5 / 54
1.フィライン・エデン編
1始まらなかった日常 ⑤
しおりを挟む
氷架璃は出しかけた言葉とともに息をのんだ。ひるんだ、といっても過言ではないのは、初めて声を荒らげたアワの気迫のせいか、その口からのぞいた牙が、おとなしい少年の成りをしていても獣の本性をちらつかせたからか。
アワは一つ呼吸すると、冷静さを取り戻して静かに話し始めた。
「フィライン・エデンの神……『君臨者』から一年前に受け取った神託によると、ボクのパートナーは間違いなく水晶氷架璃。そしてフーのパートナーは……」
「ええ、間違いなく美楓芽華実」
確認するようなアワの視線に、フーはしっかりと頷いた。
それを受け取って、アワは残る一人に目を向ける。
「雷奈といったね。君のことは、神託にないんだ。なのに他の人間と違い、君は時間の巻き戻りに気づいている。つまり、選人と同じ立場にいる」
真剣な目が、それを見上げる雷奈の大きな瞳をまっすぐに射貫く。
「雷奈――君は何者なんだい」
世界の仕組みを人間よりも知っている存在が、最大の謎として問うのは、たった一人についての形而上学的問題。
雷奈は、少しの間考えるように口を閉ざしていた。
やがて、微笑とともにその答えが紡がれる。
「私は私。ただの三日月雷奈ったい」
その単純明快な、けれどだからこそ偽りも矛盾もない答えに、今度はアワが口をつぐんだ。
「なして選人じゃないのに二人と同じなのか、それはわからんっちゃけど……私は嬉しかよ。仲間外れにならずに済むし。それに、私も協力したい。この異変の解決と、二つの世界の交流に」
迷わなかった。常に胸にしまっているいつかの声が、その背を押すから。
――目の前で困っている人がいたら、誰だろうと助けるとよ。
それは、とある大切な人の言葉で、雷奈の人格の芯を成すもの。
「ダメっちゃかね?」
「そ、そんなことはない……と思う! 一応、イレギュラーだから、二家で家族会議するけど!」
やった、と雷奈が笑い、芽華実も嬉しそうに微笑む。
となれば、氷架璃も少々スタンスを変えなければならない。
「わーったよ、かわいい親友二人がそっちにつくんだ、このままじゃ私の立つ瀬がない。私も協力してやる」
「え、ほんと!」
「ただし、パートナーとかはナシな。あくまでも片足ツッコむだけ。もう片足は日常をしっかり踏みしめさせてもらう」
「ええ……」
アワはショックを受けたような顔で、しゅんと肩を落とした。フーが慰めるようにその肩をなでる。
そこまで落ち込むことなのだろうか、と思いながら、雷奈は二人に問うた。
「具体的にはどうすればよかと?」
「そのうち、フィライン・エデンにも来てほしいけど……基本的にはこちらの学校でよろしく。見てもらったとおり、記憶を操作して、ボク達は他の人間には元々いたような認識になってるから」
「さらっとえげつないことしてるな。それも猫術か?」
「猫術は猫術でも、私達二家にしか使えない特別なものよ。人間との交流のために編み出された、人間のみに効力を発揮する一子相伝の術」
「いくら人間と交流したいと言っても、選人以外の適性のない人間にむやみに正体を明かすわけにはいかないからね」
確かに、そんなことをすれば、新聞では一面を飾り、ニュースでは速報が流れ、ネットでは検索候補に挙がるほどの大ごとになるだろう。物好きなバラエティ番組も本人達に、ひいてはフィライン・エデンに突撃しかねない。
「って、雷奈はいいんかい。雷奈だって選人じゃないんだろ」
「しょうがないじゃん、認識できるサイドにいるんだから。ねえ、雷奈、何か心当たりはない? 他の人とは違った経験をしたとか、そういう……」
「だーもう、しつこいな。雷奈は雷奈だって言ってんだろ。偶然だ、偶然!」
「ぐ、偶然でこんなことが起こったらたまんないよ!」
「ってか、いつまでこんなとこで立ち話してんだよ! 今日はお開きだ!」
さっそく相性がいいのか悪いのか、売り言葉に買い言葉のアワと氷架璃を、フーと芽華実がなだめる。
そんな喧噪の外で――雷奈は、一人視線を落として、思索の海に沈んでいた。
***
濡れそぼった髪をふきながら、彼女は私室に足を踏み入れた。
風呂は社務所兼住居のものを神主夫婦と共用にしており、食事も彼らと共にしているものの、彼女の部屋自体は宿坊の一つを借りている。
床は一面畳で、純和風の内装。調度品もそれに合わせており、たんすや棚などはそろって木の色をしている。同じく自然色の鏡台の前に座って、彼女は鏡の中の自分を見つめていた。
――君は何者なんだい。
――何か心当たりはない? 人と違った経験をしたとか、そういう……。
そう聞かれたとき、彼女の頭の中には、自らに関するたくさんの「人と違った」要素が渦巻いていた。
人より色素の薄い髪や目、小さな身長。これらは母親譲りだ。
髪は腰を超えて長く、ここまでのロングヘアは他に見たことがない。これも長い髪が印象的な母に憧れてのことだった。
小学四年生にして、独りで種子島から上京。子宝に恵まれなかった神主夫婦のもとに、幸運にも身を寄せさせてもらい、巫女として過ごしてきた。そんな経歴も、人に話すと珍しがられる。
しかし、それよりも鮮烈に思い出したことがあった。
容姿のことも、上京のことも、頭に浮かんだのはたったの一瞬。アワに問われて考え込んだあの時間のほとんどを占めた記憶は。
「……」
ふいに、鏡台のたんすに置いてある写真に手を伸ばす。
それは、ごく普通の家族写真だった。
自分がいて、姉と妹がいて、父と母がいる。写真の中の子供たちは無邪気に笑い、母親は照れたように微笑み、父親はいつも通り仏頂面だ。
この幸せな家庭がずっと続いていれば、ここに来ることもなかっただろう。
少女は瞑目して、追憶する。
全てが変わったあの夜の記憶。
鉄のようなにおいと、目に痛い色をしたおびただしい何か。永遠に閉じた瞳と、永遠に変わってしまった瞳。鼓動、息遣い、叫び声――。
やがて、閉じていた目を開き、写真を置いて、
「……猫とは、関係なかね」
雷奈は、こともなさげに嘆息した。
アワは一つ呼吸すると、冷静さを取り戻して静かに話し始めた。
「フィライン・エデンの神……『君臨者』から一年前に受け取った神託によると、ボクのパートナーは間違いなく水晶氷架璃。そしてフーのパートナーは……」
「ええ、間違いなく美楓芽華実」
確認するようなアワの視線に、フーはしっかりと頷いた。
それを受け取って、アワは残る一人に目を向ける。
「雷奈といったね。君のことは、神託にないんだ。なのに他の人間と違い、君は時間の巻き戻りに気づいている。つまり、選人と同じ立場にいる」
真剣な目が、それを見上げる雷奈の大きな瞳をまっすぐに射貫く。
「雷奈――君は何者なんだい」
世界の仕組みを人間よりも知っている存在が、最大の謎として問うのは、たった一人についての形而上学的問題。
雷奈は、少しの間考えるように口を閉ざしていた。
やがて、微笑とともにその答えが紡がれる。
「私は私。ただの三日月雷奈ったい」
その単純明快な、けれどだからこそ偽りも矛盾もない答えに、今度はアワが口をつぐんだ。
「なして選人じゃないのに二人と同じなのか、それはわからんっちゃけど……私は嬉しかよ。仲間外れにならずに済むし。それに、私も協力したい。この異変の解決と、二つの世界の交流に」
迷わなかった。常に胸にしまっているいつかの声が、その背を押すから。
――目の前で困っている人がいたら、誰だろうと助けるとよ。
それは、とある大切な人の言葉で、雷奈の人格の芯を成すもの。
「ダメっちゃかね?」
「そ、そんなことはない……と思う! 一応、イレギュラーだから、二家で家族会議するけど!」
やった、と雷奈が笑い、芽華実も嬉しそうに微笑む。
となれば、氷架璃も少々スタンスを変えなければならない。
「わーったよ、かわいい親友二人がそっちにつくんだ、このままじゃ私の立つ瀬がない。私も協力してやる」
「え、ほんと!」
「ただし、パートナーとかはナシな。あくまでも片足ツッコむだけ。もう片足は日常をしっかり踏みしめさせてもらう」
「ええ……」
アワはショックを受けたような顔で、しゅんと肩を落とした。フーが慰めるようにその肩をなでる。
そこまで落ち込むことなのだろうか、と思いながら、雷奈は二人に問うた。
「具体的にはどうすればよかと?」
「そのうち、フィライン・エデンにも来てほしいけど……基本的にはこちらの学校でよろしく。見てもらったとおり、記憶を操作して、ボク達は他の人間には元々いたような認識になってるから」
「さらっとえげつないことしてるな。それも猫術か?」
「猫術は猫術でも、私達二家にしか使えない特別なものよ。人間との交流のために編み出された、人間のみに効力を発揮する一子相伝の術」
「いくら人間と交流したいと言っても、選人以外の適性のない人間にむやみに正体を明かすわけにはいかないからね」
確かに、そんなことをすれば、新聞では一面を飾り、ニュースでは速報が流れ、ネットでは検索候補に挙がるほどの大ごとになるだろう。物好きなバラエティ番組も本人達に、ひいてはフィライン・エデンに突撃しかねない。
「って、雷奈はいいんかい。雷奈だって選人じゃないんだろ」
「しょうがないじゃん、認識できるサイドにいるんだから。ねえ、雷奈、何か心当たりはない? 他の人とは違った経験をしたとか、そういう……」
「だーもう、しつこいな。雷奈は雷奈だって言ってんだろ。偶然だ、偶然!」
「ぐ、偶然でこんなことが起こったらたまんないよ!」
「ってか、いつまでこんなとこで立ち話してんだよ! 今日はお開きだ!」
さっそく相性がいいのか悪いのか、売り言葉に買い言葉のアワと氷架璃を、フーと芽華実がなだめる。
そんな喧噪の外で――雷奈は、一人視線を落として、思索の海に沈んでいた。
***
濡れそぼった髪をふきながら、彼女は私室に足を踏み入れた。
風呂は社務所兼住居のものを神主夫婦と共用にしており、食事も彼らと共にしているものの、彼女の部屋自体は宿坊の一つを借りている。
床は一面畳で、純和風の内装。調度品もそれに合わせており、たんすや棚などはそろって木の色をしている。同じく自然色の鏡台の前に座って、彼女は鏡の中の自分を見つめていた。
――君は何者なんだい。
――何か心当たりはない? 人と違った経験をしたとか、そういう……。
そう聞かれたとき、彼女の頭の中には、自らに関するたくさんの「人と違った」要素が渦巻いていた。
人より色素の薄い髪や目、小さな身長。これらは母親譲りだ。
髪は腰を超えて長く、ここまでのロングヘアは他に見たことがない。これも長い髪が印象的な母に憧れてのことだった。
小学四年生にして、独りで種子島から上京。子宝に恵まれなかった神主夫婦のもとに、幸運にも身を寄せさせてもらい、巫女として過ごしてきた。そんな経歴も、人に話すと珍しがられる。
しかし、それよりも鮮烈に思い出したことがあった。
容姿のことも、上京のことも、頭に浮かんだのはたったの一瞬。アワに問われて考え込んだあの時間のほとんどを占めた記憶は。
「……」
ふいに、鏡台のたんすに置いてある写真に手を伸ばす。
それは、ごく普通の家族写真だった。
自分がいて、姉と妹がいて、父と母がいる。写真の中の子供たちは無邪気に笑い、母親は照れたように微笑み、父親はいつも通り仏頂面だ。
この幸せな家庭がずっと続いていれば、ここに来ることもなかっただろう。
少女は瞑目して、追憶する。
全てが変わったあの夜の記憶。
鉄のようなにおいと、目に痛い色をしたおびただしい何か。永遠に閉じた瞳と、永遠に変わってしまった瞳。鼓動、息遣い、叫び声――。
やがて、閉じていた目を開き、写真を置いて、
「……猫とは、関係なかね」
雷奈は、こともなさげに嘆息した。
0
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
恋と首輪
山猫
恋愛
日本屈指の名門・城聖高校には、生徒たちが逆らえない“首輪制度”が存在する。
絶対的支配者・東雲財閥の御曹司、東雲 蓮の「選んだ者」は、卒業まで彼の命令に従わなければならない――。
地味で目立たぬ存在だった月宮みゆは、なぜかその“首輪”に選ばれてしまう。
冷酷非情と思っていた蓮の、誰にも見せない孤独と優しさに触れた時、みゆの心は静かに揺れはじめる。
「おめでとう、今日から君は俺の所有物だ。」
イケメン財閥御曹司
東雲 蓮
×
「私はあなたが嫌いです。」
訳あり平凡女子
月宮 みゆ
愛とか恋なんて馬鹿らしい。 愚かな感情だ。
訳ありのふたりが、偽りだらけの学園で紡ぐカーストラブ。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる