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一章 千年の邂逅
二、美麗な龍【1】
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京都駅前のマンガ喫茶で一晩を明かし、嵐山に着いたのは翌朝の七時頃だった。
一部の店は開いていたが、さすがに人通りはあまりなく、観光地とは思えないほど静かだった。
土産物店なども閉まっているため、観光客は宿泊施設にいるのだろう。
電車で出会った女性の話を手掛かりに、山の方へと向かう。
渡月橋を渡り、狭い道を進んでいくと、店や民家はどんどん減っていき、ついには山道に入った。
ひとりで歩くにはあまりにも心許ない。
けれど、今の凜花にとっては怖いものなんてなかった。
しいて言うのなら、生きている人間ほど怖いものはない……というところだろう。
生きることに疲れ、なにもかもに絶望してしまった。
頼れる人も味方もいなければ、あの小さなアパート以外には居場所もない。
大きな孤独感に包まれた心では、恐怖心などちっとも芽生えてこなかったのだ。
ときおり木の枝を踏んだり葉が揺れたりすれば、その音に体はびくりと跳ねた。ただ、それは恐怖というよりも反射に近く、踵を返す理由にはならなかった。
(あとどのくらいだろう……。でも、なくなった場所なら、もしその場所を見つけてもわからないかもしれないんだよね……)
嵐山には、野生の猿やイノシシがいると注意書きがあった。山の中であれば、当然ヘビや虫と出くわすこともあるだろう。
それ自体は怖かったが、どうしても足は止まらなかった。
あの女性の話では、『嵐山モンキーパークいわたやま』に行く道ではなく、その手前にある小さなけもの道を通るのだとか。
当時はきちんと看板が立っていたようだが、それらしきものは見当たらない。
モンキーパークの入り口が見え、今歩いてきた道を戻る。
注意深く周囲を見ても例の道が見つからず、左右にあるのは山肌ばかりで、一時間もすれば途方に暮れた。
もう一度来た道を戻る。そのさなか、道とは言えないが歩けなくはなさそうな隙間を見つけ、凜花は足を止めた。
なんとか入れるだろうが、普通に歩くのが難しいのは一目瞭然。そんな隙間を前に、しばらく立ち止まる。
危険そうなのは明白だったものの、このあたりを歩いてもう一時間になる。
悩んだ末、一か八かで足を踏み出した。
「……ッ」
整備されていないな山道は、山に慣れていない人間には想像以上に厳しかった。
朝露のせいか足場が悪く、傾斜ばかりの地面はよく滑る。木の枝や葉がさらに歩きづらさを増長し、まるで山そのものに拒まれているようだった。
何度も滑って膝をつき、履いているデニムはドロドロ。Tシャツから出ている腕には木の枝で作った傷が増えていき、顔にも小さな傷ができていた。
それでも、凜花は諦めようとは思わなかった。
自分にはもうなにもない……という絶望感を纏った気持ちが、凜花の背中を押していたのかもしれない。
息を切らして進む道は、どんどん苛烈になっていく。
どこに行くのが正しいのか、そもそもここを進めば目的地にたどりつけるのか。
なにもわからないまま進むのはつらかったが、これまでに味わってきた苦痛に比べればどうということはない。
「どこ……? どこに行けばいいの……?」
汗に塗れた額を腕で拭い、肩で息をする。
傍にあった大きな木に体を預けて、呼吸を整えようとしたとき。
「ッ……!?」
足が取られてバランスを崩し、凜花は来た道とは垂直の方向に滑り落ちていった。
「きゃあぁっ……!」
整備されていない山の中、凜花の体は瞬く間に転がっていく。ときには木や茂みにぶつかり、体に傷を作っても勢いは止まらない。
腕で顔を庇うようにするだけで精一杯で、防御もできない。いくつもの痛みを感じたあと、気づけば大きな木に囲まれた場所にいた。
「……生きてる? っ……」
なんとか上半身を起こすが、立とうとした足に激痛が走って顔が歪む。どうやら足首を挫いたようだった。
視界に入る限り腕も傷だらけだが、どうやら骨は折れていない。
安心したのも束の間、人っ子ひとりいない場所で身動きが取れなくなったことを理解し、一瞬遅れて嘲笑交じりのため息が漏れた。
「これからどうするの……」
正直、両親との思い出の場所に着いたあとのことは考えていなかった。
目的さえ果たせば、もう人生の幕を下ろそう……と決めていただけ。場所も方法も考えず、ただ女性が話していた神社へ行くことだけが望みだった。
ところが、目的地に着くどころか場所もわからず、動けなくなる始末。
小さなリュックは背負っていたが、手に持っていたスマホはどこかで落としたようだった。これでは助けも呼べない。
「そっか……。助けなんて呼ばなくてもいいんだ」
誰に言うでもなかった言葉が風にさらわれていく。
死ぬ気でいるのなら、このままここにいれば餓死でもするだろう。
何日耐えればいいのかわからないが、脱水症状だって起こる。
もしかしたら、その前に毒蛇やイノシシに襲われるかもしれない。
思考が纏まらないことに、力のない笑みが漏れる。
どうすることもできない中、おもむろに周囲を見回す。ある一点で目を留めた凜花は、二重瞼の目を大きく見開いた。
「ここ……もしかして……」
リュックから手帳を出し、グチャグチャの写真を確認する。
それを持ち上げて目の前の光景と照らし合わせるように何度も見ると、凜花の視界がそっと歪んでいった。
「龍神社……だよね?」
注連縄と紙垂を纏う、大きな木。ボロボロの看板らしき板のようなもの。綺麗だとは言いがたいそのふたつの傍に、池があった。
凜花のいる場所からでは水底までは見えないが、どうやら水は澄んでいるようだ。
池以外は写真とは随分と違ったが、同じ場所だというのはなんとかわかった。
神社らしきものは見当たらないものの、女性の話の通りならこの近くにお社もあったはず。
怪我の功名と言うには被害が大きいかもしれない。
けれど、どうにか目的地に着いたことだけでも心が救われた気がした。
疲れ果てていた凜花の唇から、ホッと息が漏れる。
「お父さん、お母さん……私……」
そこで意識が途絶えた――。
一部の店は開いていたが、さすがに人通りはあまりなく、観光地とは思えないほど静かだった。
土産物店なども閉まっているため、観光客は宿泊施設にいるのだろう。
電車で出会った女性の話を手掛かりに、山の方へと向かう。
渡月橋を渡り、狭い道を進んでいくと、店や民家はどんどん減っていき、ついには山道に入った。
ひとりで歩くにはあまりにも心許ない。
けれど、今の凜花にとっては怖いものなんてなかった。
しいて言うのなら、生きている人間ほど怖いものはない……というところだろう。
生きることに疲れ、なにもかもに絶望してしまった。
頼れる人も味方もいなければ、あの小さなアパート以外には居場所もない。
大きな孤独感に包まれた心では、恐怖心などちっとも芽生えてこなかったのだ。
ときおり木の枝を踏んだり葉が揺れたりすれば、その音に体はびくりと跳ねた。ただ、それは恐怖というよりも反射に近く、踵を返す理由にはならなかった。
(あとどのくらいだろう……。でも、なくなった場所なら、もしその場所を見つけてもわからないかもしれないんだよね……)
嵐山には、野生の猿やイノシシがいると注意書きがあった。山の中であれば、当然ヘビや虫と出くわすこともあるだろう。
それ自体は怖かったが、どうしても足は止まらなかった。
あの女性の話では、『嵐山モンキーパークいわたやま』に行く道ではなく、その手前にある小さなけもの道を通るのだとか。
当時はきちんと看板が立っていたようだが、それらしきものは見当たらない。
モンキーパークの入り口が見え、今歩いてきた道を戻る。
注意深く周囲を見ても例の道が見つからず、左右にあるのは山肌ばかりで、一時間もすれば途方に暮れた。
もう一度来た道を戻る。そのさなか、道とは言えないが歩けなくはなさそうな隙間を見つけ、凜花は足を止めた。
なんとか入れるだろうが、普通に歩くのが難しいのは一目瞭然。そんな隙間を前に、しばらく立ち止まる。
危険そうなのは明白だったものの、このあたりを歩いてもう一時間になる。
悩んだ末、一か八かで足を踏み出した。
「……ッ」
整備されていないな山道は、山に慣れていない人間には想像以上に厳しかった。
朝露のせいか足場が悪く、傾斜ばかりの地面はよく滑る。木の枝や葉がさらに歩きづらさを増長し、まるで山そのものに拒まれているようだった。
何度も滑って膝をつき、履いているデニムはドロドロ。Tシャツから出ている腕には木の枝で作った傷が増えていき、顔にも小さな傷ができていた。
それでも、凜花は諦めようとは思わなかった。
自分にはもうなにもない……という絶望感を纏った気持ちが、凜花の背中を押していたのかもしれない。
息を切らして進む道は、どんどん苛烈になっていく。
どこに行くのが正しいのか、そもそもここを進めば目的地にたどりつけるのか。
なにもわからないまま進むのはつらかったが、これまでに味わってきた苦痛に比べればどうということはない。
「どこ……? どこに行けばいいの……?」
汗に塗れた額を腕で拭い、肩で息をする。
傍にあった大きな木に体を預けて、呼吸を整えようとしたとき。
「ッ……!?」
足が取られてバランスを崩し、凜花は来た道とは垂直の方向に滑り落ちていった。
「きゃあぁっ……!」
整備されていない山の中、凜花の体は瞬く間に転がっていく。ときには木や茂みにぶつかり、体に傷を作っても勢いは止まらない。
腕で顔を庇うようにするだけで精一杯で、防御もできない。いくつもの痛みを感じたあと、気づけば大きな木に囲まれた場所にいた。
「……生きてる? っ……」
なんとか上半身を起こすが、立とうとした足に激痛が走って顔が歪む。どうやら足首を挫いたようだった。
視界に入る限り腕も傷だらけだが、どうやら骨は折れていない。
安心したのも束の間、人っ子ひとりいない場所で身動きが取れなくなったことを理解し、一瞬遅れて嘲笑交じりのため息が漏れた。
「これからどうするの……」
正直、両親との思い出の場所に着いたあとのことは考えていなかった。
目的さえ果たせば、もう人生の幕を下ろそう……と決めていただけ。場所も方法も考えず、ただ女性が話していた神社へ行くことだけが望みだった。
ところが、目的地に着くどころか場所もわからず、動けなくなる始末。
小さなリュックは背負っていたが、手に持っていたスマホはどこかで落としたようだった。これでは助けも呼べない。
「そっか……。助けなんて呼ばなくてもいいんだ」
誰に言うでもなかった言葉が風にさらわれていく。
死ぬ気でいるのなら、このままここにいれば餓死でもするだろう。
何日耐えればいいのかわからないが、脱水症状だって起こる。
もしかしたら、その前に毒蛇やイノシシに襲われるかもしれない。
思考が纏まらないことに、力のない笑みが漏れる。
どうすることもできない中、おもむろに周囲を見回す。ある一点で目を留めた凜花は、二重瞼の目を大きく見開いた。
「ここ……もしかして……」
リュックから手帳を出し、グチャグチャの写真を確認する。
それを持ち上げて目の前の光景と照らし合わせるように何度も見ると、凜花の視界がそっと歪んでいった。
「龍神社……だよね?」
注連縄と紙垂を纏う、大きな木。ボロボロの看板らしき板のようなもの。綺麗だとは言いがたいそのふたつの傍に、池があった。
凜花のいる場所からでは水底までは見えないが、どうやら水は澄んでいるようだ。
池以外は写真とは随分と違ったが、同じ場所だというのはなんとかわかった。
神社らしきものは見当たらないものの、女性の話の通りならこの近くにお社もあったはず。
怪我の功名と言うには被害が大きいかもしれない。
けれど、どうにか目的地に着いたことだけでも心が救われた気がした。
疲れ果てていた凜花の唇から、ホッと息が漏れる。
「お父さん、お母さん……私……」
そこで意識が途絶えた――。
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