あの世とこの世の交差点

宇彩

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あの世とこの世の交差点

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 ある所に、まだ五つになったばかりの少年がいた。父親は仕事のため遠くに暮らしていて、少年は母親との二人暮らし。少年の目から見る母親はいつも仕事が忙しそうで、いつも疲れていて、家でも慌ただしくて…母親はいつも迎えが遅く、少年はいつも最後まで保育園で待っていた。保育園で縄跳びが出来て褒められても、園庭で綺麗な花を見つけて持って帰ってきても、少年は忙しそうに動き回る母親にそんな話をすることは出来なかった。
 
 ある日少年は園で書いた絵を先生に褒められ、母親にも褒めて貰いたくなった。園に迎えに来た母親と並んで帰路につきながら少年は今日のことを伝えようと母親の方を向きながら口を開く。
 
「ねえママきいて!」
「ん?なあに?…あっ、夕飯の材料買わなきゃ。スーパー寄ってもいい?」
「…うん」
 
 スーパーの手前で思い出したようにそう言う母親に手を引かれスーパーへ向かう。かごを持って両手がふさがってしまうために放した右手を見つめながら「あとでいっか」と小さく呟いて小走りで母親の後を追った。
 二人の住んでいる集合住宅の一室に着くと、母親は着ていたコートを脱いでから少年のコートをやさしく脱がせて靴箱の隣にあるコート掛けに二着並べて掛ける。そしてすぐにぱたぱたとお風呂を沸かすためにお風呂場に向かったので、少年は通園バッグを胸の前でぎゅっと抱きしめながら母親のあとについて行く。
 
「ね、ママきいて」
「んー?なーにー?」
 
 お風呂場から聞こえるシャワーの音と間延びした声を聞きながら、少年は口を開く。
 
「あのね、今日ね!」
「ごめーんシャワーの音でよく聞こえないからあとでいー?」
「…うん、大丈夫」
 
 少年は少し寂しそうな顔をしながら通園バッグを先程より強く抱きしめてリビングへ向かった。
 お風呂の準備が終わると母親はすぐ夕飯の支度を始める。少年は母親に頼まれた通りテーブルの上の準備をし、それが終わるとお風呂に入った。少年はいつも母親が忙しいために小さい頃から一人でお風呂に入れるようになっていたのだ。夕飯の時も、「ごめんね、ちょっと仕事片付けなきゃなの」といってノートパソコンのキーボードをパチパチと規則的に叩きながら画面を睨んでいる母親の隣で少年は邪魔をしないように静かに食べていた。
 夕飯を食べ終わったときには少年はもう眠くなっていた。そんな少年の姿を見た母親はパソコンから目を離して優しい笑顔を浮かべながら頭を撫で、「また明日ね」と言うので少年は瞼をこしこしと擦りながらこくんと頷き布団に入り眠りに落ちた。





「あれ…ここは?」

 目を覚ますとどこか見知らぬ家の和室で寝転んでいるようだった。少年の住んでいる部屋に和室はないのでどこか違う家にいると言うことがすぐにわかった少年は、不思議そうな顔をしながら和室にあった雪見障子を上げて庭を見る。すると庭はこれぞ和風!と言うような造りになっていて、少年ははじめてその目で見るそんな庭に興味を示したのか障子を開けて縁側に出て腰掛ける。庭にある湧き水の音を目を閉じて聞いていると突然背後から人の声がする。

「おや、こんにちは」

 驚いて振り返ると、そこには綺麗な白髪を後ろでお団子に結い和服を着て杖をついた優しそうな老婆が立っていた。少年は不思議そうな顔をしながら「はじめまして…?」と言いぺこりと頭を下げると、老婆は「取って食ったりせんからそんな固くならんで平気じゃよ」と優しく笑いながらゆっくりと少年の隣に腰かけた。少年は老婆が腰かけたのを見て、先ほどから気になっていることを聞こうとする。
 
「ここはどこ?」
 
 すると老婆はんーとしばらく考えるような素振りをした後こう答えた。

「そうじゃな…簡単に言ってしまえばここは君の夢の中じゃ」
「うん、確かに僕さっき寝たもん」
「難しく言ってしまえば "あの世との交差点" なんじゃがの」
「交差点?」
「あの世の人とこの世の人が会える世界って感じじゃの。夢って実は凄いんじゃぞ」
 
 老婆が言っていることはよく分からなかったが、あの世とこの世という言葉から前に母親が教えてくれたことを思い出した少年はこくんと首をかしげながら老婆に尋ねる。
 
「お婆ちゃんはお空のお星様なの?」
「お星様、とな?」
「うん、ママがね『人はこの世界を生きて、もう充分生きた~!ってなるとお星様になって今度はお空からみんなのことを見守ってくれるんだよ』って教えてくれたの」
「そうかい、かーくんのお母さんは優しいのぉ」
「うん」

 老婆の発言に頷いてから、少年はまだ自分の名前を教えていないのになぜ自分のことをいつも皆から呼ばれる「かーくん」という呼び方で呼んだのかと不思議に思い首をかしげた。

「僕、お婆ちゃんに名前教えてないのにどうして知ってるの?」
「さっきここは交差点だって言ったじゃろ?」
「うん」
「わしがかーくんをここに呼んだんじゃよ」
「僕を?どうして?」
「かーくんのよく知っている人に伝えたいことがあるから、じゃな。まあそれはまたいずれ話すとするかのぉ」

 少年は老婆の言ったことがよく分からずに首をかしげていたが、突然辺りにもやもやと霧がかかり始めたのを見た老婆がこう続ける。

「もうお別れの時間のようじゃ」
「また会える?」
「また明日会おうなぁ。そしたらまた色々話そう」
「うん!またね!」
 
 少年が笑顔でそういうと周り先ほどまで見ていた景色がよく見えなくなるほどの深い白い霧が包んだ。そしてその霧の中にいるとなぜか眠気が訪れ、少年はくあーっとあくびをしてそのまま寝てしまったのだった。





「かーくん起きて、朝だよ」

 少年はゆさゆさと揺らされる感覚と母親の声にゆっくりと瞼を開ける。するとさっきまでの夢とは違う、いつも見ている天井があった。頭を少し横に向けると母親は優しそうな笑顔を浮かべながら「おはよう」と言うので少年も「うん…おはよう」と瞼を擦りながら応える。

「ほら、早く準備しないと遅れちゃうからね」
「はーい」

 少年が起きたのを確認した母親はバタバタと朝御飯を作るために台所へ向かう。少年はそんな母親を見送って着替え始めながらさっきまで見ていた夢の出来事を思い出し、母親にも教えてあげたいと考えてリビングへ向かう。しかし母親は少年がご飯を食べ始めたのを確認してすぐに自分の用意のために部屋へ行ってしまった。少年は「ママは忙しいもん、しょうがないよね」と自分に言い聞かせるように呟きながらこんがり美味しそうに焼けたパンを頬張った。

 結局その日、母親に昨日の絵のことも夜の夢のことも言うことは出来なかった。夕飯を食べて歯を磨いたあと布団に入った少年は、いつもならしばらく寝付けずに布団の中でもぞもぞとしているのに今日はすぐに寝息をたて始めた。





 夢の中で目を覚ますと昨日と同じ和室にいることがわかり、少年はすぐに昨日のように障子を開けて縁側に出る。すると昨日とは違い今日はこちらに丸まった背を向けて腰かけている先客がいるのに気付き少年はぱあっと笑顔を浮かべ隣に腰掛ける。

「お婆ちゃんっ!」
「おーかーくんかい、待っておったぞ」
「えへへ。そうだ、お婆ちゃんは何て呼べばいい?」
「そうじゃのぉ…ならちーちゃんとでも呼んでおくれ」
「ちーちゃん?かわいいね」
「孫がそう呼んでくれていたんじゃよ。こんな婆さんのことを大好きって言ってくれた優しい子じゃからなぁ」
「お孫さんは元気なの?」
「みたいじゃよ、毎日くるくる忙しなく動き回っているみたいじゃがな。そうじゃ、かーくん」
「なあに?」
「なにか保育園のお話をしておくれよ。気になるからの」
「うん!いいよ!」

 そして少年は母親に言いたかった、あの絵のことを老婆に教えた。すると老婆は優しい目をしながら「そうかいそうかい」と頷きながら少年の頭をゆっくりと優しく撫でた。
 しばらくそんな話をしていると辺りに昨日と同じような霧がうっすらとかかってきたので、もうお別れの時間だと分かった少年は寂しそうな顔をする。

「また明日までお別れ…」
「そうじゃの。お母さんにもよろしく伝えてなぁ」
「…うん!」

 少年が笑顔で頷くと、昨日のように霧が立ち込めて眠くなってきた。





 次の日の朝いつものように忙しなく用意をしている母親の横で静かに朝食を食べていた少年は、いつもより少し時間があるのかゆっくりと保育園に向かう道中で隣にいる母親に夢での出来事を話すために口を開いた。

「ママきいて!」
「んー?どうしたの?」
「最近ね、不思議な夢を見るんだ」
「夢?」
「うん!大きなお家でね、お庭見ながらちーちゃんっていうお婆ちゃんとお話しするの!」
「……ちーちゃん?」

 そう呟くと母親は繋いでいない方の手をあごに当ててなにかを考えるかのように黙ってしまったため、少年は何か怒らせるようなことをしたのかと内心ビクビクしながら口を開いた。

「ママ…?」
「え、あ、ごめんねなんでもない。ママの気のせいかな」
「ん?」
「あ、ほら保育園ついたよ。いっといで!」
「…うんっ!」

 母親は笑顔で少年の背中を優しく叩き送り出すと少年は先ほどまでの疑問も忘れて笑顔で保育園に向けて走り出した。
 少年を送り出した母親は会社へ向かう道中で先ほどの会話を思い出して小さく呟いた。

「…まあ、ちーちゃんなんて何人もいるものね。きっと勘違いだわ」

 その日の夜、少年は昨日のようにワクワクとしながら布団に入り眠りについた。





「そうだ、そういえばママにちーちゃんの話をしたらママがなんか考え込んでたの」
 
 少年は夢の中で老婆に昼間の出来事をそう伝えた。すると老婆は少し考えるようなしぐさをした後に少年にこう言う。

「ほう…ならかーくんとこうして会えるのもこれが最後かもなぁ」
「え…どうして?」

 老婆の言葉を聞いた少年は寂しそうな顔をしながら老婆に訪ねると老婆はこう答えた。

「ちーちゃんがここに来る本来の意味がなくなったから、かのぉ」
「本来の意味?」
「そう。ここはあの世の人とこの世の人が出会える交差点じゃ。それは何度も説明したのぉ?」
「うん、聞いた」
「ここに来れるのは、この世に遺した人に伝えたいことがある人なんじゃ。で、わしはかーくんのお母さんに伝えたいことがあったからこの交差点に現れたんじゃ」
「ちーちゃんは僕のママと面識があるの?」
「ママは前に言った、わしにちーちゃんという呼び名をつけてくれた孫じゃよ」
「え?じゃあ僕って…」
「かーくんはわしの孫の子供、つまるところわしのひ孫じゃ」

 少年はその言葉を聞き驚いた顔をした。当たり前だ、母親から既に亡くなったと聞かされてよくお墓参りにも行っていた祖母が自分の目の前で、自分と会話を交わしているのだから。そしてその後、先程言っていた「会えるのはこれが最後かもしれない」という言葉を思いだし涙を浮かべた。少年にとってこの数日間は、そしてちーちゃんという一人の老婆との出会いは、仕事が忙しい母親の代わりに話し相手になってくれる大切な存在だったのだから。
 そんな少年の反応をみた老婆は寂しそうな顔をしながらいつかのように少年の頭を優しく撫でながら続けた。

「かーくん、最後にお願いがあるんじゃ」
「…なに?」
「ママは明後日仕事が休みのはずじゃ」
「うん。ママは日曜日は僕のためにって仕事をお休みしてるんだ」
「だから次かーくんが寝る夜、ママに少し早く寝てって伝えてくれるかの?ママとお話ししたいからな」
「うん、わかった」
「よし。かーくんは強い子じゃ」

 そう言って老婆はまた頭を優しく撫でる。少年はそうされているうちに眠気に襲われて眠ってしまったのだった。





「かーくん、起きる時間だよ。保育園遅れちゃう」
「ん…?」
 
 いつものように少年は母親の声で目を覚ます。少年はいつの間にか朝になってここに戻っていたことを少し残念に思いながら、隣にいる母親に先程ちーちゃんに頼まれたお願いを母親が忙しくなって伝えられなくなる前に伝えることにした。

「ママ、お願いがあるの」
「ん?なあに?」
「今日の夜は早く寝てほしいの」
「どうして?」
「ちーちゃんにママにそう伝えてって頼まれたから」
「ちーちゃんってあの夢の?」
「うん」
「…ちーちゃんっていう人がどうして私にそんなことを?」
「ちーちゃんはママと話したいんだって」

 そう伝えると母親は少し考えたあと「ん、分かった」と言ってから「かーくん早く保育園いく準備してねー」と言い残して台所へ向かった。
 その日の夜、いつもなら少年が寝てからしばらく経ってから寝る母親は珍しく少年と共に布団に入り眠りについた。そんな母親の姿をみながら少年は「良かったね、ちーちゃん」と心の中で呟いてから眠りについた。

 もちろんその日、少年が老婆の夢を見ることはなかった。

 次の日、少年は休日で母親に起こされなかったのもありいつもよりも少し遅い時間まで寝ていた。そして少年が目を覚ますと母親は朝食の準備のため台所にいるようだったので少年は布団から這い出てリビングへ向かった。

「ママおはよう」
「あ、かーくん起きた。おはよう」

 母親は少年にそういうと視線を手元に戻して準備を続けた。特にすることもないのでその姿をみていると、唐突に母親が口を開いた。

「かーくんはちーちゃんの正体を知ってる?」
「ママのおばあちゃんってやつ?」
「そうそう」

 そして母親はたははと笑いながらこう続けた。
 
「ママね、ちーちゃんに怒られちゃった」
「どうして?」
「『あなたは色々と頑張りすぎなんよ、このままだといつ体調崩してもおかしくないからなぁ』って」
「確かに」
「それと『あとあなたはもうすこしかーくんの話を聞いてあげられるといいんじゃがのぉ。クルクル忙しなく動きすぎて聞けてないみたいやから』って」
 
 そういうと母親は料理を中断し、手を洗ってテーブルにいた少年に近付いていく。少年がどうしたのかと疑問に思っていると母親は少年を優しく、しかしぎゅっと抱き締めた。
 
「あんまりゆっくり話を聞いてあげたり出来なくてごめんね」
「んーん、平気だよ」
 
 少年がそう答えると母親はゆっくりと離れて少年の頭を撫でながら続ける。
 
「ちーちゃんはね、私のことを大切な孫っていってくれたし、かーくんが生まれてくるのをすごく楽しみにしていてくれたんだよ」
「うん」
「でもちーちゃんはママがかーくんを産むまえに亡くなった。かーくんが生まれる一ヶ月前に」
「そうだったんだ…」
「だからちーちゃんはかーくんの名前を知らないはずなの」
「あれ?でも僕の名前…」
「きっとお空から見ていてくれたんだね」

 そう言った母親は「それでね」と続ける。

「ちーちゃんは最期に私に『子供に寂しい思いさせたらダメじゃからな』って言ってたの。きっとママが忙しくてそれを少し忘れてたからママにわざわざ言いに来てくれたんじゃないかな」
「うん」

 母親は少しかがんで少年と目線と合わすと最後にこう言った。

「ママとちーちゃんを繋いでくれてありがとうね」
「うんっ!」

 少年は満面の笑みで頷いた。

 それから、少年も母親も老婆の夢やあの交差点の夢を見ることはなかった。
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