【続篇完結】第四皇子のつがい婚―年下皇子は白百合の香に惑う―

熾月あおい

文字の大きさ
29 / 60
四章 第四皇子、白百合と共に真相に迫る。

4-8 第三皇子、婚約内定の裏

しおりを挟む
「瓔偲に処方されていた薬も吏部りぶの医局に属するそんという医師くすしが、上から命ぜられて薬効のないものを調合していたようです。本人がそう白状したようで」

 叔父の問いに答えるかたちで燎琉りょうりゅうが言うと、え、と、驚いたように目を瞠ったのは瓔偲えいしだ。そういえばまだそのことについて瓔偲に話せていなかったのだ、と、そのことを燎琉は思い出した。

「悪い。周じぃの用件はそれだったんだが、言い損ねた」

 すまない、と、重ねて詫びると、謝罪には及ばないとでもいうふうに、瓔偲はちいさく首を振った。

「なるほど、薬のほうも吏部か……誰だと思う?」

 鵬明ほうめいが真っ直ぐに燎琉を見据え、あけすけに訊ねてくる。燎琉は一瞬、躊躇うように視線を落としたが、すぐにこちらも鵬明を真正面から見返した。

そう英鐘えいしょう

 きっぱりと、吏部の尚書ちょうかんの名を挙げる。

「だろうな」

 鵬明も、ふう、と、息をついてうべなった。

貴妃きひの実家……ばん家と宋家とが組んで、お前を擁する皇后勢力を圧倒しようということだろう。そも、あの二家は古くから近しい。陛下の即位の際には、万貴妃はお前の母と並んで皇后候補だったがな、宋家としては貴妃のほうが皇后に立てられると見込んでいて、宋清歌せいか煌泰おうたいに嫁がせる気だったのだろう。幼い頃からふたりに交流を持たせていたようだった」

 そこまで言うと、鵬明は精悍そうな眉をひそめた。

「しかし……そうだろうとは思ったが、実際に宮廷の権力闘争が絡んでいるのでは、事態はなかなかややこしいな」

 実際に、と、その言葉を聞いて、燎琉にはふと気になったことがある。

「叔父上はもしや、もとから宋英鐘を疑っておられたのですか?」

 鵬明の言い方は、はじめから燎琉と瓔偲とが番った件を事故ではないと疑っていたうえ、企みの中心人物にすら心当たりがあったような言い振りだった。

 燎琉の問いかけに対し鵬明はなんとも言明しがたい複雑な表情を見せると、やや言いあぐんだ後で、ふう、と、長い嘆息をもらした。

「なんらかの形で吏部が絡んでいるだろうとは思っていた」

 そう言う。

「お前たちがつがいとなったあの日、資料を取ってこさせるために、瓔偲を昭文しょうぶん殿でんへ遣ったのは私だった。吏部から、至急、と、条件付きでの問い合わせがあったからだ。だから、もしもあの件が事故でないとしたら、すくなくとも吏部は関わるだろうとは睨んでいた」

 厳しい表情でそう言って、ちら、と、瓔偲のほうを見る。

「吏部関連で急ぐ資料を探しに行かせるなら、誰よりも瓔偲が適任だった。――いまから思えば、そのこともまた企みの一部として折り込み済みだったということだろう」

「どういうことです?」

「私たちのいる戸部こぶの職掌は国家の財務管理だが、瓔偲は私の下で吏部のそれを担当していた。そして、これからは、吏部の収支に妙なところがある、と、何度かそんな報告があがってきていた」

 これ、と、鵬明は瓔偲を差すように顎をしゃくった。瓔偲はこちらの会話に特別に口を挟んでくるようなことはなかったが、ただ、ちいさく頷くように目を伏せて見せる。

「瓔偲からの報告に基づいて、私から吏部へ探りを入れたことが何度かある。その際、瓔偲を同席させたことも、な。つまり向こうにとって、吏部から問い合わせをすれば動くのはおそらく郭瓔偲だと、そう予想がついたはずだ。そして私は、そんな敵の思惑通り、まんまと瓔偲を昭文殿へやってしまったというわけだな。――すまなかった」

 鵬明は瓔偲に視線をやって言う。

「不可抗力ですから、お詫びいただく必要はございません」

 これに対して瓔偲は、うっすらと口の端に笑みすら刷いて、軽くかぶりを振った。

 だが、今度はその瓔偲が、鵬明の顔をじっと見て問いを投げかける。

「ですが、それだけでは……いえ、薬のことも、首輪くびかざりのことも含めても、吏部に属する誰か、と、それ以上のことは言えぬのではありませんか?」

 なにも首謀者が宋英鐘と決まったわけではないのでは、と、瓔偲は言った。

 だがこれに燎琉は、そうではない、と、思って眉間に皺を寄せる。

「俺とお前をつがわせようとはかった者がいたとすれば、そいつは、俺が昭文殿に通い詰めていることをも知っていなければならない」

 燎琉は別段、そのことを隠していたわけではなかった。だが、だからといって、職務上近しい工部こうぶの者ならともかく、まるで関わりを持たない吏部の者がそのことを知っていたとは思えない。

「しかし、宋英鐘ならば……知っていて、おかしくない」

 なんといっても彼は宋清歌の父なのであり、清歌と燎琉とは婚約目前とまで噂された間柄だった。それなりに親しく言葉を交わす中で、実際に燎琉は、清歌に己の携わっている仕事について話して聞かせたことがある。

「宋英鐘なら、清歌どのを通して、俺が昭文殿に通っているという話を聞く機会があったかもしれない」

 ひとたび情報に触れる機会さえあれば、燎琉が昭文殿を訪う頻度・時間などを調べるのも、さして難しくなかったはずだ。そして、こちらが蔵書閣へ入る刻限を見計らって、吏部から戸部こぶ員外郎いんがいろうである鵬明のもとへと問い合わせを送ればいい。至急、と、そう言われれば、十中八九、鵬明は瓔偲を昭文殿へ向かわせる。もちろん、瓔偲が発情期を迎える時機も、計算に入れられていた。

 この時点ですでに、瓔偲は吏部の医局から出されたにせの薬――発情抑制の薬効のないもの――を服用し続けていた。瓔偲は発情を起こす。彼が放つ発情期の癸性特有の芳香に間近でてられたならば、こう性の燎琉が衝動に抗うすべはない。意思に関係なく燎琉の発情も誘引されて、ふたりは、契ることになるだろう。

 加えて、瓔偲の首輪くびかざりには、吏部に預けられた際に、あらかじめ細工がなされていた。強く引けば留め金が外れるようになっていたそれは、もはやうなじを守る本来の役を果たすことはないものだ。となれば、発情状態の燎琉と瓔偲の間は、本能に抗えずにつがうことになるだろう。

 陰謀たくらみぬしは、そこまでを読み通して動いたのではなかったのか。

吏部りぶ尚書しょうしょであり、宋清歌の父である宋英鐘ならば、一連のことの一切が、可能だ」

 そういうことだったのではないのか、と、燎琉は叔父のほうを見た。

 鵬明は口許に手を当て、うむ、と、思案げな表情をする。

「しかも、この件において、最も利が多かったのもやつだな。――どうも吏部には……宋英鐘には、探られたくない腹があった。そこへ切り込んだのが瓔偲だが、これを国府から排除することができたわけだ。その点、瓔偲が毒杯を賜わることになろうが、あるいはきさきめかけなどとして燎琉に預けられることになろうが、どちらに転んでも良かったのだろうが」

「結果として、陛下はわたしを燎琉殿下にめとらせるという判断をなさいました。これで殿下を皇太子の位から遠ざけることが出来たわけですから……二つめの利もあったというわけですね」

 瓔偲が鵬明の言葉を継いだ。

 鵬明がひとつ頷き、ついで息をはく。

「うまく行った際には、宋家の娘である清歌を煌泰の妃に据えることが、宋家と万家との間であらかじめ密かに約束されていたのかもしれん。そうして姻戚となった二家が手を組んで、今後、煌泰を皇太子に押し上げる」

 早くも水面下でその動きが始まったということを、いま知らされたばかりの、第三皇子・朱煌泰と宋清歌との婚約内定は、教えてくれているのではないだろうか。

 燎琉と瓔偲、そして鵬明の三人は、無言で目を見交わした。今度のことの首謀者は吏部尚書・宋英鐘だろう、と、言葉にこそせずとも、すでに三人の見解はそれを以て一致していた。

「――どうする?」

 鵬明が燎琉へと視線を向けた。

「宋英鐘を問い詰めてみるか? 皇太子位を巡る陰謀、かつ、吏部の不正の疑惑までもが絡んでいるとなれば、うやむやにせず、なんらかの形で罪を明らかにすべきだろうが」

 そこで言葉を濁すのは、これが明るみに出れば、間違いなく朝廷ちょうを大きく揺るがすことになるだろうからだ。だからなかったこととして揉み消してよいというのでは勿論ないが、時機と、やり方とを考えるべき事案である、と、叔父はそう思うのだろう。

 鵬明も燎琉も、国府に出仕して朝廷の一角を担う身だ。かつ、最も身近で皇帝を支えることを期待される、皇族の一員でもある。朝廷ちょうを無為に混乱させるのは避けたいし、避けるべきだ、と、そういう思いは持っていた。

「……清歌どのに」

 ふと思いついて、燎琉は少女の名を口にした。

「宋清歌から、話を聞いてみではどうだろう? 父の英鐘に、俺が昭文殿に通っていることを話したことがあるかどうかだけでも確認できれば、ひとつ、前進では? あるいは彼女は、他にも何か、知っていたり、聞かされていたりしたことがあるかもしれないし……すくなくとも、煌泰兄上との婚約については、何か言われていたのかもしれない」

 南門付近で行き合ったとき、清歌はどこか思わせぶりな口振りだった。そのことを思い出して、彼女から何か宋英鐘のはかりごとを裏付けるような情報が得られないものか、と、燎琉は考えた。

「なるほどな」

 鵬明がひとつうなずく。

「万貴妃に呼ばれていた宋清歌は、おそらく、じきに楽楼らくろうぐうを出る頃合だろう。間に合うな。城壁で……国府を出る前に、つかまえよう。行くぞ」

 最後は短く言うと、鵬明はさっときびすを返した。

 燎琉と瓔偲も顔を見合わせて、鵬明の背に続いた。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

前世が飼い猫だったので、今世もちゃんと飼って下さい

夜鳥すぱり
BL
黒猫のニャリスは、騎士のラクロア(20)の家の飼い猫。とってもとっても、飼い主のラクロアのことが大好きで、いつも一緒に過ごしていました。ある寒い日、メイドが何か怪しげな液体をラクロアが飲むワインへ入れています。ニャリスは、ラクロアに飲まないように訴えるが…… ◆いつもハート、エール、しおりをありがとうございます。冒頭暗いのに耐えて読んでくれてありがとうございました。いつもながら感謝です。 ◆お友達の花々緒(https://x.com/cacaotic)さんが、表紙絵描いて下さりました。可愛いニャリスと、悩ましげなラクロア様。 ◆これもいつか続きを書きたいです、猫の日にちょっとだけ続きを書いたのだけど、また直して投稿します。

「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

死に戻り騎士は、今こそ駆け落ち王子を護ります!

時雨
BL
「駆け落ちの供をしてほしい」 すべては真面目な王子エリアスの、この一言から始まった。 王子に”国を捨てても一緒になりたい人がいる”と打ち明けられた、護衛騎士ランベルト。 発表されたばかりの公爵家令嬢との婚約はなんだったのか!?混乱する騎士の気持ちなど関係ない。 国境へ向かう二人を追う影……騎士ランベルトは追手の剣に倒れた。 後悔と共に途切れた騎士の意識は、死亡した時から三年も前の騎士団の寮で目覚める。 ――二人に追手を放った犯人は、一体誰だったのか? 容疑者が浮かんでは消える。そもそも犯人が三年先まで何もしてこない保証はない。 怪しいのは、王位を争う第一王子?裏切られた公爵令嬢?…正体不明の駆け落ち相手? 今度こそ王子エリアスを護るため、過去の記憶よりも積極的に王子に関わるランベルト。 急に距離を縮める騎士を、はじめは警戒するエリアス。ランベルトの昔と変わらぬ態度に、徐々にその警戒も解けていって…? 過去にない行動で変わっていく事象。動き出す影。 ランベルトは今度こそエリアスを護りきれるのか!? 負けず嫌いで頑固で堅実、第二王子(年下) × 面倒見の良い、気の長い一途騎士(年上)のお話です。 ------------------------------------------------------------------- 主人公は頑な、王子も頑固なので、ゆるい気持ちで見守っていただけると幸いです。

悪役令息(Ω)に転生したので、破滅を避けてスローライフを目指します。だけどなぜか最強騎士団長(α)の運命の番に認定され、溺愛ルートに突入!

水凪しおん
BL
貧乏男爵家の三男リヒトには秘密があった。 それは、自分が乙女ゲームの「悪役令息」であり、現代日本から転生してきたという記憶だ。 家は没落寸前、自身の立場は断罪エンドへまっしぐら。 そんな破滅フラグを回避するため、前世の知識を活かして領地改革に奮闘するリヒトだったが、彼が生まれ持った「Ω」という性は、否応なく運命の渦へと彼を巻き込んでいく。 ある夜会で出会ったのは、氷のように冷徹で、王国最強と謳われる騎士団長のカイ。 誰もが恐れるαの彼に、なぜかリヒトは興味を持たれてしまう。 「関わってはいけない」――そう思えば思うほど、抗いがたいフェロモンと、カイの不器用な優しさがリヒトの心を揺さぶる。 これは、運命に翻弄される悪役令息が、最強騎士団長の激重な愛に包まれ、やがて国をも動かす存在へと成り上がっていく、甘くて刺激的な溺愛ラブストーリー。

処理中です...