フィライン・エデン Ⅱ

夜市彼乃

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6.新最司官編

30最司官、来訪 後編

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 テーブルに置いたそれを目にして、美雷はわずかに目を見開いた。
「どげんしたと?」
「いいえ、とっても可愛いから、つい。雷奈ちゃんも小さいわね。ご両親も美男美女で、三日月家は全員、容姿端麗なのね。みんな、名前は何というの?」
「まず、こっちの小っこいのが妹。船の『帆』の字を書いて、雷帆らいほったい」
 年中か年長くらいの幼い雷帆には、どことなく現在の彼女の面影があった。はしっこそうで、やんちゃそうな雰囲気。このころから剣道をしていたらしいことを考えると、活発な印象を与えるのもさもありなんである。
「こっちが二つ上の姉貴で、夢中の『夢』で雷夢らいむ。今は高校生ったい」
 雷帆とは対照的に、おとなしそうないでたちだ。雷帆もそうだったが、雷奈とは違い、富士額ではない。それでも、髪や目の色が同じ三姉妹は、よく似ていた。
「ちなみに、母さんは雷志らいしで、親父は優雅の雅に音と書いて、雅音まさと。親父ったら、こんな時でも仏頂面で……」
 雷奈たちの白い肌や明るい茶色の髪、目の原点たる母親・雷志。若い、というより幼い印象の顔立ちと、小さな身長のせいで、下手をすれば未成年にも見えてしまう。その隣に立つ男性・雅音は、長身、切れ長の大人びた目つき、黒髪と、雷志とは対照的なパーツでそろえられている。二点、色が白いところと、容貌が整っているところが共通箇所だ。
 雷志の特徴的な富士額を受け継いだ雷奈は母親似、そうでない雷帆と雷夢、とりわけ背の高い雷夢は父親似だ。そこまで考えて、氷架璃と芽華実は、夏にこの写真をルシルとコウに見せた時、全く反対の意見が飛び出したのを思い出した。すなわち、彼らは、雷奈は父親似だと言ったのだ。
(確か、私たち人間と、ルシルやコウで意見が食い違ったんだよな。そういえば、この件、アワとフーには聞いてなかったっけ。いや、それより、今は美雷の意見を聞きたいかな……)
 氷架璃はちらちらと琥珀色の少女を見ながら、黙って彼女の言葉を待っていたが、出てきた感想は期待を裏切った。
「お父さんは、『雷』の字は入っていないのね」
「私たちの名前は母さんからとったとよ。ってか、母さんも親父も『雷』の字入っとったら、どんだけ運命的な出会いと?」
「あら、確かにそうね」
 口元に指をあて、今気づいたようにぱちぱちと瞬きをする。あの美雷が、思いがけずすっとんきょうなことを言うので、氷架璃たちは拍子抜けした。
 いっそこちらから聞いてみようか、と氷架璃が身を乗り出した時、一緒になって写真をのぞいていた芽華実が、ふと手を打った。
「そうだわ、前に言ってた、お姉さんたちのところへ雷華が頼みごとしに行ってるって、結局何のことだったの?」
「ああ、あれ、まだ言っとらんかったね」
 雷奈の視線を受け、雷華が無表情のまま説明した。
「雷夢と雷帆には、母・雷志の遺品を整理するよう頼んだのだ。雷志亡き後、彼女の私物はすべて二人が引き取ったそうなのだが、中身はあまりよく見ていなかったらしい。だが、少なくとも東京にいたころのものも混ざっているのは確かだ。ゆえに、その中にあるかもしれぬのだ。元・選ばれし人間たる彼女の娘である私と雷奈が、選ばれておらぬのにもかかわらず、フィライン・エデンを認識する謎。そして、雷奈が猫力に覚醒した謎。その手掛かりが、な」
 芽華実が息をのんで、指先だけで小さく拍手した。氷架璃もうなずきながら、一方でパートナーに毒を吐く。
「あんたたちより進んでるんじゃない?」
「面目ない……」
「却下されることは承知の上だった。なにせ、彼女らにとっては思い出すのもおぞましい過去だからな。しかし、二人は快諾してくれた。少しでも役に立つのであれば、とな」
「フィライン・エデンとしても助かるわ。もし雷志さんがカギを握っているなら」
 しばらく写真に見とれていた美雷が、顔を上げてほほ笑んだ。
「ご遺品は、どれくらいあるのかしら。時間がかかりそう?」
「そうやね。二人とも、学校生活の合間にしてくれるわけやし、量も多いし、半年から一年は見てほしか」
「だいぶかかりそうだね。でも、よく引き取れたね、そんな大荷物」
「ええ、だって二人も、親戚の家にお世話になっているわけでしょう? 置く場所があったの?」
「あったとして、よく置いてもらえたね」
 アワとフーの言葉を聞いた雷奈は、ゆるゆると両手を振った。
「ああ、違うとよ。家には置いてないらしくて、トランクルームば借りとるって」
「トランクルーム……って、ちょっと待て! 何年保存してんだ、それ!?」
「私が小四のときからやけん、五年……いや、一年ループしたけん、六年くらい?」
「費用やばくね!?」
「まあ、月額二万くらい……」
 月額二万が六年続くとどれほどになるか、計算するのは難くない。ポーカーフェイスの雷華と、何が楽しいのかずっとにこにこしている美雷を除く全員が、さーっと顔色を失った。
「あのさ……そっちのほうが親戚の人に負担なんじゃ……」
「え、んーと、家の人には出してもらってなくて、姉貴と雷帆が出しとるっていうか……」
「は!?」
「遺産食いつぶすことにはなるけど、まだ余裕はあるって言っとった……かな、あはは」
 乾いた笑いは、何のごまかしにもなっていない。
 大して着飾るわけでもない、素朴な見た目と中身。氷架璃や芽華実と同じようなものを食べ、同じような価値観を持ち、私服は少しばかりいいものを着ているようだが、高値のブランドものには興味なさげ。
 だが、彼女はまぎれもなく――。
「あんた……もしかして、かなりのお嬢だった?」
「母方の祖父母がそれなりの資産家で、うち自体もまあまあ……はい」
 気恥ずかしそうに頭をかく雷奈。「言うつもりなかったんだけどなー」と斜を向いてぼやいた。
「いやいや、あんた、雷華のこと驚いてられないじゃん……」
「私自身が稼いどるわけやなかけん。所詮、姉貴から毎月仕送りもらっとるだけったい」
「でも、かなりもらっているのよね?」
「まあ、おばさんとおじさんが、皇に行かせてくれるくらいには……」
 皇学園は私立校だ。いくら我が子のようにかわいがっているとはいえ、居候の雷奈を小学校から私立に通わせてくれているのは、雷夢からの仕送りで学費の半分をまかなえているおかげである。
「私の経済状況の話なんてよかとよ。今は遺品整理の話。雷帆はともかく、姉貴はフィライン・エデンに一度も関わっとらんのに、協力してくれたとね。さすがったい。……あ、雷帆はともかくっていうのは、どういう意味かっていうと……」
 雷奈は、去年の夏の騒動について知らないであろう美雷に、事のあらましを説明した。一部始終を聞いた美雷は、頬に手を当てて、小さくため息を漏らした。
「かなり人間が巻き込まれているみたいね……。そもそも、人間界でも時間のループが起きている時点で、巻き込まれすぎよね。あ、気づいた? 今日からまた去年になっちゃったこと」
「うん、気づいたばい。ネット見ても、テレビ見ても、当たり前みたいに去年の日付で認識しとるね。……身長測ったら……伸びた分の一センチ縮んどったし……」
「あーっ、雷奈も!? 私もなんだよ~。朝、キラに会ったら、『霞冴っち、ちょっと縮んだ?』って言われてさ~」
「ばってん、大丈夫! ほかのひとも縮んどるはずやけんね!」
「そうだよね!」
 傷の舐め合いをする低身長二人に同情の目を向けつつ、氷架璃は雷華に問いかけた。
「で、お姉様と妹ぎみは、何かわかったら連絡してくれるって?」
「うむ、そのように約束してくれた」
「そうか。……ところで、あんたも雷奈と似たような身長だけど、気にしてないのか?」
「身長の高低と私の人格や能力は一切関係しない。人間、中身が重要であるからな」
「今、雷奈のやつ霞冴と話し込んでるから、そのうちにあんたの爪の垢を煎じて雷奈のコップに入れちまえ」
「聞こえとるよ!?」
 雷奈の反応速度と氷架璃の目を白黒させる様子に、アワとフーがふきだした。美雷もくすくすと声をたてて笑う。
「面白い人たちね。アワ君とフーちゃんも、こんな愉快な人たちがパートナーで幸せね」
「どんなパートナーだろうと、ボクたちを受け入れてくれたなら幸せだよ」
「あら、そのとおりね。お見それいたしましたわ。……そろそろ時間ね。霞冴ちゃん、帰りましょうか」
 美雷は音もたてずに立ち上がり、霞冴を伴って部屋の出入り口へと向かった。帰りは自分の足で歩こうかしら、といって、人間姿のまま縁側に出る。
「鳥居のあたりまで送っていくばい」
「お気遣いありがとう。でも、どうぞお構いなく。またお邪魔させてもらうわね」
「放課後でよければ」
 春休みももう終わりだ。そんな時期だろう。外の空気はこんなにも暖かく、花も色鮮やかに咲き誇っているのだから。今日、学校でとりおこなわれているであろう入学式は、さぞ新生活の幕開けとしてふさわしいものとなっているに違いない。
「そうね、その時間を予定して、またアポイントメントをとらせていただくわ。それじゃ、今日は失礼するわね」
 最後まで朗色を崩すことなく、ふわりとお辞儀すると、美雷は部屋を後にしようとして、
「あ……そうそう」
 縁側の端で振り返る。後をついていっていた霞冴が、不思議そうな顔で立ち止まった。「大したことじゃないんだけど」と前置きし、琥珀色の瞳が雷奈に焦点を合わせる。
「雷奈ちゃん、身長はあまり気にしなくても大丈夫よ。時間がループしている間は、伸びないかもしれないけれど、いつか繰り返しを抜け出て、一直線の未来に行けたなら、きっとそれなりにスラッとすると思うわ」
「え……そう? ありがと。ばってん、母さんが大人になってもあの身長じゃ、期待できなか……」
「いいえ、大丈夫よ。だって」
 逆光になった美雷の顔はわずかに陰っていて、そのせいか、年齢以上の妖艶さが垣間見えた。達観したような大人びた笑みを浮かべて、彼女は一言、言い置いていく。
「――雷奈ちゃん、お父さん似だもの」

***

 その日の午後、再び情報管理局長や学院長と会っていた美雷は、帰ってくると、霞冴の副最高司令官の地位が正式に認められたことを、隊員たちに報告した。とはいえ、総司令部室に隣接している最高司令官の私室は一人部屋なので、霞冴は平隊員の一室に退くしかない。美雷が来てから、もともとそうしていたため、特に異論はないのだが、美雷はどこか申し訳なさそうだ。
「なんだか気の毒ね。霞冴ちゃんは平隊員じゃないのに」
「いいですよ、最高司令官の部屋は一つしかないんですから。トップかそうじゃないかで考えましょう」
 夕食後、美雷の手伝いのために、霞冴は総司令部室を訪れていた。作業は終わったが、暇乞いの立ち話をしている。ほかの隊員はおらず、美雷と二人きりだ。だからか、彼女はさらっとこんなことまで言う。
「今までずっとあそこで過ごしていたのに、急に質素な部屋になって、落ち着かないでしょう? かわいそうに」
「そ、そんなに質素じゃないですよ、平隊員の部屋も。……まあ、ベッドのふかふか具合が比べ物にならないですけど……」
 寝心地が割と気に入っていた霞冴が、ごにょごにょと未練を口にしていると、美雷が隣の部屋を指さして言った。
「じゃあ、ベッド、私のと交換する?」
「え!? いやいや、別にそこまで……」
「なんなら、一緒に寝る?」
「は、はい!?」
 真っ赤になる霞冴に、美雷は「冗談よ」と肩をすくめる。からかわれた、と気づいた霞冴は、一層赤くなって、「失礼します!」と踵を返した。
 総司令部室を出ていこうとするアリスブルーの後ろ姿に、優しい声が投げかけられた。
「ベッドを交換する案は、冗談じゃないからね」
「……」
「一緒に希兵隊を動かしていく、一番近しい同僚だもの。何か不便があったら、いつでも相談してちょうだい」
「……はい」
 振り向くことなく、後ろ手に扉を閉める。表情を見られたくなかったからなのだが、思わず緩んだ頬に手を添えたのは、ばっちり見られてしまっただろう。
 新しく割り当てられた部屋を目指して、廊下を歩きながら、霞冴は何の気なしに美雷のことを考えていた。
(なんか……やっぱり謎だらけだし、たまーに物騒なこと言うけど……ちょっと抜けてるし、礼儀正しいし、悪い人じゃなさそうだよね。アワやフー、雷奈たちも、結局、心を許してるみたいに見えたし。っていうか、ベッドのことまで気遣ってくれるなんて。あれは偽善じみた優しさじゃ言い出せない言葉だよ。現に、私、ベッドのことも、いつでも相談してって言ってくれたことも、にやけちゃうくらいすっごく嬉しかったもん……)
 かといって、添い寝を提案するのはどうかと思うが。家族じゃあるまいし。
(……家族、ね……)
 しぼんでいく笑顔。親切心に触れてほかほかと温まっていた心が、少しずつ冷えていくのをじかに感じながら、霞冴は自室の扉を開いた。
 左に机とクローゼット、右にベッドと小さなチェスト。どれもやや年季が入っているし、部屋自体も大きくはないのだが、文句を垂れるような劣悪な環境ではない。セーラー服は継続させてもらっているのだ。私室くらい、下積み時代に戻ってもいいだろう。
 出入り口と反対側の壁の中央に設けられた窓に歩み寄る。とっぷり日が暮れた宵の空、少し低い位置に、三日月が浮かんでいた。靄がかかって霞んだ朧月。春の風物詩だ。
 霧猫の力をもってすれば、実際の霧や靄もはらえる。だが、さすがに月をぼかす靄をはらいきることは難しいだろう。それに、今はあの美しい月までもが霧で霞んでいることに、この分不相応な親近感を覚えていたい。
 シャワーを浴びる前に、もう少しだけ。
 あの月が輝きを取り戻すころには、この胸の曇りも晴れていることを願って、霞冴は静かな夜空を見上げていた。
 ――一方、そのころ。
 同じ月を見上げる人物が、もう一人。
「…………」
 時尼美雷は、総司令部室の窓枠越しに、空に浮かぶ天体を見つめていた。
 他でもない、総司令部室の窓越しに。そう、ここは希兵隊の総司令部室なのだ。
「……希兵隊。今、私が頂点に立つ場所……」
 透明感のある琥珀色の瞳を、ゆっくりと瞬く。視線は、やせた月から一度たりとも離すことなく。
「みんなには、ついてきてもらわなきゃ。私がここへ来た理由のために。私の目的のために――」
 ゆっくりと、左手を持ちあげる。開けた窓から吹き込む冷たい風を正面から受けながら、春月へ向けて腕を伸ばし、人差し指と中指を立てて矛の形を作る。
 本人はそのような質ではないのだが、その仕草は、まるでまじないか願掛けのよう。
 彼女は、霞に覆われた、遠く遠くに浮かぶ光に指先を突きつけ、
「――三日月を討つ、そのために」
 刹那のうちに一閃、その細い胴を斬った。
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