フィライン・エデン Ⅱ

夜市彼乃

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9.過去編

44一蓮托生と今際の科白 ⑤

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***

 クロが洒落にならないいたずらをしてくる低層棟を抜け、トラップだらけの一階を突破して踏み入った塔の二階。灰色の木目をした扇形の部屋で、青龍隊は信じがたい光景に直面していた。
「ケ、ケ、ケ……」
「ケケッ……」
 あっちを見てもダーク、こっちを見てもダーク。およそ、通常の人生で直面することはないだろう数のダークが、大部屋を闊歩していた。
 先頭に立っていたカヅチが感想を一言。
「……うわキモッ」
「どころじゃないでしょう」
 鳥肌の立つ腕を袖ごしにさすりながら、うとめ。二人とも、ここまでのダークの大群に出くわしたことはない。ひどく禍々しい気配に、進んで切り込もうという気も失せる。
「二人とも、大丈夫?」
 うとめが振り返ったのは、人間姿のルシルと、その肩に乗った猫姿のメルだ。みぞおちを押さえながら、ルシルは小さく答えた。
「ちょっと、胸がムカムカしますが……なんとか」
「深呼吸して、落ち着いてから突撃しましょう」
「この数の、しかもダークだもんねぇ。無理ないよ」
「すみません……。……メルは平気なのか?」
「濃ゆい気配ですね」
「……」
「以上です」
「図太いな……」
 表情一つ変えないメルに感心してから、ルシルは何度か深呼吸して、気合いを入れるように両頬を手のひらでぺちんと叩いた。
「よし……大丈夫です」
「オーケー、じゃあ、行きましょうか。できるだけ囲まれないように……」
 うとめが風をまといながら一歩踏み出した時だ。
 敵意を感じたのか、それまで様子見状態あるいは無関心だったダークたちが一斉に青龍隊に目を向けた。最も近くにいた個体など、さっそく名刺代わりの火炎放射をお見舞いしてくる。三手に分かれて回避した彼らは、術の準備も抜刀もままならないまま臨戦を強いられた。
 ダークたちの動きは豹変していた。手前から順番に片していけば、といううとめの目論見は、予想外に好戦的になった全個体の総動員によって打ち砕かれた。囲まれないように、という最初の一歩さえ実現ならずだ。
 せめて背後は取られまいと、向かってくる三体のダークからバックステップで距離を取りつつ、うとめは声を張って叫んだ。
「こうなったら乱戦ですよ、上品に一体ずつ相手している余裕はありません!」
「いや、マジで。どうしようかね~?」
 カヅチは自分と同じ炎属性のダークを相手にしながら、間延びした調子で答えた。言葉はのんきだが、笑みを浮かべる口元は緊張したようにやや引きつっている。
(まず敵戦力を把握したいところだな……。数は十体くらいかなー。でも、属性が把握しきれない。とりあえず、最初に手を出してきたこいつが炎で、向こうから電気が走る音が聞こえたから雷属性も……おっと!)
 ダークの口から灼熱の球が吐かれ、カヅチは斜め右後方に退避した。安全確認をしつつ、燃える砲弾の行方を見届けていると、木の壁に当たったそれは周りに燃え広がるかと思いきや、焦げ跡を残してその場で鎮火した。塔全体が木製のはずだが、燃えにくいようにできているらしい。これならば、カヅチも惜しみなく術を使えるというものだ。
 まずは気味の悪い顔めがけて煙幕を張り、視界を奪ってから人差し指と中指をそろえて立てた。剣術と炎術なら、彼は断然後者が得意だ。
「燃やせ、灼龍破!」
 突き出した二本の指先から業火がふきだした。炎属性のダークだが、特段の耐熱性質があるわけではない。揺らめく胴の真ん中に命中した大蛇のごとき炎は、少なからず巨体にダメージを与えていく。ペースを考えつつ火力を増そうとしたカヅチだが、その調節に集中するあまり、死角から現れたもう一体のダークに気づいたのは、それの口元で鋭利なつららが完成してからだった。
「……ッ!」
 肩に激痛。執行着の防御力が刺傷は防いだが、つららの激突の衝撃によって、利き腕は気絶したようにだらりと力を失った。当然、止めることなく放射し続けていた炎術も途切れる。少しは縮んだとはいえまだピンピンしている一体目のダークが、反撃の狼煙とばかりに黒煙を放ってきた。肩をかばいながら姿勢を低くしてかわしたカヅチは、氷のダークの背後に回ると、垂れ下がった右腕を左手で支えて前に突き出した。
「ちょーっと黙っといてねー」
 幾枝にも分かれた炎が檻のように二体目のダークを閉じ込める。詠唱と言霊を破棄した即席版だが、それでもなお、動きを封じるに足りる火力だった。普段は骨惜しみしがちな怠慢副隊長だが、ここで手を抜くほど愚かしくはない。訓練でさえ、ずぼらにこなしているものの、いざとなればぶっつけ本番で実力を出せることは彼自身がよく知っていた。
「やあ、おまたせー」
 炎の渦に閉じ込められ、放つ氷術も溶かされて手出し不能のダークは脇に置いて、カヅチは最初の相手のもとへ駆け寄った。
 途中、怪物は炎の砲弾を連発して吐き出してくるが、カヅチは危うげながらも絶妙な足さばきでかわす。のらりくらりという表現がお似合いの回避を交えながら肉薄した彼は、まるで固形化するまで霧が濃縮されたようなダークの胴に左手を押し付けた。押し付けた、というには柔らかすぎる感触で、粘性の高い液体に手を突っ込んでいる心地だ。敵の表面で手の位置を固定すれば、非利き手であろうと外すことはない。カヅチは敵の懐で素早く言霊を唱えあげた。
「爆ぜろ、爆号!」
 ダークのどてっ腹で熱量を伴う爆発が起きる。体の一部が吹き飛び、黒い体はいびつに欠けた。カヅチは容赦なく二発目、三発目と、超至近距離で爆発を起こす。あまり派手に炸裂させると爆風や熱波が味方にまで及ぶので、ものとしては小規模に抑えているが、殺傷力は抜群だ。
 腹に風穴をあけられたダークは、その分を埋めようとして徐々に背丈を低めていく。いまや、三メートルあった高さは二メートル少しになっていた。息継ぎののち、いよいよ顔面から爆破してやろうと手を伸ばした。が、
「ぐ……っ!」
 気味悪い顔に手が届くより先に、ダークの背面から伸びた触手がカヅチの脇腹を薙ぎ払った。不意打ちで転がった彼は、すぐに体を起こしたが、その時見えたのは、よそへ移動するダークとその先にある小さな後輩の背中。
「げほ、まずっ……ルシルちゃん!」
 ルシルもルシルで、複数のダークを相手に四苦八苦しており、背後から新手が魔手を伸ばしてくるのに気づくだけの余裕などない。今、カヅチの叫びで初めて振り返ったほどだ。
 襲い来る触手を制する予備動作も遅れ、利き手であり剣術の要である左手を絡み取られる――かと思われた。
 直前で、黒い魔の手はぶつ切られた。触手だったものが霧となって消えゆく中に、にょっきりと先のとがった木の根が直立して生えている。カヅチとルシルがそれに目を奪われている間にも、炎のダークの頭上に幾本もの太い木の枝が現れ、中心へ向かうような角度で一斉に獲物を貫いた。ダークを針のむしろにした張本人は、ルシルの肩で小さく諫めの言葉をこぼす。
「ルシルさん、前。手を止めないでください」
「す、すまない、メル!」
 振り返っている間に、ルシルの正面からレーザーが飛んできて、慌ててかわす。その間にも、メルは肩の上で体勢はそのままに、器用に首を巡らせて木の根や枝を駆使した補助攻撃を行っていた。
 まだ新人だからと、今回の襲撃では主体でルシルの援護射撃を任された彼女だったが、実はかなり容赦なく大ダメージを与えるアタッカーだったようだ。つくづく、ひとは見た目によらない、とカヅチは苦笑して、木の枝で縫い留められたダークを葬りにかかる。
「北西の制、南東のぎょ炯々けいけいとして寸断を許容す、拒絶に反逆し敗北を説け」
 希兵隊員でも、ダークを駆逐するのは骨が折れる。だが、それは相手の図体が大きかったり、クロより知恵が働いたり、耐久力が優れていることに起因する。動きを制限し、自分の身の安全を確保したうえで、それなりでも威力のある術を放ち続けられれば恐れるに足りないのだ。
 メルによって身動きを封じられたダークを相手取るカヅチは、部屋の壁際に背を向けて背後の隙をなくしている。さらに、彼の術の腕前は「それなり」以上だ。口の端にわずかな笑みを浮かべ、彼は勢いよく炎術を放った。
「焦がせ、緋燐弾!」
 散弾銃のごとき大量の火の弾が、左手で支えた右の手のひらからとめどなく生まれた。反撃も回避もできぬまま、それをもろに浴びたダークは断末魔の声を上げ始める。うるさいなぁ、とのんきなことを考えながらも、カヅチは火力を緩めない。炎による黒煙とは似て非なる黒い煙を上げながら、針山の中のダークは徐々に縮んでいった。
 念には念を入れて、声が聞こえなくなってからも数秒間、緋燐弾を浴びせ続けたカヅチは、木の枝も黒焦げになって崩れ落ちるころ、ようやく手を下ろして後ろを振り返った。
「さて、次は君の番だよ」
 視線の先にいるのは、炎の檻に閉じ込めたままの氷のダークだ。閉じ込めるだけでなく、どんどんダメージを与えていく灼熱の監獄によって、こちらも随分縮んでしまっている。もはや氷を生み出すことも諦め、悶えるようにうごめくダークを、同じ要領で消し去ろうとした――その時。
「うわあぁっ!」
「おっと、危なっ!」
 悲鳴とともに小柄な体が飛んできて、カヅチは辛くもそれを受け止めた。
 受け止めた――はいいのだが、自分の重心のバランスを整えている間に、腕の中の少女への注意が二の次になった。あっと思った時には手を離してしまっていて、大事な後輩はベシャッと床に落下した。
「あ、メンゴ」
「いえ、すみません、こちらこそ。不覚でした……」
 カヅチが差し出した手を握り、ルシルが立ち上がると、その下からひしゃげたメルがあらわになった。慌てて抱き上げ、定位置に乗せたルシルの肩口で、若草色の瞳が無感動ながら恨み一色の視線をカヅチに送る。
「帰ったら何をいたしましょうか」
「そこで『何をしてもらいましょうか』って言わないとこがアグレッシブなメルちゃんだね。なんでも甘んじて受け入れるので、今はとりあえず、協力しましょう」
 気を取り直して、灼熱の獄中にあるダークに炎を噴射しだしたカヅチと、吹き飛んだ獲物を追ってきたダークの間に、メルを伴ったルシルが立ちはだかった。電撃を結界で防ぎ、合間で肉薄、一太刀浴びせてできた裂傷にメルが木の根を顕現させ、それを急成長させて傷口を広げる。
 これまでも何度か、出動の際にやってのけた連携プレーだが、この緊迫した戦場でも同じように成功するのは不思議な心地だった。メルは、どれだけ派手に剣を振り回しても、幅が広いとは言えないルシルの肩からずり落ちることはない。どんなタイミングで斬撃を繰り出しても、最初からわかっていたかのように、あるいはスローモーション映像でも見ているかのように、的確に傷口を狙って草術を挟み込む。それが、ルシルにとってはたまらなく頼もしかった。
(だが、このままでは拉致があかない……)
 斜め上に飛び上がりながら一撃、着地とともにメルのささやきが耳元の空気を揺らし、ダークの裂け目に小木を植え付ける。
(さっき入り口で立ち止まっていた時に軽く数えたが、おそらくこの部屋には十体ほどいるな。しかし、私はまだ一体も倒していない。それでこの疲労度……先輩方を甘く見るつもりはないが、二人がそれぞれ一体倒して同じくらいの消耗だとすると、こちらのスタミナ切れの方が早いぞ……)
 四方八方から襲い来る雷を、カヅチを庇える位置で結界を展開してしのぐ。早く次の攻撃を、とはやる気持ちを抑え、好機が訪れるのを粘り強く待つ。やっと息切れしてくれたのを見逃さず、相棒を肩に、猛攻を仕掛けた。
(剣撃だけではダメだ。どうにかして術を効率よくダメージに変えないと。私は水猫。まとめて窒息を狙うか……いや、仮に上の階から水を注いだとしても、一階への扉がないから、下に流れていくだけだ。よしんばメルの草術で即席の扉を作ってふさいだところで、この部屋の面積だと、ダークの顔の高さまで水で満たすのは相当な体力がいる……)
 ようやく、雷のダークは弱りを見せてきた。しかし、視界の端で、さっきレーザーを放ってきた光属性のダークも迫ってきている。
 焦りを募らせ、機が熟すより前に右足を踏み出したルシルの前に、すっと大きな手が横から滑り込んだ。見上げれば、ダークを滅し終えたカヅチが諭すような微笑でやんわりとルシルを制している。
 彼が視線を向けた先で、風が鋭く唸った。ルシルが見つめる前で、最初の半分ほどの大きさになっていたダークは、大きな風の渦に包まれ、切り刻まれ、あっという間に煙になって消えた。
 つむじ風と黒煙が散ると、向こう側から小豆色の髪を揺らして少女が駆け寄ってくる。
「みんな、無事!?」
「はい、多少のかすり傷や打撲はありますが、何とか」
「モーマンタイだよー」
「とか言って、竈戸さん、肩痛めてるんじゃないですか。脇腹も庇っていますね。何がモーマンタイです」
「慧眼だね」
 笑って肩をすくめるカヅチ、盛大にため息をつくうとめ、険しい顔のままのルシル。三人は、誰からともなく背中を合わせる格好になった。最初の不意打ちで散り散りになってしまったが、本来はこのスタイルが一番安全だ。とはいえ、それでこの状況を打破できるかといえば、それは別問題だ。
「やっぱり一網打尽が必要よ。消耗のたびに入り口に戻って麒麟隊の回復に頼るというのも一つだけれど、減らせるリスクは減らすに越したことはないわ」
「だねー。いやしかし、どうすればいい? ボクが放火魔になってもいいけど、そしたらボクたちもまとめてオダブツだよね?」
 カヅチは思いついたことを口先だけで紡いだ。周囲に警戒を張り巡らせているのだ、作戦を熟考する暇などない。ある程度、青龍隊内で戦略は練ってきていたものの、予定通り一体のダークを四人で袋叩きにするには、予想をはるかに超えて数が多すぎた。
 こんなことなら、もっと最悪の事態を考えてくるんだった、と歯噛みするうとめの隣で、ウィスパーボイスが鳴った。
「よろしいでしょうか」
「メルちゃん?」
 うとめだけでなく、カヅチも思わず振り返った。肩口へ視線を向けるルシルも合わせて三名の注目を浴びながら、翠眼の白猫は物悲しげな顔でささやいた。
「私に案があります」

***

 浮遊感。
 地に足がつかない不安定さと、猫の跳躍力をもってしても届かない高度への恐怖心で硬くなりながら、ルシルは前足でうとめの袖をぎゅっとつかんだ。不安を感じ取ったのか、ルシルを胸の前で抱くうとめの腕に、心なしか力がこもる。
 今、青龍隊は空中にいた。風術の一つ、白翔で源子の白い翼を携えたうとめの腕の中に猫姿のルシルが抱えられ、肩に同じく猫姿のカヅチが乗せられ、後ろ襟にメルが突っ込まれと、無理やりではあるが全員天井にも近い場所で滞空している。いびつながら、一つの要塞のようだ。
 俯瞰するは、見失ったと緩慢に辺りをうかがう個体や、宙に逃げたことに気づいてぼんやりと見上げる個体など、総勢十一体のダーク。そして、部屋一面にたっぷりまかれた、草術で生み出された枯葉だ。
「上り階段、ふさぎました」
「ありがとう、メルちゃん。ルシルちゃんも、準備はいい?」
「は、はいっ」
「よし……じゃあ、竈戸さん、お願いしていいですか」
「モチのロンだよー。黒暗き夜の世、赤明かす、地図なき失望に傾ける糸、礼を禁じて追放の舌先を刺せ」
 詠唱が進むにつれて、伸ばしたカヅチの肉球の先に熱量が集まっていく。うとめや、その胸に抱かれたルシルに影響が出ないように、精いっぱい外側に前足を伸ばして。
「燃やせ――灼龍破っ!」
 お気楽なまなざしが一瞬だけ鋭さを帯びたかと思うと、熱エネルギーが一瞬にして業火へと化け、赤と橙の奔流となって眼下に降り注いだ。床に跳ね返って広がった炎は、枯葉を焚きつけに勢いを増し、より遠くの燃料へ燃え移り、激しく燃焼しながらさらに遠くの餌へ手を伸ばす。その一連の現象は、カヅチが炎を注いだ五か所で同時に進行し、結果、あれよあれよという間に二階は火の海へと化した。
 炎はダークたちにも燃え移り、その身を情け容赦なく焦がしていく。体をよじって逃れようとしても、まとわりつく焔はそれを許さない。一体だけ、水属性のダークもいるようだが、もはやそれが放つ水の噴射では鎮火できない火勢となっていた。うまく消火できた部分はあっても、そこから発生する高熱の水蒸気に苦しめられる。
 そんな地獄絵図を見下ろしながら、しかし青龍隊たちものんびり高みの見物とはいかない。有機物が燃焼して発生する黒煙に熱波。それらの影響は、上方だからこそより強く出る。空中でホバリンクしながら、うとめが風の流れを操って煙や熱気を追い返しているからよいものの、そうでなければダークよりも先に希兵隊が力尽きるところだ。
 とはいえ、今をしのぐのもやっとだった。ただでさえ扱う源子が多い白翔を使いながら、重ねて休みなく風を操作するうとめの消耗具合は甚だしい。
「はあ、はあ……っ」
「もう少し頑張ってくれよ、うとめちゃん。君が気を失ったら全員火の海に真っ逆さまなんだから。ちなみに、ルシルちゃんが気を失っても、消火要員がいなくなって降りられなくて、最後はうとめちゃんの限界がきて火の海に真っ逆さま。気絶してもいいのは、仕事が済んだボクとメルちゃんだけだから、そこんとこシクヨロー」
「……覚えて……なさいよ……っ!」
 軽く殺意のこもった言葉を聞きながら、ルシルは表情険しく炎地獄を見下ろした。
 燃えて焦げて命尽きていくダークたちの中で、生き残っているのはあと三体。これくらい減らせたなら、あとは地上で戦ってもよいものだが、消火のタイミングはうとめが指示する。ルシルが独断で動くわけにはいかない。激しく打つうとめの心臓の拍動はルシルの背中にも伝わってきて、いよいよ彼女の体を案ずるとともに、自身の鼓動も速まっていくのを感じた。
 火を放ってから十分ほどたった。初期の燃え広がり方からすると、通常の火災よろしく、炎の勢いは指数関数的に強くなっている。まだダークの気配は残っているが、どうせ一体か二体だ。これ以上燃え盛らせるほうが危ない――そう判断したうとめは、吐息交じりにルシルに命じた。
「ルシルちゃん、水を」
「了解です!」
 待ってましたとばかりに両の前足を突き出すルシル。息継ぎなしの詠唱に続き、洪瀧の言霊を叫ぶと、鉄砲水のごとき大量の水が床一面の紅蓮に降り注いだ。またたく間に白い湯気に包まれる室内で、もうこと切れる寸前だったのか、残りのダークの気配が消えるのを隊員たちは感じていた。
 普通の火事ならば、一人の力で消火できるわけもないが、幸い燃料となるのはメルが床にまいた枯葉のみ。床全面が水につかるほどの水量をもってすれば、何とか鎮圧可能だった。発生した大量の湯気や水蒸気は、うとめが最後の仕事とばかりに風向きを調節して階下へと押し流していく。
 白い湯煙が下り階段へ吸い込まれ、室温も一緒に流されて――ようやく見えた水浸しの床に、うとめは崩れ落ちるように着陸した。
 幸いというべきか、面妖なことにというべきか、激しく熱されたはずの床は、生温かい程度ですんでいた。水をかけたからといって直ちに冷却できるわけではないはずだが、もともと温度が上がりにくい素材だったのかもしれない。木材にもかかわらず燃えないなど、やはり特殊な作りでできているのだろう。通常の草術では実現不可能だ。
 膨大な量の源子を使役したせいで、その場に倒れ込んだうとめと投げ出されたルシルは息も絶え絶えだった。床に手をつき、ゆっくりと体を起こしたうとめが、生気を吐き出すような声でつぶやいた。
「し……死ぬかと思ったわ……」
「多数の敵に、範囲の限られた部屋。排気口となる下り階段、そして草、炎、水、風の猫種がそろってるんです。この方法で焼き殺すのが手っ取り早いかなと」
「青龍隊全滅のリスクと手っ取り早さをはかりにかけるとか、メルちゃん豪快だねー」
 カヅチは能天気に笑うと、同じ表情のまま、「でもねー」と付け足した。
「あんまり密閉された空間で火を焚いちゃうと、一度鎮火したように見えて酸素を取り込んだら爆発する……いわゆるバックドラフト現象が起こっちゃうかもだから、やめたほうがいいよ?」
「それは先に言うべきでしょう……毎度毎度、大事なことは二の次ですね……!」
 カヅチの「本物の」と言う形容の仕方に首をかしげるルシル。人間姿になったカヅチは、そんな彼女を抱き上げながら、うとめに手を差し出した。
「立てる? 麒麟隊に連絡して、回復してもらおっか」
「そう……ですね。その方が早く万全に戻れるかもしれません。じっとしているのはじれったいですが、急がば回れです」
 カヅチの手を借りて立ち上がったうとめは、ちらっと下り階段を見て肩をすくめた。
「とはいえ……下の階にはさっき送った煙や熱気がこもっている可能性が高いです。麒麟隊のみんなが困らないように、風で押し流しておきましょう。私が休めるのはもう少し先ですね」
「苦労かけるねー。だったら、ほら、肩においで。だいぶ疲れてるでしょ」
 にこにこしながら提案するカヅチに、うとめはどこか決まり悪そうに黙り込んでから、ものの一秒でアーモンド耳の猫の姿に変化した。彼女を、ルシルを抱いている腕と反対側の肩に乗せると、カヅチはやけに嬉しそうに笑った。
「なんか、こうしてると、うとめちゃんの新人時代を思い出すねー。あの頃は可愛かったのに……」
、なんですか」
「いつのまにかこんな怖い子になっちゃって」
「傷めてる方の肩ってこっちですよね。踏んづけますよ?」
「ひどいなぁ」
 行こっかメルちゃん、と声をかけて来た道を戻るカヅチ。猫姿のままついていくメルを先導する副隊長と、その肩からつゆ払いをする隊長。頼もしい先輩二人を見上げながら、ルシルは改めて思った。
 自分がどれだけ成長し、たとえ他の後輩ができたとしても、この二人の背中を追うことは変わらない。いつか彼らが希兵隊を卒業してしまうことは分かっているが、少なくともそれはまだ先のことで、それまではまぶしさに目を細めながら、先輩たちが作る軌跡を追って進むのだと――。
 この時は、そう信じてやまなかった。
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