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【第一章】悪の尋問令嬢、″捨てられ王子″の妻になる。
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しおりを挟む奥様がお笑いになるたび、私は心の中でそっと安堵の息をつくのです。
きっと、旦那様はご存じないのでしょうけれど──
この方は、以前まで″男性に触れられること″すら拒絶していたのですから。
ふわりと揺れる黒髪。
扇のようにしなやかな睫毛。
毅然とした物腰と、その裏に隠した優しさ。
私にとって、レティシアお嬢様は、ただのご主人様ではありません。
誇りであり、憧れであり、誰よりも人知れず努力を続けてきた、芯の強いお方でした。
だからこそ──
「……ユリウス様、寒くはありませんの?」
微笑みながら、そう問いかけた奥様の声を聞いて、
私はほんの少しだけ、目を細めてしまったのです。
だって、あんな風に“夫”と自然に言葉を交わされるようになったなんて。
この数週間、まるで夢のようですわ。
「ううん。君と一緒なら、どんな夜も心地いいよ」
「……その口でよくまあそんなことを」
「本当のことを言っただけだよ?」
「…本当に、心臓に悪い方ですわ……」
奥様はいつも通り、ぶすくれたようにそっぽを向いておられましたが。
その頬は、ほんのりと、ばれない程度に赤らんでいて
(……ふふ、いいご関係ですこと)
私は給湯室で手を洗いながら、そう心の中で微笑みました。
初めてお嬢様に仕えた日を、今でも覚えています。
誰にも頼らず、誰にも甘えず、己の手で仕事を片付け、
自室ではひとりきりで晩餐を済ませるような、そんなお方でした。
……その姿に、私は何度も胸を締めつけられたのです。
こんなに小さな子どもが、血筋の宿命を担って手を染めている。笑い声より断末魔を、昼の日差しより地下の暗闇を、彼女は知っている。
それが自分の当たり前だと受け入れている。
そして、あの日———。
(どうか、どうかこのまま──)
ほんの少しずつでも構いません。
お嬢様が、誰かを信じて、寄りかかって、笑ってくださる日々が、続いていってくれたら。
それが、私にとっての、いちばんの幸せです。
***
「あの、ちょ、ちょっと、ユリウス様……っ!?」
どうしてこの男は、こうも予想外の行動で私を困らせるのでしょう。
わたくし、今、ベッドの上に“ほとんど押し倒されている状態”でございます。
いえ、正しくはベッドに腰掛けていたところに、ユリウス様がすぐそばに座られて。
そのまま、ごく自然な流れで顔を近づけてきて、距離感という概念が死んだ。
という、状態ですのよ!?!?
「ユ、ユリウス様!? 近い、近すぎますわっ……!」
「……君にはもう、隠す意味がなさそうだから。話しておきたいんだ」
話って。ええ、ええ。お話、大切ですわよね。
でも、話すなら……!
せめて、もうすこし“常識的な距離感”というものをですね……!!
「お、お願いですから、まずその距離を──」
言いかけた瞬間、背中にぐいと手が添えられて、ふわりと布団が沈む。
──どさっ。
「ひぃっ!?」
なんですの!?
この展開、なんですの!??
まるで恋人同士の甘やかな夜のような……っていうか完全に新婚初夜のムードではございませんこと!?
いやいやいや、まだわたくしたち“白い婚姻関係”のままのはずなのに!!
ひえええ! ユリウス様の顔が迫ってる!
唇が!!薄い桃色の唇がすぐそこに———、
「——このほうが、“王家の影”から怪しまれずに済む」
耳元で囁かれたその言葉に——、
す、と思考が冷えた。
──王家の影。
それは、王の密偵。
常に何処からか監視し、″危険因子″を摘み取るための秘密組織。
彼がここに来た理由も、それらの目を欺くため。
この密室の甘い距離感も、恋の戯れではなく、“敵”を欺く仮面。
「……なら、演技をしたほうがよろしいのかしら?」
私がそう呟くと、ユリウス様は少し目を細めた。
「君の手をとっても?」
「必要ありませんわ」
返すより早く、私は自らの手を彼の背中に回した。
肩越しに感じるぬくもりと、しなやかな筋肉の動き。
王子でありながら戦場のような場所で生きてきた人間の体は、
見かけの繊細さとは裏腹に、とても逞しかった。
驚いたように僅かに息を呑んだ彼が、次の瞬間、私の頬にそっと手を添える。
そのまま、顔が近づく。
吐息がかかるほどの距離で、ふいに私は思った。
(……こんなふうに密着して話し合う日が来るなんて、誰が予想しましたの)
それでも。
この距離だからこそ、欺ける敵がいるのだとしたら。
結構よ。私、演技は嫌いではないの。
***
「……聖女のことだ」
囁くように、殿下は切り出した。
彼の手が、私の頬をそっと撫でるように触れていたけれど、目は笑っていない。
彼の中にあるのは、甘い愛情でも情熱でもない。
私は彼の言葉を静かに飲み込む。
「彼女は、何らかの“毒”を所持している」
「ええ、そうでしょうね」
「“毒”には強い幻覚作用と、興奮効果がある。それに、“中毒性”も。」
「…………中毒性?」
私は息を呑んだ。
幻覚と興奮。
それだけでも十分に厄介だというのに、中毒性がある毒なんて、かなり限定される。
なのに毒はまだ特定されていない。その異質さに胸がざわついた。
「聖女の近くにある飲食物のほとんどには″毒″が入っている。知らず知らずに口にして″毒″に慣らされている人間が殆どだ」
「……それって……」
ユリウスの声は静かだったが、その実、限界まで研ぎ澄まされた刃のように冷たく鋭い。
「……僕の兄も」
その言葉に、私ははっと息を止めた。
「……父も、だ」
「………………」
言葉が、出なかった。
──まさか。
「僕はずっと、“毒”の正体を追っていた。どうやって作られているのか、誰が流通させているのか……。でも、なにより──どこまで王家が汚染されているか、を」
「…………っ」
「父はもう、聖女に依存している。理性ではない。あれは、本能だ。中毒だ」
私は、目の奥がじんと痛むのを感じた。
国王が、この国の頂点に立つ者が、
理性ではなく、薬物の作用で、たった一人の“聖女”に惹かれている?
それは、まさに国家の根幹の腐敗ではありませんの──
「……どうして、それを……」
「僕自身、分からなくなった。」
ユリウスの手が、ふと離れた。
代わりに彼の目が、真っ直ぐに私を射抜く。
「僕がここに来たのは、聖女の情報を集めやすいと思ったからだ。……でも、このままだと君は巻き込まれる」
「……何を言って──」
「だから、君に決めてほしい」
その言葉に、私は一瞬、息を詰める。
「君が平和に生きたいと言うなら、僕は手を引く。“叛逆者”の真似事はやめるよ。王宮からも、この国の裏からも、身を引く」
「……っ」
「君を大切に思ってしまった、から……」
ユリウスは、目を伏せた。
その声音は、まるで別人のように静かで、脆かった。
この男が、ここまで感情を露わにしたのは、きっと初めてだ。
私はその姿に、理解してしまったのだ。
──もし、私が「巻き込まれたくない」と言えば。
彼は本当に、すべてを投げ打ってくれるだろう。
これまで積み上げてきた証拠も、計画も、立場も、全て捨てて私の旦那様として平和な日々を送ってくれる。
私の安全のためだけに。
死にゆく国を、見ないフリをして。
……けれど。
「馬鹿なこと、仰らないで」
私は、彼の手を取った。
その手を、強く、握る。
「……レティシア……?」
驚いたような彼の声に、私は怒りが湧いた。
「私は、ヴァルデューラ家の継承者。貴方はその旦那様ですわ。国に仇をなす国賊を、放置する理由がありまして?」
「……っ」
ユリウスの顔が、歪んだ。
苦悩でも、迷いでもない。
泣きそうなほどに、安堵した表情だった。
「共に闘いましょう、ユリウス様」
「……レティシア」
「はい」
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「……そうだね、本当に。」
そう言って、彼はまた笑った。
不器用な愛の告白と、二人の共闘の誓い。
国を蝕む“甘美なる毒”に、二人は静かに立ち向かっていく。
……夜は、まだ、長い。
けれどその宵に冷たさはなく、
欠けた破片が埋まるような感覚が、二人を緩く繋げていた。
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