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9.過去編
45一期一会と頬の色 ③
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息をのむ霞冴に、宮希は胸に手を当てて見せた。
「一階で最後にダークを倒した後、気付いた。オレが服の下に仕込んできた、永遠が作ったマフラーの……金属の冷たさが、なくなっていたんだ。源子で構成した物質は、術者の死後、源子に返る。その法則にのっとれば、冷感がなくなったのは、金属部分がなくなってただの布になったからで……それは、永遠の死を反映していたんだ」
ダークを滅した後、宮希は胸に手を置いて青ざめていた。何でもない――そう言って多くを語らなかった彼に見えていたのは、信じようもない事実だった。
「で、でも、そのあとのチエアリは……チエアリの中には、永遠の鉱毒があったんでしょ? 術者が死んだら、その毒だって消えていたはずじゃ……」
「毒を生み出す元は消えても、そこから出た毒素は消えない。……あれは、永遠の渾身の置き土産だったんだ」
胸元をぎゅっと握り、宮希はさらに数センチ頭を垂れた。
「すまん、時尼……オレは知っていながら、それを伝えようとはしなかった。伝えたら最後、お前は嘆き、進めなくなってしまうかもしれなかったから。だから言わなかった……のは、本当だが、ただの言い訳だろう。遅かれ早かれ分かることだったしな。……本当にすまなかった」
あの宮希が、頭を下げた。いつだって胸を張って、目線かあごでひとを使うような彼が。
きっと、彼にとってその隠し事は毒のように重苦しいものだったのだろう。永遠の生を信じ続ける霞冴の希望を突き崩さないため、罪悪感という毒を飲み下して吐き出さないよう、固く口を閉ざしていた。こんな時でさえ、彼は自分を犠牲にしてまで不器用に優しい。
「宮希が謝ることじゃないよ……むしろ、私のほうこそごめん。私が絶望しないように、傷つかないように……そのためにつらいこと……独りで……っ」
「……勘違いするな、お前のためじゃない。……お前が進めなくなったら業務に支障が出るからな」
「そんな嘘いらないよ……バカ宮希……」
霞冴はぐいっと拳で目元をぬぐった。このままでは、彼が懸念したとおりになってしまう。霞冴は進まなければならない。膝を折っている場合でも、剣を転がしておいている場合でもないのだ。
彼女は紅潮したままの頬で無理やり微笑んで、永遠の長い前髪を撫でた。
「永遠、一人で頑張ったね……ありがとう。私、言われたとおり、ちゃんと宮希を守ったよ。この先も、最後まで守り切るから。だから、安心して休んでね」
言い終わるころには、また新たな涙があふれていた。声を詰まらせる霞冴に代わって、今度は宮希が最後の言葉をかけた。
「すまない、オレが一人で行かせたばかりに……。やはり、あの時止めるべきだった。完全にオレの判断ミスだ。もう償いようもないが……お前が鉱毒を盛ってくれたおかげで、チエアリを倒すことができたことへの礼は言わせてくれ。ありがとう、永遠。必ずこの侵攻を終わらせて、飛壇に連れて帰ってやるからな」
宮希はそう言って、深く低頭した。しばらく、二人とも黙って仲間を悼む時間があった。
先に顔を上げたのは宮希だった。
「……そろそろ、動かないとな」
「うん……。その前に、麒麟隊を呼ぼう? 宮希、やっぱり回復してもらったほうがいいよ」
「そう、だな……お前もだいぶ負傷しているしな。永遠も連れて出てもらえたらいいな」
宮希はピッチを取り出すと、手早く外の麒麟隊につないだ。運良く、全員待機場所にそろっているようだ。
そして、伝える。霞冴のケガの具合、自分の容体、そして――永遠の状態を。
通信を終えると、宮希は霞冴に、壁際で休もうと提案した。お互い、体を起こしているのもつらい状況だ。
二人は、しばらくの待機時間を壁に背を預けて過ごした。その間、永遠の眠っているような死に顔が嫌でも目に入る。霞冴は意思を振り絞って視線をそむけた。このままでは、本当に士気が下がってしまう。まだチエアリの親玉も倒せていないのに。
「時尼」
声をかけられ、隣を向くと、宮希が片方の膝を立てて座ったまま霞冴のほうを見ていた。
「お前……鏡刀一流の継承者だったのか」
そういえば奥義を駆使して大立ち回りしたのだった、と今さら思い出し、霞冴はうなずいた。
「継承っていうか……修得した、って感じかな。……鏡刀一流を知ってたの?」
「希兵隊の初代剣術指南役が、その開祖だったんだ。継承に困るくらい、扱える者がいない剣技だったようだな。……まさか、お前がそれを会得していたとは」
「うん……ただでさえ両利きの子は珍しいから、ぜひって……師範が特別授業してくれて。あの時は、ただ勧められるままにやっていたところがあったけど……今思えば、本当によかった。おかげで、宮希を守れたから」
もし両刀使いでなければ、一人でダークを倒すことなどできなかっただろう。それさえも奇跡といっていいほどだ。まして、並の戦闘力では勝ち目は薄かった。あの瞬間の判断は正しかった――そう思いかけて、まだそう断じるには早いことに気づく。
「み、宮希」
「何だ」
「怒ってる……?」
「は?」
怪訝そうに頭を傾けた宮希は、早くも霞冴の目に涙がたまっていくのを見てぎょっとした。
「な、何泣いて……」
「だって、私、宮希の言いつけ、破っちゃった……。永遠の刀を勝手に取ってごめんなさい。私……っ」
怒られてもいい。嫌われてもいい。あの時、そう豪語したものの、それを今再び口にできるかといえば、唇が震えてかなわない。出まかせを言ったつもりはないが、それは身を切られるよりつらいことだ。
そのあとをどう紡げばよいかわからず、言葉を探し回る霞冴に、宮希は小さく嘆息した。
「怒ってなどいない」
「え……本当?」
「ああ」
「また気休めの嘘ついてない?」
「ついていない。……言ったろ、あれは刀の持ち主を危険にさらすからダメなのだと。持ち主が抜こうとしたとき、そこに得物がないという事態がまずいのだと。……永遠が刀を抜く可能性なんて……もう、万に一つもなかったんだ」
霞冴の喉が、反射的にぐっと動いた。再び冷たい波が胸の中に押し寄せてきて、ゆっくりとうつむく。
許されたことには安堵した。けれど、理由がそんな残酷な現実なら……いっそ、許されない状況であった方がずっとマシだったと、そう思った。
志半ばで力尽きた後輩を、胸の痛みをこらえてじっと見つめる。
宮希に報いるために己の道を決めた少年。彼がマフラーを手渡した時のセリフからもうかがえる、自らの死後も宮希を守りたいと思う強い信念。
だから、彼は刀を手放さなかったのだ。最期の最期まで、護衛官としての、城鐘永遠としての使命を果たそうとして。
――死んでも宮希を守るために戦いたい。それが、彼の遺志ならば。
「ねえ、宮希。……連れて行ってあげても、いいかな」
宮希は一瞬怪訝そうな顔をしたが、霞冴が触れているものに目をやって、その意味をくみ取った。
「……ああ。一緒に戦ってやってくれ」
「……うん」
霞冴は立ち上がると、永遠の傍らに膝をついた。
「永遠。私に力を貸して。一緒に宮希を守ろう」
そう言って、永遠の腰帯から鞘を抜き取り、手にしていた彼の刀を納めると、自らの右腰に差した。
もうこんな形でしか共闘できないことが、ひどく遺憾だ。せめてきちんと連れ帰って弔ってあげたい――そう考えたところで、霞冴はふと気づいた。
「宮希、麒麟隊……遅くない?」
しばらく待っていたが、足音すらしない。一方通行の道、敵は全滅させてきたのだから、あとは上ってくるだけだというのに。
宮希も眉をひそめた。
「確かに……入る棟を間違えたのか? もう一度連絡してみるか……」
そう言って、ピッチで連絡を取る。戦闘中の可能性は極めて低いので、メールではなく通話にした。こちらへ向かっているはずの麒麟隊副隊長にかけるが、奇妙なことに電話口に出なかった。どうなっている、とつぶやきながら、今度は広場で待機しているであろう隊長にコンタクトしてみる。今度は応答したので、訳を話すと、副隊長は間違いなく北棟へ入って行った、といぶかしげだった。
『少し、様子を見てきますね』
「頼みます」
青年の隊長は宮希に快く返事すると、歩き始めたのか、土を踏む足音をバックにつぶやいた。
『時間的にはちょっと経ってますよねー……今三階ということは、もう着いていてもおかしくないんですが、どうして……ッ!?』
その末尾に尋常ならざるものを感じて、宮希は身を固くした。
「どうしたんです」
『こ、れは……ゲホ、ゲホッ……!』
何かを吸引してしまったかのようにむせる声。スピーカーフォンで音声を共有していた霞冴は、思わず宮希と顔を合わせた。
「な、何? 何があったんですか、隊長っ!?」
『煙が……いや、粉……!? 低層の建物の中……充満……ゴホッ……!」
「どういうことだ、そこにはもう何もいないはず……取り逃がしたというのか……!?」
『し、司令官、天井から紫の粉が……息が……!』
宮希の背筋をぞっと悪寒が走り抜けた。そんなこと、警戒もしなかった。だが、考えてみればありえない話ではない。
この建物は草術でできている。草術には植物由来の毒を使う術がある。ならば、そこに誰もいなくとも――。
「退避だ! 直ちに出てください!」
『む……向こうに、副隊長が倒れて……っ』
「司令官命令です、外へ出てください! 恨み言なら後で聞く、麒麟隊隊長を失うわけにはいきません!」
年上に対する言葉遣いながら、強制力を持った言葉が弾けた。無念の呻きとともに駆け戻る足音、そしてドサリと倒れる音。遠くで残りの一人が隊長を呼ぶ声がマイクに入った。その中の一人が、ピッチを拾う。
『も、もしもしっ』
「すぐにその場を離れろ、風通しのいいところに。今、低層棟には――」
急き込んで言葉を続けようとした宮希。その声を遮ったのは、スピーカー越しの、しかし少女隊員の声とは似ても似つかぬ男の声だった。
『そう……毒が充満しているのだよ。四棟ともな』
宮希も霞冴も、全身総毛だった。聞き覚えのある響き。束の間の平和だったあの夜、宮希に、そしてフィライン・エデンに殺戮を宣言した声。
「チエアリ……!? そこにチエアリが!?」
『い、いえ、ここには。拡声器を通したような声です。出所はわかりません……どの方向からも聞こえるんです』
「塔の中は聞こえないな。だいぶ防音が効いている。しかし、まさかまた、フィライン・エデン中に音声を……!?」
『その通りだよ』
面妖なことに、こちらの声は向こうに届いている。気味が悪くて仕方なかった。
『本来なら君たちが突入した時点で毒をまいてやろうと思っていたのだがね。そうすれば初っ端から全滅で大変無様な姿を拝めたのだが……なかなかどうして、この巨塔の維持はエネルギーを食ってね。毒の生産が追い付かなくて、ようやく放出できたというわけだよ』
「やはり最初から一騎打ちなどする気はなかったな……!」
宮希の語勢が強烈な殺気を帯びる。しかし、今回は宮希の声は拡散されていないようだ。スピーカーからは、チエアリの声しか聞こえない。
『その毒の粉は空気より重いのでね、塔の上まで上がってくることはなかろう。だが、そのまま放っておけば外に漏れ、ここら一帯をひとも住めない不毛の地にするだろうね? やってきた無知の者たちを侵す毒だまりとなるのだ。止めてほしくば……最高司令官よ、隠れていないで出てきたまえ。塔の最上階で私を止めてみたまえよ』
わざわざその言葉を宮希に、また一般のひとびとにも伝える意図は一つだ。すなわち、一騎打ちの約束は反故にしたものの、宮希がチエアリと対峙しなければ地域に被害が及ぶことは変わらない。チエアリは、宮希が来ていることには既に気づいていながら、あたかも来ていないかのようなセリフで、再び住民の不安や不満を自分たちのエネルギーに変えようとしているのだ。
『我々に翻弄される愚かな希兵隊よ、初日の出など待ちくたびれた。もう賽は投げられたのだ。この地を地獄にしたくなければ、その身を犠牲にしてみせたまえ』
声はそこまでだった。音がなるほど奥歯をかみしめた後、宮希は麒麟隊員に問うた。
「……隊長は無事か」
『こ、呼吸はしていますが、意識は……。入り口近くで主体で倒れていた、副隊長と一緒に向かった子を連れて出てきてくれていますが、彼女も同じです。一応、入り口から離れたところにいるんですけど、たぶん時間の問題です……。そ、それよりも、これでは執行部や総司令部の皆さんの治療にうかがうことが……!』
「こうなっては仕方ないだろう。回復なしで進むしか。安全のため、絶対に入ってはこないように。たとえほかの執行部から要請があっても。……副隊長は……」
『分かっています……総倒れするわけにはいきません』
半泣きの麒麟隊員に、短く労わりの言葉で返して、宮希はピッチを切った。念のため、青龍隊、朱雀隊、白虎隊に、低層棟へは戻らないようメッセージを送る。重要性の高い情報だが、下手に音声発信して、もし戦闘中だったらば本末転倒だ。
一連の作業を終えると、宮希はふらりと立ち上がった。たったそれだけで息を切らしているのを見て、霞冴は慌ててその肩を支えた。
「宮希、毒が……」
「まだ大丈夫だ……。時尼こそ、回復なしでいけそうか」
「正直、自信ないけど……でも、行かなきゃ。早くたどり着いて、毒を止めないと、またみんなの負の感情でチエアリが活発化しちゃう」
「その通りだ。言うまでもないが、オレが行ったところで毒を止めはしないだろう。チエアリを殲滅し、この塔を源子に返す。それが唯一絶対の方法だ。……いや、可及的速やかに住民を味方につけるには、オレがここにいることを証明しなければならないな。そのために、もう一手先に打っておこうか」
宮希はそう言って、筐体を手に取った。そして、ある人物に連絡を取り、一つ頼みごとをすると、「行こう」と歩みを再開した。
「一階で最後にダークを倒した後、気付いた。オレが服の下に仕込んできた、永遠が作ったマフラーの……金属の冷たさが、なくなっていたんだ。源子で構成した物質は、術者の死後、源子に返る。その法則にのっとれば、冷感がなくなったのは、金属部分がなくなってただの布になったからで……それは、永遠の死を反映していたんだ」
ダークを滅した後、宮希は胸に手を置いて青ざめていた。何でもない――そう言って多くを語らなかった彼に見えていたのは、信じようもない事実だった。
「で、でも、そのあとのチエアリは……チエアリの中には、永遠の鉱毒があったんでしょ? 術者が死んだら、その毒だって消えていたはずじゃ……」
「毒を生み出す元は消えても、そこから出た毒素は消えない。……あれは、永遠の渾身の置き土産だったんだ」
胸元をぎゅっと握り、宮希はさらに数センチ頭を垂れた。
「すまん、時尼……オレは知っていながら、それを伝えようとはしなかった。伝えたら最後、お前は嘆き、進めなくなってしまうかもしれなかったから。だから言わなかった……のは、本当だが、ただの言い訳だろう。遅かれ早かれ分かることだったしな。……本当にすまなかった」
あの宮希が、頭を下げた。いつだって胸を張って、目線かあごでひとを使うような彼が。
きっと、彼にとってその隠し事は毒のように重苦しいものだったのだろう。永遠の生を信じ続ける霞冴の希望を突き崩さないため、罪悪感という毒を飲み下して吐き出さないよう、固く口を閉ざしていた。こんな時でさえ、彼は自分を犠牲にしてまで不器用に優しい。
「宮希が謝ることじゃないよ……むしろ、私のほうこそごめん。私が絶望しないように、傷つかないように……そのためにつらいこと……独りで……っ」
「……勘違いするな、お前のためじゃない。……お前が進めなくなったら業務に支障が出るからな」
「そんな嘘いらないよ……バカ宮希……」
霞冴はぐいっと拳で目元をぬぐった。このままでは、彼が懸念したとおりになってしまう。霞冴は進まなければならない。膝を折っている場合でも、剣を転がしておいている場合でもないのだ。
彼女は紅潮したままの頬で無理やり微笑んで、永遠の長い前髪を撫でた。
「永遠、一人で頑張ったね……ありがとう。私、言われたとおり、ちゃんと宮希を守ったよ。この先も、最後まで守り切るから。だから、安心して休んでね」
言い終わるころには、また新たな涙があふれていた。声を詰まらせる霞冴に代わって、今度は宮希が最後の言葉をかけた。
「すまない、オレが一人で行かせたばかりに……。やはり、あの時止めるべきだった。完全にオレの判断ミスだ。もう償いようもないが……お前が鉱毒を盛ってくれたおかげで、チエアリを倒すことができたことへの礼は言わせてくれ。ありがとう、永遠。必ずこの侵攻を終わらせて、飛壇に連れて帰ってやるからな」
宮希はそう言って、深く低頭した。しばらく、二人とも黙って仲間を悼む時間があった。
先に顔を上げたのは宮希だった。
「……そろそろ、動かないとな」
「うん……。その前に、麒麟隊を呼ぼう? 宮希、やっぱり回復してもらったほうがいいよ」
「そう、だな……お前もだいぶ負傷しているしな。永遠も連れて出てもらえたらいいな」
宮希はピッチを取り出すと、手早く外の麒麟隊につないだ。運良く、全員待機場所にそろっているようだ。
そして、伝える。霞冴のケガの具合、自分の容体、そして――永遠の状態を。
通信を終えると、宮希は霞冴に、壁際で休もうと提案した。お互い、体を起こしているのもつらい状況だ。
二人は、しばらくの待機時間を壁に背を預けて過ごした。その間、永遠の眠っているような死に顔が嫌でも目に入る。霞冴は意思を振り絞って視線をそむけた。このままでは、本当に士気が下がってしまう。まだチエアリの親玉も倒せていないのに。
「時尼」
声をかけられ、隣を向くと、宮希が片方の膝を立てて座ったまま霞冴のほうを見ていた。
「お前……鏡刀一流の継承者だったのか」
そういえば奥義を駆使して大立ち回りしたのだった、と今さら思い出し、霞冴はうなずいた。
「継承っていうか……修得した、って感じかな。……鏡刀一流を知ってたの?」
「希兵隊の初代剣術指南役が、その開祖だったんだ。継承に困るくらい、扱える者がいない剣技だったようだな。……まさか、お前がそれを会得していたとは」
「うん……ただでさえ両利きの子は珍しいから、ぜひって……師範が特別授業してくれて。あの時は、ただ勧められるままにやっていたところがあったけど……今思えば、本当によかった。おかげで、宮希を守れたから」
もし両刀使いでなければ、一人でダークを倒すことなどできなかっただろう。それさえも奇跡といっていいほどだ。まして、並の戦闘力では勝ち目は薄かった。あの瞬間の判断は正しかった――そう思いかけて、まだそう断じるには早いことに気づく。
「み、宮希」
「何だ」
「怒ってる……?」
「は?」
怪訝そうに頭を傾けた宮希は、早くも霞冴の目に涙がたまっていくのを見てぎょっとした。
「な、何泣いて……」
「だって、私、宮希の言いつけ、破っちゃった……。永遠の刀を勝手に取ってごめんなさい。私……っ」
怒られてもいい。嫌われてもいい。あの時、そう豪語したものの、それを今再び口にできるかといえば、唇が震えてかなわない。出まかせを言ったつもりはないが、それは身を切られるよりつらいことだ。
そのあとをどう紡げばよいかわからず、言葉を探し回る霞冴に、宮希は小さく嘆息した。
「怒ってなどいない」
「え……本当?」
「ああ」
「また気休めの嘘ついてない?」
「ついていない。……言ったろ、あれは刀の持ち主を危険にさらすからダメなのだと。持ち主が抜こうとしたとき、そこに得物がないという事態がまずいのだと。……永遠が刀を抜く可能性なんて……もう、万に一つもなかったんだ」
霞冴の喉が、反射的にぐっと動いた。再び冷たい波が胸の中に押し寄せてきて、ゆっくりとうつむく。
許されたことには安堵した。けれど、理由がそんな残酷な現実なら……いっそ、許されない状況であった方がずっとマシだったと、そう思った。
志半ばで力尽きた後輩を、胸の痛みをこらえてじっと見つめる。
宮希に報いるために己の道を決めた少年。彼がマフラーを手渡した時のセリフからもうかがえる、自らの死後も宮希を守りたいと思う強い信念。
だから、彼は刀を手放さなかったのだ。最期の最期まで、護衛官としての、城鐘永遠としての使命を果たそうとして。
――死んでも宮希を守るために戦いたい。それが、彼の遺志ならば。
「ねえ、宮希。……連れて行ってあげても、いいかな」
宮希は一瞬怪訝そうな顔をしたが、霞冴が触れているものに目をやって、その意味をくみ取った。
「……ああ。一緒に戦ってやってくれ」
「……うん」
霞冴は立ち上がると、永遠の傍らに膝をついた。
「永遠。私に力を貸して。一緒に宮希を守ろう」
そう言って、永遠の腰帯から鞘を抜き取り、手にしていた彼の刀を納めると、自らの右腰に差した。
もうこんな形でしか共闘できないことが、ひどく遺憾だ。せめてきちんと連れ帰って弔ってあげたい――そう考えたところで、霞冴はふと気づいた。
「宮希、麒麟隊……遅くない?」
しばらく待っていたが、足音すらしない。一方通行の道、敵は全滅させてきたのだから、あとは上ってくるだけだというのに。
宮希も眉をひそめた。
「確かに……入る棟を間違えたのか? もう一度連絡してみるか……」
そう言って、ピッチで連絡を取る。戦闘中の可能性は極めて低いので、メールではなく通話にした。こちらへ向かっているはずの麒麟隊副隊長にかけるが、奇妙なことに電話口に出なかった。どうなっている、とつぶやきながら、今度は広場で待機しているであろう隊長にコンタクトしてみる。今度は応答したので、訳を話すと、副隊長は間違いなく北棟へ入って行った、といぶかしげだった。
『少し、様子を見てきますね』
「頼みます」
青年の隊長は宮希に快く返事すると、歩き始めたのか、土を踏む足音をバックにつぶやいた。
『時間的にはちょっと経ってますよねー……今三階ということは、もう着いていてもおかしくないんですが、どうして……ッ!?』
その末尾に尋常ならざるものを感じて、宮希は身を固くした。
「どうしたんです」
『こ、れは……ゲホ、ゲホッ……!』
何かを吸引してしまったかのようにむせる声。スピーカーフォンで音声を共有していた霞冴は、思わず宮希と顔を合わせた。
「な、何? 何があったんですか、隊長っ!?」
『煙が……いや、粉……!? 低層の建物の中……充満……ゴホッ……!」
「どういうことだ、そこにはもう何もいないはず……取り逃がしたというのか……!?」
『し、司令官、天井から紫の粉が……息が……!』
宮希の背筋をぞっと悪寒が走り抜けた。そんなこと、警戒もしなかった。だが、考えてみればありえない話ではない。
この建物は草術でできている。草術には植物由来の毒を使う術がある。ならば、そこに誰もいなくとも――。
「退避だ! 直ちに出てください!」
『む……向こうに、副隊長が倒れて……っ』
「司令官命令です、外へ出てください! 恨み言なら後で聞く、麒麟隊隊長を失うわけにはいきません!」
年上に対する言葉遣いながら、強制力を持った言葉が弾けた。無念の呻きとともに駆け戻る足音、そしてドサリと倒れる音。遠くで残りの一人が隊長を呼ぶ声がマイクに入った。その中の一人が、ピッチを拾う。
『も、もしもしっ』
「すぐにその場を離れろ、風通しのいいところに。今、低層棟には――」
急き込んで言葉を続けようとした宮希。その声を遮ったのは、スピーカー越しの、しかし少女隊員の声とは似ても似つかぬ男の声だった。
『そう……毒が充満しているのだよ。四棟ともな』
宮希も霞冴も、全身総毛だった。聞き覚えのある響き。束の間の平和だったあの夜、宮希に、そしてフィライン・エデンに殺戮を宣言した声。
「チエアリ……!? そこにチエアリが!?」
『い、いえ、ここには。拡声器を通したような声です。出所はわかりません……どの方向からも聞こえるんです』
「塔の中は聞こえないな。だいぶ防音が効いている。しかし、まさかまた、フィライン・エデン中に音声を……!?」
『その通りだよ』
面妖なことに、こちらの声は向こうに届いている。気味が悪くて仕方なかった。
『本来なら君たちが突入した時点で毒をまいてやろうと思っていたのだがね。そうすれば初っ端から全滅で大変無様な姿を拝めたのだが……なかなかどうして、この巨塔の維持はエネルギーを食ってね。毒の生産が追い付かなくて、ようやく放出できたというわけだよ』
「やはり最初から一騎打ちなどする気はなかったな……!」
宮希の語勢が強烈な殺気を帯びる。しかし、今回は宮希の声は拡散されていないようだ。スピーカーからは、チエアリの声しか聞こえない。
『その毒の粉は空気より重いのでね、塔の上まで上がってくることはなかろう。だが、そのまま放っておけば外に漏れ、ここら一帯をひとも住めない不毛の地にするだろうね? やってきた無知の者たちを侵す毒だまりとなるのだ。止めてほしくば……最高司令官よ、隠れていないで出てきたまえ。塔の最上階で私を止めてみたまえよ』
わざわざその言葉を宮希に、また一般のひとびとにも伝える意図は一つだ。すなわち、一騎打ちの約束は反故にしたものの、宮希がチエアリと対峙しなければ地域に被害が及ぶことは変わらない。チエアリは、宮希が来ていることには既に気づいていながら、あたかも来ていないかのようなセリフで、再び住民の不安や不満を自分たちのエネルギーに変えようとしているのだ。
『我々に翻弄される愚かな希兵隊よ、初日の出など待ちくたびれた。もう賽は投げられたのだ。この地を地獄にしたくなければ、その身を犠牲にしてみせたまえ』
声はそこまでだった。音がなるほど奥歯をかみしめた後、宮希は麒麟隊員に問うた。
「……隊長は無事か」
『こ、呼吸はしていますが、意識は……。入り口近くで主体で倒れていた、副隊長と一緒に向かった子を連れて出てきてくれていますが、彼女も同じです。一応、入り口から離れたところにいるんですけど、たぶん時間の問題です……。そ、それよりも、これでは執行部や総司令部の皆さんの治療にうかがうことが……!』
「こうなっては仕方ないだろう。回復なしで進むしか。安全のため、絶対に入ってはこないように。たとえほかの執行部から要請があっても。……副隊長は……」
『分かっています……総倒れするわけにはいきません』
半泣きの麒麟隊員に、短く労わりの言葉で返して、宮希はピッチを切った。念のため、青龍隊、朱雀隊、白虎隊に、低層棟へは戻らないようメッセージを送る。重要性の高い情報だが、下手に音声発信して、もし戦闘中だったらば本末転倒だ。
一連の作業を終えると、宮希はふらりと立ち上がった。たったそれだけで息を切らしているのを見て、霞冴は慌ててその肩を支えた。
「宮希、毒が……」
「まだ大丈夫だ……。時尼こそ、回復なしでいけそうか」
「正直、自信ないけど……でも、行かなきゃ。早くたどり着いて、毒を止めないと、またみんなの負の感情でチエアリが活発化しちゃう」
「その通りだ。言うまでもないが、オレが行ったところで毒を止めはしないだろう。チエアリを殲滅し、この塔を源子に返す。それが唯一絶対の方法だ。……いや、可及的速やかに住民を味方につけるには、オレがここにいることを証明しなければならないな。そのために、もう一手先に打っておこうか」
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