【完結】僕らにはもう辿り着けない場所がある

松莉あげみ

文字の大きさ
64 / 68
風花の標編

第62話

しおりを挟む
「父は作家だった。どんな時でも美しい言葉を選んでいた。母とどういう出会い方をしたのかは知らないけれど、僕と出琉が大きくなるにつれて、母は父の言葉をまどろっこしく思うようになっていった気がする」

 流生の中に眠る数々の記憶が、絵画のように額縁で収められ白い壁に並べられている。

 流生はそのほとんどを見ようとせずに、自ら父のことを話す。その淡々とした言葉に引っ張られながら、記憶の絵画が3人の進む道に次々と現れた。

 流生の記憶の中はほとんど父と出琉で埋め尽くされていた。父に手を引かれて歩いている姿。出琉にお菓子を分け与えている姿。家から出る記憶もあまりなく、怜史が見てきた書斎の中にいる姿ばかりだった。

 そして時折現れる母や祖母の姿は、フィルムがかかったように翳っている。

 祈るように組まれた流生の手を、怜史はその表情と交互に眺める。

 しばらく歩き続けていくと、目の前に再び書斎の立体的な風景が現れる。今度はデスクの椅子に流生の父が座っていて、流生はそのすぐそばに立っている。知育パズルで遊んでいた時よりもずっと背が伸びており、この頃には眼鏡をかけ始めていたようだった。

 流生の父が幼い流生に何かを語りかける。だが先ほどの立体的な映像とは異なり、その口から発せられる音や書斎の匂いは感じられなかった。

「……企画段階のものだから、少し情報が欠けているんだろうね。僕の記憶が合っていれば……この時に父が海外に行く事情ができたことを聞かされた」

「……流生のお父さんって」

「亡くなってる。海外に行った四年後に、事故で」

「……」

「だから、これが父の顔を見た最後の記憶だ」

 流生の口は平静を装っていた。だがその視線は注意深く、ありし日の父へと注がれている。この時代の流生は無邪気に、父との会話を楽しんでいる様子だ。その対比が、怜史の表情を翳らせる。

 父は流生の頭を撫でていた。心の底から子供を愛する親の顔をしていた。
 その光景が破り捨てられるように、目の前にノイズが入る。瞬く間に流生と父親の姿が消えた。

 互いの顔が見えないほどの暗闇を前に、怜史は息を呑む。刹那も黙ったままだ。流生が持つタブレットの光だけが、3人を照らしている。流生は淡々と液晶画面に指を滑らせる。

 やがて足元から光が差し、突如三人の間を冷たい風が旋回した。

「それから……」

 景色を視界にとらえた流生の瞳が絶望に染まる。見開いたその顔に誘導されながら怜史と刹那は顔を上げた。すれ違うように、流生の視線が落ちる。目を背けたがって瞼を下ろす。

「……ああ、ここに辿り着くのか」

 そこは嵐の夜だった。暗い海は空との境界線を失っている。獰猛な獣がそこに潜んでいるかのように、波が唸っている。
 雨粒は怜史達の服をずぶ濡れにしていく。一体どこまでが本物の景色で、作り出された虚像なのかが分からなくなる立体感だった。

「さみいな……」

 刹那が思わず呟く。流生が持つタブレットには現在の気温が表示されており、そこには3°と表示されていた。怜史は自分の体温が奪われていくのを感じた。上着を座席に置いてきたことを後悔する。両腕を組んで二の腕の辺りを擦って、寒さを凌ぐ事にする。

「うちのタイムマシンは当時の情報を限りなく再現するようにしている。生命維持に関わる場合は警告が出るけれど……この日はひどい雨だったからな」

「ここは……?」

「十四歳の時……父が死んですぐの家族旅行の日だ」

「旅行……あの日か……っ」

「刹那、知ってるの?」

 怜史が問いかけると刹那は少し間を置いてから頷いた。落ち着かない様子で辺りを見回している。

「俺もここに来てた。流生の家族と一緒に」

「……」

「そんで多分。流生がもうすぐここに出てくる」

 刹那の予告に、流生は眉間に皺を寄せる。海辺から離れたいのか、ふらふらと移動していく。すぐ目の前に建っているすぐ近くの旅館に近付くと、出入り口のすぐそばでしゃがんだ。物質として検知されない未来の流生がそこでうずくまっても、自動ドアは開かなかった。

「っおい、流生!」

 刹那が咎めるように声を上げる。だが流生は俯いたまま返事をしない。

 すると反対側から自動ドアが開いた。誰かがこの嵐の中外に飛び出してきたのだ。流生が本当にそこにいたとすれば、外に繰り出した一歩の勢いで蹴り飛ばされていただろう。

 そこに現れたのは、この時代の流生だった。

 流生は傘も差さずに海を前にして立つ。辺りを見回す。そして海岸沿いの大岩のある方向へ、走り出した。

「流生……!? 危ないって……!」

 届かないと分かっていながらも、怜史は叫ばずにいられなかった。勝手に身体が動き出す。目の前を走り去る流生を走って追いかけた。

「っ怜史!?」

「行ってくる!」

 怜史は刹那の呼び止めに振り返らなかった。怜史は雨に濡れるのも厭わずに走った。流生と刹那からはあっという間に見えなくなってしまう。

「なぁ……追いかけようぜ」

 刹那は流生のすぐそばまで行って、頭上から話しかける。だが流生は小さく首を振った。拒絶されるとは思っていなかった刹那はあんぐりと口を開けた。

「なんで嫌なんだよ」

「……あの大岩のそばには行けない」

「だからなんで、」

「刹那は知っているだろう? 僕の父は海に落ちて死んだ」

 流生は捲し立てるように言った。その語気の強さに刹那は一瞬怯む。

「出琉に言われたことがある……僕は海に近付いたら死んでしまいそうだって」

「……はぁ?」

「本当に死のうと思っていたんだ……今日という日に、この時代の僕は」

「……なんなんだよ、それ。聞いてねえぞ」

 刹那はかける言葉が見つからなかった。変に悪態をついたことを後悔する。握りしめていた拳をゆっくり解くと、そこに冷たい風がぶつかってきた。

 雨露が全てを濡らしていく。その大粒一つ一つが風に吹かれて凍えていた。刹那は息を吸い込む。白い息がこぼれた。そのひと吹きでは、この世界をほんの寸秒も温められない。

 やがて雨粒は白い大きな結晶に変わり始めた。

***

「――流生!」

 名前を呼ぶたびに、凍てつく空気が怜史の肺を貫く。そんな必死さも虚しく、この世界の流生は怜史の声には気が付かない。

 流生の黒いスウェットが水を含んで重たくなっていくのが分かる。さらに海岸の砂が泥濘んでいる。雨粒が、みぞれが、流生の体に重くのしかかり、流生の足をもつれるように誘う。だが流生は冷静に海の横をひたすらに進んだ。

「流生……っ、どこに行くんだよ……!」

 目の前には岩場があるだけだ。そこへ懸命に走る理由など、怜史には思い浮かばなかった。分からないならこの目で確かめるしかない。今流生から目を離すことはできなかった。

 その時、流生の体が思い切り海に向かって倒れ込んだ。誰かに突き飛ばされたかのように、突然バランスを崩す。

「流生!」

 うずくまる流生に駆け寄る。流生はなかなか起き上がってこない。怜史はなんとかその顔が見れないかと、体勢を低くする。冷たく湿る感覚が、怜史の膝から下を不快に包み込む。怜史はそれも厭わずに、流生の身体に顔を寄せた。

「……っ、うぁぁ……」

 波音にかき消されそうな慟哭。それが確かに流生から聞こえてきた。

「流生……」

 触れられないもどかしさが、怜史の手を宙に浮かせる。
 倒れる流生が辿り着けずにいる岩場を見つめる。そこに何があるのだろう、と正面で見据える。流生の側も離れられず、遠くからただ目を凝らす。

 人の気配はしない。そこには何も無いと、怜史は直感を働かせる。

「ねぇ……流生、流生は……どこに行こうとしていたの」

「あぁ……ああぁ……」

「違うか……きっと、どこにも行けなかったんだよね……」

 流生の肩を抱きしめる。感覚がない。怜史の腕に収められているものは何もない。それでも目の前の孤独と絶望に手を伸ばせない人間の方がきっと少ない、そんな思いで流生に寄り添う。
 既に怜史より遥かに大きな体躯を持った、まだあどけない少年という虚空を前に無我夢中になった。

 その時、視界全体にノイズが入り込んだ。夜の闇が一瞬真っ白に包み込まれる。夜と光の世界は点滅しながら交互に訪れる。
 眩む目を閉じながら、怜史は守るように流生に覆い被さった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】恋人になりたかった

ivy
BL
初めてのキスは、 すべてが始まった合図だと思っていた。 優しい大地と過ごす時間は、 律にとって特別で、 手放したくないものになっていく。 けれど……

僕の幸せは

春夏
BL
【完結しました】 【エールいただきました。ありがとうございます】 【たくさんの“いいね”ありがとうございます】 【たくさんの方々に読んでいただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます!】 恋人に捨てられた悠の心情。 話は別れから始まります。全編が悠の視点です。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

【完】君に届かない声

未希かずは(Miki)
BL
 内気で友達の少ない高校生・花森眞琴は、優しくて完璧な幼なじみの長谷川匠海に密かな恋心を抱いていた。  ある日、匠海が誰かを「そばで守りたい」と話すのを耳にした眞琴。匠海の幸せのために身を引こうと、クラスの人気者・和馬に偽の恋人役を頼むが…。 すれ違う高校生二人の不器用な恋のお話です。 執着囲い込み☓健気。ハピエンです。

【完結】恋した君は別の誰かが好きだから

海月 ぴけ
BL
本編は完結しました。後日、おまけ&アフターストーリー随筆予定。 青春BLカップ31位。 BETありがとうございました。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 俺が好きになった人は、別の誰かが好きだからーー。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 二つの視点から見た、片思い恋愛模様。 じれきゅん ギャップ攻め

キミがいる

hosimure
BL
ボクは学校でイジメを受けていた。 何が原因でイジメられていたかなんて分からない。 けれどずっと続いているイジメ。 だけどボクには親友の彼がいた。 明るく、優しい彼がいたからこそ、ボクは学校へ行けた。 彼のことを心から信じていたけれど…。

ハルとアキ

花町 シュガー
BL
『嗚呼、秘密よ。どうかもう少しだけ一緒に居させて……』 双子の兄、ハルの婚約者がどんな奴かを探るため、ハルのふりをして学園に入学するアキ。 しかし、その婚約者はとんでもない奴だった!? 「あんたにならハルをまかせてもいいかなって、そう思えたんだ。 だから、さよならが来るその時までは……偽りでいい。 〝俺〟を愛してーー どうか気づいて。お願い、気づかないで」 ---------------------------------------- 【目次】 ・本編(アキ編)〈俺様 × 訳あり〉 ・各キャラクターの今後について ・中編(イロハ編)〈包容力 × 元気〉 ・リクエスト編 ・番外編 ・中編(ハル編)〈ヤンデレ × ツンデレ〉 ・番外編 ---------------------------------------- *表紙絵:たまみたま様(@l0x0lm69) * ※ 笑いあり友情あり甘々ありの、切なめです。 ※心理描写を大切に書いてます。 ※イラスト・コメントお気軽にどうぞ♪

Candy pop〜Bitter&Sweet

義井 映日
BL
完結済み作品。全6話。番外編1本追加! 「185cmの看板男」が、たった一人の恋人の前で理性を失う。 ――三ヶ月の禁欲を経て、その愛は甘く、激しく、暴走する。 「あらすじ」 ​大学の「看板男」こと安達大介は、後輩の一之瀬功(いちのせ こう)を溺愛している。 ついに迎えた初めての夜。しかし、安達の圧倒的な「雄」の迫力に、功は恐怖して逃げ出してしまう。 ​「――お前は俺を狂わせる毒だと思ってた」 ​絶望した安達と、愛しているのに身体が竦む功。 三ヶ月の育みを経て、到達した二人の「じれったい禁欲生活」の行方は? 看板男の仮面が剥がれるとき、世界で一番甘い夜が始まる。 お話が気に入った、面白かった、と思ってくださったら、お気に入り登録、いいね、をお願い致します! 作者の励みになります!!

処理中です...