フィライン・エデン Ⅱ

夜市彼乃

文字の大きさ
79 / 108
10.三日月の真相編

47三日月雷志 ④

しおりを挟む
 あごをしゃくるような仕草の耀に、雷奈はハッとして上座を見た。ストーリーテラーの姉妹は、いつの間にか真剣な面持ちを浮かべていた。
「おそらくっちゃけど、その答えも提供できる。そのためにはね、雷奈、雷華。私たちは母さんのことば知らんといけん。私たちが生まれる前、そして種子島にわたる前、ここ光丘にいた時の母さんば……」
「光丘にいた……皇学園生の、母さん……」
 誰にだって子供時代はある。雷奈に小学生時代があったように、雷志にも制服を着ていた時代があったのだ。母としての姿しか見ていない雷奈たちに、それを想像するのは容易ではないけれど。
 だが、耀にとっては、そしてバブルとウィンディにとっても、当時に思いを馳せれば、踊る薄茶の長い髪も、子守歌のように優しい声も、すぐそばにあった。
『雷志……懐かしいな。勉強の出来は普通、運動能力も中の中。目立って優等生だったわけでも、目を見張る才能があったわけでもない。だが、あの他者を疑うことのない性格は、裏表のない純粋さは、どんなに輝かしい学業成績なんかよりも尊いものだった』
 目を閉じ、口ずさむように言った後、耀は四姉妹に向けて諭した。
『あの子はね、さながらオリーブを携えたハトだったよ。ケンカしているヤツらの仲裁に入ればたちどころに仲直り、嫌みを言われてもすました顔で、むしろ相手が拍子抜けするほどだ。あんな人間、そうはいないさ。正真正銘、心の底から清らかなヤツだった。あんたたちはその娘なんだ。誇りに思え』
 その言葉を、まるで宝物を賜るかのように受け取った雷奈たちは、神妙にうなずいた。何気なく接していた母親が、かくも稀有な気質の持ち主であったことを改めて思い知り、その元に生まれてきたことに胸の中で感謝を唱えた。
『ウィンディ、あんたから見て雷志はどうだった?』
 話を振られた風猫は、これまでわざわざ口にする機会もなかったために胸にためたままだったパートナーの人物像を、感慨のため息とともに口にした。
「天衣無縫、天真爛漫、天然、天使。フィライン・エデンでは、ある程度負の感情は吸収されるけれど、人間界にあんな心の澄んだ子がいるとは思わなかったわ。あの子のパートナーを務めるなんて、身に余る光栄だったのよ」
『本人に言ったら喜んだだろうね。東京に来た甲斐があったって。ここに来なきゃ、パートナーにもなってなかっただろうからさ』
 耀の言葉に、雷奈は「えっ」と声を上げた。
「東京に来たって……母さんは東京出身やなかとですか?」
『知らなかったか? 雷志は埼玉出身だ。十五の時、皇学園入学に際して寮に引っ越してきたんだ。私は私で静岡から上京して入寮した。私たちは同じ寮室だったんだよ』
「そうやったとですか……」
 母が昔の話をするとき、いつも皇学園での思い出を語っていた。たまに、小学生時代のことを話すこともあったが、それが埼玉での出来事だとは言及しなかったため、勝手に東京の小学校に通っていたと思っていたのだ。
 今度は、バブルが口を開く番だ。
「雷志と耀に出会ったとき、私も十五で、ウィンディは十六だった。この子は一つ上だからね。で、そこから三年間交流して、二人の高校生活も終わりに近づいていた時……雷志がウィンディとのパートナー契約の終了を申し出た。九州へ行くことになったからだ」
 たった三年間しかフィライン・エデンと関わっていなかったことに、雷奈たちは少なからず驚いた。パートナーでいられるのは未成年のうちという話なので、あと二年猶予があると思っていたのだ。
「なして……そげな急に九州に……?」
『私も驚いて同じことを聞いたよ。そしたらね、あの子ったら、「結婚するから」だってさ』
 雷奈の胸の中で、疼きに似た拍動が鳴った。結婚――雷志を殺した、あの父親とだ。
『結局、東京の大学に行く予定だった私も、雷志と同時期にバブルとの契約を打ち切ってしまった。以降、ワープフープは閉じたんだ。その後は、バブルもウィンディも知らなかったことだろうけど、雷志は高校卒業後に鹿児島の看護学校へ行った。あの子、ちょっとしたお嬢だったからね、急に人生計画を変更をしても金には困らなかったのさ。で、二十で雷夢を出産、看護学校卒業後の二十二で雷奈と雷華を出産。この時だね、静岡の実家に帰って就職した私に雷華を託されたのは』
 日本でも数少ない設備のある病院に通う必要があった雷華は、ここで雷奈たちと生き別れたのだ。そして、その後、雷華は生みの親の顔を見ることはなかった。
 雷華は、スマホは皆に向けたまま、平坦な声で耀に問うた。
「……雷志が九州にわたってまで伴侶としたかったのは、どのような奴だったのだ」
『初めて結婚を告白された時は、名前は教えてくれなくてね。その時は、相手について訊いたら、「今年の初めに会った人」とだけ答えた。心当たりがなかったのでどんな人かと聞いたら、髪は黒くて、肌は白くて、背の高いちょっと寡黙な年上、と答えたよ。そういうことを訊いていたんじゃないんだけどな』
「私も、しぃちゃんにパートナー契約の打ち切りをお願いされたときに訊いたけど、『不器用なところがかわいくもあるひと』って……」
「かわいい成人男性って何者だよ」
 バブルが揶揄するように笑った。耀も不可解そうにあごに手を当てている。
『私もさ、最初は違和感満載だったんだよ。だいたい、雷志は学校でもモテてたんだ。机の中のラブレターも、体育館裏への呼び出しも、学校行事の後の誘いも、数え切れなかったさ。でも、あの子はそのどれにもなびかなかった。だから私は、あの子は恋愛願望とか結婚願望とかを持ってないものだと思ったんだけどね』
「それが突然、だったものね。そんなに魅力的な男性だったのかしら」
「だとしても」
 硬い声が、ごとりとテーブルの上に落ちるようだった。それがバブルの声だとわかるのに、一同は少しの時間を要した。
「だとしても、そいつが雷志を殺した。今となってはただの最低野郎なんだよ」
 フィライン・エデンの者が遠ざけられるという怒り、恨み、憎しみ。それらをめいっぱい詰め込んだ短い言葉は、鉛よりも重い響きで部屋に転がった。
 氷架璃と芽華実は、正視することもできず横目で雷奈をうかがった。うつむいた彼女の目には、やり場のない感情が渦巻いていた。
 重苦しい澱を払って口火を切ったのは、雷夢だった。
「お三方とも、母の情報をありがとうございます。その軌跡、やはりと一致します」
 雷帆に目配せする。うなずいた妹は、テーブルの下から、を取り出して机上に並べた。一同の視線が、いっせいにそこへ集中する。
「皆さん。これが、私と雷帆が一年かけて母さんの遺品から見つけ出した……今の事態を紐解く手がかりです」
 それは、三冊の大学ノートだった。それぞれピンク、水色、薄緑と色が異なる。本人の几帳面さからか、ノートは折れ癖や汚れの一つもなく、まるで新品同然のようにも見えた。
「これは……」
「日記ったい。母さんの」
 表紙には、手本のように整った字で、開始日と思われる年月日が書かれていた。雷奈たちは一目見たことすらない、つけていたことも初耳の日録だった。
「もちろん、この三冊だけやなかった。母さんは高校生になってから死ぬまで、欠かさず毎日日記ばつけとったみたい。私と雷帆は全部に目を通して、そしてこの三冊をピックアップしてきたとよ」
「そこに……重要なことが書かれているからだな?」
「その通り」
 雷夢に促され、雷帆がピンクの一冊を手に取り、雷奈へ歩み寄って手渡した。開始日を見ると、比較的命日に近い頃につけ始めたものらしかった。想起された忌まわしき記憶に、心臓が早鐘を打つ。
 けれど、それを別の動悸が上塗りした。胸の高鳴りは、そこに書かれているであろう母から見た世界に触れる、高揚感から生まれていた。
 ここには、雷志の感受性が、思考が、体験が詰まっている。ページを開けば、そこには雷奈たちの知らない、雷志の人生が描かれている。
 ひとりでに手は震え、声がうわずった。
「これば読めば……母さんの秘密がわかる……!?」
 雷夢は、一瞬緊張したように口を引き結んだ。舌で唇を湿らせる。瞬きを一つした。
「……正直、そのピンクのノートからは、真相に近づくための手掛かりはほとんど得られなか。ばってん、特にあんたにとっては……母さんが死ぬ前の心情ば、知る必要があると思うけん。……一番最後の日付のを読んでごらん。その付箋のとこ」
 ノートの中盤あたりから、赤い付箋がのぞいていた。そのページに指を差し入れ、まるで張り付いた紙同士を引き剥がすように、そっとそっと開く。
 やがて、あらわになった三日月雷志の人生最後の手記を、雷奈は読み上げた。
「――『どうやら、懸念していた事態になりそう。これは変えられない運命だったのかもしれない。怖くないといえば嘘になる。自分がなくなるのも、子供たちを残すのも怖い。けれど、私は彼のそばにいる。彼が私を殺すとしても。最初から、その覚悟だったのだから』」
 雷奈は、静かな驚愕をたたえた顔を上げると、姉を見つめた。
「母さん……自分が殺されること……」
「うん、知っとったみたいっちゃね」
 唇を噛む雷帆の頭をなでながら、雷夢はうなずいた。
「そこにいたるまでのページの随所に、あの人の様子がだんだんおかしくなる過程が書かれてた。前触れは突然じゃなくて、時間ばかけて母さんに警告ば鳴らしとった。ばってん、母さんは……あの人といることば選んだとね」
「なんでだよ、雷志……」
 やりきれない思いを吐き出すように、バブルが斜め下の畳に向かってこぼした。アワには、常に陽気にふるまう母の声が、今は傷口が開いた音に聞こえて、その後ろ姿からも目をそらした。
 雷華のスマホから、同じような声色が流れ出た。
『雷志は、最期まで自分の意志を通したということか。あの子がそれでよかったなら、それで……、……いや、やっぱり……よくはないな。馬鹿だよ、雷志……大馬鹿だ……』
 耀は、ひねり出したような笑い声で言葉を切ると、雷夢に向かって言った。
『雷奈と雷華に、あの子の遺志を教えてくれてありがとう。……次に行こうじゃないか。本題は、フィライン・エデンとの関わり、だろう?』
「そうですね。では、次は……」
 再び、雷帆が立ち上がり、今度は水色のノートを持ってきて、雷奈に手渡した。表紙の年号を見て、雷奈はわずかに眉を動かした。ずいぶん時間をさかのぼり、まだ雷奈が生まれていない頃の日記のようだ。
「もしかして、これが……母さんがまだ光丘にいた時の……?」
「うん、いよいよね。これは、母さんが高校三年生の終わりごろからの日記。付箋は三か所あるけん、時系列に読んで」
 ワープフープが光丘にある以上、雷志とフィライン・エデンの関係性を知るには、彼女が光丘にいた時の出来事に触れることになる。それが、今だ。
 雷奈は心臓の鼓動が速まるのを抑えられず、氷架璃と芽華実の顔を見た。二人は、表情と手の動きで、精一杯見守る意を示した。
 うなずいた雷奈は、自分が生まれる前の世界に手を伸ばした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

【状態異常耐性】を手に入れたがパーティーを追い出されたEランク冒険者、危険度SSアルラウネ(美少女)と出会う。そして幸せになる。

シトラス=ライス
ファンタジー
 万年Eランクで弓使いの冒険者【クルス】には目標があった。  十数年かけてため込んだ魔力を使って課題魔法を獲得し、冒険者ランクを上げたかったのだ。 そんな大事な魔力を、心優しいクルスは仲間の危機を救うべく"状態異常耐性"として使ってしまう。  おかげで辛くも勝利を収めたが、リーダーの魔法剣士はあろうことか、命の恩人である彼を、嫉妬が原因でパーティーから追放してしまう。  夢も、魔力も、そしてパーティーで唯一慕ってくれていた“魔法使いの後輩の少女”とも引き離され、何もかもをも失ったクルス。 彼は失意を酩酊でごまかし、死を覚悟して禁断の樹海へ足を踏み入れる。そしてそこで彼を待ち受けていたのは、 「獲物、来ましたね……?」  下半身はグロテスクな植物だが、上半身は女神のように美しい危険度SSの魔物:【アルラウネ】  アルラウネとの出会いと、手にした"状態異常耐性"の力が、Eランク冒険者クルスを新しい人生へ導いて行く。  *前作DSS(*パーティーを追い出されたDランク冒険者、声を失ったSSランク魔法使い(美少女)を拾う。そして癒される)と設定を共有する作品です。単体でも十分楽しめますが、前作をご覧いただくとより一層お楽しみいただけます。 また三章より、前作キャラクターが多数登場いたします!

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

転生先はご近所さん?

フロイライン
ファンタジー
大学受験に失敗し、カノジョにフラれた俺は、ある事故に巻き込まれて死んでしまうが… そんな俺に同情した神様が俺を転生させ、やり直すチャンスをくれた。 でも、並行世界で人々を救うつもりだった俺が転生した先は、近所に住む新婚の伊藤さんだった。

処理中です...