35 / 60
五章 第四皇子、白百合のために抗す。
5-6 賜毒とすれ違い
しおりを挟む
皇帝は、瓔偲の死罪を無情にも宣告し、手を振って侍官に合図する。
「っ、ふざけるな……!」
燎琉は、己の立場も顧みずに、父帝を真正面から罵った。
「燎琉、黙りなさい! この者の罪は、皇子に対する叛逆です。その罪をこの者ひとりに止めて、親戚縁者九族に及ぼさぬだけでも、陛下の御温情に感謝すべきです」
「なにが、温情だ……! なにが! 罪なき者にすべての罪をかぶせ、死を賜って終いにしようとするのが、皇帝の温情ですか! それが万民を導く皇帝のすることかっ!」
「っ、口が過ぎるぞ、皇子。――早う、郭瓔偲に毒杯を」
はっきりとした皇帝の命を承けて、近侍官が動いた。瓔偲は後ろ手の縄を解かれ、けれども棒を構えた兵卒に油断なく見張られながら、その手に毒酒の入ったちいさな杯を与えられている。
「瓔偲……!」
燎琉は羽交い絞めにされたまま、必死に相手を呼ばわった。
跪かされたままの瓔偲は、手渡された毒入りの酒杯を、いっそ恭しく両手に戴いている。そのまましばらく動かず、何を思うのか、ただじっと毒杯の中味を見詰めていた。
「……やめろ!」
燎琉は縋るように言う。
「やめろ……呑むな! 呑むんじゃない! たのむから……!」
遮二無二頭を振って、瓔偲に訴えた。
「――殿下」
そのとき、それまで毒杯を見詰めていた瓔偲が、ふと燎琉のほうを見た。しずかな眸に、燎琉ははっと動きを止める。
「殿下。わたしは……」
瓔偲が言いかけたときだった。控えよ、と、母皇后が声高に叫んで瓔偲の発言を咎めた。
「誰が口をきいて良いと言ったか」
鋭い叱責の言葉だったが、しかし、これは父が軽く手を上げて制する。
「かまわぬ。――郭瓔偲、なにか言い残すことがあるか」
皇帝に訊ねられ、瓔偲はそちらへと視線をやった。
「陛下のご厚情に感謝いたします」
事ここに及んでも、実に平静に、官吏然として、丁寧に皇帝に頭を下げて礼を示している。
「わたくしなどが言うまでもないことにはございましょうが、殿下は……燎琉さまは、やさしく、誠実で、素晴らしい御方にございます。きっと後々は陛下の施政を引き継ぎ、この国にさらなる繁栄をもたらされるにちがいない。ですから、陛下、どうかわたくしがこの杯を呷りました暁には、ぜひとも殿下を皇嗣にお据えになることをお考えくださいますよう、僭越とは存じながら、伏してお願い奉ります」
どうか約束を、と、瓔偲はその黒眸を、まるで臆することも怯むこともなく、皇帝と皇后とに真っ直ぐに向けていた。
「あい、わかった」
皇帝がうなずく。
それを聴いた瓔偲は、ふ、と、安堵したように口許を綻ばせた。
それから再び燎琉のほうへと向き直ると、今度はやさしく目を眇めた。
「殿下」
「っ、瓔偲……」
燎琉は眉を寄せる。くちびるを噛んで、声を詰まらせる。
瓔偲はただしずかに、すこしだけせつなげに、燎琉に微笑みかけてきた。
「そんな表情をなさらないでください、殿下。そう、殿下も昨日、おっしゃっていたではありませんか。わたしを咬まねばよかった、と……ごもっともだと、思いました。急にこんな者とつがってしまい、あまつさえ、妃にせよとまで命じられて……けれども、わたしがこの杯を干せば、それですべては、元の通りですから」
瓔偲が微笑みながら紡ぐ言葉に、燎琉は目を瞠った。
ちがう、そうじゃない、と、声にならない声で言って、必死に頭を振る。
たしかに昨日、燎琉は、瓔偲を咬まねばよかった、と、そう言った。でもそれは決して、いま瓔偲が言うような意味ではなかったのだ。
瓔偲を邪魔者だと思ったのではない。望まぬつがいを持ってしまったと、己の不運を嘆いたのではない。そうではなくて、理性を以て己を止めることができずに瓔偲を咬んで、国官としての彼の未来を閉ざしてしまった我が行為を、どうしても悔いずにはいられなかった。それだけだ。
それは瓔偲を疎んだがゆえの発言ではなかった。
むしろ、彼をひとりの人間として尊重し、たいせつに思うがゆえの、後悔だった。
瓔偲の願いを、瓔偲の望む在り方を、最後の最後の一線で踏み躙ってしまったのが己の行為だというその事実が、燎琉にはつらくてならなかった。ただそれだけで、邪魔だなんて、思うはずもない。
「それに、今朝も……わたしの存在が無意識に殿下を惑わせてしまうのを快く思わないから、薬を呑んだか、わざわざお確かめになったのでしょう? でも、私がこの世から消えれば、憂いは永遠になくなります。もう二度と、殿下のお心を煩わせることはありません」
「ちがう、瓔偲……ちがうんだ……!」
燎琉は絞り出すように、苦しげに呻く。
それもまた、そんなつもりではなかった。誘われるようにくちづけてしまったのは、事実かもしれない。けれども、そのことを厭だなどと思いはしなかった。心の底から湧き出すように滾滾とあふれる想いに戸惑いこそすれ、あたたかくゆたかに己の身体を満たしていくその想いを手放してしまいたいだなどと、燎琉は、決して望んではいない。
ほんとうは、かなうことなら、瓔偲を自分の傍らから離したくはない。ずっと傍で、言葉を交わし、微笑み合って、そうやって、もっともっとふたりで時を紡いでいければいいと思っている――……ああ、そうだ。今日、仕事を終えて椒桂殿に帰ったら、瓔偲にそう告げるはずだった。
それなのにどうしてこんなことになっているのだろうか。
燎琉は、己の不甲斐なさへの悔いや理不尽への憤り、瓔偲の在り方へのかなしみやせつなさ、そういったものの一切が綯い交ぜになった感情に、うつむいて、ぐぅ、と、唸った。眉をしかめる。昂った感情に、目の奥が、じん、と、熱かった。
そんな燎琉とはうらはらに、瓔偲は、にこ、と、清潔で静謐な笑みを口許に浮かべた。
「殿下はお優しかった、とても……わたしのような者にも、しかも、突然押し付けられたにもかかわらず、何の衒いも隔てもなく、やさしさをくださいました。もったいないほどに……だから」
瓔偲はわずかに目を伏せ、白い顔をうつくしく笑ませる。
ふわ、と、やさしい白百合の香が漂った気がした。
「だから、わたしは……殿下で、よかったな、と」
「瓔偲……?」
「ほんのわずかのご縁でしたけれども、わたしのつがいが殿下で、よかった。身の程を弁えよとお怒りを買うかもしれませんが、でも、いま心から、そう思うのです……死んでもいい、と」
え、と、息を呑んで、燎琉は瓔偲をまじまじと見詰めた。
瓔偲はどこまでも透明に澄んだ、清らかな微笑を浮かべている。すべてを諦め、けれども、どこか満ち足りたような、透きとおった陽射しのごときほほえみだ。
「死んでもいいと、おもうのです。あなたさまの、ためなら。それが殿下の御為になるのなら、わたしは……」
そこで言葉を紡ぐことを已めた瓔偲は、ただそっと燎琉に視線を送った。
それから手に持った杯に視線を落とし、はた、はたり、と、ゆっくりと二度ほど瞬く。
「やめろ……!」
燎琉は瓔偲に向かって喉から絞り出すような声を上げ、かつ、自分を押さえつける士卒の手を再び振りほどこうとする。
「やめてくれ……!」
押さえ込まれて、動作もままならぬまま、瓔偲を見据えて乞うよう言う。瓔偲はまだじっと毒の入った酒杯に視線を注いでいたが、すこしだけ顔を上げると、ごくゆっくりと、どこまでもていねいに、燎琉に頭を下げてみせた。
「殿下に御礼と……お別れを」
声は、静かだ。
どこまでも、静かだ――……いっそ、かなしいほどに。
頭が下がるのに合わせ、瓔偲の艶やかな黒髪が肩からこぼれる。その髪を飾っているのは、燎琉が彼に贈った簪だった。覗いた白い項には、彼と燎琉との絆の証である咬傷があるはずだ。
それなのに彼は、いま、燎琉のもとを去っていこうとしている――……もう二度と、手の届かないところにまで。
いっそ官吏然として凛として見える瓔偲の姿に、燎琉は息を詰まらせた。
「どうか殿下は、ふさわしい御方と結ばれ、皇太子におなりになってくださいませ……そして、国に繁栄と、民に安寧を。――殿下のお幸せと万歳とを、心より、お祈りいたします」
言い終るや否や、瓔偲は躊躇いなく杯に口をつけた。
瀟洒な酒杯を両手に掲げるようにして、そのまま一気に呷ってしまう。
白い喉が、こくり、と、嚥下のかたちに動いた。時の流れがそこだけ遅くなったかのような光景を、燎琉はただ、言葉にならぬ絶望とともに、見詰めていることしかできない。
一瞬のような、永遠のような静寂が蟠った。
瓔偲が杯を取り落とす。床に落ちたそれ、カン、と、甲高い音を立てて転がった。かと思うと、瓔偲の細い身体がぐらりと傾ぐ。
とさ、と、その身が地に倒れ伏す音は、いっそ呆気ないほどのかそけさだった。目の前の光景には、まるで現実味がない――……否、現だと、信じたくない。
「瓔、偲……」
燎琉はつぶやいた。ようやく兵卒の手がほどけた途端、転ぶように瓔偲に駆け寄っている。
「瓔偲……瓔偲! 返事をしろ!」
すでに力なく地に倒れ伏した相手を抱き起こし、燎琉は必死で呼びかける。
だが、答えはなかった。ただ、胸に抱いた瓔偲の口許から、つう、と、赫い血が一筋こぼれている。
燎琉は暗然消魂となる。目の前が真闇に塗り潰されたかのように真っ暗だった。
「っ、ふざけるな……!」
燎琉は、己の立場も顧みずに、父帝を真正面から罵った。
「燎琉、黙りなさい! この者の罪は、皇子に対する叛逆です。その罪をこの者ひとりに止めて、親戚縁者九族に及ぼさぬだけでも、陛下の御温情に感謝すべきです」
「なにが、温情だ……! なにが! 罪なき者にすべての罪をかぶせ、死を賜って終いにしようとするのが、皇帝の温情ですか! それが万民を導く皇帝のすることかっ!」
「っ、口が過ぎるぞ、皇子。――早う、郭瓔偲に毒杯を」
はっきりとした皇帝の命を承けて、近侍官が動いた。瓔偲は後ろ手の縄を解かれ、けれども棒を構えた兵卒に油断なく見張られながら、その手に毒酒の入ったちいさな杯を与えられている。
「瓔偲……!」
燎琉は羽交い絞めにされたまま、必死に相手を呼ばわった。
跪かされたままの瓔偲は、手渡された毒入りの酒杯を、いっそ恭しく両手に戴いている。そのまましばらく動かず、何を思うのか、ただじっと毒杯の中味を見詰めていた。
「……やめろ!」
燎琉は縋るように言う。
「やめろ……呑むな! 呑むんじゃない! たのむから……!」
遮二無二頭を振って、瓔偲に訴えた。
「――殿下」
そのとき、それまで毒杯を見詰めていた瓔偲が、ふと燎琉のほうを見た。しずかな眸に、燎琉ははっと動きを止める。
「殿下。わたしは……」
瓔偲が言いかけたときだった。控えよ、と、母皇后が声高に叫んで瓔偲の発言を咎めた。
「誰が口をきいて良いと言ったか」
鋭い叱責の言葉だったが、しかし、これは父が軽く手を上げて制する。
「かまわぬ。――郭瓔偲、なにか言い残すことがあるか」
皇帝に訊ねられ、瓔偲はそちらへと視線をやった。
「陛下のご厚情に感謝いたします」
事ここに及んでも、実に平静に、官吏然として、丁寧に皇帝に頭を下げて礼を示している。
「わたくしなどが言うまでもないことにはございましょうが、殿下は……燎琉さまは、やさしく、誠実で、素晴らしい御方にございます。きっと後々は陛下の施政を引き継ぎ、この国にさらなる繁栄をもたらされるにちがいない。ですから、陛下、どうかわたくしがこの杯を呷りました暁には、ぜひとも殿下を皇嗣にお据えになることをお考えくださいますよう、僭越とは存じながら、伏してお願い奉ります」
どうか約束を、と、瓔偲はその黒眸を、まるで臆することも怯むこともなく、皇帝と皇后とに真っ直ぐに向けていた。
「あい、わかった」
皇帝がうなずく。
それを聴いた瓔偲は、ふ、と、安堵したように口許を綻ばせた。
それから再び燎琉のほうへと向き直ると、今度はやさしく目を眇めた。
「殿下」
「っ、瓔偲……」
燎琉は眉を寄せる。くちびるを噛んで、声を詰まらせる。
瓔偲はただしずかに、すこしだけせつなげに、燎琉に微笑みかけてきた。
「そんな表情をなさらないでください、殿下。そう、殿下も昨日、おっしゃっていたではありませんか。わたしを咬まねばよかった、と……ごもっともだと、思いました。急にこんな者とつがってしまい、あまつさえ、妃にせよとまで命じられて……けれども、わたしがこの杯を干せば、それですべては、元の通りですから」
瓔偲が微笑みながら紡ぐ言葉に、燎琉は目を瞠った。
ちがう、そうじゃない、と、声にならない声で言って、必死に頭を振る。
たしかに昨日、燎琉は、瓔偲を咬まねばよかった、と、そう言った。でもそれは決して、いま瓔偲が言うような意味ではなかったのだ。
瓔偲を邪魔者だと思ったのではない。望まぬつがいを持ってしまったと、己の不運を嘆いたのではない。そうではなくて、理性を以て己を止めることができずに瓔偲を咬んで、国官としての彼の未来を閉ざしてしまった我が行為を、どうしても悔いずにはいられなかった。それだけだ。
それは瓔偲を疎んだがゆえの発言ではなかった。
むしろ、彼をひとりの人間として尊重し、たいせつに思うがゆえの、後悔だった。
瓔偲の願いを、瓔偲の望む在り方を、最後の最後の一線で踏み躙ってしまったのが己の行為だというその事実が、燎琉にはつらくてならなかった。ただそれだけで、邪魔だなんて、思うはずもない。
「それに、今朝も……わたしの存在が無意識に殿下を惑わせてしまうのを快く思わないから、薬を呑んだか、わざわざお確かめになったのでしょう? でも、私がこの世から消えれば、憂いは永遠になくなります。もう二度と、殿下のお心を煩わせることはありません」
「ちがう、瓔偲……ちがうんだ……!」
燎琉は絞り出すように、苦しげに呻く。
それもまた、そんなつもりではなかった。誘われるようにくちづけてしまったのは、事実かもしれない。けれども、そのことを厭だなどと思いはしなかった。心の底から湧き出すように滾滾とあふれる想いに戸惑いこそすれ、あたたかくゆたかに己の身体を満たしていくその想いを手放してしまいたいだなどと、燎琉は、決して望んではいない。
ほんとうは、かなうことなら、瓔偲を自分の傍らから離したくはない。ずっと傍で、言葉を交わし、微笑み合って、そうやって、もっともっとふたりで時を紡いでいければいいと思っている――……ああ、そうだ。今日、仕事を終えて椒桂殿に帰ったら、瓔偲にそう告げるはずだった。
それなのにどうしてこんなことになっているのだろうか。
燎琉は、己の不甲斐なさへの悔いや理不尽への憤り、瓔偲の在り方へのかなしみやせつなさ、そういったものの一切が綯い交ぜになった感情に、うつむいて、ぐぅ、と、唸った。眉をしかめる。昂った感情に、目の奥が、じん、と、熱かった。
そんな燎琉とはうらはらに、瓔偲は、にこ、と、清潔で静謐な笑みを口許に浮かべた。
「殿下はお優しかった、とても……わたしのような者にも、しかも、突然押し付けられたにもかかわらず、何の衒いも隔てもなく、やさしさをくださいました。もったいないほどに……だから」
瓔偲はわずかに目を伏せ、白い顔をうつくしく笑ませる。
ふわ、と、やさしい白百合の香が漂った気がした。
「だから、わたしは……殿下で、よかったな、と」
「瓔偲……?」
「ほんのわずかのご縁でしたけれども、わたしのつがいが殿下で、よかった。身の程を弁えよとお怒りを買うかもしれませんが、でも、いま心から、そう思うのです……死んでもいい、と」
え、と、息を呑んで、燎琉は瓔偲をまじまじと見詰めた。
瓔偲はどこまでも透明に澄んだ、清らかな微笑を浮かべている。すべてを諦め、けれども、どこか満ち足りたような、透きとおった陽射しのごときほほえみだ。
「死んでもいいと、おもうのです。あなたさまの、ためなら。それが殿下の御為になるのなら、わたしは……」
そこで言葉を紡ぐことを已めた瓔偲は、ただそっと燎琉に視線を送った。
それから手に持った杯に視線を落とし、はた、はたり、と、ゆっくりと二度ほど瞬く。
「やめろ……!」
燎琉は瓔偲に向かって喉から絞り出すような声を上げ、かつ、自分を押さえつける士卒の手を再び振りほどこうとする。
「やめてくれ……!」
押さえ込まれて、動作もままならぬまま、瓔偲を見据えて乞うよう言う。瓔偲はまだじっと毒の入った酒杯に視線を注いでいたが、すこしだけ顔を上げると、ごくゆっくりと、どこまでもていねいに、燎琉に頭を下げてみせた。
「殿下に御礼と……お別れを」
声は、静かだ。
どこまでも、静かだ――……いっそ、かなしいほどに。
頭が下がるのに合わせ、瓔偲の艶やかな黒髪が肩からこぼれる。その髪を飾っているのは、燎琉が彼に贈った簪だった。覗いた白い項には、彼と燎琉との絆の証である咬傷があるはずだ。
それなのに彼は、いま、燎琉のもとを去っていこうとしている――……もう二度と、手の届かないところにまで。
いっそ官吏然として凛として見える瓔偲の姿に、燎琉は息を詰まらせた。
「どうか殿下は、ふさわしい御方と結ばれ、皇太子におなりになってくださいませ……そして、国に繁栄と、民に安寧を。――殿下のお幸せと万歳とを、心より、お祈りいたします」
言い終るや否や、瓔偲は躊躇いなく杯に口をつけた。
瀟洒な酒杯を両手に掲げるようにして、そのまま一気に呷ってしまう。
白い喉が、こくり、と、嚥下のかたちに動いた。時の流れがそこだけ遅くなったかのような光景を、燎琉はただ、言葉にならぬ絶望とともに、見詰めていることしかできない。
一瞬のような、永遠のような静寂が蟠った。
瓔偲が杯を取り落とす。床に落ちたそれ、カン、と、甲高い音を立てて転がった。かと思うと、瓔偲の細い身体がぐらりと傾ぐ。
とさ、と、その身が地に倒れ伏す音は、いっそ呆気ないほどのかそけさだった。目の前の光景には、まるで現実味がない――……否、現だと、信じたくない。
「瓔、偲……」
燎琉はつぶやいた。ようやく兵卒の手がほどけた途端、転ぶように瓔偲に駆け寄っている。
「瓔偲……瓔偲! 返事をしろ!」
すでに力なく地に倒れ伏した相手を抱き起こし、燎琉は必死で呼びかける。
だが、答えはなかった。ただ、胸に抱いた瓔偲の口許から、つう、と、赫い血が一筋こぼれている。
燎琉は暗然消魂となる。目の前が真闇に塗り潰されたかのように真っ暗だった。
16
あなたにおすすめの小説
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
番解除した僕等の末路【完結済・短編】
藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。
番になって数日後、「番解除」された事を悟った。
「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。
けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
前世が飼い猫だったので、今世もちゃんと飼って下さい
夜鳥すぱり
BL
黒猫のニャリスは、騎士のラクロア(20)の家の飼い猫。とってもとっても、飼い主のラクロアのことが大好きで、いつも一緒に過ごしていました。ある寒い日、メイドが何か怪しげな液体をラクロアが飲むワインへ入れています。ニャリスは、ラクロアに飲まないように訴えるが……
◆いつもハート、エール、しおりをありがとうございます。冒頭暗いのに耐えて読んでくれてありがとうございました。いつもながら感謝です。
◆お友達の花々緒(https://x.com/cacaotic)さんが、表紙絵描いて下さりました。可愛いニャリスと、悩ましげなラクロア様。
◆これもいつか続きを書きたいです、猫の日にちょっとだけ続きを書いたのだけど、また直して投稿します。
「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。
キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ!
あらすじ
「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」
貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。
冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。
彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。
「旦那様は俺に無関心」
そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。
バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!?
「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」
怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。
えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの?
実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった!
「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」
「過保護すぎて冒険になりません!!」
Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。
すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。
悪役令息(Ω)に転生したので、破滅を避けてスローライフを目指します。だけどなぜか最強騎士団長(α)の運命の番に認定され、溺愛ルートに突入!
水凪しおん
BL
貧乏男爵家の三男リヒトには秘密があった。
それは、自分が乙女ゲームの「悪役令息」であり、現代日本から転生してきたという記憶だ。
家は没落寸前、自身の立場は断罪エンドへまっしぐら。
そんな破滅フラグを回避するため、前世の知識を活かして領地改革に奮闘するリヒトだったが、彼が生まれ持った「Ω」という性は、否応なく運命の渦へと彼を巻き込んでいく。
ある夜会で出会ったのは、氷のように冷徹で、王国最強と謳われる騎士団長のカイ。
誰もが恐れるαの彼に、なぜかリヒトは興味を持たれてしまう。
「関わってはいけない」――そう思えば思うほど、抗いがたいフェロモンと、カイの不器用な優しさがリヒトの心を揺さぶる。
これは、運命に翻弄される悪役令息が、最強騎士団長の激重な愛に包まれ、やがて国をも動かす存在へと成り上がっていく、甘くて刺激的な溺愛ラブストーリー。
死に戻り騎士は、今こそ駆け落ち王子を護ります!
時雨
BL
「駆け落ちの供をしてほしい」
すべては真面目な王子エリアスの、この一言から始まった。
王子に”国を捨てても一緒になりたい人がいる”と打ち明けられた、護衛騎士ランベルト。
発表されたばかりの公爵家令嬢との婚約はなんだったのか!?混乱する騎士の気持ちなど関係ない。
国境へ向かう二人を追う影……騎士ランベルトは追手の剣に倒れた。
後悔と共に途切れた騎士の意識は、死亡した時から三年も前の騎士団の寮で目覚める。
――二人に追手を放った犯人は、一体誰だったのか?
容疑者が浮かんでは消える。そもそも犯人が三年先まで何もしてこない保証はない。
怪しいのは、王位を争う第一王子?裏切られた公爵令嬢?…正体不明の駆け落ち相手?
今度こそ王子エリアスを護るため、過去の記憶よりも積極的に王子に関わるランベルト。
急に距離を縮める騎士を、はじめは警戒するエリアス。ランベルトの昔と変わらぬ態度に、徐々にその警戒も解けていって…?
過去にない行動で変わっていく事象。動き出す影。
ランベルトは今度こそエリアスを護りきれるのか!?
負けず嫌いで頑固で堅実、第二王子(年下) × 面倒見の良い、気の長い一途騎士(年上)のお話です。
-------------------------------------------------------------------
主人公は頑な、王子も頑固なので、ゆるい気持ちで見守っていただけると幸いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる