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1.フィライン・エデン編
3綺麗な花には但し書き 前編
しおりを挟む樹香リーフは、今日も元気に店番をしていた。
「リーフ、この花はどこに置こうか?」
「それはこっちに。あっちの花とケンカしちゃうから」
「このお花、なんだか元気がないみたいなんだけど……」
「それは夕方頃から元気になる花だから大丈夫。お母さんってば、知らないの?」
かつては両親が主体となって切り盛りしていた花屋・樹香の花処は、今は跡継ぎのリーフが回している。両親からノウハウを学びながら、自身も熱心に勉強しているため、今や知識は互角か、両親を上回っている。父母はもっぱら、裏で作業をすることが多く、リーフが接客などをしていた。
「嬉しいわ、リーフ。ほかの子たちは外に働きに出ちゃうんですもの」
「何言ってるの。お母さんとお父さんが私に期待をかけすぎるから、兄さんも姉さんも、さくらも外へ出ちゃったんじゃない。それに、兄さんはその業界では結構名が売れているらしいし、さくらは公務員よ。従妹二人も公務員になったし、誇らしいじゃない。姉さんは……まあ、元気に放浪してるんじゃないかしら」
「元気ならそれでいいわ」
リーフの母親はおっとりとほほ笑んだ。
「それじゃ、リーフ。父さんたちはまた奥で作業をしているから、困ったら呼んでくれ」
「うん、ありがとう」
手を振り、家の中へと入っていく両親を見送った直後、彼女の耳に聞き覚えのある声が届いた。
「おーい、リーフ!」
店から半身を出して見回すと、一人の少女が走ってくるのが見えた。足元まで届く長い髪と、白を基調としたセーラー服。先日出会ったばかりの人間、三日月雷奈だ。
「あら、雷奈! 今日は一人?」
「うん! 学校終わって、一回帰ってから来たと!」
「一人でワープフープをくぐってきたの? 日が浅いにしては、勇気があるのね」
「何も怖くないって分かったけんねー」
雷奈はそう言って笑うと、店頭の花々を見渡した。
「この前はよく見てなかったばってん、たくさんあるとねー!」
「リーフのお店は、けっこう有名店だからね」
落ち着いた声がして、雷奈とリーフはそちらに顔を向けた。雷奈が来た方向とは反対側から、紅がかった淡い藤色のポニーテールを揺らして、少女が歩み寄ってくるところだった。
「えっと……?」
「知念ユウよ。初めまして、人間のあなた」
ひどく大人びた雰囲気のする少女だ。臙脂色の目はしとやかで、歩き方、たたずまい、話し方、どれをとっても品の良さがうかがえる。ユウの人となりを知っているリーフからすれば、さもありなんといったところだ。
「初めまして! 私は三日月雷奈ばい」
「雷奈ね、よろしく。あなたも花を買いに来たのかしら?」
「うん!」
「え、そうだったの!?」
驚いたのはリーフだ。
「え、なして驚くと?」
「てっきり、遊びに来たのかと……」
「ううん、今日は花ば買いに来たと。なんか珍しいのないかなーって」
「おおっ! それなら私が見繕ってあげるよ!」
「なんだかおもしろそうね。私も少し見物していこうかしら」
リーフは店頭の隅から隅まで見渡すと、「珍しいもの、珍しいもの……あっ!」と声をあげて、花を一輪持って行った。
「これなんかどうかな?」
「これは……チューリップったいね」
茎のてっぺんに乗った、赤くて大きな一つの花。つつましやかな、丸みを帯びたシルエットで、ぱっとした華やかさはないものの、奥ゆかしさを感じさせる一輪だ。
「人間界のチューリップに似ているけど、これは違うの。キスリップというのよ」
「キスリップ……? あ、チューとキスをかけとると? 口づけ的な意味で」
「半分正解ね。この花はね、単性花なのよ。単性花ってわかる?」
「えっと……雄花と雌花が分かれとる花? あれ、ばってん、チューリップはおしべとめしべが一つの花にあるって、理科で習ったような……」
「そこが、人間界のチューリップとの大きな違いね。この赤いのは雌花。そしてこっちが……雄花よ」
「わあ……っ!」
雷奈は驚きを隠せなかった。リーフが追加で持ってきた一輪は、同じ種類ながら、鮮やかな青色をしていた。
「すごか! 青いチューリップ……いや、キスリップ? ばってん、見た目はチューリップやけん、青色のなんか、見たことなかよ……!」
「わかりやすいでしょう? 色が雄花と雌花の見分け方よ。そして、キスリップと呼ばれる所以は……」
リーフは両手に持った雄花と雌花を、少しずつ近づけていった。すると、ゆっくりと、しかし確実に、二つの花が互いのほうへと首をかしげていった。
「え、どうなっとーと!?」
「キスリップは、異性の花を近くに認めると、こうやって頭を持って行って、くっついて、直接受粉するの。まるでキスするみたいだから、キスリップというのよ」
出会った二輪は徐々にその距離を縮め、恥じらいながらも口づけを――。
「あれ、なして引き離すと?」
「いや、ここで受粉すると、店の前がキスリップだらけになっちゃうから。まあ、それはそれで、仕入れの手間が省けていいんだけど」
「ふうん……? ばってん、青いチューリップなら珍しか。これ、買ってよか?」
「待って、雷奈。リーフ、『店の前がキスリップだらけ』について、もう少し詳しく説明したほうがいいんじゃないかしら」
ユウが制止した。不思議そうに瞬きをする雷奈を見て、リーフは「ああ、そっか」と笑うと、
「とてもロマンチックで可愛い花なんだけど、但し書きがあってね。ものっすごく繁殖力が強いのよ」
「……というと?」
「一回キスしたら、一晩で種を十も飛ばして、周りにまき散らされる。その一粒一粒が発芽して花を咲かせるまでに五日とかからないわ。その新たな十輪がまたキスをして……。最高記録は、一週間で五輪から四五〇輪超えの繁殖って聞いたことがあるわね」
「つがいのネズミか!?」
「まあ、その分なのかどうなのか分からないけれど、寿命も短いの。フィライン・エデンがキスリップだらけにならないのはそのおかげね」
ユウがそうフォローするが、雷奈はまだ呆然としている。
「ぶっちゃけ、雄花と雌花を届かない位置に飾っておけば何の問題もないのよ。どうする? お買い上げ?」
「いや……やめとくばい。寿命が短いってのは欠点だし」
「それはそうね。長く愛でられる花がいいし。じゃあ、こっちはどうかな? けっこうもつわよ」
次にリーフが持って行ったのは、幾重にも花弁が重なった一輪。八重桜のつぼみのようだが、配色は非常に鮮やかで、赤、黄色、黄緑と、一回りごとに異なっている。
「これは?」
「カワベジュウニヒトエよ。人間界のジュウニヒトエよりも、十二単らしいでしょ?」
「うん、本当に十二単ば着てるみたい」
「花びらが五重にもなっているのよ。花占いの定番で、色ごとに占いの目的が違ったりするの。赤は恋愛、黄色は友情、っていう風にね。一度やってみる?」
「え、よかと? これ、売り物なのに……」
「商品アピールのためなら、一輪くらい、いいわよ。どうぞ」
「ありがとう! 一番外側の赤色は恋愛運だったね。じゃあ、運命の出会いが、ある、ない、ある、ない……」
一片ずつ花弁をちぎっていき、
「ある、ない……ある!」
最後の赤い花弁をとった瞬間。
キャーッ!
声は、花から聞こえた。
「……」
「……」
「……なんね、今の」
「花の音っていうか、声っていうか。マンドラゴラ的な? あ、聞いても大丈夫なやつよ」
「なんか……悲鳴に聞こえたんやけど……」
「そりゃ、十二単の衣一枚、無理にはがしたんだものね」
「……」
「ちなみに、全部剥がすとすぐに枯れちゃうのよ」
「ものすごい背徳感のある花占いっちゃね!?」
花とはいえ、身ぐるみ剥ぐ趣味はない雷奈は、げんなりしながらも別の花を所望した。
「じゃあ、これはどう?」
「これ……まだつぼみっちゃか?」
「いいえ、寝ているだけよ。これはサムライガオ。アサガオが朝咲くなら、これは夜中に咲くの」
「ユウガオやヨルガオとどう違うと?」
「すっごく短い時間しか咲かないのよ。午後の十一時台だけ。十一時前から開き始めて、日が変わるころにはもうしぼんでいるわ」
「へえ……? あ、分かったばい。十一時台に咲くけん、サムライったいね。ニシムクサムライ、って感じで、十一のこと、サムライっていうし」
「違うわよ。咲いた花が落ち武者の顔に見えるからよ」
「ホラー!?」
「ちなみに、とてつもなく無念な顔をしているわ」
「いや、いらん! そんなの夜中に見たらトラウマったい……」
首をぶんぶん振る雷奈に、リーフは少し困り顔になった。
「なかなかお気に召すものはないわね……。あと、珍しい花っていったら、これかなあ……。ヒトアヤメ」
「白いアヤメっちゃか」
垂れた花弁の内側に、ばんざいしたように立っている花弁がある、立体感を感じさせる花だ。花弁は白いが、中心部分はやや赤みがかっている。
「きれいでしょ? でも、これも但し書きがあってね」
「また?」
「これに対する敵意を察すると、ここ、花の中心、柱頭っていうんだけど、ここを突き破って、つるが飛んでくるの」
「……は?」
「つるの先端は鋭くなっていて、そのまま体に刺さるようになっていてね。刺した部分から、血を吸うのよ」
「ちょちょちょ……」
「まあ、敵意って言っても、人間か、人間姿になった猫ね。人の形をした敵を殺めると言われる……」
「ヒトアヤメって、人殺め!?」
「ちなみに、血を吸うと、白い花が赤く染まるのよ」
「これちょっと赤いけど!? もう誰か吸われたと!?」
「それにしても、花粉をくっつけるための柱頭を突き破ってまで外敵を排除するなんて、種を守るためには犠牲をいとわないわねー。群生しているから、他の個体を守ろうとするのね、きっと。こんなたくましい花はいかが?」
「人間に勧める花ではなかね!? 遠慮しとくばい!」
必死に距離をとる雷奈に、リーフは残念そうな顔をしながらも、めげない。
「では、こちらは? キキョウユリよ」
見た目は紫のキキョウのようだが、長い花糸がユリらしさを醸し出している。
「きれいでしょ?」
「……きれい、ったいね」
「ただし、ね」
「……そればっかりったいね」
「敵意を察すると、大量の花粉を飛ばすの。吸い込むと、肺から空気が漏れ出す障害を引き起こしてね」
「……」
「早い話、気胸になるのよ」
「気胸百合!?」
「……いらない?」
「いるわけなかろ!? なしてそんな変な花ばっかりっちゃか!?」
頭をかきむしる雷奈と、苦笑いを浮かべるリーフ。二人を傍観していたユウは、ふと口を開いた。
「あの、話の腰を折ってごめんなさい。……雷奈は、東京の人ではないの?」
「うん? ああ、私、種子島出身ばい。種子島ってわかる?」
「九州と呼ばれる地方にある島でしょう? 学院で習ったわ。引っ越してきたの?」
「引っ越したっていうか……逃げてきたっていうほうが正しかね」
やや不穏な響きに、リーフとユウの表情が曇る。雷奈は慌てて手を振って、
「ごめん、びっくりさせたったいね。……ちょうど、アワとフーにも今日、話しとったんやけど……」
左下から右下へと視線を巡らせ、雷奈はためらいがちに口を開いた。
「私の母さん、親父に殺されたとよ……」
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