フィライン・エデン Ⅲ

夜市彼乃

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13.水鏡編

63スワンプマンの実証実験 ⑧

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***

 白い煙が晴れた。
 幸い広い空間だったために、すぐに空気が循環してくれたが、下手をすると高温の蒸気でやけどしていただろう。
 きっと、彼はその辺りのことをこれっぽちも考えないまま、膨大な炎で水を蒸発させた。
 そんな後先を考えない者のことを、世間一般、バカと呼ぶ。
「よくわかんねーが、ピンチか? アワ」
「ファイ……!」
 短いポニーテールに結った赤い髪に、はつらつとしたレンガ色の瞳。袖もズボンの裾も七分までたくし上げた活発そうな少年が、遅れてきたヒーローとばかりにニッとアワを振り返る。
 さらに、右方向からは鈴のような愛らしい声が聞こえてきた。
「大丈夫? アワ、氷架璃」
「リンまでいるし! なんでここに?」
 氷架璃に駆け寄ってきたのは、金髪とアメジストの瞳をもつ小柄な少女だ。蒸気が収まるまで離れていたのだろう。彼氏と違って聡明な十歳である。
 自身の水術が消されたことに慄いたか、あるいはいきなりキャストが増えたことに戸惑ってか、柳青は警戒して何もしてこない。それをいいことに、氷架璃の問いにファイがのんきに答える。
「何日か前にリーフやユウたちとここに来たんだけどよ。その時に尻ポケットに入れてた小銭入れを落としたみたいでな。それを仕事の合間に探しにきたんだ」
「あんた仕事してたのか」
「ファイは立派な家業の跡取りだよ。多量の火が必要な施設を回って火を貸す力仕事だ」
「二言目には『燃やす』のファイにはぴったりだな。こんな夕方までご苦労さん」
「いや、仕事は一時間前に終わった。さっきの話は昼の出来事だ」
「今ここにいる理由を訊いてんだよ、時間返せ」
 やっぱりバカだった、と呆れる氷架璃に、ファイはしかし、首を振る。
「話は最後まで聞きやがれ。……小銭入れは昼に来た時に見つかったんだがな。その時に、今度は尻ポケットに入れてたスマホを落としたみたいなんだよ。それを探しに来たのが今だ」
「あんたもう尻ポケットに物入れちゃダメ」
 やっぱりバカだった。
 座り込んだままのアワも、疲労が上乗せされたように「おバカ……」とうなだれている。
 ちなみに、リンはスマホをもたないファイを心配してつきそってきたのだという。
「そしたら、二人がピンチなのを見つけたの。それで……」
「ファイが助けに入った、ってことか。ま、その点については礼を言っとく」
 あざっす、と軽い調子で氷架璃がファイに謝辞を述べたのを最後に、柳青が動いた。
「……そろそろいいかな」
「おう、続きやろうってか? オレが相手になるぜ」
「ファイ、気をつけて。そいつは……!」
 アワが、まだ立ち上がれないまま身を乗り出しかける。
 その懸念はもっともだ。先程は術を丸々消されてしまった柳青だが、彼は正統後継者として最低限の戦闘技術を身に着けたアワの鏡像なのだ。
 対して、ファイは炎を使う仕事ではあるが、戦闘慣れしているわけではない。
 だが、赤髪の少年は怖じる様子もなく進み出た。
「わーってるよ。オレだってバカじゃねえ」
「いや、バカでしょ」
「あいつの正体くらい知ってるさ」
 二言目の反論はせず、アワは口をつぐんだ。
 鏡像の件は、情報管理局からラジオやネットなどで報道されている。それを目に、耳にしていたならば、説明は不要だろう。
 ファイは柳青に相対したまま、不敵に告げる。
「超最新技術で開発された、本人そっくり居留守ロボットだろ?」 
「どこ情報!? 爆発的に間違ってるから、それ吹聴しないでよ!?」
 やっぱりバカだったファイにツッコんだ後、アワはついに力尽きてその場に倒れ込んだ。
 リンが慌てて遺志を引き継ぐ。
「ファ、ファイ。お母さんがニュース見て言ってたけど、鏡像っていうのじゃないかしら。ほら、鏡から出てくるそっくりのドッペルゲンガー……」
「……知ってたぜ……」
「こんな時まで持ちネタでオチつけんでいい」
 アワを抱き起こしながら、氷架璃。
 その視界の端で、柳青が手を掲げるのが見えた。
「っ、ファイ、前!」
「あん? ……おおっ!?」
 飛んできた水の弾丸に驚いたファイは、足を滑らせて腰を地面に落とした。奇跡的にファイを外した弾丸だが、彼の頭上を素通りすると、そのまま後方の氷架璃の頭上をも通過していった。氷架璃の背筋が急速冷凍される。
 同じく危うく風穴を開けられるところだったファイは、戦慄することなく勇猛にも食ってかかった。
「てめー、ひとが話してる最中を狙うなんて、卑怯だぞ! それでも由緒正しき流清家の息子か!」
「だからそいつチエアリが作った偽者だってば……流清家とは血も水もつながってないよ……」
「……知ってたぜ……」
「おいアワ、貴重な体力をツッコミに使うな!」
 氷架璃の腕の中でぐったりしながらも、彼は職務を全うした。柳青の注意は、今はそちらへは向いておらず、赤髪の闖入者を排除することを最優先に掲げたようだった。
 戦意を向けられたファイは、ひるむことなく牙を見せて笑った。
「リン、下がってろ! あとアワ、一つ貸しだからな! よっしゃぁいくぜ!」
 水の弾丸が乱れ飛ぶ。それを無造作な火炎で迎え撃ちながら、ファイは気炎万丈の鬨の声を上げた。
 火は水に弱いということを知らないバカなのか、知っていてなお立ち向かうバカと紙一重の勇敢さか。とかく、今は彼の勢いに任せるほかなく、氷架璃はアワを支えながら座り込んだままだった。
 ただ一つ、氷架璃は前提条件の如何を知らない。
「あいつって……戦えんのか?」
「学院の普通科でも……クロと遭遇した場合に備えて、基本的な戦闘術は学ぶ。猫力学の時間のほとんどは、それに費やされるからね」
 ふー、と息を吐いてそう答えるアワを見下ろし、氷架璃は期待を込めて追加質問をする。
「ってことは、あいつも炎術で戦う術は身に着けてるってことか」
「ただ、相手が小さくて知能も低いクロであるのと、ボクたちの生き写しである鏡像であるのとでは、大きく違うだろうね」
「けど、あの火力で強力な術を放てれば……」
「いや、あいつはバカだから、一番基本的な術である火砲しか覚えてないと思う」
「ダメじゃん!」
 炎術・火砲は、氷架璃も使う光術・光砲の属性互換であるため、その初歩的さと並程度の威力はよくわかっている。そんな攻撃は水に飲まれれば終わりのはずだ。
「あいつ、やられるんじゃないか!?」
「術に頼ったらね」
 苦笑いでそう言ったアワの言葉を聞いて、ふと氷架璃は顔を上げた。会話の間、ファイが押されている気配がしなかった。
 見れば、彼女の懸念など灰にしてしまいそうな血気盛んな赤が、煌々と燃え盛っていた。
「おらおらおらぁ! とっとと燃えろぉ!」
「く……!」
 両腕を振り回して巨大な炎の塊を投げつけるファイから距離を取った柳青は、消火と回避に徹していた。
 右手から飛んでくる炎に水をぶつけ、直後を狙ってファイに術を向けようとする。だが、その間にも左手から炎が飛んでくるので、召喚した水はそちらの消火に費やされる。その間にもやってくるものは、横に跳躍して避けるしかない。
 一歩も動かず攻撃一辺倒のファイ。対して、右へ左へとかわしながら防御に徹する柳青。
 水術を炎術でしのぐ構図が、炎術を水術でしのぐそれに変貌していた。
 柳青が忌々しげに歯噛みする。
「数と威力に物を言わせるなんて……!」
「あ? 何だって? 聞こえねーよ、もっとおっきな声で言えよ!」
 言いながらも、ファイは手を止めない。
 想像よりも一方的な戦況に、氷架璃は呆気にとられた。
「な……なんじゃありゃ。なんてサイクルの速い火砲」
「あれは火砲じゃない。ただの炎だ。だから詠唱も何も必要とせず、ゼロ秒で発射できる。普通は術の形になっていないものはそこまでの威力はないんだけどね……ファイは仕事が仕事だ。とにかく強力な炎を出すのは彼の十八番なんだよ」
 だいぶ回復してきたアワが、自力で体を起こしながら言った。
 氷架璃の声に、自然と喜色が混じる。
「だったら……!」
「とはいえ、このままじゃ最後に負けるのはファイだ」
 だが、アワは氷架璃の言葉の先を読んで、そう答えた。
「見て、柳青がファイの炎についてきつつある。このままタイミングを計って、隙をついてファイ本人に攻撃を仕掛けるつもりだろう」
 アワの言う通り、柳青が足を動かす頻度に徐々に変化があった。今や、その場から大きくは動かずに済んでいる。ファイが投げつける炎の威力、速度、角度、範囲を把握し、最低限の動きでいなす術を覚えつつあった。
「相手がただの水砲だから強力な炎で相殺できているけど、游断のような鋭利な術や、洪瀧のような連続噴射の術が来たら終わりだ。それを許す隙はもう目前まで迫ってる」
 そして、悪いことにファイはそれに気づいていない。相手の反撃を封じている今、自分の優勢を過信している。このまま押し切れると確信している笑みが、いずれの瞬間に突き崩されてもおかしくはない。
「ど、どうすんだよ」
「加勢したいところだけどね……そもそもファイと共闘ってのは難しい。あまり相手に合わせて戦うってことができそうにないから、下手したらあいつの炎の流れ弾を食らってしまう。とはいえ氷架璃とボクじゃ敵わなかったわけだし……」
 チームワークとテクニックではパワーが足りず、一人のごり押しの火力では単調さがぬぐえない。互いの凹凸を埋め合い、背中を押し合えるような兵法があれば軍配はこちらに上がるのだが――。
「アワ、氷架璃」
 その時、背後から鈴の声が聞こえた。
 二人が振り返ると、そこにはいつのまにか主体になったリンが、彼らの影に隠れるように身を縮めていた。
 声を潜めて、彼女は言う。
「わたしも何か手伝えないかしら」
「あんたこそ戦えないだろ。それに戦わせたら、あとでファイに燃やされる」
 普段昼行燈なファイも、恋人のピンチとあらば、猫炎を出してもおかしくはない。
 リンは自分の無力さを理解したうえで、それでももじもじと申し出る。
「ここから、後方支援とかできたらいいんだけど」
「そりゃそうなんだけど、鏡像がこっちに体も顔も向けてる以上、下手なことをしたらバレるぞ。逆にファイはこっちに背中向けてるから、万が一下手な動きをされたら、ここからの攻撃がファイに当たりかねないし……」
 このやりとりも、柳青に目をつけられると厄介なので、氷架璃は前を向いたまま最低限の口の動きでリンに答えていた。
 逆なら都合がよいのだ。ファイがこちらを向いていて、柳青が背中を向けていたならば、柳青に気づかれないように奇襲を仕掛けられるし、こちらの動向は味方であるファイの目には入るだろう。
 だが、ここから反対側に移動しようものなら、柳青に気づかれるわ、ファイの炎が流れてきかねないわと、いいことがない。
 どうすればいい。
 形勢逆転というタイムリミットが、あとどれほどに迫っているのかわからず、焦る頭で氷架璃は考える。
 彼女と同じ方向を見ながら、ここまでの話を聞いていたアワが――やはり小さくつぶやいた。
「ああ……なるほど。その手があったか」
 顔を動かさないままアワを流し見た氷架璃の目が、同じようにして氷架璃をうかがうアワの黒い瞳と合った。
「ナイスだ、氷架璃。それを利用しよう」
「え? は?」
「時間がない。簡潔に作戦を伝えるよ」
 アワの作戦伝達は極めて簡約されていた。アクションとそれにより起こる事象を、一言ずつ箇条書きしたようなものだった。
 全て聞き終わると、氷架璃はわずかに顔を渋くした。
「それ、思い通りにいくかな」
「やってみなきゃわからないけど、でも――」
 アワは小突くように、少しばかり重い期待を相棒に乗せる。
「この作戦を成す二重の拘束と二重のめくらまし。その要は君だよ、氷架璃」
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