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9.過去編
45一期一会と頬の色 ②
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***
一条ユウガ。
年若い女性でありながら、たたずまいと気概は下手な男性よりも凛々しく猛々しい、水月道場の三代目師範。子供好きの彼女が継いだ少年少女対象の道場で、きっかけも目標も様々な弟子たちは、剣を通して二つの体術を教わった。
一つは、跳躍力を応用した高速移動。重心の動かし方と力の入れ方、あるいは抜き方を繊細にコントロールして、ひと蹴りで素早く長距離を駆ける。慣れないと事故を起こす可能性もある弾趾の前段階にと、あえて手動的なやり方が子供達に教えられていた。
もう一つは、力学的エネルギースマッシュと命名された剣技。弟子たちの間では、名前はイマイチ、威力はピカイチとささやかれるその技は、様々な力仕事に応用できる体術だ。子供のうちからそのような体の使い方を覚えておけ、との理念のもと、これも卒業までに教え込まれる。
他の門下生が二つを携えて卒業していく一方、時尼霞冴が彼女に授けられた技は全部で三つ。一挙動での高速移動と、力学的エネルギースマッシュと、そして――。
――お前に教えることはもうない。その奥義を継承すべく道場を継ぐもよし、新たに開くもよし。奥義を極めた経験を芯として別の道を歩むもよし。あるいは……それを存分にふるって誰かを守る道へ進むもよし。これを……鏡刀一流を身につける過程で学んだ理念を、信条を忘れない限り、全てはお前の自由だ。
自分と同じ両利きの女師範に初めてそう言わしめした霞冴は、その当時は鏡刀一流の精神のみを胸にしまっておくつもりだった。希兵隊を目指していたとはいえ、志望するは総司令部であり、前線で戦う役職ではなかったからだ。
再び両手に剣を握ることを考えたのは、白銅色の少年とプライドをかけた一戦を交えようという時だった。
霞冴は迷った。選抜戦の開催が決まった時から本番直前まで、実に迷った。
護衛官としての資質を見極めてもらうならば、本当の実力を発揮する必要がある。木刀一本では、霞冴の力量の全てを語り尽くすことはできない。そう思いながらも、霞冴が迷ったのは、永遠が一本で勝負に臨むからだった。申告すれば、実戦よろしく両手に持たせてもらえるかもしれない。だが、それはアンフェアだと、そう思って申し出の言葉を飲み込んだのだった。
結局、互いに木刀一本で手合わせし、正々堂々と勝負した結果、霞冴は負けた。無論、はらわたがよじれるほど悔しかったが、公平性を優先したことについては、自身の判断を後悔してはいなかった。
そして、今。霞冴は再び迷った。宮希の言いつけを守って、取れるはずの永遠の刀を手に取らず、潔くダークの餌食になるか。それとも、契りを破り、反撃を選ぶか。
けれど、この時迷ったのは、ほんの一瞬だった。約束に縛られて霞冴が戦闘不能になり、もはや戦える余地のない宮希を死なせるようなことがあれば、絶対に後悔するから。死んでも死に切れないほど後悔するから。
だから、彼女はためらいを粉みじんに吹き飛ばして、左手で永遠の手から刀を抜き取った。右手首を絆す触手を斬り裂き、そちらで自身の得物も抜いた。両刀で同時に胴と首から伸びる触手を切断、右でクロを、左で足の拘束を斬ったところで、もう一体のクロが炎を放ってきたので、右の剣でそれをかき消し、間髪入れず左の剣で元凶を滅した。その隙を狙った鎌鼬が宮希を狙ったのを、自ら盾となり、全て的確に防いで見せた。一振りなら叶わなかっただろうが、両手剣なら造作もなかった。
そして、霞冴は涙を流しながらも心中を吐き出し、信念を貫き、己の誇りに誓いを立てるように叫んだ。
「茄谷宮希に仇なす者は……私が相手だッ!」
勇ましい吶喊から一秒、利き腕という概念に縛られない二つの白刃が閃く。
先に犠牲になったのは霧のクロ。避ける間も鳴く暇もなく斬り上げられ、厄介なステルス要員は一瞬で絶命した。
一流の剣士はここで気を切らない。逆袈裟で上がった刀身についていくように、体ごと斜めひねりに宙を舞い、着地時の足のばねでもう一体のクロに肉薄、左の剣を袈裟切りに斬り下ろす。直前、クロは霞冴の左後方へと逃れ、一閃は三角耳のぎりぎりをかすめて風切り音だけを残した。しかし、その九死に一生も束の間、風のクロは無慈悲に追ってきた右からの水平切りに散る。
霞冴の剣術では、動きの勢いを殺さず、身を任せることが流儀とされる。反時計回りの慣性に抗わず一回転したところで、笑い声のようで雄たけびのような響きが耳朶を打った。残されたダークが、頭の付け根あたりの両脇から触手を生み出す。霞冴を左右からはさみ打つように走ってくる二本の触手を、霞冴は鋭く前方に跳んでかわした。そのまま、果敢にダークの方へと一直線に突き進む。
大きな敵に接近することに、もはや何の恐れも感じなくなっていた。低層棟でも一階でも、非戦闘要員がゆえの場慣れのなさにより、多からずともひるむところがあったのだ。
だが、それも先の宣戦布告とともに投げ捨てた。永遠は戦えない。宮希も戦えない。自分が戦わなければ二人とも救えない。その使命感が胸の奥を焚きつけ、生まれた熱が体の末端まで巡って、手足を神経が焼き切れるまで間断なく動かす。
ダークへ猛進する霞冴を、触手は左右後方からゴムが収縮するがごとき速さで追ってくる。それを流し目で一瞥すると、霞冴はダークのすぐ前で思い切り跳躍し、床を遥か眼下のものにした。空中で避けるすべのなくなった獲物に歓喜するように、触手は両脇から滑らかに伸びあがる。ちょうどダークの眼前で跳躍力と重力加速度が拮抗し、上昇が緩やかになった霞冴を黒い腕がとらえる寸前。
「――ふッ!」
腕を交差させて身を縮めた姿勢から、鋭い呼気と同時に胸を開き、両の剣を外向きに振り抜いた。広げられた翼のごとき左右の白銀は、迫る黒き狼藉者をあっさりと斬り捨て、後にまばゆい残像と暗色の霧を残した。
それを目の前で見ていたダークの口の前に、源子が集まりだす。ダークにも個性があるというが、これはよほど血気盛んなタイプらしく、激昂しているように見えた。牙ののぞく赤い口元に集まった源子は、硬い木片の形になり、霞冴の顔面目掛けて勢いよく飛んできた。瞬時に両の刃で防ぐ。力を分散させるため、両刀を交差させずに受け止めた霞冴は、勢いに押し負けて後方へと吹き飛ばされた。
ここで宙返りして着地するのがルシルや永遠だが、そこまでの技術を持たない霞冴は、速度も相まって体勢を立て直し損ね、仰向けに叩きつけられた。背中で生まれた衝撃が肺や内臓まで揺るがし、呼吸が詰まる。
その隙を狙うのは、切断された触手の切り口から生えた鋭い木の根だ。触手と同じ太さから先端を細らせた根は、霞冴を見下ろす位置に伸びると、鋭い先を腹に向けてぴたりと止まった。不気味に静止した鋭利な凶器は、次の瞬間、恐ろしい速度で垂直に突き下ろされた。空気を切り裂いて迫った切っ先が腹を串刺しにする直前、左に転がりよけるが、右の脇腹を灼熱の痛みが襲った。執行着をも貫く威力が脇腹を浅くえぐったが、同じ仕打ちをはらわたに受けるよりは何百倍もマシだ。
熱を放つ傷口に反して臓腑が底冷えするのを感じながら、霞冴は空振って床に突き刺さった木の根の側面に左の刀を突き刺した。そこに体重をかけ、刀を軸にして飛び起きる。図らずも霞冴が持ち直すのに貢献した木の根は、刀身を抜かれた後、用済みとばかりに右からの一閃で斬り捨てられた。
憤懣やるかたない様子のダークは、瞳の形は正円のまま、そこから放たれる殺気を増した。それを弾き返す鋭い眼光をくれてやると、霞冴は一瞬だけ腰を落とし、強い一蹴りで滑空するかのごとく駆けた。
ダークの口元に再び源子が集まると、今度は深緑の葉の群れへと化した。一つ一つが刃のように鋭く硬い木の葉は、一斉に霞冴を返り討ちにしようと攻め寄せる。その一番槍が霞冴の胸を穿つ寸前で、彼女は大きく左に飛びよけた。臨戦状態でたぎる熱が思考の回転をも急加速させ、この瞬葉という術の特性から、後方の状況を即座に叩き出した。形状が葉である以上、初速度がどうであれ飛距離はそう遠くない。宮希に届くまでに速度を失うだろうから、ここでは回避が正解――その判断は過たない。
すかさず第二波が迫りくるが、着地のその足で今度は右へ飛び移る。一枚だけ頬をかすめ、白磁の肌に赤い線を引いた。
かわす度に新たに襲い来る葉の嵐。時にアリスブルーの毛先を散らされ、時に執行着に裂け目を作られながら、稲妻の軌跡でダークに再接近した。攻撃を中断し、ダークがゆっくりと見下ろしてくる。
そこから先の連続攻撃は、考えて放つまでもなく軌道としてすでに見えていた。頭からつま先、腹の底から胸の奥まで、時尼霞冴といえる全ての部分が熱を帯び、これから始まる反撃の初手となる右上への跳躍を喝采する。
飛び上がりながら、右の刀での左下からの斜め斬り上げ。振り抜く間に左の剣先を漆黒の喉元に中ほどまで突き刺すと、重力が働く前に右の刀を呼び戻した。それを素早く左の刀身に重ねると、峰に鎬を滑らせて鋭く突きこむ。
氷を削るような白い音を立てて相方の峰を走る右の刀が、もう一か所へと突き立つ。霞冴は息を吸い込むと同時に上がる胸郭と肩の動きをそのまま両腕に伝えた。
「――ッてあぁぁっ!」
空気を切り裂く絶叫とともに、二振りを同時に斜め下へ斬り払う。ズバアァッ、と音を立ててクロス型に裂けた傷口から、大量の黒い霧が噴出した。ダークが苦悶の咆哮をあげる。予見していた軌道の終点まで到達すると、霞冴は確かな手ごたえを感じながら着地した。
刀一振りでも猫術の応用でも実現できない、変幻自在の戦闘スタイル。まるで切り離された二つの個体のように両手を縦横無尽に操り、刀二振りで一足す一以上の戦闘力を発揮する彼女を、永遠を引きずって後方へ退避した宮希はまばたきすら忘れて呆然と見ていた。霞冴が高らかに名乗りを上げる中で発せられたひとひらの言葉が、宮希の胸の中を激しく揺さぶる。
(鏡刀一流……だと……!?)
聞き違いではない。彼女は、確かにそう言った。
(水月道場の名は知っている。つかさも通っていたところだ。あいつから師範のひととなりも聞いていた。だが、その師範がまさか鏡刀一流開祖の……希兵隊の初代剣術指南役の後継者だったとは……!)
現在でこそ、クロやダーク、時にチエアリとの戦歴を蓄積・分析して編み出された、希兵隊の剣術手本のようなものがある。しかし、結成されたはるか昔、無論、剣術の教えを乞う師が必要だった。一度に教授される流儀の方針を一つに絞るするため、全国に点在する剣術道場の師範、師範代から厳選に厳選を重ね、指南役は一人に絞られた。
そうして選ばれた唯一。当時のフィライン・エデンで最も優秀と評価された剣士。それが、小太刀を使わず、鏡写しのように両手に打ち刀を携える鏡刀一流の創始者だった。
それも何十年も前の話で、今はその流派からだいぶ離れた独自の戦術を採っているため、執行部員ですらその原形を作った指南役や彼の奥義の名を知る者はほぼいない。宮希は先代の最高司令官から、「聡い君には教養を」と伝えられたから知っているだけだ。まして、鏡刀一流を伝授された者などいない。歴代の希兵隊員の中でただの一人もいなかったというのに。
(あいつは……時尼は……)
胸が名も知れぬ熱を帯びる。それを服の上からぎゅっと押さえ、宮希はさらに一太刀、もう一太刀と敢闘する少女を見つめた。
普段のんびりとしていて、時に鈍くさい小さな青い魚にとって、刀とはすなわち水だったのだろう。希兵隊でなかったら、執行部でも護衛官でもなかったら、そうでなくともこのような状況でなかったなら、生かす機会もなかった剣士という顔。ややもすればただの習い事で終わるかもしれなかったその才能は今、誰かを守りたいという天にも届くほどの熱烈な思いを、一歩の遅れも取らずに叶えようとしていた。
体中に裂け目を作り、自らの源を噴き出させるダークの一メートル手前で、幾つもの連続技を浴びせた霞冴が再び着地した。たった一人で対峙する彼女は、息を乱し、度重なるダメージに耐えかねた執行着の下に血をにじませていた。大きく息をつき、とどめにかかろうと刀を構えた時だ。
背中から伸ばしてきたのだろう、ダークの後ろから回り込んでくるように現れた触手が、霞冴の左腹部を激しく打ち据えた。
「うぐぅっ……!」
「時尼!」
大きく飛ばされ、床を転がる霞冴。刀を両方とも離さなかったのは、もはや執念だ。倒れた霞冴に追い打ちをかけるように、四方の床から植物のつるが伸びあがった。人の腕ほどの太さを持つ四本のつるは、次の瞬間、ジャキッ、と表面に無数の鋭い針を生やした。金属の針ではない。栗やサボテンに見られるような、あくまでも植物が変化したものだ。しかし、その危険性は言を俟たない。まして、それが鞭のように振るわれるとあれば。
霞冴は刀を握ったまま手首をついて体を起こし、立ち上がった。だが、左腹の痛みはまだ治まらず、そちらの腕を動かすと、激痛とともに脇腹をかばう位置までバネのごとく戻ってしまう。左の刀を振るうことなど到底できない。
「はぁ、はぁ……っく」
「時尼……」
「大丈夫……見てて」
きっと見回す霞冴の視線を挑発ととったか、針山のようなつるは一斉に中心の彼女を襲った。神経を研ぎ澄ませて、わずかな時間差で最初に到達するつるを見極める。――正面前方だ。
上向けた刃で勢いよく垂直に斬り上げると、頭上の空中を切りながら切っ先を後方へ。次は左前方。背後に下ろした腕を、速度を落とさず縦の円を描く形で前方へと回し、左からの二本目を逆袈裟に斬った。
足の動きで体の向きを変えると、右方と後方から首と胴を狙ったつるが迫った。体への到達時間は、おそらくほぼ同時。霞冴は呼吸すら惜しんでその一瞬に集中力を注いだ。
全てはほんの一刹那。斬り上げた姿勢のままの刀を斜めに振り下ろして、首を狙う高さの凶器を斬り落とす。同時、左わき腹で固定を余儀なくされた手首のスナップで、持っている刀を小さく浮かせる。その峰が、斬撃の勢いで地へと向かう右の刀を鋭く弾き上げ、キィンッと甲高い金属音とともにV字の残像。斜め上を目指す間に返された刃が、胴体を穿とうと迫る最後の一本を、わずかな引っ掛かりもなく切断した。
四本の刺客はまたたく間に消滅した。鮮やかな太刀筋――かどうかさえも分からないほどの早業。それに圧倒されていた宮希は、突如自分にかかった陰に戦慄した。振り仰ぐと、頭上高くに一メートル足らずの丸太が出現していた。動かない獲物を先に仕留めようとする知恵くらいは、ダークも備えている。
「宮希ッ!」
幸いなことに彼が視界に入る向きで残心をとっていた霞冴も、それに気づいた。源子で構成された丸太が自由落下を始めると同時に床を蹴る。永遠を引きずって回避しようとする宮希に、霞冴は一気に距離を詰めながら叫んだ。
「動かないで!」
ハッと動きを止める宮希の目前で足をつくと、すぐさま上へ跳躍。丸太とのすれ違いざま、その断面に左の刀を刃を上にして突き刺し、幹を右の峰で打ち上げた。刺さった刀ごと、半円を描いて跳ね上げる。霞冴の後方へと回った丸太は、床距離にして両腕分の距離、宮希から離れた。瞠目する宮希の安全を確認すると、霞冴は空中で刀を引き抜き、丸太の落下とともに着地。すでに左腹の痛みが治まっていることに今さらながら気づきつつ、終幕へ向けて駆けだした。
度重なるダメージにより、もう二メートルほどまで縮んだダークは、是が非でも霞冴を近づかせまいと猛撃に出た。つるを伸ばし、木の根を生やし、硬い葉を飛ばす。
しかし、霞冴も譲るわけにはいかなかった。疲弊を訴える体を、興奮状態の神経に任せて酷使し、行く手を阻む植物たちを次から次へと斬り捨てていく。
右へ跳んで斬り上げ、体をひねって薙ぎ斬り、三日月を描いて回し斬り、突き進みながら斬り払う。その中で、二振りの剣はどんどん重さと速度を増していった。一太刀目の勢いを殺さず二撃目に乗せ、抵抗は最小限に三手目に重ねる。
踊るように美しく紫電を閃かせながら、その刀身に殺傷力を蓄えていく。黒い袂と淡色の髪を翻して惜しみなく演じられる、観せるためではなく殺すための剣の舞。もはや斬る対象さえなくとも止めるわけにはいかない白刃で空を斬り続ける舞踏も、残り三歩でフィナーレだ。
一歩、もう一歩、そして最後の一歩――そこで懐に入った瞬間、美しさは苛烈さへと色を変える。
ちょうど両刀とも真っすぐに振り上げられた姿勢は計算ずく。物理法則に迎合してためこんだ速さと重さの主導権を奪い取ると、霞冴はその力の積を、二閃の斬撃の形に変えて解き放った。
「――ったあああぁぁッ!」
三角の両耳から斬りこんだ刀は、怪物の体を深く深く裂きながら進んでいった。蓄積された力を余すことなく乗せた刀は、ついにダークの足元までを斬り裂ききる。二メートルの距離を縦断し終えてなお勢いの衰えない剣先は、バスッと音を立てて床に食い込んでようやく止まった。
一刀両断ならぬ二刀三断にされたダークは、もう声をあげることもなかった。ただ揺らめき、切り口からボロボロと崩れ、やがて霧となって空気中に消えていくのみだった。
霞冴は大きく肩を上下させて、いまだ冷めない余熱を輩出するかのように何度も荒い呼吸を繰り返した。心臓は破れんばかりに激しく脈打ち、闘争一色に染め上がっていた脳内はその標的を失って無色へとなり果てる。
勝った――その事実を認めても、体中に安堵が行きわたるまでには時間がかかった。ゆっくり、わずかずつ呼吸が落ち着いていくにつれて、荒れ狂う闘志も勢いを鎮めていく。頭の中も徐々に平常モードへ戻り、全身を駆け巡る血液の温度さえ下がっていく気がする。
最後に一度だけ、大きく深呼吸すると、霞冴は右の刀を素早く翻し、静かに鞘に納めた。同時に、蓋をかぶせられたロウソクのように、くすぶっていた残り火もふっとかき消えた。
一つ吸って、一つ吐いて。そして、ゆっくりと振り返ると、永遠のそばに膝をついた宮希と目が合った。
「宮希、ケガはない?」
「……ああ」
ひどく落ち着き払った様子で、彼は頷いた。霞冴はひとまず胸をなでおろすと、諦念に食い尽くされつつもわずかに残った希望で問いかける。
「……永遠は……」
歩み寄る霞冴に、宮希は静かに首を振った。覚悟していたとはいえ、もう変えようのない事実に、しゃがみこんだ霞冴は目からあふれ出すものを止めることができなかった。
憎たらしかった。けれど、初めてできた後輩だった。なかなか新入隊員の入らなかった総司令部の、唯一の後輩だったのに――。
「永遠……永遠ぁ……ごめんね、助けてあげられなくて……私、先輩だったのに……弱くても鈍くさくても、先輩だったのにぃ……っ」
左の刀を床に転がしたまま、両手で涙をぬぐって泣きじゃくる霞冴。彼女を黙って見つめていた宮希は、ふいにあごを引いた。
「……すまない、時尼」
「え……」
「オレ……本当は、永遠が……こうなっていること、もっと前から気付いていたんだ」
一条ユウガ。
年若い女性でありながら、たたずまいと気概は下手な男性よりも凛々しく猛々しい、水月道場の三代目師範。子供好きの彼女が継いだ少年少女対象の道場で、きっかけも目標も様々な弟子たちは、剣を通して二つの体術を教わった。
一つは、跳躍力を応用した高速移動。重心の動かし方と力の入れ方、あるいは抜き方を繊細にコントロールして、ひと蹴りで素早く長距離を駆ける。慣れないと事故を起こす可能性もある弾趾の前段階にと、あえて手動的なやり方が子供達に教えられていた。
もう一つは、力学的エネルギースマッシュと命名された剣技。弟子たちの間では、名前はイマイチ、威力はピカイチとささやかれるその技は、様々な力仕事に応用できる体術だ。子供のうちからそのような体の使い方を覚えておけ、との理念のもと、これも卒業までに教え込まれる。
他の門下生が二つを携えて卒業していく一方、時尼霞冴が彼女に授けられた技は全部で三つ。一挙動での高速移動と、力学的エネルギースマッシュと、そして――。
――お前に教えることはもうない。その奥義を継承すべく道場を継ぐもよし、新たに開くもよし。奥義を極めた経験を芯として別の道を歩むもよし。あるいは……それを存分にふるって誰かを守る道へ進むもよし。これを……鏡刀一流を身につける過程で学んだ理念を、信条を忘れない限り、全てはお前の自由だ。
自分と同じ両利きの女師範に初めてそう言わしめした霞冴は、その当時は鏡刀一流の精神のみを胸にしまっておくつもりだった。希兵隊を目指していたとはいえ、志望するは総司令部であり、前線で戦う役職ではなかったからだ。
再び両手に剣を握ることを考えたのは、白銅色の少年とプライドをかけた一戦を交えようという時だった。
霞冴は迷った。選抜戦の開催が決まった時から本番直前まで、実に迷った。
護衛官としての資質を見極めてもらうならば、本当の実力を発揮する必要がある。木刀一本では、霞冴の力量の全てを語り尽くすことはできない。そう思いながらも、霞冴が迷ったのは、永遠が一本で勝負に臨むからだった。申告すれば、実戦よろしく両手に持たせてもらえるかもしれない。だが、それはアンフェアだと、そう思って申し出の言葉を飲み込んだのだった。
結局、互いに木刀一本で手合わせし、正々堂々と勝負した結果、霞冴は負けた。無論、はらわたがよじれるほど悔しかったが、公平性を優先したことについては、自身の判断を後悔してはいなかった。
そして、今。霞冴は再び迷った。宮希の言いつけを守って、取れるはずの永遠の刀を手に取らず、潔くダークの餌食になるか。それとも、契りを破り、反撃を選ぶか。
けれど、この時迷ったのは、ほんの一瞬だった。約束に縛られて霞冴が戦闘不能になり、もはや戦える余地のない宮希を死なせるようなことがあれば、絶対に後悔するから。死んでも死に切れないほど後悔するから。
だから、彼女はためらいを粉みじんに吹き飛ばして、左手で永遠の手から刀を抜き取った。右手首を絆す触手を斬り裂き、そちらで自身の得物も抜いた。両刀で同時に胴と首から伸びる触手を切断、右でクロを、左で足の拘束を斬ったところで、もう一体のクロが炎を放ってきたので、右の剣でそれをかき消し、間髪入れず左の剣で元凶を滅した。その隙を狙った鎌鼬が宮希を狙ったのを、自ら盾となり、全て的確に防いで見せた。一振りなら叶わなかっただろうが、両手剣なら造作もなかった。
そして、霞冴は涙を流しながらも心中を吐き出し、信念を貫き、己の誇りに誓いを立てるように叫んだ。
「茄谷宮希に仇なす者は……私が相手だッ!」
勇ましい吶喊から一秒、利き腕という概念に縛られない二つの白刃が閃く。
先に犠牲になったのは霧のクロ。避ける間も鳴く暇もなく斬り上げられ、厄介なステルス要員は一瞬で絶命した。
一流の剣士はここで気を切らない。逆袈裟で上がった刀身についていくように、体ごと斜めひねりに宙を舞い、着地時の足のばねでもう一体のクロに肉薄、左の剣を袈裟切りに斬り下ろす。直前、クロは霞冴の左後方へと逃れ、一閃は三角耳のぎりぎりをかすめて風切り音だけを残した。しかし、その九死に一生も束の間、風のクロは無慈悲に追ってきた右からの水平切りに散る。
霞冴の剣術では、動きの勢いを殺さず、身を任せることが流儀とされる。反時計回りの慣性に抗わず一回転したところで、笑い声のようで雄たけびのような響きが耳朶を打った。残されたダークが、頭の付け根あたりの両脇から触手を生み出す。霞冴を左右からはさみ打つように走ってくる二本の触手を、霞冴は鋭く前方に跳んでかわした。そのまま、果敢にダークの方へと一直線に突き進む。
大きな敵に接近することに、もはや何の恐れも感じなくなっていた。低層棟でも一階でも、非戦闘要員がゆえの場慣れのなさにより、多からずともひるむところがあったのだ。
だが、それも先の宣戦布告とともに投げ捨てた。永遠は戦えない。宮希も戦えない。自分が戦わなければ二人とも救えない。その使命感が胸の奥を焚きつけ、生まれた熱が体の末端まで巡って、手足を神経が焼き切れるまで間断なく動かす。
ダークへ猛進する霞冴を、触手は左右後方からゴムが収縮するがごとき速さで追ってくる。それを流し目で一瞥すると、霞冴はダークのすぐ前で思い切り跳躍し、床を遥か眼下のものにした。空中で避けるすべのなくなった獲物に歓喜するように、触手は両脇から滑らかに伸びあがる。ちょうどダークの眼前で跳躍力と重力加速度が拮抗し、上昇が緩やかになった霞冴を黒い腕がとらえる寸前。
「――ふッ!」
腕を交差させて身を縮めた姿勢から、鋭い呼気と同時に胸を開き、両の剣を外向きに振り抜いた。広げられた翼のごとき左右の白銀は、迫る黒き狼藉者をあっさりと斬り捨て、後にまばゆい残像と暗色の霧を残した。
それを目の前で見ていたダークの口の前に、源子が集まりだす。ダークにも個性があるというが、これはよほど血気盛んなタイプらしく、激昂しているように見えた。牙ののぞく赤い口元に集まった源子は、硬い木片の形になり、霞冴の顔面目掛けて勢いよく飛んできた。瞬時に両の刃で防ぐ。力を分散させるため、両刀を交差させずに受け止めた霞冴は、勢いに押し負けて後方へと吹き飛ばされた。
ここで宙返りして着地するのがルシルや永遠だが、そこまでの技術を持たない霞冴は、速度も相まって体勢を立て直し損ね、仰向けに叩きつけられた。背中で生まれた衝撃が肺や内臓まで揺るがし、呼吸が詰まる。
その隙を狙うのは、切断された触手の切り口から生えた鋭い木の根だ。触手と同じ太さから先端を細らせた根は、霞冴を見下ろす位置に伸びると、鋭い先を腹に向けてぴたりと止まった。不気味に静止した鋭利な凶器は、次の瞬間、恐ろしい速度で垂直に突き下ろされた。空気を切り裂いて迫った切っ先が腹を串刺しにする直前、左に転がりよけるが、右の脇腹を灼熱の痛みが襲った。執行着をも貫く威力が脇腹を浅くえぐったが、同じ仕打ちをはらわたに受けるよりは何百倍もマシだ。
熱を放つ傷口に反して臓腑が底冷えするのを感じながら、霞冴は空振って床に突き刺さった木の根の側面に左の刀を突き刺した。そこに体重をかけ、刀を軸にして飛び起きる。図らずも霞冴が持ち直すのに貢献した木の根は、刀身を抜かれた後、用済みとばかりに右からの一閃で斬り捨てられた。
憤懣やるかたない様子のダークは、瞳の形は正円のまま、そこから放たれる殺気を増した。それを弾き返す鋭い眼光をくれてやると、霞冴は一瞬だけ腰を落とし、強い一蹴りで滑空するかのごとく駆けた。
ダークの口元に再び源子が集まると、今度は深緑の葉の群れへと化した。一つ一つが刃のように鋭く硬い木の葉は、一斉に霞冴を返り討ちにしようと攻め寄せる。その一番槍が霞冴の胸を穿つ寸前で、彼女は大きく左に飛びよけた。臨戦状態でたぎる熱が思考の回転をも急加速させ、この瞬葉という術の特性から、後方の状況を即座に叩き出した。形状が葉である以上、初速度がどうであれ飛距離はそう遠くない。宮希に届くまでに速度を失うだろうから、ここでは回避が正解――その判断は過たない。
すかさず第二波が迫りくるが、着地のその足で今度は右へ飛び移る。一枚だけ頬をかすめ、白磁の肌に赤い線を引いた。
かわす度に新たに襲い来る葉の嵐。時にアリスブルーの毛先を散らされ、時に執行着に裂け目を作られながら、稲妻の軌跡でダークに再接近した。攻撃を中断し、ダークがゆっくりと見下ろしてくる。
そこから先の連続攻撃は、考えて放つまでもなく軌道としてすでに見えていた。頭からつま先、腹の底から胸の奥まで、時尼霞冴といえる全ての部分が熱を帯び、これから始まる反撃の初手となる右上への跳躍を喝采する。
飛び上がりながら、右の刀での左下からの斜め斬り上げ。振り抜く間に左の剣先を漆黒の喉元に中ほどまで突き刺すと、重力が働く前に右の刀を呼び戻した。それを素早く左の刀身に重ねると、峰に鎬を滑らせて鋭く突きこむ。
氷を削るような白い音を立てて相方の峰を走る右の刀が、もう一か所へと突き立つ。霞冴は息を吸い込むと同時に上がる胸郭と肩の動きをそのまま両腕に伝えた。
「――ッてあぁぁっ!」
空気を切り裂く絶叫とともに、二振りを同時に斜め下へ斬り払う。ズバアァッ、と音を立ててクロス型に裂けた傷口から、大量の黒い霧が噴出した。ダークが苦悶の咆哮をあげる。予見していた軌道の終点まで到達すると、霞冴は確かな手ごたえを感じながら着地した。
刀一振りでも猫術の応用でも実現できない、変幻自在の戦闘スタイル。まるで切り離された二つの個体のように両手を縦横無尽に操り、刀二振りで一足す一以上の戦闘力を発揮する彼女を、永遠を引きずって後方へ退避した宮希はまばたきすら忘れて呆然と見ていた。霞冴が高らかに名乗りを上げる中で発せられたひとひらの言葉が、宮希の胸の中を激しく揺さぶる。
(鏡刀一流……だと……!?)
聞き違いではない。彼女は、確かにそう言った。
(水月道場の名は知っている。つかさも通っていたところだ。あいつから師範のひととなりも聞いていた。だが、その師範がまさか鏡刀一流開祖の……希兵隊の初代剣術指南役の後継者だったとは……!)
現在でこそ、クロやダーク、時にチエアリとの戦歴を蓄積・分析して編み出された、希兵隊の剣術手本のようなものがある。しかし、結成されたはるか昔、無論、剣術の教えを乞う師が必要だった。一度に教授される流儀の方針を一つに絞るするため、全国に点在する剣術道場の師範、師範代から厳選に厳選を重ね、指南役は一人に絞られた。
そうして選ばれた唯一。当時のフィライン・エデンで最も優秀と評価された剣士。それが、小太刀を使わず、鏡写しのように両手に打ち刀を携える鏡刀一流の創始者だった。
それも何十年も前の話で、今はその流派からだいぶ離れた独自の戦術を採っているため、執行部員ですらその原形を作った指南役や彼の奥義の名を知る者はほぼいない。宮希は先代の最高司令官から、「聡い君には教養を」と伝えられたから知っているだけだ。まして、鏡刀一流を伝授された者などいない。歴代の希兵隊員の中でただの一人もいなかったというのに。
(あいつは……時尼は……)
胸が名も知れぬ熱を帯びる。それを服の上からぎゅっと押さえ、宮希はさらに一太刀、もう一太刀と敢闘する少女を見つめた。
普段のんびりとしていて、時に鈍くさい小さな青い魚にとって、刀とはすなわち水だったのだろう。希兵隊でなかったら、執行部でも護衛官でもなかったら、そうでなくともこのような状況でなかったなら、生かす機会もなかった剣士という顔。ややもすればただの習い事で終わるかもしれなかったその才能は今、誰かを守りたいという天にも届くほどの熱烈な思いを、一歩の遅れも取らずに叶えようとしていた。
体中に裂け目を作り、自らの源を噴き出させるダークの一メートル手前で、幾つもの連続技を浴びせた霞冴が再び着地した。たった一人で対峙する彼女は、息を乱し、度重なるダメージに耐えかねた執行着の下に血をにじませていた。大きく息をつき、とどめにかかろうと刀を構えた時だ。
背中から伸ばしてきたのだろう、ダークの後ろから回り込んでくるように現れた触手が、霞冴の左腹部を激しく打ち据えた。
「うぐぅっ……!」
「時尼!」
大きく飛ばされ、床を転がる霞冴。刀を両方とも離さなかったのは、もはや執念だ。倒れた霞冴に追い打ちをかけるように、四方の床から植物のつるが伸びあがった。人の腕ほどの太さを持つ四本のつるは、次の瞬間、ジャキッ、と表面に無数の鋭い針を生やした。金属の針ではない。栗やサボテンに見られるような、あくまでも植物が変化したものだ。しかし、その危険性は言を俟たない。まして、それが鞭のように振るわれるとあれば。
霞冴は刀を握ったまま手首をついて体を起こし、立ち上がった。だが、左腹の痛みはまだ治まらず、そちらの腕を動かすと、激痛とともに脇腹をかばう位置までバネのごとく戻ってしまう。左の刀を振るうことなど到底できない。
「はぁ、はぁ……っく」
「時尼……」
「大丈夫……見てて」
きっと見回す霞冴の視線を挑発ととったか、針山のようなつるは一斉に中心の彼女を襲った。神経を研ぎ澄ませて、わずかな時間差で最初に到達するつるを見極める。――正面前方だ。
上向けた刃で勢いよく垂直に斬り上げると、頭上の空中を切りながら切っ先を後方へ。次は左前方。背後に下ろした腕を、速度を落とさず縦の円を描く形で前方へと回し、左からの二本目を逆袈裟に斬った。
足の動きで体の向きを変えると、右方と後方から首と胴を狙ったつるが迫った。体への到達時間は、おそらくほぼ同時。霞冴は呼吸すら惜しんでその一瞬に集中力を注いだ。
全てはほんの一刹那。斬り上げた姿勢のままの刀を斜めに振り下ろして、首を狙う高さの凶器を斬り落とす。同時、左わき腹で固定を余儀なくされた手首のスナップで、持っている刀を小さく浮かせる。その峰が、斬撃の勢いで地へと向かう右の刀を鋭く弾き上げ、キィンッと甲高い金属音とともにV字の残像。斜め上を目指す間に返された刃が、胴体を穿とうと迫る最後の一本を、わずかな引っ掛かりもなく切断した。
四本の刺客はまたたく間に消滅した。鮮やかな太刀筋――かどうかさえも分からないほどの早業。それに圧倒されていた宮希は、突如自分にかかった陰に戦慄した。振り仰ぐと、頭上高くに一メートル足らずの丸太が出現していた。動かない獲物を先に仕留めようとする知恵くらいは、ダークも備えている。
「宮希ッ!」
幸いなことに彼が視界に入る向きで残心をとっていた霞冴も、それに気づいた。源子で構成された丸太が自由落下を始めると同時に床を蹴る。永遠を引きずって回避しようとする宮希に、霞冴は一気に距離を詰めながら叫んだ。
「動かないで!」
ハッと動きを止める宮希の目前で足をつくと、すぐさま上へ跳躍。丸太とのすれ違いざま、その断面に左の刀を刃を上にして突き刺し、幹を右の峰で打ち上げた。刺さった刀ごと、半円を描いて跳ね上げる。霞冴の後方へと回った丸太は、床距離にして両腕分の距離、宮希から離れた。瞠目する宮希の安全を確認すると、霞冴は空中で刀を引き抜き、丸太の落下とともに着地。すでに左腹の痛みが治まっていることに今さらながら気づきつつ、終幕へ向けて駆けだした。
度重なるダメージにより、もう二メートルほどまで縮んだダークは、是が非でも霞冴を近づかせまいと猛撃に出た。つるを伸ばし、木の根を生やし、硬い葉を飛ばす。
しかし、霞冴も譲るわけにはいかなかった。疲弊を訴える体を、興奮状態の神経に任せて酷使し、行く手を阻む植物たちを次から次へと斬り捨てていく。
右へ跳んで斬り上げ、体をひねって薙ぎ斬り、三日月を描いて回し斬り、突き進みながら斬り払う。その中で、二振りの剣はどんどん重さと速度を増していった。一太刀目の勢いを殺さず二撃目に乗せ、抵抗は最小限に三手目に重ねる。
踊るように美しく紫電を閃かせながら、その刀身に殺傷力を蓄えていく。黒い袂と淡色の髪を翻して惜しみなく演じられる、観せるためではなく殺すための剣の舞。もはや斬る対象さえなくとも止めるわけにはいかない白刃で空を斬り続ける舞踏も、残り三歩でフィナーレだ。
一歩、もう一歩、そして最後の一歩――そこで懐に入った瞬間、美しさは苛烈さへと色を変える。
ちょうど両刀とも真っすぐに振り上げられた姿勢は計算ずく。物理法則に迎合してためこんだ速さと重さの主導権を奪い取ると、霞冴はその力の積を、二閃の斬撃の形に変えて解き放った。
「――ったあああぁぁッ!」
三角の両耳から斬りこんだ刀は、怪物の体を深く深く裂きながら進んでいった。蓄積された力を余すことなく乗せた刀は、ついにダークの足元までを斬り裂ききる。二メートルの距離を縦断し終えてなお勢いの衰えない剣先は、バスッと音を立てて床に食い込んでようやく止まった。
一刀両断ならぬ二刀三断にされたダークは、もう声をあげることもなかった。ただ揺らめき、切り口からボロボロと崩れ、やがて霧となって空気中に消えていくのみだった。
霞冴は大きく肩を上下させて、いまだ冷めない余熱を輩出するかのように何度も荒い呼吸を繰り返した。心臓は破れんばかりに激しく脈打ち、闘争一色に染め上がっていた脳内はその標的を失って無色へとなり果てる。
勝った――その事実を認めても、体中に安堵が行きわたるまでには時間がかかった。ゆっくり、わずかずつ呼吸が落ち着いていくにつれて、荒れ狂う闘志も勢いを鎮めていく。頭の中も徐々に平常モードへ戻り、全身を駆け巡る血液の温度さえ下がっていく気がする。
最後に一度だけ、大きく深呼吸すると、霞冴は右の刀を素早く翻し、静かに鞘に納めた。同時に、蓋をかぶせられたロウソクのように、くすぶっていた残り火もふっとかき消えた。
一つ吸って、一つ吐いて。そして、ゆっくりと振り返ると、永遠のそばに膝をついた宮希と目が合った。
「宮希、ケガはない?」
「……ああ」
ひどく落ち着き払った様子で、彼は頷いた。霞冴はひとまず胸をなでおろすと、諦念に食い尽くされつつもわずかに残った希望で問いかける。
「……永遠は……」
歩み寄る霞冴に、宮希は静かに首を振った。覚悟していたとはいえ、もう変えようのない事実に、しゃがみこんだ霞冴は目からあふれ出すものを止めることができなかった。
憎たらしかった。けれど、初めてできた後輩だった。なかなか新入隊員の入らなかった総司令部の、唯一の後輩だったのに――。
「永遠……永遠ぁ……ごめんね、助けてあげられなくて……私、先輩だったのに……弱くても鈍くさくても、先輩だったのにぃ……っ」
左の刀を床に転がしたまま、両手で涙をぬぐって泣きじゃくる霞冴。彼女を黙って見つめていた宮希は、ふいにあごを引いた。
「……すまない、時尼」
「え……」
「オレ……本当は、永遠が……こうなっていること、もっと前から気付いていたんだ」
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∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
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※御都合主義がそこかしに顔出しします。設定が掌ドリルにならないように気を付けていますが、もし大ボケしてたらお許しください。
※誤字脱字等々、標準てんこ盛り搭載となっている作者です。気づけば適宜修正等していきます…御迷惑おかけしますが、お許しください。
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