対ソ戦、準備せよ!

湖灯

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【日ソ不可侵条約と、ロンドン海軍軍縮条約の失効】

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 市ヶ谷の大本営に戻り報告書に書ききれなかった今日の分を付け加えて提出したあと、回覧用の書類を見ているとき気になる2つの書類を見つけた。



 1つはソビエト連邦政府からのもので、発行日は私たちが五輪招待国帰国輸送のために東京湾を出発した翌日の10月10日となっていて、その内容は日ソ中立条約の打診であった。

 書類は何枚かあり、経過が記されていた。

 ソビエト大使館から政府に渡された書面をもとに、翌日陸海軍部を交えて緊急会議が催され、この内容についての説明がなされた。

 政府および陸海軍で、それぞれ検討を行い10月17日に1回目の会議が行われ、11月1日には2回目の会議が行われ、決定は12月5日に行われることに決まった。

 そして12月5日の会議では政府は受諾を、海軍は保留、そして陸軍は却下を主張した。

 そして陸軍の強い反対もあり、態度保留ということとなった。

 陸軍が強く反対したのは、ソビエト側が記載した内容について将来的に日本が不利になる可能性があるとの事だった。

 条約は満州国とモンゴル人民共和国においてそれぞれ領土の保全と相互不可侵を義務付けた声明書で構成されており、主な内容は以下の通り。



 第1条:日ソ両国の友好。

 第2条:相互の中立義務。

 第3条:条約の効力は5年間。

     期間満了1年前までに両国のいずれかが廃棄通告しなかった場合

     5年間自動延長される。

 第4条:速やかな批准。

 この4条他に声明書の記載があり

  大日本帝国はモンゴル人民共和国の領土保全及び不可侵を尊重。

  ソビエト連邦は満州国の領土保全及び不可侵を尊重。

 が記載されていた。



 ソビエトの脅威が取り除かれ、政府が受諾の判断をした理由はわかる。

 ただ陸軍が強硬に反対した理由も分かる。

 それはこの条約には記載されていない内容があるからだ。



 タイトルには日ソ不可侵と記載され、第1条には日ソ両国の友好が掲げられ、平和を維持したい日本政府にとってはまたとない条件ではあるが、問題なのは第2条の相互の中立義務だ。

 声明書にあるように日本はモンゴルに侵略せず、ソビエトも満州国に侵略しない旨書かれているが、その他の地域には記載がない。



 現在の日本は日中友好条約を締結しているが、それは2つに分かれている中国の国民党とのみ結んだ条約。

 仮にソビエトがかねてから物資の供給を行い支援している中国共産党軍に加担した場合、日本はこの条約のために中立を守らなければならない。

 もしそれで国民党が倒されて中国が共産党国家になれば、再び状況は不安定となるだろう。



 現在モンゴルには平和維持軍としてイギリスの部隊が駐屯しているが、それはソビエト軍がモンゴルに入って再び満州に攻め込まないための監視を行っているだけのこと。

 ソビエトによるモンゴル経由での物資の輸送には干渉していないし、ソビエトが本気を出せば少数のイギリス軍部隊など早々に蹴散らしてしまうだろう。

 さらに言えば、ソビエト軍の無害通航も、モンゴル政府が許可すれば国際法上無理に止めることは出来ない。



 もうひとつの懸念材料は、独立国家として誕生したばかりの朝鮮。

 ここにソビエト軍が侵攻した場合でも、日本は条約のため中立を守らなければならない。

 仮に中国が共産党国家になり、朝鮮にソビエト連邦の傀儡国家が誕生すれば、現在満州国からの委託という形で入っている陸軍も補給が困難になり撤収を余儀なくされるだろう。

 つまり、この条約は日本よりもソビエトに利がありすぎる条約と言える。





 もう一つは、イギリスとフランス政府の連名の英語で書かれた、ロンドン海軍軍縮条約の失効が記載された書類。

 言うまでもなく失効の理由は、第二次世界大戦の勃発によるもの。

 戦争状態に入った以上、もう軍備縮小などと言っている場合ではない。

 戦場が拡大しつつある欧州の人々を気の毒に思う一方、我が国への影響についても危惧した。

 こうなった以上、もはや海軍の艦隊派は条約で抑えられていた艦艇の建造を要求してくることは間違いない。

 ことによると艦隊派だけでなく、条約派からも。

 海軍への予算要求が認められれば、当然陸軍も予算の拡大を要求してくることは間違いなく、そうなればアメリカも警戒を強めることだろう。

 特に次の1941年(昭和16年)は、ソビエトによる工作アクティブ・メジャーズによる在米の日本資産の凍結やハルノートにより日米決戦が現実味を増し日本が対米戦争に踏み切った年。

 前史とは違い今は平和になったとはいえ、これから先も平和で居られるとは限らない。

 戦争は伝染病と同じ様に、知らぬ間に我々を襲って来るのだから。



「どうしたの?」

 私の様子に気づいた薫さんが近づいてきたので、書類を渡す。

 彼女は書類に目を通したあと「ヤバイわね」と一言だけ言って、持っていた報告書の束を提出物用のかごの中に置き再び私のそばに来て言った。

「いまこの事を憂いていても始まらないわ。さあさあ明日は仕事納めなんだから早く帰りましょう」と。



 “薫さんはドライだ”

 たしかにこんな夜中に、他にまだ何も情報もないいま、何もすることは出来ない。

 もしできるとすれば、憶測だけ。

 憶測には、ほとんど何の意味もないから、私は薫さんの言う通り早く帰る方を選んだ。
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