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第三章 和二一族( 太康十年・西暦二八九年)
ボルテとの出会い
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翌年五月、この地方に春がやってくるのに合わせて、アキトモは九十九人を引き連れ、故郷を出発した。彼の背には、銀の器と五穀で作られた丸薬の入った袋が担がれていた。馬は各家族に一頭ずつ。食料は、途中で狩りをしながら進むため、最小限の塩と穀物を背負った。男は全員、剣と弓矢を、女は採集用を兼ねて、短剣をさしていた。
四日間はひたすら進み、一日は狩猟採集で食料を確保する。そして、一日は休息する。これがアキトモの立てた計画だった。ワニ一族は六日を一週間とし、三十六日を一か月とする暦を使っていた。百人が無事、目的地にたどり着くためには決して無理をしない、これが最善の方法だった。
三か月間は南に進んだ。目的地は東の方向だが、少しでも暖かい土地を通りたかった。故郷では、冬の寒さにも耐えてきたが、旅では何が起こるかわからない。病気になれば、その家族を見捨てて行くのも覚悟の上だった。
進むにつれて、周りは森林から草原へと変化してきた。ここまでは、故郷の様子と左程違わないため、狩りも採集も順調に行うことができた。それにしても、人が住んでいる気配は全くない。
草原の草もまばらとなり、昼間はかなり暑くなってきた。最初にばて始めたのは馬である。出発当時着ていた毛皮など、必要のなくなったものからどんどん馬の背に積んでいくものだから、馬の負担が増し、ばてるのも当然だった。そうかといって、何もかも捨てていくわけにはいかない。しかたがない、持てるものは人が持つことにした。
そんな時、地平線に馬に乗った一群が現れた。
一引(二十三メートル)近くまで寄ってくると、一人の男が声を掛けてきた。言葉がわからない。
「何を言っているのかわからない」とアキトモが叫ぶと、こんどは「お前たちは何者だ」と、ワニ一族の言葉が返ってきた。
「我々の言葉が話せるのか」
アキトモは少し驚き、そして、少し安心した。
相手は六人、こちらは百人いるので、今この場で襲ってくるつもりはないだろう。
「ああ。我々一族が昔、使っていた言葉だ。お前が、この言葉を使ったので驚いた。初めに言ったのは鮮卑族の言葉だ」
「お前たちは鮮卑族ではないのか?」
しかし、その質問には答えず、その男は「お前たちは、なぜこんなに大勢の人数で旅をしているのだ?」と続けて質問した。
彼らの縄張りに入り込んで来たのだから、この質問はもっともなことだ。
「我々は、ここから遠く、北にあるコオルウミの畔に住んでいるワニ族だ。東の新天地を目指して旅をしている」
「ワニ族か、そういえば、長老が我々の祖先の名をそう呼んでいたようだ。大昔、遥か西方からやってきた祖先は、この辺りで、この地に留まる者と先へ進む者の二つに分かれたそうだ。どちらかが生き延びたらいいと考えたようだ。先へ進んでいったのが、お前たちの先祖ということか」
「それなら、同胞のよしみだ、教えてくれ。この先は砂漠のようだが、何日あれば越せるか?」
男は呆れたような笑いを浮かべ、「道を間違えなければ二、三か月。もし、間違えたら、一年かけても越せはしない。全員、野垂れ死にだ」
「道しるべはあるのか」と尋ねると、今度は馬鹿にしたように笑い、「砂漠に道しるべなどあるか。作っても砂嵐ですぐに壊れてしまう。悪いことは言わない、故郷に戻れ」
この男が言うのが正論だが、アキトモは諦めるわけにはいかない。今のままでは、いずれ故郷では生活ができなくなるのは目に見えている。
「我々は、どうしても新天地を探さなければならない。何かいい方法はないか」
アキトモは、つい先ほどあったばかりの男に、こんなことを聞いても無駄だとは思ったが、同じ言葉を話す者に出会ったのは守護神の導きのように思えた。
男の方も、アキトモと同じ気持ちになったのか、立ち去ろうとせずしばらく考えていた。
「どうだ、我々と一緒に暮らさないか」
思ってもみなかった男の返事である。
「一年間我々と一緒に生活し、いろいろなことを覚えれば砂漠を渡り切ることができるかもしれない。うまくいけば、山羊や駱駝を分けてやることもできる。鮮卑語や漢語を覚えることもできる。これから先、長い旅になるのだろう。一年ぐらい、どうってことはないだろう」
今度は、アキトモがしばらく考えた。
「今、無理をして砂漠に入り込んだら、犠牲者が出るのは確実だ。方角はおろか、食料をどうやって手に入れるのか。水はどうするのか。ここは、この男の申し出を受けることにしよう」
男はアキトモ達一行を、自分の住居に案内した。
住居といっても、彼らは決まった土地に家を建てて住んでいるわけではなかった。草地の上に、ゲルと呼ばれる羊の皮で作った円形の袋を張り、その中に住んでいた。全部で五十張りほどが、かたまって並んでいた。これが男の集落だった。
男の家族は八人、他の家族もそれくらいの人数らしい。羊や山羊を放し飼いにし、草を食べ尽くしたら、別の場所に移動するという。この冬はここで過ごすらしい。
さすがに、百人の客を迎えるということはこれまでになく、今日のところは、集会所にしている大型のゲルに、女子供は中に、男はその周りで野宿することにした。ゲルと言っても、屋根のある場所で寝るのは数か月ぶりのことである。女子供にとっては久しぶりの落ち着いた夜であった。
男は、アキトモを自分のゲルに呼び、一緒に食事をした。そこで、ワニ族についていろいろ質問してきた。
男の名前はボルテという。この落の長である。
アキトモは、光の帯が降り立つ地を見つけに、東の新天地を目指していること。先祖からワニ一族に伝わる銀の器の話しなどをすべて伝えた。しかし、銀の器で作られた霊水を使って、特別な能力を発揮する丸薬についてまでは話さなかった。用心のためである。
アキトモは、ボルテに同族の絆を感じたのは確かだったが、すべてを信用するにはまだ知らないことが多すぎる。
翌日から、さっそく一行はボルテの仲間に混じってその仕事を学んだ。
四日間はひたすら進み、一日は狩猟採集で食料を確保する。そして、一日は休息する。これがアキトモの立てた計画だった。ワニ一族は六日を一週間とし、三十六日を一か月とする暦を使っていた。百人が無事、目的地にたどり着くためには決して無理をしない、これが最善の方法だった。
三か月間は南に進んだ。目的地は東の方向だが、少しでも暖かい土地を通りたかった。故郷では、冬の寒さにも耐えてきたが、旅では何が起こるかわからない。病気になれば、その家族を見捨てて行くのも覚悟の上だった。
進むにつれて、周りは森林から草原へと変化してきた。ここまでは、故郷の様子と左程違わないため、狩りも採集も順調に行うことができた。それにしても、人が住んでいる気配は全くない。
草原の草もまばらとなり、昼間はかなり暑くなってきた。最初にばて始めたのは馬である。出発当時着ていた毛皮など、必要のなくなったものからどんどん馬の背に積んでいくものだから、馬の負担が増し、ばてるのも当然だった。そうかといって、何もかも捨てていくわけにはいかない。しかたがない、持てるものは人が持つことにした。
そんな時、地平線に馬に乗った一群が現れた。
一引(二十三メートル)近くまで寄ってくると、一人の男が声を掛けてきた。言葉がわからない。
「何を言っているのかわからない」とアキトモが叫ぶと、こんどは「お前たちは何者だ」と、ワニ一族の言葉が返ってきた。
「我々の言葉が話せるのか」
アキトモは少し驚き、そして、少し安心した。
相手は六人、こちらは百人いるので、今この場で襲ってくるつもりはないだろう。
「ああ。我々一族が昔、使っていた言葉だ。お前が、この言葉を使ったので驚いた。初めに言ったのは鮮卑族の言葉だ」
「お前たちは鮮卑族ではないのか?」
しかし、その質問には答えず、その男は「お前たちは、なぜこんなに大勢の人数で旅をしているのだ?」と続けて質問した。
彼らの縄張りに入り込んで来たのだから、この質問はもっともなことだ。
「我々は、ここから遠く、北にあるコオルウミの畔に住んでいるワニ族だ。東の新天地を目指して旅をしている」
「ワニ族か、そういえば、長老が我々の祖先の名をそう呼んでいたようだ。大昔、遥か西方からやってきた祖先は、この辺りで、この地に留まる者と先へ進む者の二つに分かれたそうだ。どちらかが生き延びたらいいと考えたようだ。先へ進んでいったのが、お前たちの先祖ということか」
「それなら、同胞のよしみだ、教えてくれ。この先は砂漠のようだが、何日あれば越せるか?」
男は呆れたような笑いを浮かべ、「道を間違えなければ二、三か月。もし、間違えたら、一年かけても越せはしない。全員、野垂れ死にだ」
「道しるべはあるのか」と尋ねると、今度は馬鹿にしたように笑い、「砂漠に道しるべなどあるか。作っても砂嵐ですぐに壊れてしまう。悪いことは言わない、故郷に戻れ」
この男が言うのが正論だが、アキトモは諦めるわけにはいかない。今のままでは、いずれ故郷では生活ができなくなるのは目に見えている。
「我々は、どうしても新天地を探さなければならない。何かいい方法はないか」
アキトモは、つい先ほどあったばかりの男に、こんなことを聞いても無駄だとは思ったが、同じ言葉を話す者に出会ったのは守護神の導きのように思えた。
男の方も、アキトモと同じ気持ちになったのか、立ち去ろうとせずしばらく考えていた。
「どうだ、我々と一緒に暮らさないか」
思ってもみなかった男の返事である。
「一年間我々と一緒に生活し、いろいろなことを覚えれば砂漠を渡り切ることができるかもしれない。うまくいけば、山羊や駱駝を分けてやることもできる。鮮卑語や漢語を覚えることもできる。これから先、長い旅になるのだろう。一年ぐらい、どうってことはないだろう」
今度は、アキトモがしばらく考えた。
「今、無理をして砂漠に入り込んだら、犠牲者が出るのは確実だ。方角はおろか、食料をどうやって手に入れるのか。水はどうするのか。ここは、この男の申し出を受けることにしよう」
男はアキトモ達一行を、自分の住居に案内した。
住居といっても、彼らは決まった土地に家を建てて住んでいるわけではなかった。草地の上に、ゲルと呼ばれる羊の皮で作った円形の袋を張り、その中に住んでいた。全部で五十張りほどが、かたまって並んでいた。これが男の集落だった。
男の家族は八人、他の家族もそれくらいの人数らしい。羊や山羊を放し飼いにし、草を食べ尽くしたら、別の場所に移動するという。この冬はここで過ごすらしい。
さすがに、百人の客を迎えるということはこれまでになく、今日のところは、集会所にしている大型のゲルに、女子供は中に、男はその周りで野宿することにした。ゲルと言っても、屋根のある場所で寝るのは数か月ぶりのことである。女子供にとっては久しぶりの落ち着いた夜であった。
男は、アキトモを自分のゲルに呼び、一緒に食事をした。そこで、ワニ族についていろいろ質問してきた。
男の名前はボルテという。この落の長である。
アキトモは、光の帯が降り立つ地を見つけに、東の新天地を目指していること。先祖からワニ一族に伝わる銀の器の話しなどをすべて伝えた。しかし、銀の器で作られた霊水を使って、特別な能力を発揮する丸薬についてまでは話さなかった。用心のためである。
アキトモは、ボルテに同族の絆を感じたのは確かだったが、すべてを信用するにはまだ知らないことが多すぎる。
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