16 / 20
変化
やきもち
しおりを挟む
放課後、柔らかい日差しが差し込む旧校舎の部室で、いつものように仁が窓辺でのベンチで昼寝をしている。
それを横目に蒼は中央の机に座りパソコンで写真のデータの整理をしていた。いつもと違うのは、蒼の隣にクラスメイトの結城という男子生徒がいることだ。
彼は蒼にアルバムの作り方を教わるためにやってきた。
「このツールを使えばそれなりのものはできるはずだよ。こだわるのならこっちかな。でもこれは値段が高くなるし」
蒼がひとつひとつ説明するのを、彼は熱心に聞いていた。
今日の午後、教室で声をかけられたのである。学園際の写真係だった彼は、当日に撮った写真をアルバムにしなくてはならないのだという。けれどパソコンがあまり得意ではない。蒼が写真に詳しいと知って助けを求めたというわけだ。
『嫌じゃなければ、いろいろ教えてほしいんだけど……』
そう声をかけてきた時に、必要以上に遠慮がちだったのは、蒼がカメラをやっていると知ったきっかけが美希たちの事件だったからだろう。心底申し訳なさそうでありながら、それでも頼むしかないという様子を見て蒼は引き受けることにした。
そしてさっそくパソコンがある写真部で作業することになったのである。
もちろん事前に仁の了承は得ている。いや本来彼は写真部でもなんでもなのだから、了承などいらないのだが、念のためである。
「じゃあこっちのソフトにしようかな。実行委員から許可をもらっている予算とも合うし」
結城が決めたソフトを蒼はクリックした。
「了解。はじめは全部のデータをアップロードすれば大体は振り分けてくれるから。その後、微調整すればいい」
蒼の説明に結城はため息をついた。
「微調整か……これが難しいんだよな。誰と誰が写ってるとか、写ってないとか後でいろいろ言われないようにしないと」
肩を落とす結城に蒼は同情的な気持ちになった。確かにいろいろ難しそうだ。
「じゃあ、このソフトを使って一応全員均等に割り振られるようにしてみたら」
そう提案すると、彼は助かったという表情になった。
「そんなのあるの? それいいね」
「もちろん完璧じゃないけどね。手動でやるよりは断然いいはず。何パターンか作って担任と実行委員と共有したら?」
そんなやり取りをしているうちに少しずつアルバムができあがる。
結城が身体を伸ばしながら嬉しそうにした。
「あー助かった! ありがとう、阿佐美くん。もっと早く相談すればよかった。この借りは必ず返すから!」
「いいよ、このくらい。たいしたことじゃないし」
写真部の蒼としてはなんてことない作業だ。
「いや本当に助かったからさ。そりゃ、阿佐美にとってはたいしたことないと思うけど、俺こういうの苦手だから。それなのに実行委員にはせっつかれるし」
本当に困っていたのだろう。本心からそう言っているようだった。
「阿佐美くんって話してみると意外と普通なんだな」
その言葉に蒼はドキッとする。美希たちの事件を思い出すような言葉だ。
「いや、変な言い方して悪い。嫌な意味じゃなくて、入学してからずっと誰とも話したくないオーラ出してたじゃん? それなのに話しかけてみれば優しいじゃんって意味。面倒くさいって断られるかと思ってたからさ」
彼がそう思うのは当然だ。誰とも関わりたくないと、蒼が周囲とのかかわりを拒否していたのは事実なのだから。
「説明もわかりやすかったし、これからはもっと普通に話そって思った」
にかっと笑って結城が言った。
「あ、でも迷惑か?」
くったくのない笑顔に蒼は思わず笑みを浮かべた。
「いや、大丈夫」
自然とそんな言葉が出た。
「おーやった!」
結城がそう言って蒼の肩を抱いた。
——その時。
バンッという音がしてふたりは動きを止めて音のする方を見る。窓辺の仁のそばにある資料が崩れたようだ。寝ているはずの仁が肘をついてこちらを見ていた。
「あ、うるさかったですか?」
話し声がうるさくて眠れなかったのだろうかと蒼は思う。
「いや大丈夫だよ」
そう言って仁は起き上がりベンチに座る。そして窓枠に肘をついて蒼の隣の結城をじっと見た。
するとどうしてか、結城が居心地悪そうにそわそわとする。なにかを思い出したように声をあげた。
「あ! えーっと、の、残りはうちでやろうかな……。このサイトにアクセスすればどこからでもできるんだよな」
あと少しで完成するというのに、そんなことを言う。蒼は首を傾げた。
「ああ、まあ。さっき設定したパスワードで入れるはず。でもあとちょっとだからやっていけばいいのに」
「いや! もう大丈夫。これ以上は邪魔に……いや、阿佐美くんの写真部の活動もあるだろうし」
蒼の活動がある言いながら、なぜか彼は仁をちらちらと見ている。急にどうしたのだろうと蒼は不思議には思うが、かといって無理に引き留める理由もない。うなずいてサイトから出た。
「じゃ、じゃあね」
そう言って部屋を出ようとする結城を、仁が呼び止める。
「あ、結城くん」
結城がぎくっと動きを止めて振り返った。
「……はい」
「これからも蒼のことよろしく」
怖いくらいににっこり笑って仁が言った。
「はい、こちらこそよろしくお願いします……」
なぜか少しテンションがさがった様子で結城は部屋を出ていった。
ドアが静かに閉まるのを待ってから蒼は仁の方を振り返った。
「よろしくって、なんか俺、子供みたいじゃないですか」
友だちになれそうな相手によろしくと挨拶するなんて、これじゃまるで仁は蒼の保護者みたいだ。
「そんなことしてもらわなくてもクラスメイトとくらい付き合えますよ。あいつ悪いやつじゃなさそうだったし」
仁が肩をすくめた。
「念のためだ」
「念のため?」
意味がわからなくて首を傾げると、仁がはーっとため息をついた。
「蒼、お前、抜けてるだけじゃなくて鈍いんだな」
「鈍い?」
なにを言っているのかさっぱりわからなかった。
すると仁が立ち上がり蒼のところへやってくる。鋭い視線で蒼を見ながら、パソコンが置いてある大きな机に蒼を取り囲むように両手をついた。背の高い仁の腕に小柄な蒼はすっぽりと収まった。
いきなりの急接近とどこか不穏な彼の様子に蒼の胸がドキッとした。
「お前さ、しょっちゅう、今どういう状況かを忘れるよな」
少し茶色い綺麗な瞳が蒼を見つめている。
「どういう状況って……」
「俺はお前を好きだって言ってんの。目の前で他の男といちゃいちゃされて、黙っていられるわけないだろ」
「いっ……ちゃいちゃなんてしてません!」
思いがけない仁の言葉に、蒼は目を剥く。まさか彼がそんな風に自分たちを見ているとは思わなかった。けれどそれを聞くとさっきのやり取りの意味がわかる。
つまりは仁は結城を牽制したということか。だから結城はあんなに焦っていたというわけだ。
「た、ただのクラスメイトですよ。今日はじめて話したくらいなのに」
「でも向こうはずいぶん嬉しそうだったぜ。蒼ってマスクを取るとかわいいだけじゃなくて、話してみるといいやつなんだ。普段とのギャップにやられるんだよ」
仁がぶつぶつと不機嫌に言いながら手を伸ばす。あごを掴まれて、蒼は目を見開いた。
「せんぱ……」
「蒼、俺はお前の答えが出るまで待つつもりだけど、その間、よそ見をするのは禁止だ。俺のことだけ考えてろ」
仁らしい一方的な言葉に、蒼の背中がぞくりとする。剥き出しの独占欲に蒼の身体が熱くなった。
「クラスのやつらと話しをするのはいいけど、お前が今見てていいのは俺だけだ。わかったか?」
「……はい」
火照る頬を持て余しながら蒼が素直にうなずくと、彼は満足そうにニッっと笑った。
「よし」
その笑みに蒼の心は惹きつけられる。
一方で、あることが頭に浮かんで蒼の胸がもやっとした。昼間に女子と楽しそうに話をしていた彼の姿だ。上目遣いにじっと見ると顎を掴んだまま、彼は首を傾げた。
「なんだよ」
「先輩だって他の人と楽しく話をしているじゃないですか。最近は俺以外の人の前でも、そんなに猫をかぶっていないでしょう」
ぷいっと横を向いて昼間のことを思い出しながらそう言うと、顎を掴んでいた手をそのままに仁が意外そうに瞬きをした。
「前よりも話しやすくて、ますます好きになったってクラスの女子が言ってました。俺の前でだけ、素顔でいられるって言ってたくせに」
自分でも気がついていなかったけれど、結構気にしていたようだ。口に出してみると止まらなくなっていく。
「他の人の前でだってそのままでいられるなら。俺が特別だっていうのもあやしくないですか。空気清浄器だって言ってたのに……」
もやもやする気持ちをそのまま口に出していると、仁がぷっと噴き出した。そのまま嬉しそうに笑っている。
蒼は口を閉じて首を傾げた。
こっちは苦情をいっているのに、なにがそんなにおかしいのだろう?
仁が大きな手で蒼の頭をぐしゃぐしゃとなでた。
「わっ! ちょっと……なんですか急に」
目を丸くして頭を押さえて見上げると、心底嬉しそうに仁が口を開く。
「お前、ほんと可愛いなぁ。俺が他のやつの前でも素顔でいるのがおもしろくないんだ。でもなんで?」
その問いかけに蒼はようやく自分が口にしたことの意味に思い当たる。これではまるで自分が彼の周りの人間にやきもちを焼いているみたいだ。
いや"みたい"ではなく実際そうなのだろう。
彼が自分以外の人にも自分にしか見せなかった部分を見せていることをおもしろく思っていないのだから。
「えーっと、その……」
彼の告白を保留にしているくせに言うべきことではない。
仁の方はそんな蒼の内心などお見通しかのように余裕の態度である。
「ほら、なんでか言えって」
「その……」
顔が熱くなるのを感じながら口ごもり目を伏せた。
しばらくの沈黙の後、仁が声を和らげた。
「……まあ、いいか。急かすつもりはないし」
その言葉に蒼の鼓動はトクンとなった。
蒼の気持ちなどもうとっくにわかっているはずなのに、急かさないところが仁らしい。こんなところに蒼は強く惹かれたのだ。
自分を見つめる優しい目に、どこか甘えるような気持ちになって思わず蒼は問いかける。
「先輩」
「ん?」
「その……。俺のどこがいいんですか?」
意外な問いかけだったのか、仁が瞬きをして止まった。
「先輩が自然体でいられる相手が俺だっていうのは聞きました。でもそれってたまたま俺がルームメイトになったからですよね。それ以外になんかあるのかなって考えたら……」
そこまで言って蒼はうつむく。"なにもないような気がする"とはさすがに言えなかった。けれどそう思っているのは事実だ。今だって自分の気持ちを言うか言わないかすら決められないのだから。
蒼からの問いかけに、仁がしばらく考えてからふっと笑った。
「お前、俺のこと馬鹿にしてる?」
「……へ?」
「たまたまルームメイトになったからお前を特別に想うようになったって、そんなわけないじゃん」
「で……でも」
戸惑いながら彼を見ると、仁がはーっとため息をついて、蒼の隣にドカッと座る。そして、切ない色を帯びた視線で蒼を見た。
「お前だからに決まってるだろ。お前だから俺は素の自分を見せられた。他のやつじゃダメだった」
「先輩……」
「確かにきっかけはルームメイトになったからだけど。他のやつでもよかったなんてそんなわけねーだろ」
意外な答えに蒼が目を見開くと、彼の手が蒼の頬に触れた。
「なんでお前なのかなんかわかんねーし、どこがいいかなんて答えられねーけど。俺はお前が好きなんだ」
頬を包む大きな手のその感触に、蒼はぴくんと反応してしまう。ほんの少し触れただけでこんなにも反応してしまうのは、仁だからだ。そこに理由なんてない。
「前に言っただろ。俺にとって大事なのは、蒼か蒼以外の人間かだって。俺はお前が蒼だから好きなんだ。たまたまなんかじゃねえよ」
「俺が俺だから……」
呟くと、蒼の中でパズルのピースがパチリとハマる音が音がした。誰かを好きになるのに、理由なんか必要ない。相手が相手だから好きなのだ。
「ああ。お前が蒼である限り、俺の気持ちは変わらない。だから、マジで焦ったいけど、待ってやるよ」
仁が蒼の頭をぐしゃっと撫でて、ニッと笑った。
——本当はもう気づいている。彼の想いが本物であることを。自分と同じ種類のものだということを。
言い訳をして逃げているのはただ自分に自信がないだけなのだ。
太陽のような存在の彼と、ずっと日陰を歩いてきた自分では釣り合わない。いつか彼が離れて行くのではないかとおびえているだけなのだ。
蒼が蒼である限り気持ちは変わらないと言ってくれる彼の言葉を信じられる、その強さが自分にあったらいいのにと蒼は思った。
それを横目に蒼は中央の机に座りパソコンで写真のデータの整理をしていた。いつもと違うのは、蒼の隣にクラスメイトの結城という男子生徒がいることだ。
彼は蒼にアルバムの作り方を教わるためにやってきた。
「このツールを使えばそれなりのものはできるはずだよ。こだわるのならこっちかな。でもこれは値段が高くなるし」
蒼がひとつひとつ説明するのを、彼は熱心に聞いていた。
今日の午後、教室で声をかけられたのである。学園際の写真係だった彼は、当日に撮った写真をアルバムにしなくてはならないのだという。けれどパソコンがあまり得意ではない。蒼が写真に詳しいと知って助けを求めたというわけだ。
『嫌じゃなければ、いろいろ教えてほしいんだけど……』
そう声をかけてきた時に、必要以上に遠慮がちだったのは、蒼がカメラをやっていると知ったきっかけが美希たちの事件だったからだろう。心底申し訳なさそうでありながら、それでも頼むしかないという様子を見て蒼は引き受けることにした。
そしてさっそくパソコンがある写真部で作業することになったのである。
もちろん事前に仁の了承は得ている。いや本来彼は写真部でもなんでもなのだから、了承などいらないのだが、念のためである。
「じゃあこっちのソフトにしようかな。実行委員から許可をもらっている予算とも合うし」
結城が決めたソフトを蒼はクリックした。
「了解。はじめは全部のデータをアップロードすれば大体は振り分けてくれるから。その後、微調整すればいい」
蒼の説明に結城はため息をついた。
「微調整か……これが難しいんだよな。誰と誰が写ってるとか、写ってないとか後でいろいろ言われないようにしないと」
肩を落とす結城に蒼は同情的な気持ちになった。確かにいろいろ難しそうだ。
「じゃあ、このソフトを使って一応全員均等に割り振られるようにしてみたら」
そう提案すると、彼は助かったという表情になった。
「そんなのあるの? それいいね」
「もちろん完璧じゃないけどね。手動でやるよりは断然いいはず。何パターンか作って担任と実行委員と共有したら?」
そんなやり取りをしているうちに少しずつアルバムができあがる。
結城が身体を伸ばしながら嬉しそうにした。
「あー助かった! ありがとう、阿佐美くん。もっと早く相談すればよかった。この借りは必ず返すから!」
「いいよ、このくらい。たいしたことじゃないし」
写真部の蒼としてはなんてことない作業だ。
「いや本当に助かったからさ。そりゃ、阿佐美にとってはたいしたことないと思うけど、俺こういうの苦手だから。それなのに実行委員にはせっつかれるし」
本当に困っていたのだろう。本心からそう言っているようだった。
「阿佐美くんって話してみると意外と普通なんだな」
その言葉に蒼はドキッとする。美希たちの事件を思い出すような言葉だ。
「いや、変な言い方して悪い。嫌な意味じゃなくて、入学してからずっと誰とも話したくないオーラ出してたじゃん? それなのに話しかけてみれば優しいじゃんって意味。面倒くさいって断られるかと思ってたからさ」
彼がそう思うのは当然だ。誰とも関わりたくないと、蒼が周囲とのかかわりを拒否していたのは事実なのだから。
「説明もわかりやすかったし、これからはもっと普通に話そって思った」
にかっと笑って結城が言った。
「あ、でも迷惑か?」
くったくのない笑顔に蒼は思わず笑みを浮かべた。
「いや、大丈夫」
自然とそんな言葉が出た。
「おーやった!」
結城がそう言って蒼の肩を抱いた。
——その時。
バンッという音がしてふたりは動きを止めて音のする方を見る。窓辺の仁のそばにある資料が崩れたようだ。寝ているはずの仁が肘をついてこちらを見ていた。
「あ、うるさかったですか?」
話し声がうるさくて眠れなかったのだろうかと蒼は思う。
「いや大丈夫だよ」
そう言って仁は起き上がりベンチに座る。そして窓枠に肘をついて蒼の隣の結城をじっと見た。
するとどうしてか、結城が居心地悪そうにそわそわとする。なにかを思い出したように声をあげた。
「あ! えーっと、の、残りはうちでやろうかな……。このサイトにアクセスすればどこからでもできるんだよな」
あと少しで完成するというのに、そんなことを言う。蒼は首を傾げた。
「ああ、まあ。さっき設定したパスワードで入れるはず。でもあとちょっとだからやっていけばいいのに」
「いや! もう大丈夫。これ以上は邪魔に……いや、阿佐美くんの写真部の活動もあるだろうし」
蒼の活動がある言いながら、なぜか彼は仁をちらちらと見ている。急にどうしたのだろうと蒼は不思議には思うが、かといって無理に引き留める理由もない。うなずいてサイトから出た。
「じゃ、じゃあね」
そう言って部屋を出ようとする結城を、仁が呼び止める。
「あ、結城くん」
結城がぎくっと動きを止めて振り返った。
「……はい」
「これからも蒼のことよろしく」
怖いくらいににっこり笑って仁が言った。
「はい、こちらこそよろしくお願いします……」
なぜか少しテンションがさがった様子で結城は部屋を出ていった。
ドアが静かに閉まるのを待ってから蒼は仁の方を振り返った。
「よろしくって、なんか俺、子供みたいじゃないですか」
友だちになれそうな相手によろしくと挨拶するなんて、これじゃまるで仁は蒼の保護者みたいだ。
「そんなことしてもらわなくてもクラスメイトとくらい付き合えますよ。あいつ悪いやつじゃなさそうだったし」
仁が肩をすくめた。
「念のためだ」
「念のため?」
意味がわからなくて首を傾げると、仁がはーっとため息をついた。
「蒼、お前、抜けてるだけじゃなくて鈍いんだな」
「鈍い?」
なにを言っているのかさっぱりわからなかった。
すると仁が立ち上がり蒼のところへやってくる。鋭い視線で蒼を見ながら、パソコンが置いてある大きな机に蒼を取り囲むように両手をついた。背の高い仁の腕に小柄な蒼はすっぽりと収まった。
いきなりの急接近とどこか不穏な彼の様子に蒼の胸がドキッとした。
「お前さ、しょっちゅう、今どういう状況かを忘れるよな」
少し茶色い綺麗な瞳が蒼を見つめている。
「どういう状況って……」
「俺はお前を好きだって言ってんの。目の前で他の男といちゃいちゃされて、黙っていられるわけないだろ」
「いっ……ちゃいちゃなんてしてません!」
思いがけない仁の言葉に、蒼は目を剥く。まさか彼がそんな風に自分たちを見ているとは思わなかった。けれどそれを聞くとさっきのやり取りの意味がわかる。
つまりは仁は結城を牽制したということか。だから結城はあんなに焦っていたというわけだ。
「た、ただのクラスメイトですよ。今日はじめて話したくらいなのに」
「でも向こうはずいぶん嬉しそうだったぜ。蒼ってマスクを取るとかわいいだけじゃなくて、話してみるといいやつなんだ。普段とのギャップにやられるんだよ」
仁がぶつぶつと不機嫌に言いながら手を伸ばす。あごを掴まれて、蒼は目を見開いた。
「せんぱ……」
「蒼、俺はお前の答えが出るまで待つつもりだけど、その間、よそ見をするのは禁止だ。俺のことだけ考えてろ」
仁らしい一方的な言葉に、蒼の背中がぞくりとする。剥き出しの独占欲に蒼の身体が熱くなった。
「クラスのやつらと話しをするのはいいけど、お前が今見てていいのは俺だけだ。わかったか?」
「……はい」
火照る頬を持て余しながら蒼が素直にうなずくと、彼は満足そうにニッっと笑った。
「よし」
その笑みに蒼の心は惹きつけられる。
一方で、あることが頭に浮かんで蒼の胸がもやっとした。昼間に女子と楽しそうに話をしていた彼の姿だ。上目遣いにじっと見ると顎を掴んだまま、彼は首を傾げた。
「なんだよ」
「先輩だって他の人と楽しく話をしているじゃないですか。最近は俺以外の人の前でも、そんなに猫をかぶっていないでしょう」
ぷいっと横を向いて昼間のことを思い出しながらそう言うと、顎を掴んでいた手をそのままに仁が意外そうに瞬きをした。
「前よりも話しやすくて、ますます好きになったってクラスの女子が言ってました。俺の前でだけ、素顔でいられるって言ってたくせに」
自分でも気がついていなかったけれど、結構気にしていたようだ。口に出してみると止まらなくなっていく。
「他の人の前でだってそのままでいられるなら。俺が特別だっていうのもあやしくないですか。空気清浄器だって言ってたのに……」
もやもやする気持ちをそのまま口に出していると、仁がぷっと噴き出した。そのまま嬉しそうに笑っている。
蒼は口を閉じて首を傾げた。
こっちは苦情をいっているのに、なにがそんなにおかしいのだろう?
仁が大きな手で蒼の頭をぐしゃぐしゃとなでた。
「わっ! ちょっと……なんですか急に」
目を丸くして頭を押さえて見上げると、心底嬉しそうに仁が口を開く。
「お前、ほんと可愛いなぁ。俺が他のやつの前でも素顔でいるのがおもしろくないんだ。でもなんで?」
その問いかけに蒼はようやく自分が口にしたことの意味に思い当たる。これではまるで自分が彼の周りの人間にやきもちを焼いているみたいだ。
いや"みたい"ではなく実際そうなのだろう。
彼が自分以外の人にも自分にしか見せなかった部分を見せていることをおもしろく思っていないのだから。
「えーっと、その……」
彼の告白を保留にしているくせに言うべきことではない。
仁の方はそんな蒼の内心などお見通しかのように余裕の態度である。
「ほら、なんでか言えって」
「その……」
顔が熱くなるのを感じながら口ごもり目を伏せた。
しばらくの沈黙の後、仁が声を和らげた。
「……まあ、いいか。急かすつもりはないし」
その言葉に蒼の鼓動はトクンとなった。
蒼の気持ちなどもうとっくにわかっているはずなのに、急かさないところが仁らしい。こんなところに蒼は強く惹かれたのだ。
自分を見つめる優しい目に、どこか甘えるような気持ちになって思わず蒼は問いかける。
「先輩」
「ん?」
「その……。俺のどこがいいんですか?」
意外な問いかけだったのか、仁が瞬きをして止まった。
「先輩が自然体でいられる相手が俺だっていうのは聞きました。でもそれってたまたま俺がルームメイトになったからですよね。それ以外になんかあるのかなって考えたら……」
そこまで言って蒼はうつむく。"なにもないような気がする"とはさすがに言えなかった。けれどそう思っているのは事実だ。今だって自分の気持ちを言うか言わないかすら決められないのだから。
蒼からの問いかけに、仁がしばらく考えてからふっと笑った。
「お前、俺のこと馬鹿にしてる?」
「……へ?」
「たまたまルームメイトになったからお前を特別に想うようになったって、そんなわけないじゃん」
「で……でも」
戸惑いながら彼を見ると、仁がはーっとため息をついて、蒼の隣にドカッと座る。そして、切ない色を帯びた視線で蒼を見た。
「お前だからに決まってるだろ。お前だから俺は素の自分を見せられた。他のやつじゃダメだった」
「先輩……」
「確かにきっかけはルームメイトになったからだけど。他のやつでもよかったなんてそんなわけねーだろ」
意外な答えに蒼が目を見開くと、彼の手が蒼の頬に触れた。
「なんでお前なのかなんかわかんねーし、どこがいいかなんて答えられねーけど。俺はお前が好きなんだ」
頬を包む大きな手のその感触に、蒼はぴくんと反応してしまう。ほんの少し触れただけでこんなにも反応してしまうのは、仁だからだ。そこに理由なんてない。
「前に言っただろ。俺にとって大事なのは、蒼か蒼以外の人間かだって。俺はお前が蒼だから好きなんだ。たまたまなんかじゃねえよ」
「俺が俺だから……」
呟くと、蒼の中でパズルのピースがパチリとハマる音が音がした。誰かを好きになるのに、理由なんか必要ない。相手が相手だから好きなのだ。
「ああ。お前が蒼である限り、俺の気持ちは変わらない。だから、マジで焦ったいけど、待ってやるよ」
仁が蒼の頭をぐしゃっと撫でて、ニッと笑った。
——本当はもう気づいている。彼の想いが本物であることを。自分と同じ種類のものだということを。
言い訳をして逃げているのはただ自分に自信がないだけなのだ。
太陽のような存在の彼と、ずっと日陰を歩いてきた自分では釣り合わない。いつか彼が離れて行くのではないかとおびえているだけなのだ。
蒼が蒼である限り気持ちは変わらないと言ってくれる彼の言葉を信じられる、その強さが自分にあったらいいのにと蒼は思った。
20
あなたにおすすめの小説
ヒーロー組織のサポートメンバーになりました!
はちのす
BL
朝起きたら、街はゾンビだらけ!生き残りたい俺は、敵に立ち向かうヒーロー組織<ビジランテ>に出逢った。
********
癖の強いヒーロー達の"心と胃の拠り所"になるストーリー!
※ちょっとイチャつきます。
イケメンに惚れられた俺の話
モブです(病み期)
BL
歌うことが好きな俺三嶋裕人(みしまゆうと)は、匿名動画投稿サイトでユートとして活躍していた。
こんな俺を芸能事務所のお偉いさんがみつけてくれて俺はさらに活動の幅がひろがった。
そんなある日、最近人気の歌い手である大斗(だいと)とユニットを組んでみないかと社長に言われる。
どんなやつかと思い、会ってみると……
借金のカタに同居したら、毎日甘く溺愛されてます
なの
BL
父親の残した借金を背負い、掛け持ちバイトで食いつなぐ毎日。
そんな俺の前に現れたのは──御曹司の男。
「借金は俺が肩代わりする。その代わり、今日からお前は俺のものだ」
脅すように言ってきたくせに、実際はやたらと優しいし、甘すぎる……!
高級スイーツを買ってきたり、風邪をひけば看病してくれたり、これって本当に借金返済のはずだったよな!?
借金から始まる強制同居は、いつしか恋へと変わっていく──。
冷酷な御曹司 × 借金持ち庶民の同居生活は、溺愛だらけで逃げ場なし!?
短編小説です。サクッと読んでいただけると嬉しいです。
発情期のタイムリミット
なの
BL
期末試験を目前に控えた高校2年のΩ・陸。
抑制剤の効きが弱い体質のせいで、発情期が試験と重なりそうになり大パニック!
「絶対に赤点は取れない!」
「発情期なんて気合で乗り越える!」
そう強がる陸を、幼なじみでクラスメイトのα・大輝が心配する。
だが、勉強に必死な陸の周りには、ほんのり漂う甘いフェロモン……。
「俺に頼れって言ってんのに」
「頼ったら……勉強どころじゃなくなるから!」
試験か、発情期か。
ギリギリのタイムリミットの中で、二人の関係は一気に動き出していく――!
ドタバタと胸きゅんが交錯する、青春オメガバース・ラブコメディ。
*一般的なオメガバースは、発情期中はアルファとオメガを隔離したり、抑制剤や隔離部屋が管理されていたりしていますが、この物語は、日常ラブコメにオメガバース要素を混ぜた世界観になってます。
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
極度の怖がりな俺、ド派手な先輩とルームシェアが決まる
雪 いつき
BL
幽霊が怖い極度の怖がりな由井 明良(ゆい あきら)は、上京した翌日に、契約した部屋が事故物件だと知る。
隣人である鴫野 聖凪(しぎの せな)からそれを聞き、震えながら途方に暮れていると、聖凪からルームシェアを提案される。
あれよあれよと引っ越しまで進み、始まった新生活。聖凪との暮らしは、予想外に居心地のいいものだった。
《大学3年生×大学1年生》
《見た目ド派手な世話焼きバンドマン攻×怖がりピュアな受》
兄貴同士でキスしたら、何か問題でも?
perari
BL
挑戦として、イヤホンをつけたまま、相手の口の動きだけで会話を理解し、電話に答える――そんな遊びをしていた時のことだ。
その最中、俺の親友である理光が、なぜか俺の彼女に電話をかけた。
彼は俺のすぐそばに身を寄せ、薄い唇をわずかに結び、ひと言つぶやいた。
……その瞬間、俺の頭は真っ白になった。
口の動きで読み取った言葉は、間違いなくこうだった。
――「光希、俺はお前が好きだ。」
次の瞬間、電話の向こう側で彼女の怒りが炸裂したのだ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる