【完結】僕らにはもう辿り着けない場所がある

松莉あげみ

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青い春編

第1話

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 六年前。中学三年だった怜史は自分の学校が嫌いだった。

 怜史の完璧な風貌は齢十五にして完成されていた。背はまだ少し低く線もより細いが、子供でも大人でもない体躯が怜史の神秘性を一層際立たせていた。それが男子校ゆえに一層際立つ。今は襟足を少し伸ばしているせいで、後ろ姿を見て何度か女子と見間違えられるほどだった。

 クラス、否学校中に怜史に対して憧れを持つ生徒がいた。簡単には手の届かない花。だけど夢の中くらいはと、自分の願望を押し付ける人間は数知れず。

 その一方でそれと同じだけ怜史を疎ましく思ったり、面白半分に揶揄ったりする存在もあった。
 その中心になっているのがクラス委員の日竹葉一郎(ひたけよういちろう)だった。

 夕方のホームルームを終えてまっすぐ下校しようとしていた怜史を教室の入り口で日竹は突然足止めしてきた。

「なあ浅賀、お前のポテンシャルなら絶対優勝できるって」

 日竹は切れ長の目を彎曲させて怜史を見下ろす。ワックスで整えられたツーブロックの毛先が威圧的に光った。

「……どうかな」

 怜史は霜柱が小さく割れるような繊細な声でへらりと笑ってかわす。日竹はそれでもなお怜史にスマホの画面を突き出してくる。目を逸らそうにも怜史の視界をそれだけで埋められるほどに強引に迫った。

 怜史は嫌々視線を向ける。そこに写っているのは怜史の顔写真をウェディングドレスの広告に合成したものだった。日竹はクラス委員長だがそんなものは名ばかりだ。

 一番優秀な生徒であることを教師は求めるが、日竹はそれと対極にあるかのような下卑た笑顔で怜史を貶めようとしている。上辺だけの褒め言葉を聞いても、怜史の耳にはその意図が痛いほど伝わってきた。

 二週間先に行われる文化祭の裏企画、ミスコン。男子生徒しかいないこの学校において参加するのも当然男子であり、毎年色物行事になるのが恒例だ。

「お前ほど女みたいな顔の奴はいないんだからさ。もう一人勝ちだよ」

「ごめん、おれ興味な……」

「うちの姉貴がさ、服飾の専門行ってんだよねー。着るものは用意できっから」

「でも」

 首を振る怜史の姿が日竹にはまるで見えていないようだった。だが怜史も負けじとノーを突き出そうと決意をする。しかし、

「今のうちに人気者になっておいたらさ、高等部でモテるかもしれないだろ?」
「うちは中高一貫で男子校じゃねえか!」

 日竹に応戦するようにゲラゲラと後ろから野次が飛んでくる。笑っている顔を一人、二人と怜史の目が追う。ガラス玉のように丸い垂れ目では凄む睨みは利かせられない。
 怜史の視線を帯びると「こっち見てるぞ。お前に気があるんじゃねえのか」とはしゃぎあってつけ上がった。

「ほら、よく見てみろよ。お前にぴったり!」

 日竹が怜史により画面を近づける。スマホのバックライトが怜史の目を突き刺す。反射的に目を瞑れば、スマホの角で額を小突かれた。その勢いに驚いて怜史は身体をよろめかせて、教室の床に尻餅をついた。
 足元に溜まっていた埃が舞い上がる。彼らは一層笑い声を大きくさせた。

 日竹が一歩怜史に近寄る。声を潜めて耳のそばで嫌な囁き方をする。

「嬉しいだろ? 本当は女の子になりたい怜史ちゃん」
「……」

 怜史は唇を硬く結んで堪えた。ふと周囲を盗み見る。

 他に見ている生徒たちは何も動こうとしない。怜史を心配する目を向けながらも、実際に怜史と視線が合うとすぐに逸らされてしまう。

 怜史自身彼らに期待をしているわけではないが、見て見ぬふりをされるたびに胸の深い部分が抉られるような感覚がした。

「お前ら! 何騒いでんだぁ?」

 突如教室に、それまで聞こえてこなかった声が響き渡る。声がした教室の扉をクラス中が一斉に振り返る。

 そこには刹那が立っていた。しっかりと見開かれた目は猫のように爛々と輝きを放ちながら教室をぐるりと見渡す。日本人離れした薄緑の瞳も相まってさながら猫のようだった。ブリーチで色が抜けたらしい短髪を見て最近まであんな色ではなかったようなと怜史は考える。そんな派手な見た目とは裏腹に腕に巻かれた群青色の腕章の上で、金色の糸で綴られた生徒会の文字が輝いている。

 刹那はすぐに床でしゃがみ込んでいる怜史を見つけた。その正面で怜史を見下ろしている日竹へとすぐに視線を移す。ヒョロ長い背丈の日竹を下からぐいと見上げると、子虎のような迫力に日竹は尻込みした。

「日竹!」
「な、なんだよ」
「喧嘩か?」
「んなわけ」
「じゃあ実行委員の打ち合わせ、間に合うよな? あと二分で始まんぞ。早く来いよ」
「う、うるせーな。お前だってここにいたら間に合わないだろ」
「俺は日竹を探しに来たの! 言い訳はいいから行くぞ!」

 日竹は刹那を前にして先ほどの威勢の良さを失っていた。その目元に刹那に対する強い苦手意識が浮かんでいる。刹那はそれを微笑みで返した。日竹が悔しそうに怜史を睨みつける。何か言いたげな顔をしているものの、猫の首根っこを掴むかのように刹那が日竹の襟元を引っ張り上げた。

「ほら、早く早く」
「っ、行くから! 離せよ!」

 凄まじい勢いで刹那の手から逃れ、日竹は教室を飛び出して行った。しんと静まり返った教室で、日竹の去った扉を刹那が静かに見つめる。

「だっせえの。な、浅賀」

 刹那は走り去る日竹の背中を冷ややかな目で見つめる。かと思いきや怜史に向かっては人懐っこい表情を向けてくる。その落差に驚いて、怜史は瞬きを繰り返した。

「……え、あ、ありがと」
「ん! じゃあなー」

 まるで嵐が去ったかのようにぼんやりと見上げるだけの怜史を置いて、刹那は颯爽と教室を出て行った。助けられてしまった、と怜史は悔しがりながら自分の制服の裾を握りしめた。

 怜史に諌められて周囲に残った日竹の取り巻きも怜史への関心が削がれて行ったようで、やがて散り散りに教室を出て行った。教室は穏やかさを取り戻し、怜史以外のクラスメイトたちも何事もなかったようにいつもの放課後の空気へと戻っていった。

 刹那の影響力の凄まじさを思い知る。柏葉刹那。そのカリスマ性は彼が校内で生徒会長の冠を被っているからではない。人を惹きつけ、扇動する才は天性のものだった。

 自分もああなれたらいいのにと、刹那の眩さと自分の弱さを比べる。そのことでため息をつきながら、怜史は教室を後にした。

***

「浅賀、昼休みに生徒会室に集合な!」

 と、教室の扉の向こうから刹那の声が聞こえてきたのは翌朝のホームルーム前だった。それだけ言うと刹那は走ってどこかへ行ってしまった。近くの席で日竹が怜史を睨んでいる。それをなるべく視界に入れないようにしながら怜史は頭を抱えた。一方的に呼びつけられるほど、怜史は刹那と仲が良いわけではなかった。

 四限の数学が終わると怜史はコンビニのサンドイッチとミルクティーが入ったレジ袋を持って後ろの扉からそそくさと教室を飛び出した。行くか行かないかは悩んだが、今朝のように教室に刹那が現れて同じように大声を張り上げられたら目立って仕方がない。怜史は静かに過ごせる方を優先した。

 同じ階の北側の突き当たりにある生徒会室は厳密には生徒会役員以外は出入り禁止になっている。役員はおろか委員会にも所属したことのない怜史はその扉を開くのを躊躇った。

 意を決して扉をノックしようとした矢先、背後から他の誰かの手が伸びてきて怜史は慌てて腕を引っ込めた。反射的に振り返ればそこには刹那がいた。

「よ、悪いな。まだ中に誰もいねぇや」
「う、うん」

 萎縮する怜史に刹那は鋭い犬歯を見せて笑った。刹那はスラックスのポケットに手を入れて中から鍵を取り出す。学校の鍵に付けるのには似つかわしくない、アヒルのぬいぐるみがぶら下げられている。

「妹の。鍵無くすからちょうど良くてもらったんだ」
 怜史の視線がアヒルに集められていることに気付いて刹那がそう説明をしたが、怜史は「へぇ」と気のない返事をすることしかできなかった。

 怜史はまだ刹那という男のことを詳しく知らなかった。生徒会長でスポーツマン、部活はサッカー部。実家は酪農業を営んでおり家の野原にクラスメイト全員を呼んでBBQをしている。ろくに関わりがなくてもそれだけの情報が一方的に流れてくるほどに刹那のことは知れ渡っている。平たく言えば陽キャであり自分とは別世界の存在と怜史は評価していた。

 そんな刹那からの呼び出しに怜史はずっと不安を抱いていた。握った拳の内側に汗が滲む。

 刹那は生徒会室に入るなり一番奥のデスクに座った。配置はまるでドラマに出てくる社長の席のような位置にある。重厚な臙脂色の革張りソファに勢い付けて腰掛けると怜史に手招きしてくる。もう片手で自分の昼食らしい弁当箱を広げ出す。

 怜史は近くのパイプ椅子を刹那と向かい合わせになるように置いて、同じようにコンビニの袋を机に置いた。

「俺さ、ずっと浅賀と話して見たかったんだよなー」
「、どうして?」
「ん。なんかさ、ちょっかいかけられるっけじゃん? なんでかなって思っててさ」

 この町の生まれらしい訛りが強い言葉で、いきなり本題をかけられて怜史に緊張感が走る。

「……そんなの、おれが聞きたい」
「んだべな」

 怜史は刹那を不躾でデリカシーがないやつだと思った。ほとんど会話をしたことがない中でそんなことを聞いてくるやつだとは思わなかった。怜史は自分が日竹にやっかまれることにまるで自分に原因があるのかと、刹那にそう言われているのではないかと疑う。

 横目で見る彼は話と昼食どちらを重要視したいのか分からないほどに、米と唐揚げを熱心に頬張っている。

 刹那相手に萎縮するのが途端に馬鹿らしくなった怜史はミルクティーのストローを飲み口に勢いよく突き刺して、憂さ晴らしをするように一気に半分を飲み干した。

「顔だろ、どうせ。女みたいだって揶揄われるんだ」
「女ぁ?」

 弁当に夢中だった刹那が突然勢いよく顔を上げ、机に身を乗り出して接近する。距離感というものを知らないのか、と怒りながらもパーソナルスペースの広い怜史は鼻先が当たりそうな距離にひどく動揺した。間近で刹那の目力を発揮され、居た堪れなくなってそっと目を逸らす。

 怜史が硬直しながら待つこと数秒、刹那は吹き出して次の瞬間には笑い転げていた。

「は、はははは!! そっか、女か! はははっ」
「ん、な……」
「み、見えねえって! そいつら目ェ腐ってんだろ! く、あははは!!」
「……」

 怜史は呆然とするしかできなかった。自分の顔を見てげらげらと笑われるのは不本意だった。だが刹那の言葉に嘘はなかった。怜史の表層だけをなぞって薄ら笑いを浮かべる他の連中とは違った。

「わ、笑いすぎ……」
「だってさ、それはそいつらが女を知らねえだけだって思うとさ、バカだなーって感想にしかならんもん。女子はもっとさ細くてちっこくて、いい匂いがして、怜史とは違うだろ」
「臭いみたいに言われるのは心外なんだけど」
「悪い悪い、臭かねえから! よし決めた! 俺は絶対に女扱いしない、特別扱いもしない。誓ってやるよ、浅賀!」
「誓ってほしいなんて思ってない……」

 中学に入ってからこんな風に同級生と関わるのは初めだった。素直な言葉は出てこなかったが、怜史は自然と口角を上げて笑っていた。

「……ね、柏葉」
「ん?」
「柏葉ってもっと嫌な奴だと思ってた。今この数分前まで」
「んでだよ」
「俺の偏見と一緒……でも、なんかただノンデリなだけで正直な奴なんだなって、変わった」
「はっきり言うな! 俺は嘘つかないポリシーなの」

 爽やかな人間なんてもうこの学校にはいない思っていた怜史の心が打ち砕かれる。目の前の刹那は嘘みたいな、まっすぐな瞳をしていた。

 中三、この空間での時間もまもなく終わるという時だったが、怜史はようやく心を開ける人間に出会えたような気がした。
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