【完結】僕らにはもう辿り着けない場所がある

松莉あげみ

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風花の標編

epilogue 〜Echoes of Setsuna〜

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 凍える冬が過ぎ去り、雪解けの大地の下に蕗の薹が芽吹いた。命の強さを感じる間も無く夏が来て、花火や線香の燃える香りが立ち込める季節に変わる。茹だる季節を過ぎると、銀杏の葉が旋風に巻かれて足元を過ぎ去っていく。そうしてまた冬が来る。

 怜史はそんな風に季節の積み重ねを繰り返し、二十五歳になった。

 社会人三年目。インターン終了直後に内定を貰った怜史は、そのままブランディーズに就職した。東京というコンクリートジャングルの中心地に身を寄せている間は、季節もまともに感じることなく目まぐるしい時間を過ごしていた。

 ようやく一息つけそうになった年の瀬。年内の最終出社日に怜史は上司となった国岡に呼び出された。聞かされたのは辞令の話だった。

 怜史は仕事が終わったその足で新幹線に乗る。頭の中は告げられたばかりの異動の話でいっぱいだった。しばらくの間は呆然としていたが、新幹線が地元に近付くにつれて窓に映る顔がニヤけたものに変わっていく。
 怜史はこの話をどう料理して『聞かせて』やろうかと、悪巧みをするような笑みを浮かべた。

***

 新幹線を降りるとそのまま在来線のホームへと急いだ。東京とは比べ物にならないほどの寒さで吹き荒れる北風が、怜史を出迎える。その寒さから退散するべく、二両しか連結していない電車に乗った。風を遮断するために、昇降ドアを閉じることを忘れない。東京では絶対にやっている余裕のない、田舎特有の電車でのアクションに、自分が故郷に帰ってきたことを実感する。

 今日は実家には帰らない。怜史はここ最近帰省するたびそんな調子だった。家族への申し訳なさはあれど、もっと他に重要なことがあるのだから仕方ないだろうと、頭の中で両親へ言い訳めいた謝罪をしておく。

 二時間の新幹線で過ごして電車で二十分、さらにタクシーに乗り継いで十分弱。そんな長い旅路を経て怜史は刹那の実家にたどり着いた。

 インターホンを鳴らし、住人が現れるより先に引き戸を引いた。最初は躊躇っていたが、怜史はこの家を訪れることにすでに躊躇いという感情を忘れていた。

「ごめんくださーい」

 怜史が家の中に向かって声を上げると、どたどたと急ぐ足音が聞こえてくる。ワックスで磨かれた床の上を靴下で滑りながら、慌てた顔の刹那が現れる。
 怜史と刹那、二人揃って顔を見合わせながら息を呑む。それから微笑みあって、どちらともなく近付く。

「……おかえり」

「ただいま、刹那」

 刹那は横目で怜史を見ながら両手を広げる。見るからにうずうずとしている刹那に応えようと思った矢先、怜史は強烈な視線を感じて刹那の背後を覗き込んだ。
 そこには和室の大部屋から顔を出す悠・美紗季・花音の三人がいた。怜史と目を合わせた悠が「静かに」と人差し指を立てるポーズを取っている。三人は目を弓形にして、生温かく二人を見守っている。刹那に抱きつくハードルが急激に上がり、怜史の顔が途端にぎこちないものに変わった。刹那と三人を交互に見つめながら慌てふためく。

「……んだよ、怜史」

 何も知らないらしい刹那が拗ねた顔をするのを見て、怜史は余計に焦る。刹那の信頼と友人に見られることへの抵抗感が、頭の火で天秤にかけられながらグラグラと揺れた。

 怜史は大きく息を吐き、腹をくくる。刹那の胸へゆっくり近付くと、悠たちの表情が歓喜に包まれるのが見えた。視線を逸らすべくぎゅっと目を瞑る。

 だが、刹那にあと数センチメートルで触れられると思った瞬間、

「ちょっと刹那! あんたガスつけっぱなしで台所離れないでよ! 大晦日にうちが燃えても良いの!?」

「うわあああ!」

 誰よりも行動の早かった刹那の母によって、刹那が驚き飛び上がる。反射的に怜史も刹那から一歩退いてしまう。

「……っ! 母ちゃん、驚かせんなって……!」

「あら怜史君いらっしゃい。寒かったでしょ。お寿司とおそばあるから、早く上がんなさい」

「お、おじゃましまーす……」

息子の抗議など意に介さない母に向かって、怜史は明るい笑顔で応じる。耳を赤くして母親を睨む刹那の前に割り込んで、怜史は持っていた手土産を刹那の母に差し出した。

「おばちゃん、これ東京土産」

「あらあ、いつも悪いわねえ。萩の月? 東京の?」

「そ。東京限定なんです。おばちゃん甘いの好きだから」

「怜史君さっすが分かってる! あとで一緒に食べましょ。刹那! 早く怜史君案内して!」

「わーってますぅ」

 臍を曲げた刹那の返事を聞いてか聞かずか、刹那の母親はスキップを踏むように部屋の奥へと戻っていった。
 刹那はがっくりと肩を落とすと、大きなため息をついた。

「……俺より怜史の方が母ちゃん、話聞いてくれる気がするわ」

「そうかな」

「うちの親の扱いも上手くなったことで……まあ良いや」

「っ、刹那……」

 そう言いながら刹那は自然に怜史を自分に引き寄せる。そのまま唇同士が触れ合う距離まで来た時、パシャとカメラのシャッターの音が聞こえた。

「あ、やば」

 花音のニヤけた声が聞こえ、刹那は顔を険しくさせたまま振り返る。いつの間にか三人とも、スマートフォンカメラを怜史たちに向けて注目していた。

「……怜史、どうやってシメるよ」

「うーん……今日は無礼講にしとく?」

「やったー! 怜史君の言うことはー? ぜったーい!」

 花音が有頂天な声をあげてその場でジャンプを決めると、刹那は今日二度目のため息をついた。

***

「そんじゃ、怜史との再会と今年一年も頑張った俺たちを祝して……かんぱーい!」

「かんぱーい!」

 グラスのぶつかる音と軽快な友人たちの声が部屋いっぱいに響き渡る。ビールやハイボールの入ったそれを、各々口の中へと流し込んだ。
 誰よりも早くそのグラスの中身を空け、机に叩き置くようにしたのは花音だった。

「それでぇ? 怜史君と刹那君はいつになったら籍を入れるのかなあ?」

「せき?」

「ごめん怜史。うちら先に飲んでたんだけどさあ、花音だけすでに出来上がってんだわ」

 美紗季がぴしゃりと花音の頬を叩く。花音は音の出るおもちゃになったかのように「うぅ」と唸って美紗季の肩に倒れ込んだ。

 刹那は耳を赤らめながらも、険しい顔で腕組みをする。ちらりと怜史を一瞥して、首を左右に何度も捻る。

「つったところで入れられるもんじゃねえしな」

「せめて一緒に住むとか……考えてねえのか?」

「お互い仕事もあるからな。なあ?」

「……」

 刹那が困った顔で同意を求めてくる。怜史はその不安げな表情を見過ごせずに、刹那の腕を引きそうになった。
 だが怜史よりも花音が早く口を開いたことで、怜史のその挙動が止まる。

「でもでも、花音はみたいんですよ、怜史君と刹那君のイチャラブ結婚会見を……悠と美紗季みたいに」

「んな……っ」

「おいおい、いきなりこっちに振るなよ」

 花音に矛先を向けられた悠と美紗季が揃ってたじろぐ。互いに顔を見合わせながら、居心地悪そうにキョロキョロと視線を動かしている。そんな二人の左手の薬指には、同じデザインの結婚指輪が装着されている。

「式は六月だっけか」

「そ。ジューンブライドなんで。怜史もちゃんと帰ってきてよね」

「……うん。もちろん」

「手伝えることあったら言ってよ。なんでもするよ。受付とか」

「いや、怜史を受付に置く度胸はないわ……ゲストがあんたに釘付けになって、そこがうちらの結婚式のピークになるもん」

「じゃあスピーチしてもらいましょ! 怜史君単独公演! 花音は最前列でお願いします!」

「趣旨が違うんだよ。水飲んで落ち着け」

 花音のボケに刹那たちが総出で突っ込むのを、怜史が笑いながら見つめる。そんな光景がもう十年近くも続いていると思うと、怜史は感慨深くなった。
 一時はこの穏やかで愛おしい場所を壊しかけた自分のことは、今もまだ許せそうにない。だからこそ、これからはもっと大切にしなければと強い思いを仲間たちに向けていた。

 六月。その頃にはきっと、と怜史は一人でに口角を上げた。皆に見つからないように頬の内側を噛む。無理に堪えようとしている怜史の顔に、刹那はいち早く気が付いて指摘をしてくる。

「何変な顔してんだ?」

「ひぇ……なんでも?」

「そうか?」

 刹那は不審そうに眉を寄せるが、怜史が何度も大きく頷けばやがて納得したらしく深く追及してくることはなかった。
 安堵しながらも怜史は喉元まで、刹那に言いたい話が出かかっている。それでもこれを一番に知らせるのは刹那と二人だけの場所が良いと思い、再び胸の奥へと仕舞い込んだ。

***

 今日は一晩中と言わんばかりに続く宴会の途中、怜史がトイレで席を外して戻ろうとした時にちょうど茅雪とすれ違った。怜史と初めて出会った頃と比べて茅雪は可憐に成長し、物腰柔らかい女性へと変わっていた。それでも昔と変わらないあどけない笑顔で、怜史に深々と頭を下げる。

「怜史さん、寒くないですか? ちょうど母が半纏縫ってたんです。綿の入ったやつ」

「えっいいの?」

「もちろん! 怜史さんのためって張り切ってので! ちょっと待っててくださいね~」

 茅雪はそう言うと来た道を引き返し、長い廊下の奥へと消えていく。怜史はその姿を微笑ましく思いながら、窓越しに外を眺めた。

 今日はよく雪が降っている。刹那のようにこの町に住んでいる人間は「雪が降っている日は暖かい」としばしば口にするが、雪景色と縁遠くなった怜史からすればそこに大差はない。

 少しだけ窓を開けさせてもらうと、冷たい空気が怜史の吐く息を露わにさせた。
 銀世界に見とれていると、また足音が響いてくる。茅雪が戻ってきたのかと思いきや、やってきたのは刹那だった。

「刹那」

「遅えから、来ちまった」

 そう言うなり、刹那は怜史の腰に手を回す。自分の方にぴったりとくっつくように引き寄せようとしてくる。ここが彼の実家だという意識が、怜史の素直さにフィルターをかけてしまう。だが刹那はそんなことお構いなしとでも言わんばかりに、怜史のそばにより近づいた。

「見られちゃう」

「今更。みんな知ってるっけ……それより、何ヶ月ぶりだと思ってんだよ……」

 刹那が頬を擦り寄せてくる。怜史は思わず唾を飲み込んだ。刹那に甘えられていると思うと、鼓動が喜んでペースを上げていく。

「いつもごめんね」

「……いーよ。お預けくらってる分の対価はいつもいただいてるんでね」

「なんだよそれ」

「……けどさ」

 刹那は腕を怜史の腰から肩に持ち変える。自分の胸に引き寄せて、怜史を見下ろしながらまじまじと見つめる。怜史にだけ見せてくる、甘い顔に怜史の胸が弾む。

「その分こうやって会える時間が来ると、何倍も嬉しいし、その度に怜史のことが好きだって実感する。遠距離も悪いことばっかじゃねえって、最近は思うよ」

 刹那は屈託なく笑う。その顔が本当は寂しさを隠していることを怜史は知っている。
 怜史は刹那の頬に手を伸ばす。廊下の照明が照らす輪郭線に沿ってそっとなぞる。

「……辞令が出たんだけど」

「え?」

「地方支店への転勤」

「ああ……よその地域にも拡大するっつってたもんな」

「まだ計画段階だよ。稼働してるのは東京以外は一箇所だけ。創業者ゆかりの地ってことで……」

「え、」

「ここの……隣町、なんだけど……」

 怜史の言葉に、刹那がゆっくりと瞬きを繰り返す。真顔で硬直している。その表情がみるみる赤くなって熱を持つ。刹那のその顔に、怜史も嬉しさが隠しきれなくなる。
 刹那は手で顔を隠そうとする。怜史はその手を掴んで制止し、その顔を自分に引き寄せる。

「前から異動願いは出してたんだけど若手だから覚えなきゃいけないことあるだろって……だから、本当に、おまたせしました」

「……ははっ、変な顔してたのってそれか」

「うん。刹那だけに、先に言いたかったから」

「そっか……そっかぁ」

 刹那はまだ瞬きを繰り返している。驚いているのではなく、込み上げてくるものを何とか堪えようとしている顔だった。
 怜史は刹那の額に自分の額を寄せる。愛おしさで感情が爆発しそうだった。刹那も顔を傾けて、怜史の仕草に応える。

「じゃあ、家でも建てるかな」

「家」

「だって実家は嫌だろ? 俺もそろそろ独り立ちしたいし。まあ仕事柄あんま離れられないってのはあるけど」

「……一緒に住むってこと?」

「俺は住みたい」

「……賛成しましょう」

「なんだよそれ」

 その唇が触れ合いそうな距離でじゃれ合いながら、ゆっくりと距離を縮める。上唇の尖りが掠める。怜史が瞼を下ろしかける。
 だがその瞬間、

「お兄ちゃん達、同棲するってこと……!?」

 と、悲鳴のような歓喜が聞こえてきて、怜史と刹那は同時に振り返った。
 そこでは茅雪が慌てふためいて、顔全体を赤く染め上げていた。抱えていた半纏を思い切り抱きしめている。

「お、おかあさーん! 花音さん悠さん美彩季さんー! お兄ちゃん達……結婚するってー!」

「待て待て待て待て待て! 飛躍させんな茅雪ぃ!」

 刹那の制止など全く聞かず、茅雪は廊下を走り去る。呆然とその背中を見つめながら、怜史と刹那は揃って乾いた笑いを浮かべた。

「ちーちゃん、お母さんに似てきたね」

「だべ……ああもう、ほんっと話聞かねぇ」

「またみんなに冷やかされるね」

「……んなもん言わせとけ」

 刹那は今日何度目かわからないため息をつく。だがその顔はむしろ嬉しそうだった。怜史も賑やかな柏葉家の中にいられることに、胸の内側をくすぐられる気分だった。

 ふと刹那が怜史の後ろを指差す。窓の向こう、木々が連なる場所を示していた。
 怜史が振り返ると、街灯も何もないはずの場所が輝いていた。

「あれ、なんだ?」

 怜史は窓枠に手をついて、身を乗り出して目を凝らす。よく見てみると光は一つではなく、赤と緑のランプが点灯しているようだった。
 ランプを持つ物体が見えてくる。怜史には一つだけ思い至るものがあった。

「あれカメラだ……タイムマシンの」

「は? まじかよ」

「でも何でこんな場所にあるんだろ。それにちょっと見たことがない型なんだよね」

「……それってさ」

 刹那は窓際の怜史の手を重ねてきた。怜史に歯を見せて笑う。

「未来から、俺たちを観測しようとしてる誰かがいるってことなんじゃね?」

「未来の俺たちとか?」

「有り得んのかなーお前の仕事でもあるしな」

「あとは花音とか……」

「大いに有り得るな……茅雪とかも」

 自分たちのことを自分たち以上に祝福してくれる。そんな人たちが身近にいることを、怜史は静かに噛み締めた。

 やがて刹那が再び怜史の頬に手を伸ばしてくる。タイムマシンのカメラが一段とランプの光を強めたような気がした。

「見てるよ? 未来人が」

「見たくて見にきてんだろ?だったら見せとけば良い。それよりもう……我慢の限界」

「……っ、うん。俺も」

「愛してるよ、怜史」

 性急に、強引に、刹那の唇が怜史の唇に押し当てられる。抑えきれない愛を愛する人に与えるように、ただ二人でその時間に耽った。

 今というこの瞬間を、未来に刻みつける。遠くから観測する未来の目は、ひたすらに優しく二人をいつまでも見守っていた。

~Fin~
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