脱法ミントの密輸回顧録

針ノ木みのる

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断絶ハサミ、伊東尚子編

少しほろ苦いビターな口解け

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  辿り着いたのは見覚えある繫華街。そして側は紫色、文字は黄色、テカテカと輝く立て看板。そこは間違いなくスナックヘベレケだった。 

 九元が扉を開けるとアスカさんが慌てた様子で駆け寄ってくれた。 

「どうしたんだい? 九元。あれ? 貴方……この前の尚子ちゃんじゃない?」 

 状況を察したのか、アスカさんは疲弊する私達を匿うように店をクローズにし、看板の灯りを落とした。 

 私の血塗れの服と体を見ても、アスカさんとても冷静だった。タオルとネグリジェのような服を渡してくれ、バックヤードの控室にあるシャワーを貸してくれた。 

 私はシャワーで幹久君の血を洗い流した。正直、それ所の精神状態ではなかったが、これ以上彼の血の匂いを嗅ぎ付けると頭がおかしくなりそうだったので、ボディーソープを何度も何度も体に擦り付け、彼の血を落とした。どうせなら、私の命もこの真っ赤な排水口に捨てたいと思う程に私は追い詰まれられていた。 

 シャワーで体を洗い終えても私には立ち上がる気力が無かった。水を垂れ流したまま、長い間ぼーっとしていた私。 

 すると、シャワーの水の音でも遮れない程の大きな怒号と、何かをぶつけるような鈍い音がしたので、私は慌てて、シャワーを上がり、着替え、店内に戻った。 

 すると、そこにはボロボロに殴られ、倒れ込む九元と。追い打ちをかけるようにアスカさんは九元のお腹にヒールの高い靴で蹴りを入れてた。 

「このバカが! 感情を常にコントロールしろって何度も教えて来ただろう! この面汚しめ!」 

「すいません。姉御」 

 アスカさんは物凄い剣幕で九元をボコボコに蹴り飛ばしていた。死んでしまうんではないかと思う程に蹴り続け、遂には九元が意識を失っていた。そして、私に目に留まったアスカさんは自身を冷静にさせようとしたのか、バーカウンターに置いてあった柑橘系のドロップの封を開け、口に頬張り、舐めながら私に声を掛けた。 

「見苦しい所をごめんね尚子ちゃん。まさか、九元の狙った男と尚子ちゃんの彼氏が同一人物だったなんてね。ちょっとコイツにお仕置きをしてた所」 

 正直、もう九元がどうなろうと、私にはどうでも良かったけれど、流石の私もボコボコにされ倒れる九元とアスカさんの関係を見たら気にならざるをえなかった。 

「一体なんなんですか? アスカさんと九元さんは一体どういった関係なんですか?」 

 するとアスカさんは少し考えたような間を貯め、口を開いた。 

「元……職場の先輩後輩って所かしら、九元は元々情緒不安定な所があってね。昔、色々ヤンチャしてた頃に私が面倒見てたの。さあ、とっと起きろ九元」 

 すると倒れ込んだ九元の短髪の髪の毛を掴んで無理やり起こすアスカさん。華奢な体と思っていたけど、大男の九元を諸共せず簡単にボコボコにするなんて。過去に格闘技をやっていた人なんだと、私は悟った。 

「九元……分かっているだろうな。お前は自分の身勝手な行動で人様の人生を台無しにしちまったんだ。お前は尚子ちゃんの一生償うなうべき、罪人だ。違うか?」 

 九元は意識を朦朧にしながらもアスカさんに返事をする。 

「はい……そうです。姉御」 

 すると、アスカさんはバーカウンターに置いていた、メモ紙に何やら文字を書き、ちぎって九元の手のひらに握らせた。 

「船を用意してやる。そのメモに書かれた場所を目指せ。私の目の黒いうちは日本に帰ってくるなよ」 

「……恩に切ります。姉御。長い事お世話になりました。もし、良かったら、兄貴の焼き鳥屋。食べに行ってやってください。それで俺の事少しでも思い出してくれたら嬉しいです」 

 するとアスカさんは九元を足蹴りした。 

「うっせぇわ。あんな汚い店行くわけないでしょ。あの焼き鳥、食べ過ぎて太るから嫌いなのよ」 

 そう聞くとボコボコに腫れ上がった九元の顔から笑顔が零れていた。 

 そして、アスカさんは私に頭を深く下げていた。 

「ホントにごめんなさい。尚ちゃん。事情は説明できないけれど、これ以上あなた達がここに居ては危険が及ぶの。だから二人を海外へ逃がします。九元があなたの面倒を見てくれるわ。だから一刻も早く。日本を出なさい」 

 

〇 

 

 あの殺傷事件の夜から早ニ年。私はフィリピンのマラテと言う町のとある一室で国際電話を掛けた。 

「初美、久しぶり」 

 初美は数年ぶりに私の声を聞いて驚ているのだろう。あれだけ饒舌な初美が電話越しに言葉を失っていた。 

「な、尚子ー! 何してたのよ~!? 急に居なくなっちゃったから、私本当に心配してたのよ! 今どうしてるの? 元気してる?」 

 何一つ変わっていない初美の声。ずっと聞きたくて話したくて我慢していた初美の声だ。 

 私は嬉しさが零れそうになるのをぐっと堪え、事前に考えていた嘘を初美に喋った。 

 こんな嘘。出来るならつきたくなかった。でも、事の全てを話せば、私と初美の関係は崩壊する。本当は電話をする事も九元に止められている。それでも、初美には伝えたい言葉があった。 

 考えていた嘘はこうだ。百貨店の付き合いでアジア関係の輸出入のバイヤーと関わる機会があり、そこの上司さんに気に入られ、「良い給料出すからと我が社に来て欲しい」っていう話に乗ったと言う事。そして多忙と異国を飛ぶ毎日で日本に帰る機会がない言う言い訳だ。少し大それた嘘だが、二年間の隠居生活に少しでも信憑性を持たせる為、私は初美に丁寧に説明した。 

「う、うわ~! 凄いわねー! セレブロードまっしぐらじゃない? 海外で優雅な暮らし、憧れちゃうわ!」 

 初美にとって私の現状が予想外だったのだろう。電話越しにも驚いた表情が伝わる。だけど、誰しも嘘と言うのは出来る事なら付きたくない。初美は騙されているとも知らずにリアクションしてくれる優しさがとても苦しかった。 

「まあ……窮屈って感じはないけど、やっぱり日本に比べて不便っちゃ不便よ。食べ物とか水とか特に」 

「で? どうして急に掛けて来たの? まさか……海外で気になる男見つけてまた相談?」 

 ふ、唐突に色恋の話をぶっこんで来るのも初美らしいな。急なフリに私は困惑してしまった。 

「いやいや! 何にもないよ! こっちの男は頼りになる男が全然居ないよ。恋愛関係もずっとご無沙汰」 

「あら、そう。あ! そういや! あの幹久君って言う男とはどうなったの?」 

 私は聞かれたくない質問に対して嘘に嘘を塗り固めていく。 

 あの日の夜の出来事は流石に言える訳ない。 

「結局、別れたわ。あの男、初美の言う通りチャラくて女の扱いが上手いだけのただの遊び人だったわ」 

「やっぱりね。尚子の話を聞いてたら怪しい男と思ってたわ」 

「それならもっと早く言ってよ」 

「はは! でも失恋話を笑い話として喋れる尚子で安心したわ」 

「ほんとね……ありがとう。初美」 

「な、なんで感謝されるのよ?」 

 ずっと言えなかった。感謝の言葉。もう二度と伝えられないと思うと言葉は躊躇するのを辞めた。 

「私ね、日本で初美に頼ってばかりいたからさ、海外に住んでから、初美に頼ってちゃ駄目って、何度も自分に言い聞かせる事で、これまで頑張ってこれたの。初美なら絶対頑張る。初美なら絶対こうする。私は初美って言う強い存在がいたからこそ。私はあなたを追い掛ける事で私は今までやって来れた。だから私はずっと初美に感謝を伝えたかったの。ありがとう。初美」 

「……尚子。あんたホントバカよ! 変に強がっちゃって、辛かったら頼っていいの! 尚子から相談が来ないから私、ずっと寂しかったんだよ? 尚子は素直のままでいいの! 我慢しなくていいの! いつでもいいから電話してきてよ。馬鹿!」 

 音信不通で二年ぶりだったと言うのに。初美は私の事想ってくれる。初美の暖かい言葉に目頭が熱くなってしまった。 

「初美、本当に……ありがとう」 

「もう! うるさいわよ! そんなにすすり泣いてちゃ。電話越しでもあんたの顔が見えちゃうわよ。それで? 尚子はいつ日本に帰ってくるの?」 

 もう日本に帰れる当てもない。でも、彼女に会いたいと言う気持ちが募ってしまった私は咄嗟に嘘をついてしまった。それはちょっとした願望でもあった。 

「えっと……来年には帰えれるかな。そうしたら会えるかも」 

「焦らすわね~まぁ良いわ。てかさ! 私も仕事でストレス溜まってるの! 帰ってきたら帰国祝いにホストクラブに行くわよ! ホスト!」 

 私の想いと裏腹に初美の話はトントン進んでいく。でもそれがなんだか心地よかった。 

「ホスト? えぇ~~」 

「いいじゃない! 私も男に飢えてるのよ~イケメン並べて一夜限りのハーレムを作るわよ!」 

 相変わらずのチャラさ。でもそんな変わっていない初美が懐かしく、私は嬉しかった。 

「悪趣味だな~、私はいいかなー」 

「駄目! 絶対行くわよ! 帰って来てからの一番のお楽しみにしておくんだから!」 

「もう。はいはい」 

 久しぶりの初美との他愛もない馬鹿げた会話。こんなに楽しいなら何時間でも話していられる。 

 だけど、現実は私を許してはくれないみたいだ。 

 私の部屋の扉を開ける黒いスーツの男の姿が目に留まる。私は耳元に少し寂しさを残しながら、初美に別れを告げた。 

「じゃあ尚子。何かあったら連絡頂戴ね!」 

「うん、ありがとう。初美」 

 私は名残惜しみながらスマホの通話を切った。 

 緊急事態で無ければ入室を許可していない私の部屋。部下であるその男はすぐさま私の前に跪き、慌てた様子で口を開いた。 

「姐さん。九元の旦那が戻って来ました」 

「通せ」 

 すると、両扉の正門扉が勢いよく開くと、スーツを着た九元が現地民の二人組男の首に首枷を付け、引きずりながら入ってきた。男達は体のあらゆる箇所に打痕の後があり、立ち上がれるような状況では無かった。 

「尚姐! 突然すいません! ご連絡する事がありあまして」 

「……なんだい?」 

「うちの組に別の組の回し者が紛れ込んでいたようです。先々月のカダヤワン・サ・ダパオ祭りの露天商で揉めた時に、目を付けられたのかと思います。こいつらの胴元、ハコロド組が襲撃に来る可能性があります。姐さんだけでも、ここをすぐに離れて下さい」 

「バカ言え、頭が居ないで組が務まるか、私は残るよ」 

 すると私の言葉を聞いた九元は、凄い剣幕で口を開いた。 

「尚姐を死んでも守れってアスカ姐の言いつけなんだ。これだけは譲れない。頼むぜ尚姐」 

 一年ぶりだろうか、九元が私に歯向かうのは。もう二度と会えないアスカさんとの約束今でも守る律儀な男。人として嫌いじゃない。この世界に入った時からお互い命は預けると約束している。私は舌を打ったが、仕方なしに九元の言葉に従った。 

「で、回し者ってのはその男達か?」 

「はい。命令時間外に不審な行動が見られてので家宅捜索をした所、提供外のスマホを使って情報を漏らしている現場を抑えました」 

 もう情報を吐かせる為、拷問をされた後なのだろう。服は破れ、顔面や肌は青あざで溢れていた。男達は見る限り、体を動かすのも精一杯のはずだ。だが、ボロボロになった二人の男は必死に体を芋虫のように動かして私の前に土下座した。そして「命だけは助けてくれ」っと何度も命乞いを繰り返していた。 

「お前達。家族がいるだろう。この世界に入った奴で命乞いをするのは家族を養う為だけに働く奴だけだ。どうせ金に目が眩んで雇われた末端だろ?」 

 私は真紅のドレスのスカートに手を突っ込み。右足の太ももに忍ばせていたハンドガン取り出し。銃口を男たちに向けた。 

「この世界のルールに乗っ取り、裏切り者には死を与える」 

 私は引き金を引き、二人の男に目掛けて弾を放った。 

 放った弾丸は閃光の光を放ち、二人の首に繋がっていた首枷のチェーンを貫いた。 

 首枷が外れた男達は呆気にとられ、私を見ていた。 

「たった今お前達は私が殺した。一度死んだお前達の命をどう扱うかは私の自由だ。生きたければこの世界からはスッキリ身を引く事だな。次見かけたら躊躇はしない。だが、金が欲しいが知恵がない。この世界で一山当てたいって言う大馬鹿野郎なら、命を懸けて私の元で働てみろ。お前達にその覚悟があるなら、お前達の家族事、この東元組合が面倒見てやる」 

 男たちは息を呑んで私を見つめていた。そして、目を麗しながら、頷いていた。その覚悟の瞳を信じた私は銃を右の太ももの拳銃嚢に仕舞った。 

「九元。全てが事が終わったらこいつらにスーツを新調してやれ」 

「は!」 

「私は三十分後に別拠点に移動を開始する。五分後に一度全員をエントランスに集めろ。まだ、他のスパイがいる可能性がある。随時炙り出しを行え。私の行先は各部隊に漏らすなよ」 

「了解しました。車を用意しておきます。あと、尚姐。十三夜庵から、例の奴届いてます」 

「……わかった」 

 私は重厚感のあるソファから立ち上がり、真っ赤なカーペットの上を真っ赤な真紅のドレスを靡かせながら歩いた。 

 エレベーターを使い、部屋を降り。一階のエントランスに辿り着くと、スーツを着た屈強な体格をした部下達が一糸乱れず整列していた。その数二百人。部下達は皆、覚悟に満ちた面構えだった。何故なら私が呼び出す時は死を覚悟しておけと常に教えているからだ。 

 こいつらは私が束ねる前までは盗みや、売人、殺しをして来たならず者達だ。今は皆、丸くなった私の息子の様な物だがな。 

 私の姿を捉えた部下達は一斉に跪き私を出迎えた。 

 数百人の男達が私の為に深く頭を下げる。 

 その圧巻とした光景が、なぜだか唐突にも初美の言っていた「一夜限りのハーレムを作る!」っという言葉と連想してしまい、ちょっとだけ可笑く、笑ってしまった。 

 初美。ハーレムなんて、あなたが想っている以上に全然楽しくないわよ。 

「しばし留守にする。ここの守りは頼んだよ」 

「「イエス! マム!」」っと一斉に男達は私に啓礼をし、見送ってくれた。 

 ……どうしてこんな事になっちゃんだんだろう。 


 最初はフィリピンで隠居世界をするはずだった。だけど、感情をコントロールできない九元が、側にいたんじゃ、揉め事を引っ張って来るだけだった。案の定。気付けば、裏稼業に案内され、私達は裏の世界に入り、生計を立てる事に入った。 

 強盗。薬の密売。人身売買。その非道で劣悪な裏世界の闇を知り。私のように行き場を失った人達を目の辺りにし、私は幻滅した。そして、私なりでいいから少しでもこの環境を変えたいと思い。この人達の生き場として、東元組合を立ち上げた。 

 そして二年経った今ではフィリピンの裏稼業を牛耳るギャングの三本指まで昇り詰めている。目指すはいつも頂点だ。一つだけ腑に落ちない事と言えば、「東の最恐」と言う通り名がこのフィリピンにも轟いてしまった事。笑うに笑えない。 

 どんな世界でも、人殺しには日の目を当たる事は許されない。それは十分承知している。だからこそ、私は私を殺した。全てをドロップアウトした私に怖い物なんてない。 

 クズはクズ野郎なりに、目の前の人達だけの事を考えればいい。そんな、ありのままに生きる生き方を見出してしまった私は、誰が何と言おうと、今を精一杯生きる事に決めたのだった。 

 拠点の事務所を出ると、外には赤のリムジンが私を待っていた。 

 車内に乗ると、九元の言っていた日本から取り寄せた十三夜庵の白い箱がテーブルに置いてあった。 

 中には注文通り、幹久君の遺作。銘菓神無月が入っている。 

 幹久君の事件が起きた後、何故かニュースも幹久君の件を取り上げない。アスカさんが証拠隠滅を図ってくれたのか分からないけど、幹久君と私は行方不明として処理されている。 

 この新作和菓子も幹久君が作っている物ではなく、彼の父、五代目が作っている代物だ。 

 幹久君のお父さんは彼の居なくなった後、いつでも幹久君が帰って来れるようにと、新作の和菓子を作り続けているそうだ。 

 結局お父さん。厳しかっただけで、誰より幹久君の事思ってくれていたんだよ。 

 出来るならあの日の幹久君に伝えてあげたいな。 

 私はあの晩、どうして幹久君から逃げてしまったのか、今でも後悔の念に駆られる。 

 彼の罪滅ぼしにと、当時経営が厳しくなった幹久の和菓子屋に僅かでもお金を入れたかった。だから私は東元組合を立ち上げてからは部下を使い、神無月を定期購入し、毎日、国際便で郵送してもらっている。 

 私は和菓子が入った気密性の袋を開き、車に備え付けてあるハサミで開封し、和菓子をお皿に滑らせた。その和菓子をフォークで刺し、口に頬張る。 

 あの時と何も変わらない。とても甘いが少しほろ苦いビターな口解け。この苦みは私の涙腺を刺激する。 

 幹久君……会いたいよ。会いたいよ。 

 貴方は私が最初で最後に愛した男。とんだクソ男だったけど。あなたは私にとっていつまでも世界一位だった。 

 二年間の月日でこの和菓子の味が世間に評価され、今では予約しても三ヶ月待たないと手に入らない、高級の和菓子になっているらしい。出来る事のならあっちの世界に行った幹久君に教えてあげたいな。 

 神無月は彼が私に残した置き土産。そして呪いの様な物。 

 私は最後まで彼を嫌いになる事が出来なかった哀れな女。このスイーツのように、彼に魅了されてしまったの。 

 恋は甘く、甘美で幸福と快楽を与えてくれる。 

 でもね、甘味を知らない子犬ほど、一口それを味わってしまったら他の物を受け付けなくなるの。過去の私に忠告できるなら……柔道ばかりしてないで、沢山恋して、沢山苦味を知っておきなさい。 

 私のように帰り道が分からなくなるかも知れないから。 

 私は最後の一個の神無月を後悔が無いよう目を瞑って味った。 

 この世界に足を付けたからには、いつ死んでもいいように、必ずこの和菓子を食べると腹に決めている。どんな厳しい立場でも、前を向けと幹久を励ました、私の責任を無責任にはしたくなかった。私はもう、この血塗れた道を進むしかないの。 

 これは私の罪。私の覚悟。幹久君を本気で愛してしまった。私の人生。 

 迷子になった犬《わたし》は今も彼の幻影を求め、死に場所を探しているのかもしれない。 

 口の中に広がる幸せと言う一時は儚くも溶けて消えていく。 

「さて、車を出して」 

 ふとリムジンの座席テーブルに和菓子を開けたハサミを見てふと過去の事を思い出した。 

 ハサミ……。私、何か大切な事忘れているような。 

「どうしました? 姐さん」 

 運転席の部下が私の悩んだ表情を見て尋ねて来た。 

「ううん。なんでもない。車飛ばして」 

 私を乗せた赤いリムジンは日が沈むネオン街へと消えていく。 
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