【完結】僕らにはもう辿り着けない場所がある

松莉あげみ

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青い春編

第2話

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 怜史と刹那は行動を共にするようになった。

 生徒会役員会議がない日、即ち刹那が生徒会室を無断で使用できる日の昼休みと放課後は二人は必ず顔を合わせていた。生徒会室の神聖さなどイメージが一人歩きしていたにせず、埃被った空き教室とそう変わらない場所は彼らの溜まり場へと変わっていった。

 日竹に不用意に絡まれることも、刹那と一緒にいる時間が増えてから減った。

 ある放課後、文化祭の役員展示の仕事が残っている刹那の傍らで、怜史は苦手科目の数学の補習課題に勤しんでいた。否、勤しむふりをして刹那の仕事ぶりをぼんやりと眺めていた。

 動的で忙しない、そんな風に刹那に印象を持っていたが、ペンを握って書き物をしている姿は背筋がまっすぐと伸びており、大人しい優等生じみて見えた。

 最も耳元で輝くシルバーのピアスが『優等生』らしさを一瞬にして打ち消してしまうのだが。

「そういや怜史は応援部だっけか」
「春まではね」

 四月に怜史は部活を辞めた。それまでは専用の学ランと鉢巻をして各部の大会を回ったり体育祭の応援合戦でクラスの一列目に立ったりしながら、声を張り上げ続けていた。

 入部した一学年の頃は自分の華奢でか細い印象を払拭する狙いがあったが、一向に筋肉の付かない身体と「男装しているみたい」とささめく周囲の声に幻滅していった。果ては仲の良かった上級生が引退すると共に幽霊部員になり、この春顧問に言われるがまま同級生より一足早く部を引退した。

「んじゃ出琉さんって知ってるか?」

「……うん」

 怜史は思わず目を細めた。白紙の課題プリントの向こうにその名前の人間の顔を映し出すように凝視する。

 盛谷出琉(もりたにいずる)。怜史にとっては応援部の先輩であり、刹那に出会う前の居所とも言える存在だった。学年は一つ上で怜史の引退はこの出琉がいなくなったのが最も大きな要因であった。

「出琉さんって俺の幼馴染でさ、結構仲良くて」

「へぇ」

「そんでこの前家族みんなでバーベキューした時に会って怜史の話したんだ。したら嬉しそうにしてって、お前のこと元気にしてっかって気にしてた」

「そうなんだ……」

「文化祭も来るってよ」

 そう言いながら刹那は怜史にスマホの画面を見せてくる。そこには刹那と出琉の家族らしき人達が青い芝生の上で一様に笑顔を浮かべる写真があった。

 噂に聞く刹那の家のバーベキューイベントが実在したことに感心しつつ、怜史は出琉の姿を真剣になって探した。

 見つけた、と思った矢先すぐにそれが別人だと気付いた。出琉と見間違えた人物は笑顔が薄く、正面からでもはっきりと分かる巻き肩だった。ただその顔の作りは恐ろしく出琉に似ていた。

 本物の出琉はそのすぐ隣にいて、笑っていなければどちらが怜史の知っている人物なのかは判別がつかなかっただろう。その人物になぜか強烈に引き寄せられる感覚があった。

 ぼんやりと写真に食らいつく怜史に向かって、刹那は緩く結んだ拳で横腹を突いた。

「おい、メロってんな」

「……ってない」

「いやいや分かるぜ……出琉さんは男の憧れだもんな」

「だから! め、ろってない!」

 分かったようなふうにニヤつく刹那から怜史は目を逸らす。妙な反応をしてしまった、と胸の内で猛省する。刹那はそれすら分かっているとでも言いたげな顔で、変わらず笑っていた。

 動揺が顔に出るほどには怜史にとって特別な存在だった。それを刹那が悟ったかどうかは、怜史には判断できなかった。

 出流の話題はそれきりになり、他愛もない無駄話が続く。絶え間なく変わり続ける刹那の話題に食らいついていると、昼休みを終えるチャイムが鳴った。いそいそと散らかした机を片付けながら、刹那は思い出したように怜史の顔を見た。

「あ、そうだ。来週法事でさ、九州行くから一週間いねえや」

「そうなんだ……会長なのにこの時期はきついね」

「そうなんだよーやべえとしか思えん。浅賀も寂しがんなよ?」

「寂しいわけないよ」

 刹那はやけに深刻そうな表情で怜史を凝視する。刹那が考えているのは日竹のことだろう。以前の出来事がまだ怜史の胸の中に杭が刺さって残っている。せっかく仲良くなれた刹那という友人と、怜史は対等でありたいと思っていた。

 そのためには日竹くらいは跳ね除ける強さが必要だと思った。

「……大袈裟」

 そう言いながら今度は怜史から刹那の脇腹を小突いた。

***

 その晩、怜史は久しぶりに出琉に連絡を取ることにした。出琉がまだ中学にいた頃は頻繁にメッセージのやり取りが行われていたが、それは今年の三月で止まっている。

『出琉さん、文化祭来ませんか』

 三十分ほど熟考した末に送ったのはそんな端的な一文だった。

 送信して間も無く既読が付き、そのまますぐに出琉からの返事が来た。

『怜史!』

『元気だったか?』

『心配してたよ』

『文化祭の日な、もう空けてあるからな!』

 連投するメッセージ越しに出琉の顔が想起される。

 誰よりも屈託のない笑顔を浮かべる人だった。刹那は意図的に人を笑わせようとするひょうきんな明るさだが、出琉は純然たる根明であった。努力と友情と勝利、そんな少年漫画のコンセプトをそのまま自分のモットーにしてしまっているような人間。怜史は自分には絶対になれない性格だからこそ、強い憧れを抱いていた。

 それはただの憧れ一色の淡白な感情ではなかった。怜史には出琉に対する明確な恋愛感情があった。

 メッセージのやり取りを少し遡る。最後に出琉と会話をした時、自分のメッセージは中途半端なところで止まっていた。

『出琉さん、俺出琉さんのことが好きなんです』

 卒業する出琉に向けた、怜史にとっては決別の言葉だった。出琉との穏やかな先輩と後輩の関係が終わってしまうことは分かっていた。だが金輪際出琉との関わりを失う代わりに、自分の思いを告げることを怜史は考えた。

 だが、その送信時間からわずか三十分で出琉はあっけなく返事を送ってきた。

『浅賀、お前の気持ち嬉しいよ』

『ありがとう』

『冗談じゃないんだよな?』

『ありがとう、本当に』

『でもごめん。俺より浅賀に似合うやつがこの世には絶対にいると思う!』

『本当にごめんな、気持ちに応えられなくて』

『でもこれからもお前が俺を頼ってくれるなら俺は助けるから!』

『これからもよろしくな』

 考えていることをそのまま文章にして送っているような怒涛のメッセージに、怜史は当時返事ができなかった。より一層恋慕が募るのと大きな後悔で何かを返す余裕などなかった。

 そこでぱったりと連絡を途絶えさせていたにも関わらず、久方ぶりの怜史からの連絡を出琉は優しく受け入れてくれる。

「お人好しすぎんだろ、この人は……」

 独りごつ唇はいつの間にか緩い弧を描いて微笑んでいた。

 その時、怜史が意図しない形でスマートフォンが震え出す。画面には着信の文字と出琉の名前が表示されている。幻覚を見ているのかと目を疑った。

 静かな部屋に響くバイブレーションの音を三回繰り返し聴いて、ようやく応答のボタンをタップする。開口一番何を言えばいいのかと「もしもし」の一言すら忘れて怜史は黙り込む。

「お、浅賀? 懐かしくって電話しちまった」

「あっ……えと、出琉さん……」

 出琉の声に安堵してようやく自分も言葉を発せられた。それと同時に自分は出琉にとって懐かしい存在にまで遠のいてしまったのだと静かに傷付いた。

 怜史はあの日の玉砕はまだ数日前かのように最近のことだと思っていた。

「元気か? 飯食ってるか?」

「たべ、食べてます」

「なら良い! 食ってなかったら家に米送るつもりだったからな」

「はは、冗談……」

 怜史はだんだんとにやけが止まらなくなる。弛んだ頬を自覚して、出琉には見えないというのに何度も真顔を作り直した。

「最近はどうだ? なんか悩んでないか?」

「特に……平気です。あの、柏葉刹那って奴と最近仲良くなって、出琉さん、」

「刹那! 刹那ってあの刹那か!」

 知っていますか、と続けようとした怜史の言葉を遮って、出琉は高揚した声を上げる。

「そうかー刹那がいるなら安心だな」

「安心……」

「あいつは顔も広いし物怖じもしない。近くにいると頼もしいよな!」

 出琉の言葉には大いに同意だった。だが怜史は唇を噛み締める。

「でも俺、なんかそのことを盾にして過ごしてるみたいで……それが嫌なんです」

「浅賀……」

「俺、強くなりたいんです。出琉さんとか、柏葉みたいに」

 電話の向こうの出琉がたちまち黙り込む。突然の決意表明に引かれたのではないかと怜史は冷や汗をかき始める。

「浅賀」

 聞こえた声はいつにも増して神妙だった。怜史は息を呑む。

「……はい」

「俺さ……この前すごい面白いもの見てきたんだ。そん時には、確信持てたんだ。浅賀、お前はもうとっくに強くなってたんだって」

 出琉は怜史を諭すように言葉を向ける。怜史はスマートフォンをより自分の耳に近づけて出琉の言葉に深く耳を傾けた。

「ちゃんと踏み出せる奴だって俺は知ってる。あとはちょっと自信が無いだけだ。刹那が近くにいるなら見本にしてあいつの良いところ奪って自分のものにしてやれ」

 出琉が知っている怜史の強さとは何か。言い難い想いを告げる強さだろうか。怜史には心当たりがそれしかない。

 それに、出琉は「面白いもの」の正体を一向に教えてくれる気配がない。

 怜史は意を決して、出琉の言葉を遮った。

「あの……面白いものってなんですか?」

「ん? ああ、それは秘密。俺だけしか見れないもの」

「そう……ですか」

「意味深で不安がらせたか? 悪い悪い! でも、怖がらせたいわけじゃなくてさ」

「分かります。出琉さんが優しいことくらい」

「嬉しいこと言ってくれるなぁ。それじゃあ、俺からの助言をもう一つだ!」

「なんですか?」

「何かに打ちのめされて、疲れた時は……バットを振るんだ」

「……なんて?」

 真剣に聞いていた話が突然斜め上へと方向転換をする。出琉はそれでも真剣な声色のままに話を続けた。

「俺嫌なことあったらストレス発散するんだ! 強くても負けそうな時は一旦気持ちを切り替えて、また次の日から戦う! これ、俺の習慣!」

「そうなんすか……」

「へへ……刹那が近くにいれば百人力だからさ。俺ができることは何も無いし……んだから、ちっぽけなりのアドバイスだ!」

「出琉さん、全然ちっぽけじゃないですよ」

 まるで自分を卑下するような出琉の言葉に怜史は違和感を抱く。

 出琉は太陽の如く朗らかで後ろ向きな言葉など聞いたことがなかった。踏み込んで聞いてみてもいいのか、一瞬の躊躇いが生まれる。

 その時、電話の向こうから誰かが出琉の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。バタバタと慌ただしく、出琉を急かしているようだった。

「わり、親に呼ばれた」

「あ、はい」

「文化祭、楽しみにしてるからな! 浅賀、無理なく頑張っていけよ!」

「あ、ありがとうございます……出琉さん」

「じゃあな!」

 怜史がさよならを言うより前に通話が終了する。耳から去ったノイズ混じりの出琉の声が途絶えて、部屋に冷たい静寂が広がる。怜史は名残惜しいまま、画面に残った通話終了の文字を見つめた。

「出琉さん……」

 また出琉と話をすることが叶うとは思っていなかった。それだけで胸が高揚する。生きていることへの幸福感がたちまち募り出す。

 だが、最後に抱いた違和感がそれを上塗りするように心の中に残っている。考えれど怜史はそれを聞くためにもう一度電話を繋げることも、メッセージを送ることもできなかった。

雑念だと思い込みそれを払拭するかの如く、怜史はスマホをベッドに放り投げ自分も同じ場所に倒れ込んだ。

「文化祭が来たら会えるんだから……」

 天井に投げかけた言葉で自分を癒すと、怜史はそのまま目を細めて静かに眠った。
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