龍神のつがい~京都嵐山 現世の恋奇譚~

河野美姫

文字の大きさ
22 / 34
三章 共鳴する魂

三、魂の行方【1】

しおりを挟む
凜花が調理場で働くようになって、一か月が過ぎた。


聖を除けば、これまでは桜火と玄信、蘭丸と菊丸くらいしか接することがなかったが、調理場に入るようになったことで臣下たちとの会話がぐんと増えた。


最初は仕事のためだった会話は徐々に世間話にも及び、今ではみんな天界で流行っているものなどを教えてくれたりする。
天界のことをなにも知らなかった凜花にとって、ひとつひとつのことが興味深く、会話により花が咲いた。


さらには、最初は料理係だけだった話し相手も少しずつ増えていった。
臣下たちは互いに付き合いが長いらしく、料理係の知り合いや友人が屋敷内のあちこちにいるため、自然と凜花も会話に入れてもらえるようになったのだ。


普通なら、学校や会社での友人や知人もこんな風に増えていくのだろう。
凜花にはこれまで経験のないことだったが、それがかえって新鮮でもあった。


臣下たちとの会話が増えたことによって居心地が好くなった分、天界での生活にも馴染めてきている。
元は、臣下たちとの仲を取り持ってくれた風子のおかげだが、凜花が彼女にお礼を言うと『姫様のお人柄ですよ』なんて返されてしまった。


そんなはずはないとわかっている。
しかし、凜花は風子の気遣いが嬉しくもあった。


道具屋に頼んでいたピーラーは、数日前にようやく出来上がった。
凜花が形などは説明したとはいえ、天界では未知の道具。


最初から見た目だけはそれらしいものが完成したが、いざ使ってみると凜花の知っているものとは使い心地がまったく違い、何度も作り直してもらうはめになった。
風子に急かされていたため、道具屋は大変だったに違いない。


けれど、凜花の必死の説明と使用感の感想、道具屋の努力の甲斐があって、最終的には凜花が下界で使っていたピーラーと遜色ないものが出来上がった。


凜花にとっては当たり前だった道具。下界では百円均一でも手に入る程度のもの。
ただ、道具作りはまったく素人の凜花の説明で目にしたこともないものを作るのは、至難の業だっただろう。
これがプロの仕事か……と感心した三日後には、さらに追加で三個のピーラーが届いた。


風子を始め、料理係たちは『下拵えがうんとラクになった』と大喜びしている。
天界の者にとって珍しいピーラーは大人気で、みんなが使いたがるほど。


下拵えなんて下っ端の仕事なのに、皮剥きに立候補をする者が後を絶たなかった。
これには、凜花は驚きながらも笑ってしまった。
ちなみに、次はフライパンが欲しいと言われている。


『ふらいぱんがあれば、焼き物にとてもよさそうだもの。これまでは炭で焼くことが多かったけど、色々なものに使えそうね』


風子はワクワクした様子だったが、凜花はフライパンの作り方なんてまったくわからない。ピーラーとは違い、熱を通す調理器具は簡単には完成しないだろう。
それでも、みんなが喜んでくれるかもしれないと思うと、凜花の中には使命感のようなものが芽生えていた。


「姫様、このお菓子は食べたことがありますか?」


今日も夕食の支度が始まる時間に合わせて調理場に行くと、料理係から声をかけられた。彼女はまだ十代にも見える外見で、この中では一番若いようだった。


「いえ、初めて見ました」

「さっき分けていただいたのですが、姫様もおひとつどうぞ」

「ありがとうございます」

「これは、木の実を混ぜ込んだ饅頭です。餡がおいしいんですよ」


ころんとした小さな饅頭をひとつ分けてもらい、凜花は手でそっと割ってみる。
中には、白い餡とともにたくさんの木の実が詰まっていた。
一口かじってみると、餡のほんのりとした甘さと木の実の香ばしさが鼻から抜け、思わず笑顔になった。


「おいしい! これ、なんていうお菓子ですか?」

「小粒饅頭とか粒饅頭などと呼ばれています。老若男女に人気なんです」


その場にいた料理係たちも、みんな嬉しそうに頬張っている。
凜花も淹れてもらったお茶を飲みつつ、初めて食べた饅頭の味を楽しんだ。


それから、いつものように夕食の支度に取り掛かる。
まだ下拵えや皿洗いしか任せてもらえないが、贔屓されないことがかえって凜花のここでの居心地を好くしている。


恐らく、これも風子の采配だろう。
下拵えの担当の料理係たちは若い者が多く、それ故に馴染みやすい気もする。
とにもかくにも、聖と風子が作ってくれた居場所は凜花にやり甲斐を与えるとともに、笑顔にしてくれた。





そんな平穏な日々を送っていた、ある午後のこと。


「お待ちください! 紅蘭様!」


部屋の外がなんだか騒がしくなり、聞き覚えのある名前が耳に飛び込んできた。


「うるさいわね」

「いくら紅蘭様であっても、姫様のお部屋にはお通しできません。聖様のご命令に背くことがどういうことか、紅蘭様もよくおわかりのはずです」


きっと、ふすまの向こうには紅蘭がいるのだろう。
凜花は少しだけ戸惑ったが、蘭丸たちと仲良く活けていた花を台に置き、すぐに立ち上がった。


「なりません、姫様」

「桜火さん……」

「紅蘭様とお会いになれば、またなにを言われるか……」

「でも、きっと紅蘭さんはなにか不満があるんですよね? このままだと、紅蘭さんは何度も来られると思いますから……」


制止する桜火に苦笑を返した凜花が、緊張しつつもふすまを開けた。


「あら」

「こ、こんにちは……」


自分でも気づかないうちに緊張していたらしく、紅蘭の視線を受けた凜花の声が裏返ってしまった。
彼女の目には、冷ややかな雰囲気が宿っている。


「あなた、本当に聖と契りを交わすつもりなの?」


紅蘭の質問は、声音同様とても不躾なものだった。


「紅蘭様、そういったお話はお控えください」

「桜火さん、いいんです」

「しかし……」


すかさず止めに入った桜火に、凜花が強張った表情で笑みを浮かべる。


「えっと、ここだと人目があるので中に……」

「それはいけません。いくら姫様でも、聖様のご命令には背いては……」

「じゃあ、お庭ならどうですか? それなら部屋の中じゃないですし」

「……わかりました。ですが、私共もお傍にいさせていただきます」

「そんなに警戒しなくても、別に殴ったりはしないわよ。聖に言ってもこの子に会わせてくれないから、こうして来ただけよ」


紅蘭の話しぶりから、彼女は何度か凜花に会うことを望んだのかもしれないと感じる。しかし、聖が許さなかったようだ。


それがどういう意味か。凜花にとってはデメリットになりうる可能性があるのはすぐにわかったが、凜花は紅蘭とともに庭に出ることにした。


「……どこまで行くつもり?」


庭に出て歩いているだけだった凜花に、彼女が呆れたようなため息をつく。


「すみません……。じゃあ、とりあえずこのあたりで……」


どこまで行くのかなんて、凜花は考えていなかった。
自分から庭に誘っておいて紅蘭とどう話せばいいのかもわからず、ただ歩くことしかできなかったのだ。


ふたりから少し離れて、桜火と蘭丸たちがついてきていた。
桜火は警戒心をあらわにしており、蘭丸と菊丸はどこか心配そうな顔をしている。


「あの……」

「あなた、私がどうしてここまであなたにこだわるのか知りたい?」


凜花がおずおずと切り出せば、彼女がじっと見つめてくる。


「はい……」

「聖からなにも聞いてないのね」


紅蘭に対して、疑問がなかったわけではない。
にもかかわらず、彼女のことがよくわからないままだったのは、聖も桜火たちもそこに触れようとしなかったからである。
訊けば答えてくれたのかもしれないが、凜花はなんとなく尋ねられずにいた。


「私は、龍王院りゅうおういんの分家の者なの」

「龍王院?」

「それも聞いてないの?」


目を見開いた紅蘭が、小首を傾げた凜花に向かって鼻で笑う。


「龍王院は聖の名前よ。天界の中でも力を持つ一族で、聖はその本家の龍なの。分家はたくさんあるけど、龍王院の直系はもう聖しか残っていないわ」

「聖さんだけって……」

「天界は聖が龍神になる前まで争いばかりだったの。そのときに、直系の者が暗殺されたのよ」


突如出てきた物騒な言葉に、凜花の顔が強張る。


「でも、力のある聖が天界を治めるようになったことで、目に見える争いはほとんどなくなった。千年前に凜が亡くなったときには一度大きな争いが起きたけど、そのあとはずっと今みたいな感じが続いているわ」


そんな凜花に構わず、彼女は滔々と話していた。


「龍王院の血が龍の中でも強いのはもちろんだけど、それだけ聖に力があるからよ。なにより、天界では彼を慕う龍はとても多いの。聖の存在が争いばかりだった天界の均衡を保っているのよ」


凜花はこれまで、龍神という存在がどういうものなのかをよく知らなかった。
というよりも、わからなかったのだ。


屋敷の中にいる者たちはみんな聖を慕っているし、彼が主だというのもわかる。
街に出たときに聖が受けていた視線を考えれば、彼はみんなの上に立つ者だというのも理解はしていた。


ただ、それはなんとなく会社の社長のような、凜花が知っている立場に近い形なのだと思い込んでいたのだ。
しかし、紅蘭の話を聞けば、それとはまったく違うことが伝わってくる。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

芙蓉は後宮で花開く

速見 沙弥
キャラ文芸
下級貴族の親をもつ5人姉弟の長女 蓮花《リェンファ》。 借金返済で苦しむ家計を助けるために後宮へと働きに出る。忙しくも穏やかな暮らしの中、出会ったのは翡翠の色の目をした青年。さらに思いもよらぬ思惑に巻き込まれてゆくーーー カクヨムでも連載しております。

美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness

碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞> 住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。 看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。 最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。 どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……? 神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――? 定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。 過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

烏の王と宵の花嫁

水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。 唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。 その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。 ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。 死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。 ※初出2024年7月

一億円の花嫁

藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。 父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。 もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。 「きっと、素晴らしい旅になる」 ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが…… 幸か不幸か!? 思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。 ※エブリスタさまにも掲載

下っ端宮女のひたむき後宮恋譚 ~前世の夢を追いかけていたらいつのまにか寵愛されていました~

紀本明
キャラ文芸
妃嬪から嫌がらせを受けつつも耐え忍んでいた下っ端宮女の鈴風(りんふぁ)はある日突然前世の記憶を取り戻す。料理人になるのが夢だった彼女は、今世でもその夢を叶えようと決意した矢先、ぼさぼさ頭の宦官・雲嵐(うんらん)と出会い、毎晩夕飯をつくることになる。料理人になるべく奮闘するも、妃嬪からの嫌がらせはひどくなる一方だった。そんなある日、事件が起こり、鈴風は窮地に立たされるが……――?

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました

iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

あまりさんののっぴきならない事情

菱沼あゆ
キャラ文芸
 強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。  充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。 「何故、こんなところに居る? 南条あまり」 「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」 「それ、俺だろ」  そーですね……。  カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。

処理中です...