「あさっ、!? 浅賀ぁ……」

 必死に励ましてくる刹那を怜史は予告無く抱きついた。同じ制服の背中が指の肩で皺がつくほどに、しっかりとしがみついて話そうとしなかった。
 突然のことに刹那はお手上げ状態になって、オロオロと周囲を見渡す。周りにも似たような光景がところどころ見えており、刹那を助けられるような人間は見当たらない。
 そんな風に困り果てている。刹那の声を怜史は泣きながら笑った。

 受験期間息が詰まりそうだったのは数学の問題が解けなかったからでも、勉強が退屈だったからでもない。
 大切な人間のそばにいられないせいだったのだ。流生も刹那も、どちらもないのは怜史には耐えられなかった。

「……落ち着いたか?」
「……うん。ごめん」
「よし……」

 昇降口の隅のベンチを借りて怜史が落ち着くのを待っていた刹那はほっと息を吐く。

「ほら合格発表の写真。エアドロで送る」
「ありがと」
「流生に送ってやれよ」
「――っ」

 急に名前が出てきてぎょっとする。目を大きく見開いた怜史に刹那は苦笑した。言葉の宣言通りに怜史のスマホには先ほど撮った画像が送られる。

「一緒に来たんじゃねえの」
「……なんで分かるの?」
「あの人、そういう人だから」
「……歴代彼女の合格発表も見に来たかな」

 顔を歪める怜史の頭を刹那が手刀で叩く。「いて、」と小さな悲鳴を上げると刹那は眉を下げた。

「ヘラるな……出琉さんの時だよ」
「……」
「心配性なんだよ。自分の手のうちに届く人間のことは特に」
「……そっか」

 怜史は時々自分に向けられる、慈しむような穏やかな流生の目を思い出す。恋人の顔とは違う、遠くで他の誰かを見ているような目だ。その向こうにいるのは出琉なのかもしれない。それが少し嬉しいような、寂しいような気がした。

「それにあの人彼女いたことねえよ多分」
「え、そうなの?」
「しねえのそう言う話。どうせ童貞だよどーてー」
「どッ……!?」

 慌てた様子で目の色を変える怜史を、刹那は呆れた顔をしながら笑った。それを見て怜史が完璧に落ち着いたと確信する。
 刹那は徐に立ち上がると、怜史にそっと手を差し伸ばした。

「行くべ。校門のとこにいたらあの人もそのうち来るだろ」
「うんっ」
「……」

 怜史は刹那の手を借りて立ち上がる。触れたのは一瞬だ。怜史はそのまま昇降口前の小さな階段を飛び降りて、刹那の一歩前を進んでいく。
 刹那は何も言わずに、その背中を後ろから追いかけた。

 校門に戻ると見慣れたワゴン車が停まっている。その前に車から降りた流生が立っていた。
 姿を見つけるなり怜史は駆け足になって、流生の元へと走り出す。
 流生は少し手を広げて待っていた。そこに怜史が飛び込む。大きな身体分の狭いスペースを自分の縄張りだと言わんばかりに華奢な自分の身体で埋めようとした。

 流生は笑っていた。流生らしく困った優しい顔で、遠く離れた刹那を見つめながら。
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