【完結】僕らにはもう辿り着けない場所がある

松莉あげみ

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狂い桜編

第41話

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「あの……さ、」

「ん? なあに?」

「俺、一応用事あるからそろそろ解放してほしいっていうか……」

「やーだ、んひひ」

 少年は甘ったるい猫撫で声を少し掠れさせながら、気ままな笑みを浮かべた。

(……何でこんなことになってんだ?)

 今刹那は公園のベンチに座って、泥酔していた少年に膝枕をさせられている。少年は刹那の腿の上でご満悦の表情を浮かべながら、猫のように身体を丸めている。

 少年は櫂仁と名乗り、ほとんど一方的に刹那に身の上話を聞かせてきた。
 都会に憧れてやってきたこと。地元では引きこもっていたこと。さっきまでクラブに行っていたがここに来るまでの記憶がないこと。果ては好きなお菓子と酒の味など、取り止めのない話をすでに一時間以上語りっぱなしだった。

「刹那君はこの辺の人?」

 いよいよ話題がなくなったのか、それとも目の前にいるのが人間と気付いたのか、櫂仁はようやく刹那に話題を振ってきた。

「いや……俺も他所から来てて」

「そうなんだ! 奇遇だねぇ~なにしに?」

「あーえっと、」

「カノジョ?」

「あー……まあ、そんなとこ」

「でも待ちぼうけくらっちゃってるんだーかわいそー」

 怜史と比べて櫂仁は表情を頻繁に変える人物だった。大きな目を爛々と輝かせたり、目を細めながら鋭い犬歯を見せてきたりと忙しない。
 酒が回って判断力が危ういのか、無遠慮に刹那の頬を何度も突いてくる。

「ぼく友達ん家に泊まっててさ。本当は迎えに来てもらいたいんだけど、スマホのバッテリー切れちゃって」

「バッテリーか……」

 櫂仁は自分のパーカーのポケットを弄るとシリコン製の大きなカバーを付けたスマートフォンを取り出す。櫂仁が液晶面を叩いてもスマートフォン全体を振っても、その画面が点灯する気配はない。

 刹那は少し考えたのち、自分のスマートフォンから繋いだばかりの充電器を取り外し、ケーブルごと櫂仁に渡した。

「ほら」

「え、いーの?」

「いいよ。それで早く連絡して迎えさ来て貰え」

「……」

「なんかした?」

「……ううん、刹那君って優しいね! 今日は今までで一番良い日かもしれないなぁ」

 櫂仁は充電器を受け取るとすぐに自分のスマートフォンを充電させた。まだ何も点いていない画面を揺らしながら鼻歌を歌う。

「大袈裟だな」

「そんなことないよ? 本当に、嬉しくて死んじゃいそう」

「死ぬって……」

 刹那は櫂仁のより飛躍的な発言に肩をすくめる。だが櫂仁の顔はその言葉が嘘偽りないことを物語っているように、満面の笑みを浮かべている。刹那は横から見てそのつんと上がった鼻筋に怜史を思い出して鼓動を高鳴らせた。仕草や声がまるで違うにも関わらず、ふと櫂仁が息を止めた瞬間に怜史が現れる。
 その姿はやはり鏡写しと言っても過言ではない。刹那にとってはどうしようもなく目を奪われる容貌だった。

「――刹那君」

「え、な……」

 刹那が櫂仁と目を合わせかけた瞬間、起き上がった櫂仁は一足早く刹那に触れていた。淡く色付いた唇を、刹那の頬へと。

「んはは、奪っちゃったーなんちゃって」

「……おい、どんだけ酔っ払ってんだよお前」

「お前じゃなくて櫂仁! かいとって呼んで!」

「いいから早く連絡しろ!」

「まだ電源つかないんだもーん」

 櫂仁は舌を見せながら笑う。刹那はその頭を無理やりに押さえながら、大きなため息をこぼした。そして櫂仁の行為に一瞬でも動揺した自分を猛省した。

(怜史じゃねえだろ、こいつは……)

 刹那は縋るようにスマートフォンの画面を見据える。怜史からの連絡はまだ来ていない。そうしている間にバッテリーの残量を示すパーセンテージが、また一つ減った。

***

「……る、流生さ」

 怜史は思わず名前を呼んでしまう。寄りかかってくる流生の大きな体躯は、怜史が少し揺さぶるくらいでは微塵も動かなかった。

「ごめんね」

「……い、いや」

「聞いても良いかな」

「なに……?」

「君の今の大切な人は、刹那?」

 怜史の心臓が大きく弾む。流生は怜史と刹那の関係を知らないはずだ。共通の知人ではあれど、なぜ今刹那の名前が流生の口から飛び出したのか、怜史には理解ができなかった。

 流生は眼鏡のフレーム越しに愚直なまでに強烈な視線を浴びせてくる。怜史は有無を言わせず答えを要求してくる顔を前に、少し背筋が凍る思いをする。流生の中に時折見える氷のような鋭さに身をすくませながら、怜史は首を縦に振った。

 その瞬間、流生の目が大きく見開かれる。ひどくショックを受けたような顔で閉口する。

「……」

「……あ、あの」

「――愛する人の近くまで来て、何をしているんだ」

 流生は怜史を見ながら確かにそう言った。だが怜史に向けられた言葉ではなかった。

「――る、い」

「ごめん、離せない。君をこのままにできない」

 流生がもう一度怜史を抱きしめる。怜史の背骨が軋む手前まで強く抱いて離さない。怜史は顔を顰めるも流生を突き飛ばしたりして離れることはできなかった。拘束されることよりも、頭の中を渦巻く疑問を払拭したくてたまらなかった。

 怜史はゆっくりと口を開き、柔らかい声色で流生を諭す。関係が遠のいたことを忘れたふりをして、あの頃のように砕けた言葉を選ぶ。

「……流生、俺はちゃんと話聞くから」

「……」

「不安に、思わないで」

 数拍置いてから流生は静かに頷いた。怜史は身体を離れていく流生の手を無意識に掴んだ。指先はいつの間に冬が訪れたかのように酷く冷え込んでいた。
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