50 / 87
復讐の剣を
復讐の剣を(2)
しおりを挟む
完膚なきまでに叩き壊す必要はない。
近くで爆発を起こして、砲の口をほんの少し曲げてやるだけで良い。
大砲とは繊細なもので、たったそれだけで無用の長物と化してしまう。
「よし、退くぞ」
ウィーンを向いて並ぶコロンボルナの筒が全て途中で曲がったことを確認して、指揮官は叫ぶ。
長居は無用だ。
敵軍はすぐに態勢を立て直すだろう。
別の場所に布陣している部隊からの応援が、いつ来てたとしてもおかしくない。
精鋭と呼べる兵らを率いてきただけあって、突撃するにあたり決して馬から降りるなとの厳命に背く者もなく、引き際も鮮やかであった。
火器や砲が発達した今の時代。
実戦において、神聖ローマ帝国軍が騎馬で突撃するという行動は非常に稀となっていた。
まして今の今まで、頑なに壁の中に籠っていたウィーン守備隊が突如として市門から出て牙をむいたのだ。
今回は敵も泡を喰ったに違いない。
見張りの兵たちとコロンボルナ砲の警備部隊。
討った敵兵の数こそ少ないが、攻城用砲の無力化は敵にとっては何よりも痛いに違いない。
遠征軍の哀しさか。
大掛かりな攻城兵器を敬遠し、持ち運びが比較的容易な小振りの砲ばかりを持参した奴らの底の浅さよ。
そう考えると、指揮官の口元も自然と緩む。
だが、心は晴れなかった。
「これで市長殿の敵が討て申したな、兄上」
「……ジジィはまだくたばっちゃいないよ」
物も言わず全速で駆け戻った百騎は、万一の追撃を恐れてドナウ河側面三つの市門へ回り込み、比較的小さな門からそれぞれウィーンの街に駆けこんだ。
最後に入ったシュターレンベルクに、ひとまずの戦勝祝い。
グイードが投げた言葉だ。
シュターレンベルクは唇を噛み締める。
各門から入った精鋭らが下馬して指揮官の元へ戻って来るのに、機械的に労いの言葉を投げて解散を命じた。
シュターレンベルクを狙うかのようにシュテッフルが爆撃を受けた、そのすぐの後ことだ。
カプツィナー教会にコロンボルナ砲が直撃したのは。
石造りの頑丈な建物であるが、屋根が半分落ち無残な状態となってしまった。
何よりもそこには多くの市民と避難民がいる。
そして市長であるヨハンも。
頭上に瓦礫が降ったのだ。
市長は腹と足に傷を負い、自由に身体が動かないと聞く。
「行かなくて良いのですか、兄上」
市長の元へか? 一体何を伝えに行くと言うのだ。
奇襲は成功した。
オスマン兵は驚いていたぞ。
復讐の剣は振るったぞとでも伝えに?
もしもあの時、市長がもう少し長くシュテッフルにいたならばこの惨劇は起こらなかったかもしれない。
少なくとも市長は被害を免れたのではなかったろうか。
皇帝の悪口でも何でも構わない。
もう少しだけ話をしていればと──今更悔やんでも仕方のないこと。
市民の犠牲が何人に上ったかも分からないのだ。
カプツィナーの前に積まれた身体は時にばらばらで、どの部位をどう組み合わせれば良いか頭を抱えるものまであるという。
それらを目にした市民らが恐慌を来たさないかも気になる。
指揮官率いる精鋭部隊が奇襲に成功したといっても、この空気を打ち払えるとは思えなかった。
「クソッ」
シュターレンベルクは小さく舌打ちした。
シュテッフルとカプツィナーが共に狙われた──つまり自分と市長がだ。
ウィーンの要の二つが同時に。
これは誰かが情報を流したとしか思えない。
カプツィナー教会に避難している筈のマリア・カタリーナの姿が見えないことが気になった。
死体の中にいるとは思えない。
やはり……いや、まさか。
無意識のうちに握りしめた拳。
瞬間、右腕に電気が走りシュターレンベルクの背は震えた。
「……怪我をした右腕は大丈夫ですか、兄上」
周囲を慮ったのだろう。グイードの小声を、しかしシュターレンベルクは無視した。
※ ※ ※
近くで爆発を起こして、砲の口をほんの少し曲げてやるだけで良い。
大砲とは繊細なもので、たったそれだけで無用の長物と化してしまう。
「よし、退くぞ」
ウィーンを向いて並ぶコロンボルナの筒が全て途中で曲がったことを確認して、指揮官は叫ぶ。
長居は無用だ。
敵軍はすぐに態勢を立て直すだろう。
別の場所に布陣している部隊からの応援が、いつ来てたとしてもおかしくない。
精鋭と呼べる兵らを率いてきただけあって、突撃するにあたり決して馬から降りるなとの厳命に背く者もなく、引き際も鮮やかであった。
火器や砲が発達した今の時代。
実戦において、神聖ローマ帝国軍が騎馬で突撃するという行動は非常に稀となっていた。
まして今の今まで、頑なに壁の中に籠っていたウィーン守備隊が突如として市門から出て牙をむいたのだ。
今回は敵も泡を喰ったに違いない。
見張りの兵たちとコロンボルナ砲の警備部隊。
討った敵兵の数こそ少ないが、攻城用砲の無力化は敵にとっては何よりも痛いに違いない。
遠征軍の哀しさか。
大掛かりな攻城兵器を敬遠し、持ち運びが比較的容易な小振りの砲ばかりを持参した奴らの底の浅さよ。
そう考えると、指揮官の口元も自然と緩む。
だが、心は晴れなかった。
「これで市長殿の敵が討て申したな、兄上」
「……ジジィはまだくたばっちゃいないよ」
物も言わず全速で駆け戻った百騎は、万一の追撃を恐れてドナウ河側面三つの市門へ回り込み、比較的小さな門からそれぞれウィーンの街に駆けこんだ。
最後に入ったシュターレンベルクに、ひとまずの戦勝祝い。
グイードが投げた言葉だ。
シュターレンベルクは唇を噛み締める。
各門から入った精鋭らが下馬して指揮官の元へ戻って来るのに、機械的に労いの言葉を投げて解散を命じた。
シュターレンベルクを狙うかのようにシュテッフルが爆撃を受けた、そのすぐの後ことだ。
カプツィナー教会にコロンボルナ砲が直撃したのは。
石造りの頑丈な建物であるが、屋根が半分落ち無残な状態となってしまった。
何よりもそこには多くの市民と避難民がいる。
そして市長であるヨハンも。
頭上に瓦礫が降ったのだ。
市長は腹と足に傷を負い、自由に身体が動かないと聞く。
「行かなくて良いのですか、兄上」
市長の元へか? 一体何を伝えに行くと言うのだ。
奇襲は成功した。
オスマン兵は驚いていたぞ。
復讐の剣は振るったぞとでも伝えに?
もしもあの時、市長がもう少し長くシュテッフルにいたならばこの惨劇は起こらなかったかもしれない。
少なくとも市長は被害を免れたのではなかったろうか。
皇帝の悪口でも何でも構わない。
もう少しだけ話をしていればと──今更悔やんでも仕方のないこと。
市民の犠牲が何人に上ったかも分からないのだ。
カプツィナーの前に積まれた身体は時にばらばらで、どの部位をどう組み合わせれば良いか頭を抱えるものまであるという。
それらを目にした市民らが恐慌を来たさないかも気になる。
指揮官率いる精鋭部隊が奇襲に成功したといっても、この空気を打ち払えるとは思えなかった。
「クソッ」
シュターレンベルクは小さく舌打ちした。
シュテッフルとカプツィナーが共に狙われた──つまり自分と市長がだ。
ウィーンの要の二つが同時に。
これは誰かが情報を流したとしか思えない。
カプツィナー教会に避難している筈のマリア・カタリーナの姿が見えないことが気になった。
死体の中にいるとは思えない。
やはり……いや、まさか。
無意識のうちに握りしめた拳。
瞬間、右腕に電気が走りシュターレンベルクの背は震えた。
「……怪我をした右腕は大丈夫ですか、兄上」
周囲を慮ったのだろう。グイードの小声を、しかしシュターレンベルクは無視した。
※ ※ ※
10
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
大東亜戦争を有利に
ゆみすけ
歴史・時代
日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を
偽夫婦お家騒動始末記
紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】
故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。
紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。
隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。
江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。
そして、拾った陰間、紫音の正体は。
活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる