【完結】僕らにはもう辿り着けない場所がある

松莉あげみ

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狂い桜編

第43話

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「もしもし? ねぇ繋がんの遅くない? こっちは迷惑してるんだけどー……え、開いてんの? 早く言ってくんね? だってさぁ……ちょっと? もしもし? もしもーし! ……切れた」

 櫂仁は刹那の充電器で無事に復活したスマートフォンで誰かに電話をし始め、そして早々に打ち切られていた。恨みがましく画面を見つめていたものの、その次の瞬間には刹那に笑顔を向けた。つぶらな瞳を輝かせながら愛らしくまつ毛をはためかせる。

「刹那君のおかげで無事に家に帰れそうだよ~! ホント神様! ありがとね」

「おう、良かったな」

 刹那は疲れきっていたが素知らぬ他人に悪い顔はできず、懸命に笑顔を貫く。
 バッテリー残量が青く光るまで満たされた櫂仁のスマートフォンとは対極に、モバイルバッテリーは完全にその命を吸い上げられ刹那のスマートフォンを充電する余力はない。
 刹那は赤い線を描くだけのバッテリー残量が燃え尽きるのをただ見守る。高校時代から使い続けて限界を迎えている相棒を、いい加減買い替えるべきなのかもしれないことを悟った。

「歩いて帰れんの?」

「うん。刹那君は? まだ連絡付かない感じ?」

「あー、まあなんとかなるって」

 刹那は電源の落ちきったスマートフォンを後ろ手に隠す。その挙動を櫂仁は見逃さなかった。後ろに引っ込められた腕を強引に掴み、刹那に擦り寄る。ムスクとバニラが混ざり合った、甘ったるげな香りが刹那に纏いつく。

「もしかして……ぼくがモババ使いすぎちゃった……?」

「いや……気にすんなって。俺の目的地すぐそこだしさ」

「でもカノジョ帰ってこないと家に入れないんだよね……? 夜は寒いし、ぼく刹那君が心配……そうだ! 刹那君も来るといいよ! ぼくが居候している家に!」

 櫂仁は名案とばかりに両足飛びで喜びを表す。刹那の問いも聞かぬままに、その手を引いて歩き出そうとする。

「ちょ、待て待て! 知らねえ奴の家行くのはさすがに……っ」

「大丈夫! 今日は帰ってこないから! 半分ぼくの家みたいなもんだしさ」

「……けど」

 刹那の足は迷っていた。刹那としてはこのまま怜史を待ちたい。そうでなければ地元から数時間かけてやってきた意味がない。その一方で身体はどうにかして休息を得ようとしている。一時間でも二時間でも仮眠をとらせてもらいたい本心が少しずつ大きくなってくる。

「待ってたって仕方ないよ。相手も疲れて寝ちゃってるかもしれないしさ。明るくなったらまた会いに来よう? 刹那君にはその方がいいと思うな」

 櫂仁の言葉が刹那の疲労を優しく撫でる。その顔は真っ直ぐに刹那を心配している。刹那の中で怜史の姿が重なって、気付けば刹那は首を縦に振っていた。

 その瞬間に櫂仁が目を細める。腕に絡めた手を解くと、今度は手のひらを繋ぎ合わせてくる。冷たく小さな手が刹那から体温を奪っていく。

「……行こ。刹那君」

 耳打つ声が頭の中をこだまする。その声に導かれるがまま、怜史のマンションとは真逆の方向へと歩いていく。刹那はもうほとんど頭を働かせていなかった。

***

 刹那が櫂仁に連れて来られたのは、怜史の自宅から一駅分歩いたところにあるマンションだった。白とネイビーの二色で塗られた凝った外観で、非常階段と思しきものは螺旋状になっている。

 三階建ての最上階。外観よろしくデザインにこだわった扉を開くと、櫂仁が身につけていた香水と同じ香りが漂ってきた。

 中は1LDKだがキッチンはモデルルームのように整っていた。使われていないわけではなく、家主が相当几帳面に使っていることが一目見ただけでも分かる。
 塵一つ許されなさそうな神経質なキッチンとは打って変わって、リビングには物が散乱していた。会いたままのキャリーケースの上に服や化粧品、ゲームやタブレットが好き勝手に置かれている。ソファには畳まれていない毛布が、半分床に落ちている。テーブルとは別に用意された大きな作業台だけが、この家らしさを辛うじて保っている。
 この空間は家主ではなく櫂仁が使っているのだと、刹那は眠たい頭で予想する。

「刹那君は向こうのベッドルーム使ってよ! 家主の部屋だから」

「いや、悪いし……床で休ませてもらえればそれで」

「それは良くないよ~長旅だったんでしょ? ベッド使ってって」

 櫂仁は刹那の背中を押して奥の扉の向こうへと連れていく。そこはキッチン同様に、整えられた空間が存在していた。
 刹那が足を踏み入れるのを躊躇う後ろから、櫂仁が思い切り刹那を突き飛ばす。そして自然にベッドへと倒れ込んだ刹那の上へ、すかさず毛布を被せてくる。

「いや、あの……」

「大丈夫だって。ぼく向こうで寝るし全然気にしないで! 刹那君はゆっくり休んで。ね?」

 櫂仁は毛布の上から刹那の腕や背中を撫でる。子供をあやすような仕草で、刹那のまぶたが降りるのを待っているようだった。

 刹那はぼんやりと櫂仁を見つめているうちに、いよいよ抗えない睡魔に襲われる。家主には申し訳ないと思いつつ、起きたら菓子折りを買いに行こうと心に決めて瞳を閉じる。一度暗闇を得てしまえば、意識を手放すのはすぐだった。

「……怜史、」

 眠る前の最後の瞬間に、大切な人の名前を呼ぶ。刹那はそのまま夢の世界に落ちていった。

「……」

 櫂仁は刹那が寝息を立ててからしばらくその身体を優しい手つきで撫でていた。そして刹那が完全に寝たと分かると、パーカーのポケットからスマートフォンを取り出した。

 カメラを起動する。レンズを刹那に向ける。スマートフォンを傾けて、刹那の胸の位置から見上げるような角度を取る。カシャリとシャッターを演出する電子音が響く。すぐに自分に引き付けて画面を覗く。

 小さな画面に収まった刹那の姿を、櫂仁は恍惚とした表情で見つめる。画面だけでは飽き足らず、実物の刹那にも手を伸ばし、その唇を指先でなぞった。

 櫂仁は画像を誰かに送る。それに対する返事は電話で来た。

「もしもし、家着いたよ! あ、写真見た? ついでに拾っちゃった王子様! 優しくってさぁ自分も困ってんのに充電器貸してくれたの。そのお礼に寝床貸すことにしたから! ……え、良いじゃん。それくらい。どーせ明日も明後日も帰って来ないんだろ? このぼくがいんのにさ。ま、もう別に良いけどね、ぼくには刹那君がいるから! それじゃあ帰ってくる時には連絡してね。ばいばい、よーいちろー」

 言いたいことを言い終えて櫂仁は電話を切る。静けさを取り戻した空間で、再び刹那に目を向けた。刹那の頭のすぐ近くに自分も頭を傾けて、至近距離で見つめる。

「やっと見つけたよ。ぼくの一番になる人」

 櫂仁の言葉はうっとりと伸びていく。その笑顔がどんな表情なのか、刹那が知るよしはなかった。
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