【完結】僕らにはもう辿り着けない場所がある

松莉あげみ

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青い春編

第5話

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 刹那が九州から帰ってきて平穏な日常に戻る。と思われたがそう簡単には行かなかった。

 復帰したての刹那は放課後に怜史と日竹を自身の根城である生徒会室に呼びつけた。その日日竹は欠席だったが放課後になって教室に顔を出した。怜史の顔を見てもすぐに目を逸らす。居所悪そうに黙りこくっている。

 そんな日竹を猫でも捕まえるかのように襟首を掴んで刹那が生徒会室に移動する。道中刹那は怜史が見たことがないほどに機嫌の悪さを表に出していた。

 怜史はすでにことのあらましを刹那に話している。怜史自ら打ち明けたのではなく、刹那はすでにある程度の事情を把握していた。盛谷の家と繋がりがあるということから流生なら情報が伝わったのだと推測できた。

 日竹に何をされたのかを問われ、怜史は口にするのが嫌になった。だが昨日の流生の言葉が頭をよぎり正直に「服を脱がされドレスを着せられそうになり、逃げ出したら捕まえられて耳を噛まれた」とありのまま打ち明けた。

 刹那は見たこともない形相で激昂した。わなわなと震える拳をゆっくり開き、怜史の背中をさすってきた。休んでいてごめんと怜史に謝罪をした。怜史は未だ自分が情けなくて仕方なかったが、刹那が味方にいてくれることに安堵した。

 そこから刹那が居ても立っても居られない様子で「俺が間に入って話をする」と言って、日竹を呼びつけることになった。

 刹那の玉座とも言える生徒会室長の札を下げた机の前で怜史と日竹は横並びになって、互いに視線を逸らし合った。
 二人の様子を見て刹那は大きくため息をつく。

「……で? この俺がいない時に何をしでかしたんだって? 日竹クンよ」
「んでバレてんだよ」
「ふふん、町内さスピーカーの姉っ子おるべな。隠し事なんかできねえよ」

 刹那は勝ち誇ったような顔で鼻を鳴らす。話の出所はあくまでも隠すつもりらしい。

「バカだとは思ってっけどさ、流石に一線超えたことくらいお前にだって分かるだろ」
「……」
「理由があんなら言えよ。そんで怜史に謝れ」
「教師の真似事してんじゃねー」

 日竹の味が刹那の机を軽く蹴る。机の中身が揺れる音が生徒会室に響く。刹那は凄んだ顔を見せるが日竹は口を割ろうとしなかった。

 不貞腐れた日竹はまるで幼児だった。普段偉ぶった男が負けを認めたように口籠もるのを怜史はどこか情けない気持ちで見つめる。見かけ通りに大人しい性格ではない怜史は昨日の怒りを思い出し、共連れでしがみついてきた昨日の日竹の言葉を引っ掛けてやることにした。

「……日竹、俺のドレスって言ってた」
「俺のドレス?」
「浅賀ッ!!」

 床を這いつくばっていた視線を怜史に移しながら、日竹は今度は机を思い切り叩いた。それに堪えられなかった刹那が続くように机を叩く。ガタガタと続く音を怜史は冷静に聞き流した。

「……あれ、日竹の姉ちゃんが用意したの?」
「……」
「日竹」

 机に身を乗り出しながら、名前を呼んで追求してくる刹那に日竹が身じろぎする。怜史と刹那を交互に見つめていよいよ袋小路となったらしい。日竹は口を尖らせたままやけになって吐き出した。

「……俺んだよ、悪いかよ!」
「……話が読めん。何? 日竹の私物だったってこと? 趣味?」
「違ぇよ。俺が作ったの!」

 日竹はスマートフォンを取り出すとカメラロールを漁って、一枚の写真を二人の眼前に突きつけた。

 学生ファッションコンペティション。そう書かれたタイトルの下でトロフィーを掲げた日竹が映った写真だった。どこか誇らしげなその顔の後ろには昨日の白いドレスが置かれている。

「去年獲ったんだ……俺、そういう仕事がしたくて。専門行ってる姉ちゃんの伝手で師匠もいる」
「おお……日竹、おめさすげえ奴だったんだな」

 日竹の必死の告白を刹那は素直に感動して受け入れた。そんな簡単な言葉で肯定されると思っていなかった日竹は、刹那の愚直なまでの真っすぐさに頬を赤らめながら黙り込んだ。

 怜史だけが表情を曇らせる。昨日日竹にぶつけられたのはそんなものではなかったはずだ。日竹の眩しいまでの夢と昨日の獰猛な獣のような瞳が怜史の中では重ねられない。

「だからって昨日みたいなやり方は許されないだろ……」
 怜史が思わずそう呟けば、日竹は罰が悪そうに俯いた。

「……分かってる。昨日のことは本当に悪かったって思ってる……」

 日竹はしおらしく頭を下げる。だが怜史の疑いは晴れない。

「理由を教えてよ。納得できない」

 怜史は厳しく追求する。隣に刹那がいれば震えずに日竹に本音をぶつけられた。虎の威を借る狐と分かっても心強かった。

 日竹は奥歯を噛み締めてから静かに口を開いた。

「……師匠には『お前の服が着るために作られてない』って言われて……だからモデルが必要だったんだ!」
「……それが俺?」
「自己中だって分かってるよ。でも浅賀が俺の中で一番理想的なモデルなんだ……だから浅賀、俺のドレスで……ミスコンで優勝してほしい」

 日竹の目の色が変わる。怜史を愚弄する目でも襲い掛かろうとする目でもない。日竹という男の本質を怜史は初めて目にしたような気がした。その乖離性に怯えながらも、目の前の日竹が本気と分かると無碍にもできないと思える気持ちが湧き上がった。

「……優勝するかどうかなんて、分かんないし」
「……」
「それに、昨日みたいなのは嫌だ……」
「……分かってる、」

 日竹の声が泣きそうになっているのが怜史にも伝わってくる。言ってやりたいことはもっとあった。自分がされたことを思えば日竹を許す必要はないとも思う。

 だが怜史は日竹のまっすぐな顔を見てから、自分の溜飲がとっくに下がっていたことに気付いた。

「分かった」
「え……」
「怜史……良いのかよ」
「もう名前も書いてエントリーしてるし……日竹も本気なんだろ」

 刹那は顔を顰めてこめかみのあたりを書いた。納得がいっていないのが滲み出ている。日竹の才能と怜史にしでかしたことを天秤にかけて、刹那は怜史とは逆の方向に傾く結論だったらしい。

 それでも怜史は、今は目の前の日竹と自分の選択を信じることにした。

「浅賀……」

 日竹が腕で自分の目元を拭う。溢れ出る涙を全部無かったことにするように赤くなるまで擦った。

 怜史は日竹に手を差し出し、日竹はそれに応えた。結ばれた握手を刹那が嘆息して見つめている。

 胸をほっと撫で下ろすと怜史は無意識に笑みを浮かべていた。瞳の奥に日竹がしっかりと捉えられている。怜史を見た途端に日竹が首から上をのぼせたように肌を赤く染めた。それを見てなお怜史はますます笑顔を深めるばかりだった。

 照れて目を逸らし手のひらも振り切ろうとする日竹と、細腕でがっちり掴んで離そうとしない怜史を刹那は唇を震わせて見つめていた。

 だが、何も言わなかった。


***

 数日後、迎えた文化祭で怜史は朝から控え室に籠りきりになっていた。

 怜史には他の参加者と隔絶するかのように別の控え室を用意されていた。

 日竹が用意した純白のドレスに身を包み、椅子に座ると日竹が重厚なメイクボックスを抱えて怜史の正面に座り込んだ。

 怜史はその中身が分からず、蓋を開けて現れた化粧品を前に目を丸くした。日竹は問答無用といった様子で怜史の肌を化粧水で拭き取り、クリームを数カ所に載せて広げていく。

「……あんまりやらねえほうがいいかな」
「そうなの?」
「……」

 独り言だったらしく怜史の問いを日竹は無視した。むっとした気持ちが湧き上がってくるも、いつになく真剣な日竹に水を差す気にはならなかった。

「日竹って化粧のやり方も知ってるんだね」
「悪いかよ」
「悪いなんていってない」
「黙れ黙れ。顔が動くとやりにくい」

 大量に存在する化粧品のほとんどの蓋は開かれることはなかった。眉を軽く整えて薄紅のチークとリップを僅かに差し入れるだけでその『人形』は完成する。日竹は鼓動と一緒に指先が震えていた。

(……くちびる、くすぐったい)

 黙っていればそう見えるだけで怜史の中身は純粋なただの少年だった。だが、誰1人としてそうは認識しない。ただひたすらに美しい人形が飾られている。日竹はそれを見て目を細めた。

「……やっぱお前ずるいわ」

 手から筆をとり、指で直接怜史の唇をなぞった。

「っ!」

 あの日の日竹が怜史の頭をよぎる。だが日竹の指先は目の前の怜史を慈しむように左右に指を擦り付けるだけだった。その指の腹にリップの色が移る。

「なあ、浅賀」
「な、なに……」
「お前さ、せいぜい気をつけろよ」
「何を……?」

 日竹はリップを塗り直しながら、淡々と言葉を重ねる。目線は合わない。ただいまは怜史に施す唇の造形にだけ拘ってるようだった。

「特別な人間ってのは時々本当にいるんだ。そういう奴らはおめでたいだけじゃなく」
「……」
「周りの人間の世界を壊していく」

 日竹が持つリップブラシが怜史から離れる。日竹は怜史を見下ろした。そしていつもの人を小馬鹿にしたような笑みで、微かに口の先を震わせていた。

「綺麗だよほんとお前。冗談抜きで。死ぬほどむかつくけど」
「褒めてるの、それ」
「貶してんだよ。いつか酷い目に遭うって決まってる」

 日竹が何を言いたいのか、怜史は全貌を掴みきれなかった。その悪魔のような予言を怪訝に思いながら、日竹葉一郎とはこういういけすかない人間なのだとそう片付けることにした。

 その時だった。

 がたん、と開かずの間と化していた控え室の扉が突然開いた。怜史と日竹が揃って扉の向こうを見つめた。

 丈の長いコート、扉の向こうからの光を簡単に遮る大きな身体、どこか虚で遠くを見ているような瞳、それを分からなくさせる黒縁の眼鏡。

 それはあの日のリフレインだったと怜史は振り返って思う。

「流生さん……」
「ち、ちが……」

 この瞬間は間違いなく罪のない日竹だが、条件反射で慌てた様子を見せた。すぐに怜史の正面から退いて、弁明してやろうと流生に近付く。

 だが流生は日竹になど目もくれず、まっすぐ怜史の元へとやってきて膝をついた。

「流生さん、なんでここに」
「浅賀君」

 日竹よりは冷静だがそれでも戸惑っている怜史の手を流生は強く握りしめた。その手は震えていた。触らなくてもわかるほどだった。
 その時怜史は自分よりも年上の男が涙を流しているところを初めて見た。

「出琉が……事故にあった、」

 怜史は目を見張った。遠くで聞こえる生徒たちの喧騒が虚しく控え室を包み込む。打ち明けた流生はどんどんと背中を丸めて萎んでいった。

 日竹が手に持っていたブラシを床に落とす。その音を聞いて怜史は「うるさいな」とやけに冷静に考えていた。それだけ流生の言葉が頭に入ってこなかった。
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