34 / 87
【1664年8月 ザンクト・ゴットハルト1】
1664年8月 ザンクト・ゴットハルト ~ 戦場の現実(2)
しおりを挟む
こうなると河端が狭いのが幸いしたと言えよう。
黒色火薬の煙の向こうでイェニチェリが数人倒れるのが確認できる。
次いで二列目、三列目。
素早く隊列を入れ替えて、銃撃を繰り返す。
射撃と射撃の間に渡河を敢行したイェニチェリの猛者も、次の弾丸の餌食となり水中に没した。
対岸、そして下流は彼らの死体で溢れた。
すでに行軍で疲れ切った自軍の兵らの消耗をできるだけ抑えるために、そして彼等を無事に家へ帰してやるために、機動性を捨てて火器に頼る戦法をとる。
それは選択肢ではなくて、この時残された唯一の手段であった。
火を噴く壁と化したシュターレンベルクの部隊は、オスマン帝国軍の主力のイェニチェリを蹴散らし、僅か数時間で神聖ローマ帝国軍の勝利を決定づけた。
この勝利が、軍人としてのシュターレンベルクの評価を決定づけ、そして十九年後の第二次ウィーン包囲にて、オスマン帝国の大軍に囲まれた首都の守護を担う責任者に担ぎ上げられることになるのである。
戦いには慣れた。
兵士への接し方も、そして敵への対し方も。
戦術も訓練も思いのままに駆使できる。
自分自身の持ち出しで傭兵らに食料武器弾薬を支給することも厭わなかった。
ただ、慣れぬことが一つだけ。
戦闘が終わり、ひとしきり勝利に沸いてからのこと。
兵らは散った。
近隣の村へ、自らの報酬をかき集めるために。
ハンガリー支配をめぐっての神聖ローマ帝国とオスマン帝国の戦いは、当のハンガリーを舞台に繰り広げられた。
大国に挟まれたかの国は、立地の不運を嘆くしかない。
両軍に容赦などない。
軍隊の進路、更に戦闘の現場となった村は焼かれ、罪なき住民は巻き添えを喰らった。
村のあちこちに、まるで物のように積まれた死体。
そしてそれに群がる兵士たち。
上官とはいえ、シュターレンベルクにそれを制御などできやしない。
名門シュターレンベルク家に見習いにくる貴族の子弟や、彼らに仕える者たちならいざ知らず、戦いのために雇われた傭兵にとって戦闘で命を張る理由は、略奪の旨みを得るためであったのだ。
彼らは死体の服を剥ぎ、家に押し入って金品を強奪し食料を漁る。
それが戦場の習いだ。
だが、どうしても慣れぬ。
制御を失った彼らの暴挙を、育ちの良い大貴族の若者に止められる筈もなかった。
各方向から炎があがる。
略奪が始まったことから目を背けるようにシュターレンベルクは馬から降り、地面に視線を落とした。
暴力を見たくないだと──何を甘いことを。
古き良き騎士道物語のように、弱きを守り潔く戦う戦士が真っ当に称えられる世の中ではない。
これは戦争で、自分は名門シュターレンベルク家の当主となる人間だ。
皇帝の下に立つ軍人なんだ。
戦いは仕事だ。
略奪は戦闘に付随するもの。
すべての矛盾に、いずれ慣れる。
大丈夫だ……。
悪夢の底に、今もちらつく光景。
眼の奥に焼き付いた炎の赤。
死臭と、それにたかる兵士たち。
悲鳴、血しぶき。
道端には生気を失った子供たちが座り込んでいる。
小さな姉弟が手を握り合い、身体を寄せ合って震えていた。
すべては戦争の現実だと呑み込む。必死で、呑み込む。
※ ※ ※
十九年前の悪夢を、誇り高い首都で繰り広げさせてはならない。
──俺はウィーン市民に対して責任がある。彼らを守る。何があっても、守り抜く。
シュターレンベルクは決意したのだ。
皇帝がウィーンを出立したあの日に。
黒色火薬の煙の向こうでイェニチェリが数人倒れるのが確認できる。
次いで二列目、三列目。
素早く隊列を入れ替えて、銃撃を繰り返す。
射撃と射撃の間に渡河を敢行したイェニチェリの猛者も、次の弾丸の餌食となり水中に没した。
対岸、そして下流は彼らの死体で溢れた。
すでに行軍で疲れ切った自軍の兵らの消耗をできるだけ抑えるために、そして彼等を無事に家へ帰してやるために、機動性を捨てて火器に頼る戦法をとる。
それは選択肢ではなくて、この時残された唯一の手段であった。
火を噴く壁と化したシュターレンベルクの部隊は、オスマン帝国軍の主力のイェニチェリを蹴散らし、僅か数時間で神聖ローマ帝国軍の勝利を決定づけた。
この勝利が、軍人としてのシュターレンベルクの評価を決定づけ、そして十九年後の第二次ウィーン包囲にて、オスマン帝国の大軍に囲まれた首都の守護を担う責任者に担ぎ上げられることになるのである。
戦いには慣れた。
兵士への接し方も、そして敵への対し方も。
戦術も訓練も思いのままに駆使できる。
自分自身の持ち出しで傭兵らに食料武器弾薬を支給することも厭わなかった。
ただ、慣れぬことが一つだけ。
戦闘が終わり、ひとしきり勝利に沸いてからのこと。
兵らは散った。
近隣の村へ、自らの報酬をかき集めるために。
ハンガリー支配をめぐっての神聖ローマ帝国とオスマン帝国の戦いは、当のハンガリーを舞台に繰り広げられた。
大国に挟まれたかの国は、立地の不運を嘆くしかない。
両軍に容赦などない。
軍隊の進路、更に戦闘の現場となった村は焼かれ、罪なき住民は巻き添えを喰らった。
村のあちこちに、まるで物のように積まれた死体。
そしてそれに群がる兵士たち。
上官とはいえ、シュターレンベルクにそれを制御などできやしない。
名門シュターレンベルク家に見習いにくる貴族の子弟や、彼らに仕える者たちならいざ知らず、戦いのために雇われた傭兵にとって戦闘で命を張る理由は、略奪の旨みを得るためであったのだ。
彼らは死体の服を剥ぎ、家に押し入って金品を強奪し食料を漁る。
それが戦場の習いだ。
だが、どうしても慣れぬ。
制御を失った彼らの暴挙を、育ちの良い大貴族の若者に止められる筈もなかった。
各方向から炎があがる。
略奪が始まったことから目を背けるようにシュターレンベルクは馬から降り、地面に視線を落とした。
暴力を見たくないだと──何を甘いことを。
古き良き騎士道物語のように、弱きを守り潔く戦う戦士が真っ当に称えられる世の中ではない。
これは戦争で、自分は名門シュターレンベルク家の当主となる人間だ。
皇帝の下に立つ軍人なんだ。
戦いは仕事だ。
略奪は戦闘に付随するもの。
すべての矛盾に、いずれ慣れる。
大丈夫だ……。
悪夢の底に、今もちらつく光景。
眼の奥に焼き付いた炎の赤。
死臭と、それにたかる兵士たち。
悲鳴、血しぶき。
道端には生気を失った子供たちが座り込んでいる。
小さな姉弟が手を握り合い、身体を寄せ合って震えていた。
すべては戦争の現実だと呑み込む。必死で、呑み込む。
※ ※ ※
十九年前の悪夢を、誇り高い首都で繰り広げさせてはならない。
──俺はウィーン市民に対して責任がある。彼らを守る。何があっても、守り抜く。
シュターレンベルクは決意したのだ。
皇帝がウィーンを出立したあの日に。
10
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
大東亜戦争を有利に
ゆみすけ
歴史・時代
日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を
偽夫婦お家騒動始末記
紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】
故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。
紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。
隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。
江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。
そして、拾った陰間、紫音の正体は。
活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜
岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!???
そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる