フィライン・エデン Ⅰ

夜市彼乃

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1.フィライン・エデン編

3綺麗な花には但し書き 後編

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 沈黙が、重い余韻を響かせた。リーフはかすれた声で、
「こ、殺された……!?」
「うん。家に帰ったら、母さんが血だらけで倒れとって、そばに親父がいた。親父の目……私が『父さん』って慕ってた時の目と違った。一緒にいた姉貴と妹もそれば感じたらしくて、すぐに私と一緒に逃げた。助けを呼んで、家に帰った時には、母さんはもう死んでて、親父はいなくなっとった。身の危険を恐れた私たちは、親戚のとこば転がり込んだんやけど、姉貴と妹は九州、私だけ東京の親戚の家ば行って……。その親戚も外国に行くっていうんで、今住んどる神社に居候しとると」
 ユウも息をのんだ。
「なんだか……とても大変だったのね」
「まあね。そういう意味では、私はイレギュラーやけど、フィライン・エデンに来る資格を得るには不自然やけん、この前は言わんかったと」
「そうだったのね」
 リーフとユウの吐息が、静寂に溶けた。
 さっきまでのにぎやかさが消えてしまっていることに気づき、雷奈は無理に声を張り上げる。
「ば、ばってん、今こうして元気でやっとるけん、大丈夫! それより、花選び、再開しよう!」
「そうね。ごめんなさい、変なことを聞いてしまったわ」
「気にせんで、ユウ。そうだ、ユウはどの花がいいと思う?」
「そうね……」
 唇に指をあててじっくりと店頭を眺めると、
「この花はどうかしら」
「青くてきれいやね。ワスレナグサかな?」
「ううん、それはワスレログサ」
「ワスレ……え、忘れちゃうと?」
「ええ。ワスレナグサによく似ているけど、子葉の形が違うのよ」
「それだけ?」
「ええ」
「但し書きとか、ない?」
「ないわ」
「つがいのネズミみたいに増えたりしない?」
「しないわ」
「悲鳴あげない?」
「あげないわ」
「時間たってもサムライの顔にならない?」
「ならないわ」
「血吸わない?」
「吸わないわ」
「気胸に至らしめない?」
「至らしめないわ」
 念には念を押し、おまけの念を押してとどめの念を押す。そうして初めて、雷奈は肩の力を抜いた。
「わかった。これ、ちょうだい」
「まいどありー。あ、お金は人間界の円で大丈夫よ」
「共通と?」
「そうよ」
 ようやく売買が成立し、雷奈もリーフも笑顔だ。
「ありがとう、リーフ。……ちなみに、この花、なしてワスレログサっていうと?」
 ワスレナグサには逸話がある。
 ある男性が、女性のために川辺の青い花を取ろうとした。ところが、男性は川の流れに飲まれてしまう。彼は、「僕を忘れないで!」と叫んで女性に花を投げてよこした。男性はそのまま水に流されて消えてしまったが、女性は男性のことを忘れず、花を大切にしたという。
 同様の逸話があるのか、と雷奈は問うたのだ。
「あるわよ。昔、あるところにカップルがいてね。仲良く過ごしていたんだけど、ある日、女性のほうが男性のへそくりを盗んだの」
「は!?」
「男性は当然怒ったわ。でも、次の瞬間、女性は青い花を投げて叫んだの。『私を忘れて!』」
「なんて非道な!?」
「そして男性は、女性のことを忘れて、最初から独り身だったかのように、静かに暮らしましたとさ」
「金返せよ、女性! っていうか、その話、本当にあったと!? この世界は犯罪はなかったんやなかと!?」
「さあ? ただの物語なんじゃないかしら」
 開いた口が塞がらない雷奈だが、逸話は逸話、花の美しさを傷つけるには値しないと割り切って、改めてリーフに礼を言った。
「まあ……その、とにかく、ありがとう。神社のおばさんに頼まれとったと。とにかく可愛か花探してきてって。ばってん、近くの花屋が臨時休業で、思い出したのがここ! 助かったばい」
「あら、居候している神社の方のおつかいだったの!?」
 リーフは目を丸くして、
「……だったら、人間界のお花を勧めればよかったわ……」
「あったと!?」
 石化する雷奈に、リーフは必死で弁解した。
「だ、だって、珍しい花っていうから、てっきりフィライン・エデンの花が欲しいのかと……。だってあなたたちにとっては珍しいでしょ?」
「リーフ、お客さんの要望の聞き取りから修行ね……」
 ユウの指摘に、リーフは意気消沈ぎみだ。
「……ごめん、何なら取り換えるけど……」
「いや、よかよ。これも可愛か花やけん。ありがと、リーフ」
 最終的に、雷奈がそう言って笑ったので、リーフも反省の色を浮かべつつ笑顔。礼を言って、見送ろうとした時、ユウが雷奈を呼び止めた。
「今回選ばれた人間は、他にも二人いるのでしょう? その二人にもよろしくね。あと、私の家族や親戚は、医療従事者が多いの。このあたりにいる姉も医者だから、もし何かあったら遠慮なく頼ってちょうだいね。例えば、気胸になったりとか」
「!?」
「冗談よ」
 いつもすまし顔のユウは、珍しく年相応のいたずらっぽい表情をした。雷奈は苦く笑いながら、「頼るばい」と手を振って、帰っていく。
 それを見送って、リーフはやっと二人目の客の接待に入った。
「お待たせしちゃったわね、ユウ」
「いいわ。私も、選ばれし人間には興味があったから。それも、想定外の三人目……。この狂った時間と何か関係があるのかしら」
「まあ、偶然にしては、ね。でも、慣れるの早いし、別に問題ないんじゃない? このまま過ごしてもらっても」
「そうかしら」
 ユウは横髪に触れて目を伏せた。
「案外、これらの花と同じだったりして」
「……どういう?」
「本来見えないはずだったワープフープが見え、気づくはずのなかった時間のループに気づいた。それは花が咲くがごとく、開花した才能のようなもの。きれいに咲いた能力の『ただし』の先は何かしら」
 時折見せるこの謎めいた雰囲気は、彼女自身の性質によるものか、あるいは「念」という、見えないものを操る類の猫種によるものか。
 固唾をのんだリーフに、次に視線を向けた時、ユウの表情はいつものしとやかな笑顔だった。まるでさっきのオーラが一瞬の気の迷いだったかのように、何もなかったかのごとく軽やかな声で、
「とりあえず、一番おすすめのお花、いただける?」
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