【完結】僕らにはもう辿り着けない場所がある

松莉あげみ

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青い春編

第4話

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 店に男が入ってくると日竹は慌てて怜史の上から退いた。上から見上げる彼はやけに大きく見えた。ネイビーのモッズコートが怜史の頭の上で揺れる。メガネをかけたその顔は厳しい顔で日竹を睨んでいた。

「外から見ると暴行事件……に見えたんだけど、君たちは何をしていたんだ?」

 男は怜史の身体を起き上がらせて自分のコートを怜史に被せた。コートに残っていた男の体温が怜史を包み込む。怜史を甲斐甲斐しく守ろうとする男に日竹は辟易したようにそっぽを向いた。

「部外者に口出されることじゃねえ」

「そうも行かないよ。その制服……君たち中学生だろ」
「戯れてただけだよ」

 理路整然と問いただしてくるおそらく年上らしい男に日竹の子供じみた言い訳では全く通用していなかった。日竹は悔しげに唇を噛み締めている。

「子供だろうとなんだろうと、そういう無理強いをするのは犯罪だ。それくらい理解するべきじゃないか?」
「ってるよ!」

 日竹は今日一番の大声を張り上げた。どんな顔をしているのか怜史には見えなかった。だがその声が涙でくぐもっているのは分かった。

「君に泣く資格があるのか」
「っ」」
「……日竹、」

 怜史が呼ぶと日竹は肩をびくりと震わせた。まだその顔は伏せられたままだった。

「……帰る」
「まだ解決してないだろ。君は逃げるのか」
「……っ!」

 制止する男の声を振り切って日竹は店先を飛び出して行った。男は悔しげに日竹の走り去った方角を見つめていた。その正義感に満ちた顔を見て写真で見た時よりも出琉に似た印象を覚えた。

「あいつ……」
「も、もういいです、ありがとうございました……」

 怜史は男の上着の裾を掴んだ。途端にその顔が張り詰めていた気配を解いて柔らかい表情に変わる。出琉と比べると目尻が下がっていて、少し気の弱そうな顔立ちをしている。だがどこか貫禄を感じるものでもあった。

「そうは言ってもな……怪我とかしてしてない?」
「大丈夫です」
「そうか、それなら良かった……最近の中学生は恐ろしいな。将来が心配だよ」

 男は肩をすくめて気難しい表情に戻る。彼の心配が向いているもののことよりも、怜史は彼に聞きたいことがあった。空気を読めていないと思いつつも、怜史は掴んだ袖をもう少し力を入れて自分に引き寄せる。

「あの、出琉さんのお兄さんですか?」
「え?」

 男の顔がまた元の柔和なものに戻る。忙しないその表情の動きには出琉の面影があった。

「出琉さん部活の先輩だったんで……顔、似てるなって思って」
「あ、ああ……そうだったのか……僕は流生。お察しの通り出琉の兄貴だよ」
「名前もちょっと、似てるんですね」

 男は困ったように笑った。表情はすっかり解けきっている。怜史は目の前の男に出琉の気配を感じて嬉しくなった。

***

 怜史は追い剥ぎされた制服を撮りに更衣室に戻り、身支度を整えてから流生に家まで送ってもらうことになった。結局店番の少年は一度も現れず、流生が不用心さを心配しながら二人でその場を後にした。

 初めて出会った流生の前で怜史はずっと高揚感に覆われていた。出琉によく似ているというのが一番の理由だ。怜史は自分の人見知りを忘れるほどに彼と話がしたい気持ちに駆られた。

 当然話題は出琉のことになり、怜史は学校での先輩としての姿を、流生は自宅での弟としての姿を語った。

「出琉とは三歳差なんだけどさ、あいつは昔から明るいというか落ち着きがないというか」
「学校でも出琉さんがいた時はしょっちゅうでかい声聞こえてましたよ。下の学年の校舎まで」
「だろうね。イズは多分家でも同じ声量だよ」
「いず……」

 初めて聞く尊敬する男のニックネームに怜史は目を丸くする。名前から一文字欠けただけのはずなのに、随分と出琉が近しい存在になったかのように錯覚した。

「うん。そう呼んでるんだ」
「俺が同じ呼び方したらびっくりするかなぁ」

 怜史はイズ、イズ、としきりに家庭での出琉のあだ名を口にする。当然本人の前で呼ぶことは叶わない。怜史は後輩だ。恋人のように対等にならない限り不可能だ。ましてや一度振られた身である怜史にとっては夢のまた夢だった。

 惚けた顔で噛み締めるようにその音を奏でる姿を流生は静かに見つめていた。その視線に怜史は気が付かない。

「なんか君って出琉のこと……」
「? はい」
「い、いや……なんでもないよ……そこの交差点?」
「あっはい。もうそこが家です」

 出琉の名前ですっかり忘れていたが自分は流生に送ってもらっていた最中だったことを思い出した。残り数十メートルの距離が名残惜しくなる。

「今日はその、ありがとうございました」
「全然。それより彼は同じ学校だよね。明日は……大丈夫?」
「……平気っす。いつもなんで」
「いつもって……」

 流生に厳しい表情で見つめられると怜史は薄い笑みを浮かべた。出琉によく似たその顔が曇るのが嫌だった。

「話すにしても誰か間に入ってくれる人がいれば良いけど……先生とか相談できないかな?」

 流生の表情はごく真剣に怜史のことを考えているようだった。出琉とよく似ているもののその性質は真面目で正攻法を選択するらしい。

「一人、いつも近くにいてくれる奴がいます。今ちょっと法事で休んでるんですけど……」

 脳裏に浮かんだ刹那を思って怜史は唇を噛み締める。結局は刹那の後ろ盾を必要としている自分が気に食わなかった。

「ほんとは頼らないで頑張りたいんですけどね……」

 つい本音が漏れた。言ってしまったと照れ臭くなって笑う。そんな怜史の肩を流生は優しく叩く。

「気丈なのは良いことだけど……一人で無理したらだめだよ」
「……」
「一人でできるふりばかりしていたら、抱え過ぎて立てなくなっても……誰も助けてくれなくなってしまうよ」

 流生は寂しく笑いながら「ね」と怜史の同意を誘う。怜史を見ながら別の何かを見据えているような瞳に、怜史は魔法をかけられたかのようにこくりと頷かされる。

 その時怜史が密かに掲げていたSOSを受信したかのようにスマートフォンが震えた。画面を見ると刹那から「明日から刹那復活!」とたった一言で明日が変わるメッセージが届いた。

「……そいつ、明日から来るみたいです」
「そっか……それならよかった」

 流生もほっとした笑顔を浮かべる。人良さを体現したような笑顔だった。日竹の行動に苛まれた直後だから余計に流生の温かさが身に沁みる。出琉と流生、まるで聖人君子のような兄弟だと怜史は感心した。

 角を曲がると自宅が見えた。怜史はそこで足を止める。流生も一歩遅れて足を止めた。

「本当にありがとうございました」
「僕は何もしてないよ。これからも気をつけて」
「はい。出琉さんにもよろしくお伝えください」
「はは……うん」

 別れ際怜史のスマートフォンが本格的になり始めた。今度は刹那からの着信だ。

「それじゃあ……」

怜史がスマートフォンを構えながら頭を下げる。流生は目を細めた笑顔で手を振ってきた。怜史も真似をするように、だが年上相手に少し照れながら腰のあたりで流生に向かって小さく手を振った。そのまま踵を返して家に向かいながら電話に応答する。

「もしもし、柏葉?」

 だから気が付かない。

「出琉……刹那……」

 遠のいていく流生の冷たく、どこか寂しげな声には。
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