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*****Opération“Šahrzād”(シェーラザード作戦)*****

攻撃準備!

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「さて、ここからは本題に戻そう。これからどうする?」

ムサが俺たちに聞く。

 バラクの居場所が分かった以上、その場所をフランス軍に連絡すれば俺たちの任務は全て終わる。

 当然、突入部隊との間に戦闘は避けられないだろうが、ザリバンと我々とでは装備と練度が全く違うから最小限の被害で済むだろうし、ヘリによる航空支援も受けられるので逃がすこともない。

 バラクの生死に関係なく、その身柄は確保できるだろう。

「バラクの居場所をアンドレ基地司令に連絡して、この任務は終了」

 エマが答えたのは、非情な決断だった。

 軍人である以上、俺たちにはその選択肢しか残ってはいない。

 バラクを助けたいが、一介の軍曹ではここまでが精一杯。

「でも、これは任務を遂行するのが目的の軍人の考え方。私の所属は情報部であるDGSEですから、状況を分析し新たな問題点が見つかれば、それに対処しなければなりません」

 エマが言った。

 つまり、DGSEは臨機応変な対応が出来ると。

「これは私の推測でしかありませんが、バラクと私たちを監視している者たちは別だと思います。もしもバラクが戦いを望んでいるのなら、エージェントを捉えている武器庫を絶対に教えはしないはず。そして私たちを監視しているグループは逆に私たちを疑い、いかなる情報も察知されないようにしているはずです。バラクはナトーを逃がし、彼らは捕らえようとした。つまりバラクは戦に慎重なグループで、監視者の方は好戦的なグループだと思います。これはアフガニスタンやイラク、シリアのように外国勢力が幅を利かせていない現在のリビアに於いてザリバンが進出する大義名分は薄いので、ザリバン内部でも意見が分かれていることが考えられます」

「では、その監視しているグループを潰すのかね?」

「いいえ、監視している者たちは下端ですから、彼らを捕らえたところで何も解決はしないでしょう。逆にフランス軍の脅威を裏付ける形になり、好戦派に大義名分を与えてしまう形になるでしょう」

「では、何もしないで待つか?」

「いいえ、当初の作戦通りバラクを捕らえます」

「それこそ、軍事衝突になって好戦派の思うつぼではないのかね?」

 ムサが身を乗り出してエマを睨んだ。

 エマは少し黙って、俺の顔を見て言った。

「私たちだけで、やります」

「お前たちだけで!?」

「そう私たちだけなら、仮に撃ち合いになったところで、テロ組織に逆にテロを企てる正体不明の民間人。好戦派の大義名分にもならないばかりか、司令官を守れなかった幹部連中はザリバン本部から更迭されるでしょう。なにせバラクにはそれだけの実績と貢献度がありますから」

「そして、トップを失ったザリバンも一旦撤退するしかなくなる。と、いうわけか」

「その通り」

「だが、武器も持たないお前たち2人で出来るのかね?」

 エマが「武器は、ある所に隠しています」と言って、俺にウインクして見せた。

「上出来だ。だが2人では心もとない。俺も一肌脱ごう、クリーフたちも喜んで手伝ってくれるはずだ」

 珍しくムサが上気した顔で言ったが、エマはそれを断った。

「お気持ちは有難いですが、あなたたちはこのリビアに住む人。外国勢力同士の争いに巻き込む訳にはいきません」

「だが、リビアを守るためだぞ」

「いいえ、間接的にリビアを守る結果になるかも知れませんが、それは誰にも知りようのないことです。最初に言った通りこれはテロにテロで対抗するようなもの。言ってみればチンピラ同士の小競り合い。あなた方を危険に巻き込むこともできませんし、もし万が一加勢したことが人に知れたとしたら、リビア国内の反体制派から危険人物としてマークされるはず。折角今まで苦労して平和に暮らしていたことが台無しになり政府から“カダフィーの息子たち”として扱われることにもなり兼ねません」

 そう言ってセバを見た。

「ザリバンが撤退すれば、屹度セバは自ら付いて行かない限り置き去りにされるでしょう。そうなればセバは普通の市民として生きていけるのです」

 ムサはしばらく黙り、そして「分かった」とだけ言った。

「あなた方は何があっても、変な2人連れに宿を貸しただけの人でなければならない」

 正直、エマを凄いと思った。

 ただ銃や格闘技を駆使して暴れ回る俺とは違う。

 さすがDGSEの大尉だけのことはあるし、一人の人間としても立派だと思った。

「さあ、ナトちゃん。2階で作戦をねるわよ」

 そう言って2階に上がるエマに着いて行く。

 2階に上がるとエマはいきなりベッドに俯せに倒れた。

 さっきまでの毅然とした態度が嘘のよう。まるで子供。

「あーっ、もうどうしよう」

「どうした?」

「――」

 返事がないので顔を近づけて覗いてみると既に寝息を立てていたので、しょうがないから、ひとりでシャワーを浴びることにした。

 これから先、バラクはどうなるのだろう?

 昨夜俺が迷い込んだバラクのアジトに居た数名は、俺の顔を見ている。

 もしも俺が倉庫を爆破したことが分かれば、部屋に連れ込んだバラクは一番に疑われるだろう。

 今はバレてないとしても、ここが見張られている以上いつかはバレる可能性もある。

 そうなると、ムサとセバにも迷惑が掛かる。

 ひょっとしたら、セバが仲間に拷問される可能性もあるのではないか?

 いや、これはひょっとしてどころの話ではない。

 見張っていた奴らは確実にセバに聞く、俺が何のためにどこの病院で何の治療を受けに来たのか。

 嘘はいつかバレる。

 そして嘘に関わった人数が多ければ、意外にその時間は短いはず。

 慌てて体を拭き、バスローブをまとって1階に降りる。

「セバは!?」

「用を足しに行った」

“しまった、遅かったか……”

「どこに!?」

 ムサが困った顔をして言った。

「トイレ」

「どこの、トイ――」「といれ?」

 その時、裏のトイレから水が流れる音がして、直ぐにセバが出て来た。

“良かったぁ~”

 ホッとするのもつかの間、セバとムサに外に出ないように事の危険性を話す。

「それなら、もうジッちゃんに言われたよ、心配してくれて……」

 呑気そうに答えるセバの声が止まる。

“いったい今度は何が!?”

 辺りを振り返り、そしてその目が、セバの目で止まる。

“なに?”

 セバの視線を目で追うと、それはバスローブから剥き出した太もも。

“キャー!セバのエッチ!”

 心の中で、そう叫んでバスローブの裾を抑えた。

「大丈夫、本人にも当分表には出ないように言ってある」

 とムサが笑いながら言う言葉を背中で聞きながら、慌てて階段を上がった。

 2階へ上がった途端、するっと伸びて来た手が私のバスローブをつかみ取る。

“こんな悪戯をするのはエマしかいない”

 振り向くと、やはりエマがいた。

 しかも裸で。

「シャワーの途中だったんでしょ。一緒に入りましょっ」

 エマが気怠そうに微笑んで俺の手を引き、俺は引かれるまま一緒にシャワー室に入った。

 いつもとは違いおとなしい。

 普通に俺の体を洗ってくれて、俺もエマの体を洗ってあげた。

 シャワーのあとエマはさっきと同じように、また疲れ果てたようにベッドに身を放り投げるようにして入って寝た。

「エマ」

 声を掛けたが、返事は帰っては来ない。

 ベッドの傍まで寄って覗いてみると、シャンプーと石鹸の香りがほのかに香る中、朝の清々しい光を浴びながら目を瞑っているエマは既に寝息を立てていた。

 心底疲れたのだろう。

 子供のように美しい寝顔。

 何故だか急に愛おしくなり、俺はその横に体を並べると、エマの手が俺の肩に伸びてきた。

「エマ?」

 優しく声を掛けたけれど、やっぱり返事はない。

 幼い妹のように、俺の肩を掴んだまま俺の胸元に顔を埋めるその顔が可愛らしくて、そっと柔らかい髪を撫でていた。

“おやすみエマ。まだまだ頼りにしているよ”

 そう思って、おでこにキスをして窓の外に広がる雲一つない空を見上げた。

 この空が綺麗だから、海はそれを映して碧く輝く。

 もしも空が汚れていれば、どんなに水の澄んだ海でも暗い色に見えるだろう。

 ムサやセバたちだけの為でなく、もっと沢山の人のために、この青い空を守りたいと思った。



 エマが目を覚ましたことに気が付いて、俺も目を開けると、濃いブラウンの瞳が俺の瞳を捕らえていた。

 愛情に満ちた瞳を向けられて、心臓がトクンと鳴る。

「ナトちゃんって、やっぱり優しいのね」

 人から優しいなんて言われた覚えはない。

 あるのは、サオリとミランからだけだ。

 妙に気まずくなって「疲れてベッドを間違えて寝てしまっただけだ」と嘯くと、急に体を燃やすように熱くしたエマにキスの集中攻撃を受けてしまい、仕方なしに何回かに1回だけそれに応じる。

 エマのキスはそれで増々激しくなり、ついには俺の体の上に乗って来た。

 俺の開けてしまったバスローブの上に、エマの一糸まとわない体。

 柔らかくてボリュームのある胸が、布を介すことなく俺の胸に乗ってくる。

 広げられた俺の両手に指を絡め、ベッドに押さえつけてくる。

 エマの目が爛々と輝き、俺はその視線から逃げるように首を横に向け目を逸らした。

「これだ!」

 エマは気が付いたように小さく叫ぶ。

「どうした?」

「これよっ!」

 そう言ってエマが俺の首に、強いキスをしてきた。

「やめろ!形が残る」

 敵ならばブン殴るところだけど、味方にはそれが出来ない。

 言葉で制止するだけ。

「だから、やめ……」

 制止する俺の口が、エマの唇に塞がれた。

「もう少しだけ」

 一瞬唇を離したとき、エマがそう耳元で囁いた。



 ベッドから抜け出したあとのエマは精力的だった。

 直ぐにムサとセバに相談したかと思うと、電話を始めた。

 電話は3か所にかけて、最初は警察、そして次の相手は誰だか分からなくて、最後はなんだかボーイフレンドに掛けているみたいな雰囲気で、こっちに遊びに来るように話していた。

 電話を終えて30分くらいすると、警察のパトカーが3台店の前で止まった。

 さっきエマが呼んだものだろう。

 作戦への協力依頼。

 そう思っていると、急に下でセバの騒ぐ声がした。

 何だろうと思って1階に降りると、セバが警察に連行されるところだった。

「どういうこと!?」

 少し強い口調で言い、エマを睨む。

「テロを企てた容疑で通報したわ」

「酷いな。裏切ったのか?」

「そうね、だってザリバンなんだもの、当然でしょ。セバと彼の友達には、警察で充分反省してもらわなくては」

「なるほど、そういうことか」

 セバたちには俺たちの作戦中、安全な所に隔離したということか。

 作戦の経過でザリバンと打ち合いになって追われることになった場合、セバは俺たちを撃たなければいけない側にいる。

 もしも、撃たないで故意に逃がすようなことにでもなれば、それこそ裏切り者として後々ザリバンから目を付けられるはず。

 だから、そうならないように、先ず戦場から排除したのだ。

 警察は、セバを車に乗せた後も直ぐには発進しないで、辺りに不審人物が居ないか調べ回っていた。

 道路の斜め向かいにあるアパートの窓が閉められたかと思うと、そこから数人の男が駆け出して行き警官が追った。

 俺たちを監視していた奴らだ。

 追って行った警官はしばらくすると手ぶらで戻って来て、それから3台のパトカーは走り去った。

「次は、何が来る?」

「ボーイフレンドが来るわ」

「まったく……」

 少し呆れて、店の戸締りをして2階に上がった。

 とりあえず暇なときには寝ておこうと思い、そのままベッドに横になり目を瞑って寝た。
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