【完結】僕らにはもう辿り着けない場所がある

松莉あげみ

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風花の標編

第63話

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 ピピピ、とタブレットからアラート音が鳴り響く。波の喧騒の中でいち早く気がついたのは刹那だった。

「おい、なんか鳴ってんぞ」

 流生の肩を揺さぶって知らせる。ゆっくりと起き上がった流生はタブレットのバックライトを点灯させる。コンソール画面が開かれた瞬間、流生は信じがたいものを見るように目を大きく見開いた。液晶に流生の髪の先からぱたぱたと雨粒が伝う。

「まずい……」

 流生は瞳孔を広げた目をかたかたと震わせた。黙って硬直する流生に辛抱ならなくなった刹那が、思い切り流生の肩を叩く。

「んだよ!」

「……海岸の、南側の回線が切断されてる」

「切断されてるとどうなるんだよ」

 流生が持つタブレットは全体が赤い警告メッセージに覆われている。呆然と画面を見つめる流生の頬に汗が流れる。

「情報が欠けている場所はそれ以上進行できない場所と認識されて、システムが空間を遮断されるんだ。古いゲームの、見えない壁にぶつかるみたいに……だから今、こちらから怜史が向かった方には行けない」

「……怜史の方からは?」

「ポッドとの再接続がうまく行けば元に戻る……だけど失敗したら、ポッドが座標を認識できなくなって、怜史の居場所が特定できなくなる。

「……ふざけんな!」

 次の瞬間、刹那は走り出していた。考えるより先に怜史の元へ向かおうとした。
 だが遅かった。刹那が向かおうとした浜辺がたちまち消え、目の前に透明な壁が立ち塞がる。ガラスケースに閉じ込められながら、ノイズ混じりの海を眺める以外何もできない。

「怜史!!」

 壁の中に刹那の叫ぶ声が響き渡る。だがそれ以上向こうには届かない。過去の虚像に自分たちの声が届かないことと、同じ状況になっていた。

***

 怜史の耳をつんざくようなノイズが止む。視界が落ち着いたのを瞼で感じ、そっと目を開く。

「……なんだ、ここ」

 辺りから海の景色は消えていた。地面でうずくまっていた流生の姿もない。真っ白で何もない、腕を伸ばせば左右の壁に手が届いてしまうほどの小さな空間。タイムマシンポッドから座席やコンソール席を全て無くしたような無垢な色が、怜史を包み込んでいた。

「流生……刹那!」

 タイムマシンに乗ってすぐ、目を開けてひとりぼっちだったことを思い出す。あの時は光が差し込んでいて、そこに誘われるように進んだことで二人と再会することができた。だが、今の場所には出口も窓もない。自分がどこにいるのかも分からない状況に身震いが収まらない。

「流生!」

 試しに壁を叩いてみる。衝撃に沿ってガラスのようにゆらめいたものの、びくともしない。

「刹那! 聞こえない!? 刹那!」

 二人の名前を叫びながら、繰り返し拳を振る。焦って叩くあまりに小指の下から手のひらの側面が痛んだ。
 その時にふと思い至る。この壁は物質であると。脱出困難なことに変わりはないが、今自分を囲んでいるものが現実の『物質』であることは怜史に希望を持たせた。

「……もしかしたら」

 怜史はスラックスからスマートフォンを取り出した。緊急時のために会社から連絡用のアプリをインストールするように言われていたことを思い出したのだ。
 ブランディーズのイメージキャラクターであるアヒルのイラストがついたアイコンをタップする。電波状況をみるに、通信は問題なさそうだった。怜史はひとまず胸を撫で下ろす。

 アプリ内のメニューから『緊急要請』と書かれたボタンを押し、迷うことなくSOSを発信する。二分と経たない間に本部から着信が入った。

『本部連絡室です。どうかされましたか?』

「インターン生の浅賀です! あの、タイムマシンに乗っている途中で、真っ白なところに閉じ込められて……」

『社員は……盛谷さんですね。盛谷さんと他のゲストの方は一緒ですか?』

「閉じ込められてるのは自分一人です。盛谷さんと、あともう一人一緒にいるんですが、叫んでも声が聞こえないです」

『分かりました。盛谷さんに至急確認します。接続は何かあった時のためにつなげたままにします。落ち着いて、その場所で待機していてください』

「はい……」

 落ち着いたスタッフの言葉が静まり返る。スマートフォンを見ると、本部側にミュートマークが表示されていた。画面が通話時間を一秒ずつ刻んでいる。誰かと繋がっていると分かっていても、無音の状況は不安を掻き立てた。
 怜史はまだばくばくと鳴り響く心臓に自分の手のひらを載せた。深呼吸を二度、三度と繰り返して無理矢理にでも自分を落ち着かせる。

 少し身体を休めようと、その場に座り込む。床は酷く冷たくなっていた。身体を壁に傾けると、壁も同じ温度で感じられた。冬場故郷に降り積もる雪が造る、分厚い氷の地面を思い出す。

「寒いな……」

 先ほど海辺で倒れていた流生のことを思い、どうしようもなく胸が軋む。あんな場所で一人きりの流生に、自分はどうして手を差し伸べ、この腕で温めることができないのか。歯痒くなって地面を叩く。怜史の手はますます痛んだが、その痛みを怜史の頭が感じることはなかった。

 流生が抱えてきた絶望を前に、湧き上がってくるのは絶望感ばかりだった。こんな景色を見せるはずではなかった。流生を無理矢理連れてきたのは自分だと、するつもりのなかった後悔が胸に押し寄せる。

「せつ、な……」

 心が弱って、またいつものように刹那に寄りかかりたい気持ちが出てくる。自ら突き放しておいてそれはないだろうと思いながら、頭の中で刹那が自分に向ける笑顔を思い浮かべずにはいられなかった。
 彼はきっと今も自分を心配しているだろう。どれだけ自分が酷い仕打ちをしたとしても、刹那が変わることはない。
 怜史は分かっていた。別れ際に刹那が告げた言葉が、刹那にとって確信だったと。

 ――俺の人生、もう怜史しか考えられないんだ

 今も胸にフラッシュバックする。刹那にそこまで言わせながら、現実に打ちひしがれている自分がみっともなくて嫌いになりそうだった。

「刹那……本当に、ごめん」

 嗚咽が漏れ出る。両手で顔を押さえ、天を仰ぐ。これ以上弱い自分ではいたくないと、なんとか涙だけは堪える。

 その時、少し壁がかたかたと揺れた。
 怜史は手を外して空間をぐるりと一周眺める。目では何も分からず、壁に耳をそば立ててみる。外から何かが聞こえてくるような気がした。壁は、その音に反応して振動しているようだった。

「――っ! ――し!」

「……なに?」



「怜史!!」

 突如はっきりと聞こえてきた、自分の名前を呼ぶ声に耳を疑う。反射的に立ち上がる。しばらく静寂が続いて、もう一度耳を近づける。

「怜史っ! 聞こえねえかっ!? 怜史!!」

「っ!」

 二度目は疑わなかった。外から聞こえてくるのは、まごうことなく刹那の声だった。
 堪えようとしていたものが目尻から溢れてくる。この部屋の温度で凍える不安が、刹那の声で溶け出すのが分かった。

「…う、くっ」

 泣いているせいでうまく呼吸ができない。落ち着くように自分に呪文を唱える。今から喉を思い切りこじ開けるために。空気を吸い込んで、肺の奥底までいっぱいにする。口の先も喉奥も裂けてしまっても構わない。そう思いなら、思い切り叫んだ。

「――刹那ッ!!!」

 狭い空間中に反響する。こだまして何度も刹那の名前が繰り返される。怜史は壁に擦り寄った。その向こうに刹那がいると信じていた。
 その瞬間、声とは違う振動が怜史の目の前の壁を揺らした。こんこんと、ノックをするような音が響く。

「怜史! そこにいるのか?」

 壁を一枚隔てた向こうで、今度は位置がはっきりとわかる場所で刹那の声が響いた。怜史も答えるように壁を叩く。

「いる! ここにいる!」

「分かった! 今すげーでかい声出してっから! 喉潰れそうだから! 流生が本部通して通話繋げるから待ってろ!」

「、ふ、はは……うん!」

 声を張り上げる刹那の顔を思い浮かべて、思わず笑みがこぼれた。
 その返事をして間も無く、スマートフォンの画面に表示されている本部のアイコンからミュートマークが消えた。

『浅賀さん、聞こえますか?』

「あ、はい。聞こえてます」

『盛谷さん達と連絡……ついたみたいですね。良かったです』

 スタッフが微笑む声に、怜史は頬を赤る。こちらの音声はミュートになっていなかったのだ。刹那を必死に呼ぶ自分の声が、通話の向こう側まで響いていると知って少し恥ずかしくなる。

『浅賀さんがいるのは緊急退避ポッドです。タイムマシンにプログラミングされている投影情報にエラーが生じ、浅賀さんがいた場所に接続できなくなりました。そのため浅賀さんの安全を確保するために、一時的に避難措置が働いています』

「そう、なんですね……」

「不測の事態でしたね。今盛谷さんに退避システムの制御を委任しますので、お待ちください』

「ありがとうございます」

『では、引き続き良い旅を』

 スタッフの音声が途切れると、すぐに別の音声が割り込んできた。波打ち際で海が囁くような音が聞こえる。

『怜史、無事かい?』

 聞こえてきたのは流生の声だった。刹那のように張り上げているわけではなかったが、いつもより息を切らしているのが分かった。

「大丈夫だよ。ごめん、迷惑かけた……」

『こっちこそ申し訳ない……僕は責任者なのに、取り乱している場合じゃなかった』

「流生のせいじゃないよ」

『また後でちゃんと謝罪させてほしい。今は……刹那が急かしてきて大変だから。それじゃあ、今開けるね』

 流生の合図と共に電子音が空間に奏でられる。音の数が増幅するのと同時に、ポッドの中が激しく点滅した。怜史は咄嗟に目を瞑る。

 次の瞬間、目を開くと目の前には刹那がいて、その少し奥に流生が立って怜史を待ち構えていた。

「怜史!」

 怜史がポッドから出る隙もないまま、刹那は飛び掛かるように怜史を抱きしめた。腕に力を込めるあまり、そう身長の変わらない怜史の身体がわずかに地面から浮き上がる。

「せっ、刹那……!」

「ふざけんな……ほんとに……どうなるかと思っただろ……」

「ご、めん……」

「お前がいなくなるなんて考えたら……俺は、もうどうやったって立ち直れねえんだよ……」

 耳に響く刹那の声は涙に染まっていた。長い付き合いの間ほとんど聞いてこなかったはずの泣き声を、ここ数ヶ月で二度も聞いてしまった。

(泣かせてばかりだ、俺)

 懺悔を込めて刹那の背中に腕を回す。まだ自分のやらなければならないことを成し遂げていない。だが、今だけは目の前の刹那のために許してほしいと、静かに祈る。

 抱きしめ返しながら、怜史は思う。変わらないのは自分も同じだと。今腕の中で抱えている温もり以上に、自分に大切なものは存在しないのだと、いまさらになって理解する。

 だが、干渉に浸っている場合ではない。

「刹那……俺大丈夫だよ。だから、最後までやり遂げたい」

「怜史……」

「流生も」

 突然名前を呼ばれた流生が驚いて顔をあげる。沈黙していた表情にわずかに笑みを浮かべた。

「嫌なことに付き合わせて……ごめん。結局俺のためなんだ。流生のことちゃんと知って、流生がもっと……」

「大丈夫。分かっているよ」

 流生は怜史達に一歩近付く。その足取りから先ほどの覚束なさが消えていた。

「……君がどんな覚悟で、僕を想ってくれているのかはもう十分伝わってる」

「流生……」

「……連れて行ってくれ。僕が、今に至るまでに、何を置き去りにしてしまっているのか、確かめる場所に」

 流生は手を差し伸べてくる。怜史は刹那と顔を見合わせ、そっと身体を離す。そして、流生の手を取り握手を交わした。今までで一番、お互いがお互いとして二本足で立ちながら触れ合っているような気がした。

 そして流生は刹那とも向き直る。怜史にしたように同じく握手を求める。

「君にも……付き合ってほしい」

 刹那は驚きながら、怜史の方を向く。ジーンズの表面で手のひらを拭い、恐る恐る流生に応える。

「おう……まだ言わなきゃなんねえこと言ってねえからな」

 繋いだ手をぎこちなく上下に振る。その照れくさそうな様子の刹那を見て微笑めば、流生も同じように表情を緩めた。
 怜史が二人の手を同時に取った瞬間、三人を呼ぶように波が静かにうなりを上げた。
 怜史が振り返る。雨の中ずぶ濡れになった流生が、まるで怜史を待ち構えているようだった。
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