【完結】腹黒王子と俺が″偽装カップル″を演じることになりました。

Y(ワイ)

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【第二章】 「腹黒王子に逃げた俺、逃げきれませんでした」

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ミネラルウォーターのボトルは、冷蔵庫の扉ポケットに収まったままだった。
飲みかけ。キャップはきちんと閉まっていて、ラベルの端が少し剥がれている。


「……減ってない」

思わず口をついて出た言葉に、意味はなかった。

分かりきっている。これは何日も前、根津くんが口にして、そのまま置いていったものだ。

食後に水を飲むのが習慣の彼は、僕が用意したこのラベルの水をいつも飲む。冷蔵庫には新しいものもある。
でも、このボトルは捨てられない。
中身はほんの少し減っているだけで、冷たい水がゆらりと揺れていた。


(……この部屋に、彼がいた証……)

このボトルだけが、今の僕に残された唯一の“彼の痕跡”だ。

 

日付の感覚が曖昧になっていく。
気づけば部屋の電気を消すことも忘れて、ソファで目覚める日が増えていた。
制服はよれているし、襟元のボタンをかけ忘れることもある。

風紀委員長としての体裁は保っている。
委員会では指示を出し、職務を遂行する。
微笑んで、礼を欠かさず、誰にも疑われないように。
……でも、たったひとつだけ、どうしても元に戻せない部分がある。

——根津美咲がいないという事実。

 


彼が消えてから、部屋の空気は変わった。
夜になると何も聞こえない。
呼吸をする音すら鬱陶しくなるほどの沈黙。

あんなに近くにいた存在が、
あんなにも馴染んでいたはずの気配が、
何の前触れもなく——切り離された。


(……こんなふうになるなんて、思ってなかったのに)

あの夜、出ていった彼の背を追いかけようと思えばできた。
でも、すぐに戻ってくると信じていた。
君は優しいから。君は脆いから。君は僕を選ぶと思っていた。


(……甘えてた)

そう、認めるのは癪だったけど、そうなんだ。

きっと僕は、あの子の優しさに胡坐をかいていた。
そしてその優しさごと、管理しようとした。支配じゃなく、最適化だと信じて。


『ねえ、キスしていい?』
『朝、寒くないようにカーテンは開けておくね』
『これが好きだったよね?』

そうして“してあげる”ことで、相手の必要を先回りして満たしてあげることで、僕は彼にとっての「帰る場所」になったつもりだった。

でも、きっと違った。


(……望まれてなかったのか)

冷蔵庫を閉じる。
彼のボトルに触れず、ただその存在を確かめただけで、喉は一向に潤わなかった。

 


何も変わっていない。
この部屋も、この机も、このベッドも、
……僕自身も。


けれど、彼だけがいない。
そしてそれだけで、すべてが“抜け殻”になる。


「ねぇ、美咲くん……僕は、間違ってた?」

誰もいない部屋に、問いかけてみる。
けれど返ってくるのは、沈黙と、静かに脈打つ心音だけだった。

 

“完璧”でいることは、もう苦しくなっていた。

 
彼に触れたとき、僕は生きていた。
彼に笑いかけたとき、僕は確かにここにいた。


でも今は、空虚だ。


——根津くん。
君はもう、僕に答えはくれない。
肯定も否定もない。



(……もう一度だけ、″君の声″が聞きたい)

僕を見る、君の目が見たい。

恐れでも束縛でもなく、僕が与えた日常を受け取って僕に″慣れた″君とまた居たい。

心の奥で、初めて“弱音”が形を持った。

それが狂気だという自覚なんて、晴人にはない。


——それが、完璧な王子の、最初の崩壊だった。







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