フィライン・エデン Ⅲ

夜市彼乃

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13.水鏡編

63スワンプマンの実証実験 ⑩

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***

 観察し続けていれば、わかることだった。
 赤髪の少年が両手を振り回して投げつけてくる炎の塊。その大きさはまちまちだが、上限と下限は把握したので、範囲は絞れる。右手で投げつける炎は真っすぐ飛んでくる一方で、左手で投げつける炎はやや下方向に寄る。利き手の関係だろう。威力は炎の大きさに比例する。
 以上のことを読み切った柳青は、五分以上にわたってのべつ幕なしに炎を投げつけ続けるスタミナに感心しながらも、攻撃の単調さを内心で嘲笑しながら、反撃へのカウントダウンを始めた。一瞬の隙をつく得物には、鋭利な水の刃を選ぶ。
 右の炎を水砲で迎撃。左の炎を同じようにして迎撃。再度、右の炎。そして、次の左の炎。
 ここだ、と確信した。直径は小さく、下方どころか柳青から見て左方向にも寄りすぎていた。つまりは、足で回避できる攻撃。
 水術の相手にさせることもなく、無造作に軽い足どりで、柳青は飛んできた炎を後方に流した。代わりに、空いた手を術者本人に向ける。そろえた指先から湧き出る水は薄刃。標的は一撃必殺の頸動脈。
 次なる右手の炎が産声を上げる。だが、それよりも早く、掻き切る一撃を放つ――直前。
「――盲爛もうらんッ!」
 突如として、柳青の視力を、突き刺すような白が奪った。
「うぅっ!?」
「お? 何だ?」
 やにわに目元を腕で覆った柳青を見て、ファイは不思議そうに手を止めた。その目は変わらずはっきりとした視界を保っている。この場に一瞬だけ炸裂した強烈な閃光など、どこ吹く風だ。
 それもそのはずだ。柳青は光源の方向を向いていたのに対し、ファイはそちらへ背をむけていたのだから。
 凛々しくも小さな声で唱えられた氷架璃の言霊は、少し距離のあるファイの耳には届かなかったらしい。振り返ることもしない彼の背中越しに、今度はリンの星術が発動する。
「閉じ込めろ、五針郭っ」
 柳青は視覚を奪われ、前にも後ろにも動けない状態だ。よたよたとたたらを踏むその両足元に、淡い光を放つ五芒星を基調とした魔法陣が現れた。途端、彼の両足は見えない手につかまれたように動かなくなる。
 盲爛は目くらましだ。しかし、同時に視覚を奪うことで動きを封じる拘束でもある。そこへ加えての、下肢への桎梏。
 知覚的拘束に次ぐ、物理的拘束。二重の拘束が、柳青に主導権の掌握を禁じる。
 敵に明確な劣勢が見えた。ならば、この少年がおとなしくしているはずもない。
「リンの術か! サンキュー! そして隙ありィ!」
 柳青の足元の魔法陣で状況を知ったファイが、両手を掲げて炎を生み出す。あれだけ大盤振る舞いしておきながら、同じ調子で湧き続ける火種は底を知らない。
 渦巻く炎は綿あめのようにまとまって体積を増やしていく。やがて、一抱えもある灼熱の塊となった。
 そのころには、柳青の視覚も回復し始めていた。だが、一方で足が五針郭に順応することはない。
「くっ……!」
 柳青は何とか足を動かそうとする。しかし、泥沼にはまったようにびくともしない。
 対するファイは、容赦なく動く。
「おりゃあ!」
 無慈悲な炎が柳青に迫る。回避能わず、ならば柳青に許されるのは水術での迎撃のみだ。冷や汗すらかきながら、柳青が腕を伸ばす。瞬時の対応ゆえか、その手から放たれた荒波は、炎の直径と同程度の幅しかもたない局所的なものだ。
 灼熱をまといながら襲い掛かる巨大な炎。かき消そうと立ち向かう水の壁。
 衝突する荒々しい炎と水。その接点から、大量の蒸気があふれだす。柳青とファイを中心に、さながら視界を遮るカーテンのような湯けむりが広がっていく。
 彼らの世界を、白が包み込んだ。勝負は視界が戻った直後だ。
 そして、今日の天候ならば、膠着は長くはなかった。
 吹き抜ける秋風が幕を取り払う。
 クリアになった戦場。そこで一番に動いたのは。
「斬り裂け、游断っ!」
 響き渡ったのは、水を操る者の声。この戦場に二人いるうちの、の声だった。
「なっ……!?」
 柳青は驚愕と共に振り返った。先程までファイの後方にいたはずの人物が、いつの間にか九十度回り込んで柳青の左方向に立っていた。
 ――いつの間にか、ではない。明らかに、真っ白くけぶる蒸気を隠れ蓑にした移動だ。
 柳青とファイの間を中心に広がる蒸気は、二人の視界を奪ってからアワの視界をも遮るまでにわずかながらタイムラグがある。それを利用したのだ。
 敵に隙ができれば、ファイは全力の炎を見せる。そして回避不能の状態でファイに炎を向けられれば、柳青は同様に渾身の水で迎え撃つしかなくなるだろう。それらがぶつかり合った結果、ファイが登場した時と同規模の蒸気が発生する。
 それこそが、盲爛に次ぐ第二の目くらましだ。
 相対する柳青とファイが、作戦立案者であるアワにとって自分自身と旧知の友であるがゆえに叶った、行動の先読みによる作戦。
 目論み通りに運ばれた事態の終着点で、柳青の利き手方向をとったアワの手から、鋭い水の刃が放たれた。
 柳青の左手が動く。その手から同じ游断か、その他の強力な水術が放たれれば、アワの水術は敗北する。それはすでに証明済みだった。
 だが、彼の手はアワに向けられる道半ばで動きを止めた。止められた。
「っ!?」
 動かしかけた柳青の左腕を中心として、五芒星の魔法陣が輝いていた。小さくても効力を発揮するその術は、中途半端な位置で柳青の腕を拘束し、頑としてアワの方へ向けさせようとはしない。
 緊急出動の右腕は間に合わなかった。
「っああああ!」
 研ぎ澄まされた水の刃が、柳青の左腕を通過し、向こう側の林へと抜けていく。腕一本分の質量の水が地面に滴り落ち、左の二の腕から先を袖ごと失って悶える柳青という絵面は、氷架璃の手によってリンの目からは隠された。
「とどめだ! 燃えろぉぉ!」
 ファイが雄叫びとともに、突き出した右手からまっすぐに炎を噴射した。火炎放射の術である灼龍破に似て、しかし指向性も密度も甘い、中途半端な力。けれど、勢いの激しさだけは、まさしく馬鹿力というにふさわしい。
 まだそれだけの余力を残しているファイに、もはや苦笑いさえ浮かべながら、氷架璃たちは昼行燈が燃え上がるさまを見届けた。
 窮地の柳青が、叫声と共になおも抵抗を見せた。右手で洪瀧を放つ。
 正面からぶつかり合った炎と水は瞬く間に相打った。先程の比ではない量の白い蒸気が、爆発的に辺りに広がる。
 いくら広い空間といえど、さすがにこの量の蒸気はすぐには霧散しない。突如現れたサウナのような熱に、氷架璃たちは思わず顔をかばって体をよじった。
 熱い空気が髪を、衣服を湿らせる。肌をじっとりと濡らし、不快指数を急速に上げながら徐々に薄らいでいく。
「……っ」
 耐え忍ぶ数秒の後、恵みの風が吹き流れた。肌に触れる空気が、一気に心地よいものになる。
 氷架璃はつぶっていた目を恐る恐る開けた。顔を覆っていた腕もゆっくりと下ろす。
 同じようにする仲間たちの視線の先に――灰色髪のアワはいなかった。
 周囲を警戒しながら、氷架璃はリンを連れてファイの方へ歩み寄る。
「やった……のか?」
「わかんねー。何も見えなかったからな。けど、リンの術で動きを封じられてたはずだから、逃げられなかったと思うぜ」
 その割には何も残ってねえ、と首をかしげるファイの横で、リンが声を上げた。
「もしかして、クロみたいに消えちゃった……とか?」
「あー、可能性はあるな」
 頭をかきながら、氷架璃が賛同する。シズクが作り出した水で構成された体なら、通常のフィライン・エデンの猫たちのような終わり方はしないだろう。跡形もなくなっていてもおかしくはない。
 ひとまず、難は去ったとみていいだろう。その結論に至り、安堵からか、氷架璃はどっと疲れを覚えた。
「ったく……アワの鏡像のくせに、てこずらせやがって……。四人で協力してやっと倒せるとか、チエアリ並みの強敵じゃんか……なあ、アワ?」
 揶揄しながら、相棒に視線を向けようとして――どこにも、その姿を見つけることができなかった。
「あれ? アワ?」
 きょろきょろと見回す。水浸しの地面、近くに茂る木々の群れ、もう誰も入ってこようとはしない入口からの道。薄暮の公園広場にたたずむのは、三人だけだ。
「あら? どこへ行っちゃったのかしら」
「あのヤロー、礼くらい言えっつの。さてはオレに借りを作るのが嫌だったな?」
 懸命に辺りを見渡すリンと、胸を張るファイの言葉は、氷架璃の耳にはそよぐ風の音に等しかった。
 敵を倒した達成感も安心感も忘れ、氷架璃の口から、困惑と少しの不安が混ざった声がこぼれた。
「アワ……?」

***

「くっ……」
 林の中、よろめきながら歩く人影があった。
 彼は童話のヘンゼルとグレーテルが道しるべを残すがごとく、土の上にぽたぽたとしずくを垂らしながら歩を進めている。しずくは、左腕があった場所からこぼれていた。
 通常とは異なる作りの体といえど、失った腕が戻ることはない。本来ならこれほどまでのケガを負えば失血死に直結するところだが、そこに至っていないだけまだ異常というべきか。とはいえ、それも近かった。
 満足に歩くこともままならず、まして再度戦場に立つなどもってのほか。
 そんな状態の彼にとって――その声は、死刑宣告に等しかった。
「やあ」
 呼吸が止まった。数拍おいて、それを震えとともに再開しながら、柳青はゆっくりと振り返った。
 木の葉を踏み分けて歩み寄ってきたのは、仲間に愛されし正真正銘の流清家の正統後継者。
「逃がさないよ、鏡像」
 すっかり回復したためか、戦闘中とは変わって悠然とした態度で、そう言い放つ。
 いつもの豊かな表情が欠落した顔に木立の陰がかかるも、黒い瞳だけは陰ることなく柳青をひたと見据えていた。
「どうしてここがわかったんだい」
「簡単な話だよ。あの場で、ボクら四人の視線をかいくぐって姿をくらますには、ボクがいた方と反対側にあった木立の中に飛び込むのが一番確実でしょ。一度ファイの炎に水を浴びせて蒸気を起こしたのち、それを煙幕にしながら、洪瀧を地面にでも向けて、反動で五針郭から逃れたんだ。あの術は自力での体動を封じるものであって、体の一部をその場に縛り付けるものじゃない。水圧で自らの体を押し出したんだね」
「……見えていたのかい?」
「まさか。もしまだ生きているとしたら、その線しかありえないってだけだよ。もちろん、あのままお陀仏になっている可能性もあっただろう。けれど、仕留め損ねたと思っていたら実際には倒せていたという結末なら儲けものでも、その逆は痛手だ。ボクはね、人間を守るためなら無駄足だって上等なのさ」
「……へえ」
 アワの言葉に、柳青は自虐的な笑みを浮かべた。
 真っすぐに人間を想う信条。流清家の正統後継者の模範。
 リュウショウアワとして正しい少年。
 そんな彼が、静かに、だが容赦を捨てた面持ちで柳青に近づいてくる。
 対する柳青は片腕を欠損し、血液にあたる水を多く流しすぎた状態だ。今、再戦したとして、柳青に勝ち目はなかった。それどころか、水でできたその命をつかさどる部分が観念したのか、足が力を失い、木の幹を背にそのまま座り込んだ。これで、もう逃げることも叶わなくなった。
「それで」
 口角を上げるものが自虐から諦めに移ろう中、柳青は木に背中を預けながら言った。
「ここでボクを殺して、本物の座を保守しようということかな」
 柳青は頭を上げ、すぐそばまでやってきたアワを見上げた。きっとこの距離から放った術は何であろうとアワに命中するだろうが、その選択肢は柳青の中から抹消されていた。
 アワもまた、それを悟っていたからこそ、刀印を構えることもせず柳青の前にたたずんでいる。
「君みたいなのが本物だということが遺憾で仕方ないよ。自分の本心に従えない、君みたいなのがね」
「……何が言いたいんだい」
 静かに尋ねるアワに、柳青は「ふはっ」と嘲るような笑い声をこぼした。
「わかってるくせに。しきたりにへりくだって、たった一つの恋心にすら素直になれない意気地なし」
 それは、弱り切った偽者の最期の抵抗だった。口先から出る、無視回避反論反撃も許す攻撃。
 なのに、それはどんな強力な術よりも的確にアワに向かい、抗う余地もなくその胸の奥に突き刺さった。
 アワはしばらく黙っていた。
 やがて、ゆっくりと口を開いた。
 どうせ、相手はここで潰える命だ。
「なれるわけ、ないでしょ」
 だから、こぼれた言葉は心の底から湧き出た本音だった。
 拳を握る。状況を変えることなどできない非力な手を、強く、強く。
 隠して隠して、苦しいほどに膨れ上がった秘密を打ち明けるのが、いずれ封じられる口だからとはいえ不倶戴天の敵だなど、不本意でならない。けれど、一度顔を出した感情の奔流は、もうあふれ出すしかなかった。
「この感情は家のしきたりに背く。その成就は二家の未来を揺るがす。ダメなんだ……罪なんだよ。生まれたこと自体が間違いみたいな恋なんだ。たとえフーもまた、同じように想っていてくれたとしても……この想いに素直になれなんて、そんなこと、できるわけ……」
「ボクならできる」
 とめどなく流れ出るアワの嘆き節は、たった一言で打ち破られた。見開いて硬直したアワの目には、実体のないはずのその言葉が、ひどくまぶしく感じられた。
「生まれてきたことの是非を決めるなんて、傲慢だとは思わないかい。ボクに対してといい、自分の感情に対してといい。自分の存在が間違いでない証明もできないくせに。ボクならできる。ボクにはあるんだ。世界の全てを敵に回しても、フーを愛する覚悟が」
 強い、強い言葉だった。躊躇の欠片も迂遠の余地もなかった。
 柳青がアワを見上げる。その目は精彩を失い、衰弱した体力を鑑のように映し出しているのに、感じる威圧感は出会った瞬間のものから変わっていなかった。
 アワには絶対に口にできない心底しんていを、生き写しの彼は強い意志で言い放った。
 アワの心臓がざわついた。侵されてはいけない領域が侵される強烈な予感。
 本能的な対象の排除命令が、刀印を結んだ手を柳青に向けさせた。
 銃のような形をした指先を突き付けられながら、彼は薄ら笑う。
「君はそうやってこれからも、自分の気持ちを抑圧したまま生きていくのかい。たった一度の生涯をさ。それはもったいないよ。どうだい、ボクがかわりに君を生きてあげるっていうのは。そのほうがリュウショウアワにとって幸せだろ」
「流清アワはボクだ」
 なぜか震える声で、アワは反駁した。指先はすでに小刻みにぶれていた。
「君の誘い入れの先にあるのは、ボクの幸せじゃない。君の幸せだろ」
「じゃあ、君は君の選択で幸せになれるんだな?」
 アワの瞳が、一瞬大きく揺れた。
 喉は、ただ浅い呼吸を繰り返すだけだった。
「なれるんだな?」
 まるで、水一滴も絞り出せないからからの泉。
 黙秘ではなく、閉口。
 それが、彼の答え。
 そうと悟って、柳青はふっと笑う。
「ボクからの問いは、君自身からの問い。胸に手を当てて、よく考えるんだな」
 柳青からの、最期の言葉。最後の一撃。
 それを理解していたから、アワは力を振り絞って、三言目に対してようやく、反撃を口にした。
「――穿て、流丸」
 銃口から飛び出した鉛弾のように、刀印から放たれた水の弾が柳青の頭を撃ちぬいた。
 額に穴を空けた柳青は、数秒ともたずに水と化した。
 今ここにいた、信条を強く語った命は、永遠に物言わぬ無機物となった。
 零れ落ちて地面に広がり、アワの靴をわずかに濡らす。
「……――」
 ゆっくりと、腕を下ろす。
 息が震える。手がわななく。
 林の中にたたずむのは、勝者一人。
 あるいは、敗者一人かもしれなかった。
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