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12.文武抗争編
59文武抗争 ⑧
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***
なぜ、あれが炎だなどと思ったのだろう。
ルビンの壺なる図形が、向かい合った人の顔だと言われてしまえばそれにしか見えなくなるように、あの赫焉と立ち上るものが、今は(それを演じる別のもの)にしか見えない。
遠目にしか見ていなかったからなど、言い訳にもならない。自分の特殊体質なら、源子の振る舞いの違いで見抜けたはずなのに。それも、よく知った大切な二人の猫術なら、なおさら。
土を蹴り上げ、木々の間をぬって走る。彼女のもとへ、全身全霊の力で。
「はぁ……げほっ、はぁ……っ!」
氷術の使用に次ぐ全速力での疾走で、体は限界目前だった。息が上がり、発作とまではいかないものの、胃のあたりがズキズキとうずく。
それでも、時折木の幹に手をつきながら前に進んだ。目指していた火先は、走っているうちに徐々に小さくなり、すでに木々の向こうに沈んで見えない。今や、それが見えていた方向へ、鋭敏に感じ取る気配を頼りに向かっているだけだ。
肌に感じる気配の明確さがピークに達したとき――。
「!!」
最も恐れていた事態が、予想と異なる形で現実のものとなっていた。
霊那、撫恋、波音。雷奈、氷架璃、芽華実。アワとフー、そして麗楽とシルク。希兵隊、人間、二家の正統後継者、学院――今宵、この森に集う全ての立場の者たちが、一堂に会していた。
その中心にいるのは、もう大きめのキャンプファイヤー程度の勢いとなった炎をまとう小さな影。炎の揺らめきで様子はよく見えないが、うずくまっているのか立ちすくんでいるのか、動こうとしない。
「この期に及んで大した攻撃をしてこないとは」
白髪の少女、撫恋が怪訝そうに眉をひそめて言う。波音も刀を構えながら大きく頷いた。
「あたしの水術が効かない、しかも熱くない炎なんて、最後まで不気味だったけど……でも、もうすぐ終わりだね!」
「一気にかたをつけよう」
霊那が刀印を結んだ腕を伸ばした。
「天、万の席、穣の敷、巧を乞う五色の糸」
その指先に、銀色の星の輝きが集まっていく。
せつなの足が、残された力を振り絞って地を蹴った。いくら苦しくても、倒れ込みそうでも、今走らなければ、死んでもいいほど後悔する。
猫力学者は知っている。
猫術の歴史を。もともとは、全て生活のための術《すべ》だったこと。炎術は暖をとるために。水術は濯《すす》ぐために。雷術は動力のために。それがやがて、発展の過程で、クロやダークに対抗するための攻撃手法としての側面を際立たせていったこと。すなわち、新しい猫術ほど、殺傷用に開発されたものだということ。
猫力学者は知っている。
「天、万の席、穣の敷」から始まる詠唱は、星術・銀漢のものであること。星術の中ではそう新しいものではないが、そもそも星術自体が他の猫種よりも歴史が浅いこと。
だから、天河雪那は知っている。
今に放たれようとしている星々の群れは、目の前の彼女を殺そうとしていること。
「やめて!」
命を吐き出すような叫びとともに、せつなは一同の眼前に躍り出た。
誰も彼もが驚きに目を見開く中で、炎をまとう猫の影と、術の発動間近の霊那の前に割り込む。
「お願い、その子を――」
炎の中に飛び込むようにして、彼女をかばう。やけどを負わせることのない、熱量すらもたない幻の炎の中で、命を懸けて懇願する。
「――ミストを殺さないで!」
主の制止は一瞬遅く、銀漢は放たれた。目を見開いて硬直する霊那を振り返ることもなく、天の川はさながら雨上がりの激流のようにせつなに襲い掛かった。
「――――ッ!」
迸る無量大数の星屑たちが、相棒を抱きしめてうずくまったせつなの脇腹を容赦なく打った。勢いよく放たれた水の噴射を受けているかのように見えて、川の流れの姿をなす大量の星粒の一つ一つが威力をもつ。絶え間ない激痛に声にならない悲鳴を上げ、座り込んだまま悶え、それでも腕に抱えたものを離さず耐え抜いたせつなは、銀河の去りし跡地に、どさりと倒れ込んだ。無限回の打擲を浴びて、衣服の脇腹のあたりは擦り切れて血がにじんでいた。
横向きに倒れたまま、息も絶え絶えに、腕をほどく。いつの間にか炎は影も形もなく、薄いジンジャーの猫だけが隣に横たわった。彼女もまた、体中を傷だらけにして、薄く開いたエメラルドの瞳でせつなを見つめていた。
「……ユキナ、どうして」
弱弱しい声を、すぐそばの相棒にかろうじて届ける。
「あとは私が霧になって消えていく演出さえすれば……全部うまくいくはずだったのに」
「それで、傷ついた親友を置き去りにして、飛壇へ帰れっていうの?」
せつなも、ビターエンドに力を失ったまま、かすれた声で返す。
ミストは否定も肯定もせず、ただ諦念だけを表情にたたえて、せつなを見つめる。そんな彼女を、せつなは非難できるはずがない。
「……ごめんなさい」
ルビーの瞳からあふれた涙が、地面にしみこんでいく。それすら、本来は許されるはずがない。
「ごめんなさい……ごめんなさい……っ」
薄れゆく意識の中、慌ただしく駆け寄ってきた希兵隊に応急処置を施され、人間たちに必死に呼びかけられる、その資格もない。
だって、そうだ。
当然だろう。
この戦争を画策した全ての元凶は――まぎれもなく、天河せつななのだから。
なぜ、あれが炎だなどと思ったのだろう。
ルビンの壺なる図形が、向かい合った人の顔だと言われてしまえばそれにしか見えなくなるように、あの赫焉と立ち上るものが、今は(それを演じる別のもの)にしか見えない。
遠目にしか見ていなかったからなど、言い訳にもならない。自分の特殊体質なら、源子の振る舞いの違いで見抜けたはずなのに。それも、よく知った大切な二人の猫術なら、なおさら。
土を蹴り上げ、木々の間をぬって走る。彼女のもとへ、全身全霊の力で。
「はぁ……げほっ、はぁ……っ!」
氷術の使用に次ぐ全速力での疾走で、体は限界目前だった。息が上がり、発作とまではいかないものの、胃のあたりがズキズキとうずく。
それでも、時折木の幹に手をつきながら前に進んだ。目指していた火先は、走っているうちに徐々に小さくなり、すでに木々の向こうに沈んで見えない。今や、それが見えていた方向へ、鋭敏に感じ取る気配を頼りに向かっているだけだ。
肌に感じる気配の明確さがピークに達したとき――。
「!!」
最も恐れていた事態が、予想と異なる形で現実のものとなっていた。
霊那、撫恋、波音。雷奈、氷架璃、芽華実。アワとフー、そして麗楽とシルク。希兵隊、人間、二家の正統後継者、学院――今宵、この森に集う全ての立場の者たちが、一堂に会していた。
その中心にいるのは、もう大きめのキャンプファイヤー程度の勢いとなった炎をまとう小さな影。炎の揺らめきで様子はよく見えないが、うずくまっているのか立ちすくんでいるのか、動こうとしない。
「この期に及んで大した攻撃をしてこないとは」
白髪の少女、撫恋が怪訝そうに眉をひそめて言う。波音も刀を構えながら大きく頷いた。
「あたしの水術が効かない、しかも熱くない炎なんて、最後まで不気味だったけど……でも、もうすぐ終わりだね!」
「一気にかたをつけよう」
霊那が刀印を結んだ腕を伸ばした。
「天、万の席、穣の敷、巧を乞う五色の糸」
その指先に、銀色の星の輝きが集まっていく。
せつなの足が、残された力を振り絞って地を蹴った。いくら苦しくても、倒れ込みそうでも、今走らなければ、死んでもいいほど後悔する。
猫力学者は知っている。
猫術の歴史を。もともとは、全て生活のための術《すべ》だったこと。炎術は暖をとるために。水術は濯《すす》ぐために。雷術は動力のために。それがやがて、発展の過程で、クロやダークに対抗するための攻撃手法としての側面を際立たせていったこと。すなわち、新しい猫術ほど、殺傷用に開発されたものだということ。
猫力学者は知っている。
「天、万の席、穣の敷」から始まる詠唱は、星術・銀漢のものであること。星術の中ではそう新しいものではないが、そもそも星術自体が他の猫種よりも歴史が浅いこと。
だから、天河雪那は知っている。
今に放たれようとしている星々の群れは、目の前の彼女を殺そうとしていること。
「やめて!」
命を吐き出すような叫びとともに、せつなは一同の眼前に躍り出た。
誰も彼もが驚きに目を見開く中で、炎をまとう猫の影と、術の発動間近の霊那の前に割り込む。
「お願い、その子を――」
炎の中に飛び込むようにして、彼女をかばう。やけどを負わせることのない、熱量すらもたない幻の炎の中で、命を懸けて懇願する。
「――ミストを殺さないで!」
主の制止は一瞬遅く、銀漢は放たれた。目を見開いて硬直する霊那を振り返ることもなく、天の川はさながら雨上がりの激流のようにせつなに襲い掛かった。
「――――ッ!」
迸る無量大数の星屑たちが、相棒を抱きしめてうずくまったせつなの脇腹を容赦なく打った。勢いよく放たれた水の噴射を受けているかのように見えて、川の流れの姿をなす大量の星粒の一つ一つが威力をもつ。絶え間ない激痛に声にならない悲鳴を上げ、座り込んだまま悶え、それでも腕に抱えたものを離さず耐え抜いたせつなは、銀河の去りし跡地に、どさりと倒れ込んだ。無限回の打擲を浴びて、衣服の脇腹のあたりは擦り切れて血がにじんでいた。
横向きに倒れたまま、息も絶え絶えに、腕をほどく。いつの間にか炎は影も形もなく、薄いジンジャーの猫だけが隣に横たわった。彼女もまた、体中を傷だらけにして、薄く開いたエメラルドの瞳でせつなを見つめていた。
「……ユキナ、どうして」
弱弱しい声を、すぐそばの相棒にかろうじて届ける。
「あとは私が霧になって消えていく演出さえすれば……全部うまくいくはずだったのに」
「それで、傷ついた親友を置き去りにして、飛壇へ帰れっていうの?」
せつなも、ビターエンドに力を失ったまま、かすれた声で返す。
ミストは否定も肯定もせず、ただ諦念だけを表情にたたえて、せつなを見つめる。そんな彼女を、せつなは非難できるはずがない。
「……ごめんなさい」
ルビーの瞳からあふれた涙が、地面にしみこんでいく。それすら、本来は許されるはずがない。
「ごめんなさい……ごめんなさい……っ」
薄れゆく意識の中、慌ただしく駆け寄ってきた希兵隊に応急処置を施され、人間たちに必死に呼びかけられる、その資格もない。
だって、そうだ。
当然だろう。
この戦争を画策した全ての元凶は――まぎれもなく、天河せつななのだから。
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