フィライン・エデン Ⅰ

夜市彼乃

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2.覚醒編

8黒靴下盗難事件 後編

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***

 昼休みのグラウンドは遊戯のサラダボウルといえる。サッカー、バレーボール、キャッチボール――数人単位で集まって、午前中の四コマの授業で凝り固まった体を、思い思いの方法でほぐしている。
 そんな中を突っ切る黒い影……と、卑怯者と薄情者と裏切り者のトリオ。
 傍から見れば、彼女らも疾走という形で学業ストレスを発散しているように見える。それにしては必死の形相であることには、周りの生徒たちは当然のこと気づかない。
「やっべ、このまま行ったらまたグラウンドの端っこで外に逃げられる! 二の舞だぞ!」
 グラウンドの周りは、天高くそびえる防球ネットに囲まれている。しかし一部、搬入車両や緊急車両の乗り入れのため、先ほどの針金フェンスほどの高さしかない鉄格子の門になっている。ほかの生徒たちにぶつからないよう、また怪しまれないよう移動しているうち、運悪くクロは門のほうに向かってしまった。
「どうする、雷奈!」
「……っ!」
 出し抜けに、雷奈は走りながら両手を前に突き出した。手のひらからクロまでの軌道上を意識して、強く念じる。
「な、何やってんの?」
「氷架璃も芽華実も猫術ば発動した! だったら、私も!」
 渾身の精神力を込めて手のひらに集中するが、何も起こる気配はない。その間にも、クロはもう門の前だ。
「何か出ろ! ……何か出ろって!」
 雷奈の祈りは、虚しくもただの戯言と化す。尋常な人間なら考えられない彼女の奇行は、ここが人の視線の少ないグラウンドの端っこでなければ、間違いなく好奇の視線にさらされていただろう。
 ついに、クロが門の上に飛び乗った。もう一歩踏み出せば、完全に学校の外だ。そして、校則違反を覚悟したとしても、足をかけるところのない鉄格子の門は、雷奈たちには越えられそうになかった。
「あーっ……」
「ニーハイっ……」
「待ちなさいっ!」
 せめて思い切り伸ばした手が届けば、という願いを込めて、芽華実がクロに向かってジャンプした。
 ――結果、届いたのは手ではなく足だった。
「えっ!?」
 驚いたのは芽華実自身だ。まるで足がばねのようになったかのように高く飛び上がった彼女は、門の上に立つクロのしっぽを踏んづけていた。
「どうして……」
「芽華実、それは猫力だ!」
 氷架璃が叫ぶ。
「今、芽華実の目、緑になってる! 猫力が発動してるってことだ! ファイが言ってたろ、猫は人間姿でもジャンプ力や聴力は猫並みだって!」
「え……耳はいつも通りだけど……」
「それは後回しったい! とにかく、今なら草術も使えるはずったい!」
 雷奈の言葉で、芽華実は今の自分が追いかけることしかできない体ではなくなったことに気づく。何をどうすればいいかはわからないが、前回のように何か発動するかもしれない。そう思い、力を込めようとして……。
「ジャマ」
「きゃっ!?」
 クロが作り出した突風に、芽華実は体勢を崩してグラウンドのほうへ落下した。
「危ない! スライディンぐえっ」
 芽華実を受け止めようとした氷架璃が下敷きになった。それをおかしそうに笑って、クロはあばよとばかりに去ろうとする。
「待っ……!」
 無力さにこぶしを握り締めながらも、どうすることもできない雷奈。
 と、そこへ。
「ちょーっと待ったー!」
 明るい少女の声がした。少し幼いその声は、門の向こうから飛びあがると、薄紅色の姿を現した。
 変わった耳の形をした猫だった。アワやフーが、頭の上に三角耳がついているのに対し、その猫はやや横向きに、アーモンドを半分にした形に近い形の耳が生えている。しっぽはふんわりして大きく、首には赤い首輪。
「どこからか助けを呼ぶ声! 応えて参上、一番隊副隊長の水鈴みすず波音はのんだよーっ!」
「副隊長、ちゃんと相手が選ばれし人間か確認してから出ましたか!?」
「確認したしたー!」
 追って現れたのは、薄紫の猫で、こちらはフーやリーフと同じ耳やしっぽの形をしている。波音と同じく赤い首輪をしているが、中央に体と同じ色の、渦巻き模様のバッヂをつけている。彼女は波音よりも落ち着いており、年上だとうかがえた。
 二人はクロを挟むように門に乗ると、
「さおちゃん、あの耳につけてる靴下は燃やしちゃだめだよ! ここは蒸し焼きでいこう!」
「了解です!」
 波音は開いた口の前で水の渦を、薄紫の猫は片足で炎を生み出した。そして、
「波立て、沸泉ふっせん!」
「燃やせ、灼龍破しゃくりゅうは!」
 湯気の立つ熱湯の渦がクロを取り囲み、そこに炎が投入された。ただでさえ温度の高い熱湯は、炎で一気に蒸発し、中心のクロを蒸し殺しにする。声もなく黒い霧と化したクロから、はらはらとニーハイが落ちた。少し濡れているが、傷はない。
「いっちょあがりー! どう、雷ちゃん。靴下、大丈夫だった?」
「ら、雷ちゃん……?」
「その長い髪! 三日月雷奈ちゃんでしょ? だから雷ちゃん!」
 ぽかんとする雷奈だったが、彼女らがニーハイを取り返してくれたのは感謝すべきことだ。素直に礼を言った。
「ありがとう、波音と、……えーっと……?」
「申し遅れました、私は一番隊所属の早乙女因果と申します。突然現れてすみませんでした。驚いたでしょう」
「う、うん、ちょっと……。いつから見とったと?」
「靴下かぶったクロが柵に飛び乗るところからだよー。雷ちゃんが裸足だから、雷ちゃんの靴下だったんだなって思って。もちろん、めーちゃんが大ジャーンプするところも見たよ」
 芽華実の顔に緊張が走る。特殊な能力を使うことに、まだ後ろめたさを禁じ得ないのだ。波音はそんな芽華実の様子を見て、無邪気に笑う。
「別に悪いことじゃないよ。どうして人間が猫術を使えるか、まだわからないのはもやもやするけど……少なくとも、選ばれし人間以外が使えるよりはずっとマシ。何か理由があるはずなんだよ」
「ばってん、波音……なして私だけ使えるようにならんと?」
 ここが人間界の学校で、今は昼休み中であるということも忘れて、雷奈が問うた。
「氷架璃が覚醒して、一週間後に芽華実も覚醒した。あれから三週間たつのに、私だけ何も起こらん。なして……?」
「使えるほうがイレギュラーなのに、当然自分も使えるようになると思ってるんだ? まあ、仕方ないかな」
 波音は顔を洗うようなしぐさで、己のひげをはじいた。
「あたしにはわかんないな。そーゆー難しいのはもっと頭のいい子に聞いて?」
「頭のいい子……、ルシル、とか?」
 その名前を聞いて、波音がやや驚いたように目を大きくした。
「かみっちゃんを知ってるの?」
「かみっちゃん?」
河道かみちルシル。もしかして名前を聞いただけかな? かみっちゃん、確かに頭はいいよ。でも……」
 波音と因果が、ちらと視線を交わす。
「……もし聞くなら、同じ頭がいい子でも、こーちゃんの方がいいと思う」
「こーちゃんって?」
「大和コウ、あたしたちの隊長。だけど、今は無理ね。こーちゃんは任務中。あたしとさおちゃんは、こーちゃんに命じられて、こっち側に来たクロを退治てたの。一体逃したと思ったら、ニーハイかぶってスタコラしてたってわけ」
 そこで、頭上から鐘の音が鳴り響いた。予鈴だ。
「あ、チャイム鳴ってるよ。あたしたちも戻らなきゃ。じゃあね、雷ちゃんたち」
 一方的に言うと、波音はぴょこぴょことどこかへ駆けて行った。因果も「失礼します」と頭を下げると、その後を追う。三人は呆然と、その後ろ姿を見送っていた。
「おいっ」
「ひゃ!?」
 突然肩をたたかれ、氷架璃が身をすくめる。
「なんだよ。アワか」
「なんだよとはご挨拶だね、この卑怯者」
 いじけたような顔のアワの隣には、目を潤ませたフーもいる。
「ひどいよ、芽華実ぃ。置いてっちゃうなんて」
「ご、ごめんなさい。怒られちゃった?」
「ううん、大丈夫」
「ボクが記憶を消したからね」
「あんたの方がよっぽど卑怯だろ」
 氷架璃たちが軽口をたたいている間に、雷奈はすっかり冷えた足をニーハイに通した。濡れているので、余計に冷えそうだと思ったが、素足で靴を履く気持ちの悪さとはおさらばできそうだ。
「あ、取り返せたんだね」
「うん、希兵隊の猫が助けてくれたと」
「へえ……近くに希兵隊が?」
「うん。最近よく会うばい」
 蘭華と出会って迷子犬の家探しをし、さくらとリーフの姉妹喧嘩の際に霊那と撫子にも出会い、そして今日、波音と因果に出会った。追憶に伴って浮かんだのは、蘭華の時には氷架璃が、さくらの時には芽華実が猫力に覚醒したということ。希兵隊に会えば猫力に目覚める、などというジンクスを信じるつもりはないが、雷奈は心のどこかで、次は自分が覚醒する番だと思っていた。
「あの、アワ」
「どうしたんだい、雷奈」
「前に、氷架璃と芽華実が猫術に覚醒した、って話したでしょ?」
「言ってたね」
「ばってん、私は全然使えるようにならん。それってもしかして、アワが言ってたように、私がイレギュラーだから?」
 アワは腕を組んでうなった。
「そもそも、人間が猫力を使えるほうがイレギュラーなんだけどな……。今の段階ではわからない」
「でも、雷奈。使えるようになった私からすると、使えたら使えたで、ちょっと気持ちは複雑よ。あんな術を使えるようになったら、私……まるで人間じゃなくなるみたいで、なんだか不安なの」
 芽華実はそう言ったが、胸のもやもやは消えない。疑問と、わずかな劣等感。
 そこへ、チャイムが鳴った。
 懸案事項はいったん保留にし、教室へと急ぐ五人。しかし、雷奈の頭の中には、一つの名前が離れずに残っていた。
 その人物は頭がよくて、この件について目星がつきそうで、しかし誰もが紹介しようとはしない。
(いつか、その子に聞けたらいいのに。なして氷架璃と芽華実が猫術ば使えるのか、私は使えないのか)
 河道、ルシル。
 その名を口の中で呟き、雷奈はそう遠くない日に叶うことになる願いを胸にしまった。
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