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灯火の少女編
届き得ぬ風
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自分が、全力で戦う時の装備と術式郡。それらを展開した操魔士を前にしてさえ、レニはさしたる反応も見せなかった。
返したのは、ただ一言。
薄い笑顔を浮かべたまま。
泣き喚く子供を諭すように。優しく。
「シェリナ。落ち着いて」
その穏やかな口調に、苛立ちが走る。
(……落ち着け、ですって?)
その言葉は、火種に振りかけられた油だった。
「あなたは本当に、いつも落ち着いているわよね。どんなことがあっても。わたしが嬲られるのを見てた時も。わたしを買った時も。わたしを……抱いている時も」
言葉だけでも冷静に綴ろうと努めたが、段々と熱を帯びるのを止められず。
「夢中になってるのはわたしばっかり。いつもいつも、何考えてるのか全然分かんないし」
ついには、最後は叫びに変わった。
「教えてよ。あなたがそれだけ落ち着いていられる理由を。あなたのその余裕が、一体何処から来るのかを!」
高速で呪文を紡ぐ。かつて彼を建物の壁に吹き飛ばした衝撃波の術式。いつぞやと比べ、速度も威力も数倍に跳ね上がった不可視のそれを、レニは。
身体の向きを変えながら、横に軽く飛んだだけで、躱した。
「――‼」
(やっぱり――!)
あの時、躱そうと思えば躱せたのに。力を隠すため、わざと攻撃を受けた。そう確信する。
追撃の手を緩めない。横に飛び、位置を変えながら、自分が得意とする衝撃波の術式を、裂天の手套に乗せて放ち続ける。その一発一発を、レニは丁寧に避け続ける。
だが、この程度では驚くに値しない。これらはまだ牽制に過ぎない。印の運びから、軌道を読むことは出来る。身のこなしが軽い級友ですら、魔術無しで同じ真似はできるだろう。
この周辺には誰も居ない。自分達を知る者も、聞き耳を立てる者も、流れ弾に当たって死ぬ者も。一対一で、全力で向き合える。こんなところにまで連れ出した、もう一つの理由がそれだ。
レニもその意図は分かっている。分かってくれているはずだ。それなのに。
レニはただ、黙って攻撃を避け続けるだけだった。
(どうして、何も言ってくれないの……⁉ 力を使ってもくれないの……‼)
このままでは駄目だ。一旦、動きを止め立ち止まる。それに合わせるように、レニも。その息は、少しも乱れてはいない。
質問はしない。でも、促すために。冷たく静かな水面に、石を投げるように。
そして自分の決意を再度、刻みつけるように。
言葉を、遣う。
「あなたが……あなたがもし本当に、あの時の騎士なら……」
恩を返す。そう決めていた。でもどうやって?
彼はきっと、命を賭して仲間を裏切り、自分の命を救ってくれた。
それに見合う代価は何か。決まっている――もう自分の人生、そのものだ。
「……わたしはもう一度、あなたのものになる。これから先を、あなたの願いを叶えるためだけに生きる」
もうこれは理屈じゃない。自分がこんなになった理由なんて、考えたって分かるわけがない。
きっとあの口付けから――口付けを、受け入れた時から――自分は、支配された。
摂理。運命。呼び方は何でもいい。ただただ、抗い難い引力だけが、そこにある。
きっとこの人だ、もう間違いない。
後は、証明するだけ。
そう、心に刻んだ。
その、瞬間――
(……っ⁉)
背筋が、凍る。
頭蓋の頂点から首筋を通り背骨まで、長い氷の針を差し込まれたような。
外気も、一気に数度下がった気さえする。
その元凶を、見やる。
「――」
レニの顔から、笑みが消えている。笑みだけではない。表情そのものが、消えている。
見ようによっては、驚いているようにも、悲しんでいるようにも、見える。
感情の読めない、見たことのない顔。それはまるで、陶器の人形のよう。
これは、殺意、なのか。
だが間違いなく、死を孕んだ、顔。
数多の絶望を、享受する。そんな、顔――
ごくり、と。口内に溜まっていたものを飲み干す。
(――これが)
これが、騎士の顔なのか。
ようやく、全力を出してくれるのか。
消えた笑顔を補填するかのように、こちらに笑みが宿る。
未知の手合いと相見える時の昂り、好奇心。
数多の真理を解き明かしてきた、根源の羅針盤。
操魔士が、操魔士たる所以。
レニの手が、ゆっくりと動く。淀みなく。
あらかじめ決められた流れに沿うように。
修練の末の所作。それが、分かるほどの。
コートの内側から何かを取り出す。金属製の、何か。
ナイフの類かと目を凝らすが、形状が違う。
(あれは――!)
《断魔の首輪》――奴隷として売られた時に魔術を封じられた、あの首輪。操魔士の天敵。警戒に値する魔具。――だが。
レニの魔素に変化は無い。元の常人のまま。身体強化をしていない生身の人間。そのままで、戦闘態勢に入った操魔士に取り付けられる見込みは薄い。
その挙動に注視する。魔素反応にも。もしかすると既に、あの時の防壁を活用し、自分に知覚できない何かが、もう動いているのかも知れない。
――と。
「⁉」
突然レニが、首輪を大きく放り投げた。
ちょうど真横、斜め上60度ほど――言ってしまえば、あさっての方向。
勢いは強く、速く、高い。そのままどこかの枝葉に絡めとられるだろう、行き先。
思わず首輪を目で追うが、一瞬で思い直す。
視線を誘導する、動揺を誘うだけの罠。これは、その可能性が高い。
レニ本体に注意を戻す。すると。
何か、両腕を素早く振るような動きを見せた。
一番近いのが、ナイフの素振りのような。
しかしその手には何も持っていない。
いないように見える。
こちらに何かを飛ばす挙動にも見えた。
しかし何も飛んできてはいない。
いないように見える。
――だが。
(――‼)
悪寒が襲い、思わずその場で蹲った。
次の瞬間。
ざぐり、と。自分が立つ位置の、数歩先。
何かが地面に、音を立てて突き刺さる。
――断魔の首輪。
「……なっ……⁉」
一瞬前に自分の首があった位置を通過し、背後から斜め下に駆け抜けた。そんな、軌道。
こちらが前方に張った障壁の、死角となる背面後頭部を狙って。
(魔術による念動力――⁉ いや……)
いまだ魔素の反応は無い。魔術を使っている気配は無い。仲間が居る様子も、無い。
目を凝らすと、首輪に何か細いものが巻き付き、細かい光沢を描いている。それを辿ると、空中に大きな複数の曲線を描きながら、最後はレニの左手の袖の中に到達した。
レニが大きく左手を振り上げると、それに釣られて首輪が大きく空へ、自動的に舞い上がる。伴い、何かモーターのような機械音がレニから響く。
気付いた今でははっきり見える。レニと首輪を結ぶ、何本かの、糸。
これは――
(鋼糸術――)
思い出す。書庫にあった書籍群。機械戦闘術に関する書物に、読んだ形跡が多かった。
常人が操魔士に対抗する手段として、機械を用いた様々な戦闘方法が研究された。鋼糸術は、その中の一つだ。
特殊な素材と製法で編み込まれた強靭な糸で対象を吊り、切り裂く。その射出と巻取を、機械でアシストする。
魔具と併用して今のような攻撃も可能は可能だ。――が。
機械戦闘術は総じて、高品質な製造技術と継続したメンテナンスに加え、何より術者の高い技量が要求される。魔素を要さず、魔力知覚で感知できないというメリットはあるものの、いずれも魔術に比べ威力・精度・汎用性が低く、操魔の発展と共に徐々に廃れていった、今では手品の類だ。それを実戦で、今のような精度で行使するレニは、驚愕に値する。
見るとレニの両手首の奥、ゆるりとしたコートの袖の中から、何か薄い金属製の小手が覗いていた。仕組みは分からないが、あれが糸を制御する機械なのだろう。もしかしたら、あのコートや服自体にも、何か仕掛けがあるのかも知れない。
勘が働かなければ、自分は無力化していた。それでも、相手の力を引き出すため強気に告げる。
「こんな手品で、わたしに勝てると思ってる?」
最も成功率が高いはずの、不意打ちの初撃を躱せたなら、自分の優位は揺るがない。実際、それは事実のはずだ。相手が、生身のままなら。
「君の話は置いておいて、君に負けるわけにはいかないな。そこだけは同意するよ」
ようやく口を開いたレニは、強い言葉を返した。冷えた声色で、淡々と。
「口説いた相手に負けるなんて、格好悪いからね」
その凍った口調にあまりにも不釣り合いな、俗っぽい軽薄な言葉。
だが。脳内で反論する。
(それを言うなら、生身の人間に操魔士が負けるわけにはいかない――格好悪いどころの騒ぎじゃない!)
レニが再度、手を振りかぶる。
魔性の銀細工が、宙を舞う。
***
糸を駆使し、幾度となくこちらに首輪の装着を試みるレニに、衝撃波で応戦する。
何度避けても、何度弾き返しても、何度本体の体勢を崩しても、大きな弧を描きながら、驚くべき速度と角度で、器用に首を狙い続けてくる。
……どこまでも鬱陶しい。
――なら。
(もう、壊してしまえばいい‼)
別の呪文を開始する。鋼鉄をも切り裂く、真空の刃の術式。
相手の挙動は充分に観察した。軌道は読める。
その中でも、特に読みやすいリズムに合わせて。
加えて。不意に思い当たった事実に、慎重さを期して未来の行動を一つ後付けする。その上で。
(ここ、だ!)
詠唱を終え、印を突き出す。
頭に入っている真空刃の攻撃速度から、着弾までの時間を逆算し、発射する。
そこから一秒経たず。
軌道の交差点。
耳障りな高い金属音が鳴り響き。光の糸が撓む。
――刹那の刃が、首輪に命中した。
糸から外れ、瞬間、宙を彷徨う金属。
分断はできなかったが、本体がえぐれ、完全にひしゃげている。
回路をどこまで破壊出来たか不明だが、機能は停止したはずだ。そもそも輪の形を保てていない。
(よし――)
最大の脅威を排除できたことで。
集中力を一瞬、弛緩させる。
そのように見せる。
わざと。
――そこに。
振り向きざま、真空の刃を手にまとった手刀で、撃ち落とす。
もう一つの、断魔の首輪を。
(――だと、思った‼)
考えればあの夜、自分と共に首輪を手に入れてから僅か数ヶ月間の訓練で、あんな精度を実現出来るわけがない。遥か以前から、元々持っていたと考えるのが妥当だ。
だとするなら。二つ以上の首輪で攻撃してくることも充分想定できる。
そして。隙を作るのも、隙を突くのもここまで巧みなレニなら。
一つを破壊出来た瞬間の、弛緩を狙ってくると思っていた。
「……」
無言で、糸を回収するレニ。その表情には、失望の色は無い。何の色も、無い。
真空の刃が直撃したものも何本かあろうに、糸は全て健在のようだった。相当な硬度。
そして、首輪は二つだけのようだった。
もっとあったなら、恐らくは立て続けに投げて来ただろうから。
視線を絡めあったまま、動きを止める二人。
――さあ。次はどう出る。
生身で立ち回るのも、限界のはずだ。
いい加減、正体を見せたらどうなのか。
様子を伺っていると。
レニは振り返り、こちらに背を向けた。
そのまま淡々と歩き出す。
(――?)
挑発しているのか。何なのか。
もう帰ろうということなのか。
ある地点で、立ち止まる。
振り返ったまま、片手を高く掲げ、糸を真上の枝に巻き付ける。
――そして。
レニが、機械音と共に天空に舞った。
途中、縦方向に反転する。
逆さの顔で、呼びかけられる。淡々と。
「おいで、シェリナ。一緒に遊ぼう」
――遊び。
彼にとっては、こんなもの、遊びの一つ。
注がれた、新たな油。
それを燃やし尽くす、業火を胸に。
中和し、反転した重力に乗せて。
思い切り、地面を蹴った。
***
吹き飛ぶ木々の枝葉、砕かれる岩、えぐり取られる土。
根本から破壊され、倒木した樹木も何本かある。
……何も知らない人間が通りがかったら、自然破壊が趣味の狂人が暴れていると思うだろう。
両腕の糸を駆使し、木々の間を縦横無尽に駆け巡り、こちらの攻撃を一つ漏らさず躱し続けるレニ。
もはや、放つ衝撃波の頻度にも威力にも速度にも、一切の加減はしていなかった。
それなのに。
(かすりもしない、なんてこと、ある――⁉)
いや、正しくは服はかすめており、ところどころ裂けている。だが、肉体には一切当たっていない。
冬の空気が気にならないほど、全身が熱を産み、汗が吹き出していた。
もう何十分経過しただろう。それほどの長時間、二人で飛び回っている。
――気付けば。
そのレニの回避行動に、目を奪われていた。
胸中に湧く焦りが、羨望に変わっていた。
下手な歌劇よりも、圧倒的に見るものを惹き付ける、しなやかで美しい、その挙動。舞い。
生身の身体で。機械の力を借りているとはいえ、こんなにも効率的に、華麗に、人は動けるものなのだろうか。
「……」
自分を抱いた身体の、魅惑的な姿。
新たな一面――
だが。見惚れている場合ではない。
相手に、魔術を使う気配は一切無い。
もう、相手の力を引き出さなければならない。
正体を、暴かなければならない。
だったら。
(これなら――どう⁉)
呪文に移る。
直線軌道に目を慣らせた直後の。
速度をばらつかせた弾幕に隠した、曲線軌道の本命を死角から当てる、衝撃波の一斉射撃。
学術院の模擬戦闘で最も勝率の高い、自分の得意とする型。
(一人たりとも――教授陣でさえ、初見でこれは見切れなかった!)
ここまでの攻撃で、相手の目は慣れているはずだ。事前準備は終えている。
詠唱を完了する。両手の魔術印の挙動で、それらの発射座標と軌道を定義する。
必勝の策を巡らせた渾身の弾丸を、一斉発射する。
(これで、見極める‼)
集中力を増す。精神の処理能力が加速し、相対的に知覚時間が減速する。
襲う弾幕。レニはそれらを、これまで通り紙一重で躱しながら。
本命の一撃の、不規則なカーブを描く複雑な曲線軌道を。
レニは正確に目で追っていた。完全に見切っていた。
「……」
生身のままで。
こちらの挙動と思考の癖を読んだ上での。
操魔の知識に裏打ちされた、観察眼。
彼は、紛れもなく操魔士だった。これまで出会った、誰よりも。
(……凄い)
思わず思考の中で、感嘆の声を上げる。――だが。
着弾の直前。
レニは視線をこちらに移し。
氷の表情を溶かし、微かに笑みを浮かべ。
一切の防御や回避をせず。
――その一撃を、受け入れた。
「……え?」
レニが吹き飛ぶ。思わず声が漏れる。
いつぞやとは比べ物にならないほど高く、遠く。
かつて自分が身を投げようとした崖。墓標。
レニが描く放物線は、その縁の先へと続いた。
「‼」
咄嗟に崖の縁まで移動し下を眺めると、激しくうねる水面へ落下してゆくレニを視認できた。
反射的に思考する。
今なら助けられる。
自分も落ち、落下中に飛行術式を発動し、彼を拾うだけだ。――けど。
彼が本当に高位の操魔士なら、このまま大人しく落ちるわけがない。
命と天秤に掛ける程の秘密なんて、この世にあるわけがない。
だいたい、彼は今の攻撃をわざと受けたのだ。
きっとこれは、挑戦状だ。
この極限状態で、果たしてこの駆け出し操魔士の小娘が、偉大なる騎士たる自分の力を見切れるかどうか、試してる。そうに違いない。
見極めねばならない。
彼は、通常では測れない力を持つのだから。
これくらいの窮地、こちらを欺きながら助かる手立てを隠しているはずだ。
よく見ろ、よく見ろ――。
しかし。
その落下音も、飛沫も、轟音の激流が掻き消して。
レニは呆気なく、川へ吸い込まれていった。そう見えた。
「……レニ……?」
そのまま数秒が経過するが、見た限り何ら変化は無い。荒れ狂う水面が、ただそこにあるだけだ。
先程まで感じていたレニの僅かな魔素反応すら、消えて無くなった。
***
ふと。
普段なら当たり前に出来ていた思考回路が戻ってくる。物事の道理。世界の法則。なるべくしてなること。そういったものの、考え方が。
仮に彼が自分の命を繋ぐ手段を持っていたとして。どうやって、それを行使する?
水に包まれ、呪文も唱えずに?
溺水し、呼吸を止めながら?
果てに酸素が滞り、意識を失いながら?
魂が抜け落ち、激流に身を砕かれ、土に還りながら?
(……そんなこと)
できる、はずが、ない――
「レニ‼」
崖から身を投げる前。
咄嗟に脱げたのは、ジャケットだけだった。
返したのは、ただ一言。
薄い笑顔を浮かべたまま。
泣き喚く子供を諭すように。優しく。
「シェリナ。落ち着いて」
その穏やかな口調に、苛立ちが走る。
(……落ち着け、ですって?)
その言葉は、火種に振りかけられた油だった。
「あなたは本当に、いつも落ち着いているわよね。どんなことがあっても。わたしが嬲られるのを見てた時も。わたしを買った時も。わたしを……抱いている時も」
言葉だけでも冷静に綴ろうと努めたが、段々と熱を帯びるのを止められず。
「夢中になってるのはわたしばっかり。いつもいつも、何考えてるのか全然分かんないし」
ついには、最後は叫びに変わった。
「教えてよ。あなたがそれだけ落ち着いていられる理由を。あなたのその余裕が、一体何処から来るのかを!」
高速で呪文を紡ぐ。かつて彼を建物の壁に吹き飛ばした衝撃波の術式。いつぞやと比べ、速度も威力も数倍に跳ね上がった不可視のそれを、レニは。
身体の向きを変えながら、横に軽く飛んだだけで、躱した。
「――‼」
(やっぱり――!)
あの時、躱そうと思えば躱せたのに。力を隠すため、わざと攻撃を受けた。そう確信する。
追撃の手を緩めない。横に飛び、位置を変えながら、自分が得意とする衝撃波の術式を、裂天の手套に乗せて放ち続ける。その一発一発を、レニは丁寧に避け続ける。
だが、この程度では驚くに値しない。これらはまだ牽制に過ぎない。印の運びから、軌道を読むことは出来る。身のこなしが軽い級友ですら、魔術無しで同じ真似はできるだろう。
この周辺には誰も居ない。自分達を知る者も、聞き耳を立てる者も、流れ弾に当たって死ぬ者も。一対一で、全力で向き合える。こんなところにまで連れ出した、もう一つの理由がそれだ。
レニもその意図は分かっている。分かってくれているはずだ。それなのに。
レニはただ、黙って攻撃を避け続けるだけだった。
(どうして、何も言ってくれないの……⁉ 力を使ってもくれないの……‼)
このままでは駄目だ。一旦、動きを止め立ち止まる。それに合わせるように、レニも。その息は、少しも乱れてはいない。
質問はしない。でも、促すために。冷たく静かな水面に、石を投げるように。
そして自分の決意を再度、刻みつけるように。
言葉を、遣う。
「あなたが……あなたがもし本当に、あの時の騎士なら……」
恩を返す。そう決めていた。でもどうやって?
彼はきっと、命を賭して仲間を裏切り、自分の命を救ってくれた。
それに見合う代価は何か。決まっている――もう自分の人生、そのものだ。
「……わたしはもう一度、あなたのものになる。これから先を、あなたの願いを叶えるためだけに生きる」
もうこれは理屈じゃない。自分がこんなになった理由なんて、考えたって分かるわけがない。
きっとあの口付けから――口付けを、受け入れた時から――自分は、支配された。
摂理。運命。呼び方は何でもいい。ただただ、抗い難い引力だけが、そこにある。
きっとこの人だ、もう間違いない。
後は、証明するだけ。
そう、心に刻んだ。
その、瞬間――
(……っ⁉)
背筋が、凍る。
頭蓋の頂点から首筋を通り背骨まで、長い氷の針を差し込まれたような。
外気も、一気に数度下がった気さえする。
その元凶を、見やる。
「――」
レニの顔から、笑みが消えている。笑みだけではない。表情そのものが、消えている。
見ようによっては、驚いているようにも、悲しんでいるようにも、見える。
感情の読めない、見たことのない顔。それはまるで、陶器の人形のよう。
これは、殺意、なのか。
だが間違いなく、死を孕んだ、顔。
数多の絶望を、享受する。そんな、顔――
ごくり、と。口内に溜まっていたものを飲み干す。
(――これが)
これが、騎士の顔なのか。
ようやく、全力を出してくれるのか。
消えた笑顔を補填するかのように、こちらに笑みが宿る。
未知の手合いと相見える時の昂り、好奇心。
数多の真理を解き明かしてきた、根源の羅針盤。
操魔士が、操魔士たる所以。
レニの手が、ゆっくりと動く。淀みなく。
あらかじめ決められた流れに沿うように。
修練の末の所作。それが、分かるほどの。
コートの内側から何かを取り出す。金属製の、何か。
ナイフの類かと目を凝らすが、形状が違う。
(あれは――!)
《断魔の首輪》――奴隷として売られた時に魔術を封じられた、あの首輪。操魔士の天敵。警戒に値する魔具。――だが。
レニの魔素に変化は無い。元の常人のまま。身体強化をしていない生身の人間。そのままで、戦闘態勢に入った操魔士に取り付けられる見込みは薄い。
その挙動に注視する。魔素反応にも。もしかすると既に、あの時の防壁を活用し、自分に知覚できない何かが、もう動いているのかも知れない。
――と。
「⁉」
突然レニが、首輪を大きく放り投げた。
ちょうど真横、斜め上60度ほど――言ってしまえば、あさっての方向。
勢いは強く、速く、高い。そのままどこかの枝葉に絡めとられるだろう、行き先。
思わず首輪を目で追うが、一瞬で思い直す。
視線を誘導する、動揺を誘うだけの罠。これは、その可能性が高い。
レニ本体に注意を戻す。すると。
何か、両腕を素早く振るような動きを見せた。
一番近いのが、ナイフの素振りのような。
しかしその手には何も持っていない。
いないように見える。
こちらに何かを飛ばす挙動にも見えた。
しかし何も飛んできてはいない。
いないように見える。
――だが。
(――‼)
悪寒が襲い、思わずその場で蹲った。
次の瞬間。
ざぐり、と。自分が立つ位置の、数歩先。
何かが地面に、音を立てて突き刺さる。
――断魔の首輪。
「……なっ……⁉」
一瞬前に自分の首があった位置を通過し、背後から斜め下に駆け抜けた。そんな、軌道。
こちらが前方に張った障壁の、死角となる背面後頭部を狙って。
(魔術による念動力――⁉ いや……)
いまだ魔素の反応は無い。魔術を使っている気配は無い。仲間が居る様子も、無い。
目を凝らすと、首輪に何か細いものが巻き付き、細かい光沢を描いている。それを辿ると、空中に大きな複数の曲線を描きながら、最後はレニの左手の袖の中に到達した。
レニが大きく左手を振り上げると、それに釣られて首輪が大きく空へ、自動的に舞い上がる。伴い、何かモーターのような機械音がレニから響く。
気付いた今でははっきり見える。レニと首輪を結ぶ、何本かの、糸。
これは――
(鋼糸術――)
思い出す。書庫にあった書籍群。機械戦闘術に関する書物に、読んだ形跡が多かった。
常人が操魔士に対抗する手段として、機械を用いた様々な戦闘方法が研究された。鋼糸術は、その中の一つだ。
特殊な素材と製法で編み込まれた強靭な糸で対象を吊り、切り裂く。その射出と巻取を、機械でアシストする。
魔具と併用して今のような攻撃も可能は可能だ。――が。
機械戦闘術は総じて、高品質な製造技術と継続したメンテナンスに加え、何より術者の高い技量が要求される。魔素を要さず、魔力知覚で感知できないというメリットはあるものの、いずれも魔術に比べ威力・精度・汎用性が低く、操魔の発展と共に徐々に廃れていった、今では手品の類だ。それを実戦で、今のような精度で行使するレニは、驚愕に値する。
見るとレニの両手首の奥、ゆるりとしたコートの袖の中から、何か薄い金属製の小手が覗いていた。仕組みは分からないが、あれが糸を制御する機械なのだろう。もしかしたら、あのコートや服自体にも、何か仕掛けがあるのかも知れない。
勘が働かなければ、自分は無力化していた。それでも、相手の力を引き出すため強気に告げる。
「こんな手品で、わたしに勝てると思ってる?」
最も成功率が高いはずの、不意打ちの初撃を躱せたなら、自分の優位は揺るがない。実際、それは事実のはずだ。相手が、生身のままなら。
「君の話は置いておいて、君に負けるわけにはいかないな。そこだけは同意するよ」
ようやく口を開いたレニは、強い言葉を返した。冷えた声色で、淡々と。
「口説いた相手に負けるなんて、格好悪いからね」
その凍った口調にあまりにも不釣り合いな、俗っぽい軽薄な言葉。
だが。脳内で反論する。
(それを言うなら、生身の人間に操魔士が負けるわけにはいかない――格好悪いどころの騒ぎじゃない!)
レニが再度、手を振りかぶる。
魔性の銀細工が、宙を舞う。
***
糸を駆使し、幾度となくこちらに首輪の装着を試みるレニに、衝撃波で応戦する。
何度避けても、何度弾き返しても、何度本体の体勢を崩しても、大きな弧を描きながら、驚くべき速度と角度で、器用に首を狙い続けてくる。
……どこまでも鬱陶しい。
――なら。
(もう、壊してしまえばいい‼)
別の呪文を開始する。鋼鉄をも切り裂く、真空の刃の術式。
相手の挙動は充分に観察した。軌道は読める。
その中でも、特に読みやすいリズムに合わせて。
加えて。不意に思い当たった事実に、慎重さを期して未来の行動を一つ後付けする。その上で。
(ここ、だ!)
詠唱を終え、印を突き出す。
頭に入っている真空刃の攻撃速度から、着弾までの時間を逆算し、発射する。
そこから一秒経たず。
軌道の交差点。
耳障りな高い金属音が鳴り響き。光の糸が撓む。
――刹那の刃が、首輪に命中した。
糸から外れ、瞬間、宙を彷徨う金属。
分断はできなかったが、本体がえぐれ、完全にひしゃげている。
回路をどこまで破壊出来たか不明だが、機能は停止したはずだ。そもそも輪の形を保てていない。
(よし――)
最大の脅威を排除できたことで。
集中力を一瞬、弛緩させる。
そのように見せる。
わざと。
――そこに。
振り向きざま、真空の刃を手にまとった手刀で、撃ち落とす。
もう一つの、断魔の首輪を。
(――だと、思った‼)
考えればあの夜、自分と共に首輪を手に入れてから僅か数ヶ月間の訓練で、あんな精度を実現出来るわけがない。遥か以前から、元々持っていたと考えるのが妥当だ。
だとするなら。二つ以上の首輪で攻撃してくることも充分想定できる。
そして。隙を作るのも、隙を突くのもここまで巧みなレニなら。
一つを破壊出来た瞬間の、弛緩を狙ってくると思っていた。
「……」
無言で、糸を回収するレニ。その表情には、失望の色は無い。何の色も、無い。
真空の刃が直撃したものも何本かあろうに、糸は全て健在のようだった。相当な硬度。
そして、首輪は二つだけのようだった。
もっとあったなら、恐らくは立て続けに投げて来ただろうから。
視線を絡めあったまま、動きを止める二人。
――さあ。次はどう出る。
生身で立ち回るのも、限界のはずだ。
いい加減、正体を見せたらどうなのか。
様子を伺っていると。
レニは振り返り、こちらに背を向けた。
そのまま淡々と歩き出す。
(――?)
挑発しているのか。何なのか。
もう帰ろうということなのか。
ある地点で、立ち止まる。
振り返ったまま、片手を高く掲げ、糸を真上の枝に巻き付ける。
――そして。
レニが、機械音と共に天空に舞った。
途中、縦方向に反転する。
逆さの顔で、呼びかけられる。淡々と。
「おいで、シェリナ。一緒に遊ぼう」
――遊び。
彼にとっては、こんなもの、遊びの一つ。
注がれた、新たな油。
それを燃やし尽くす、業火を胸に。
中和し、反転した重力に乗せて。
思い切り、地面を蹴った。
***
吹き飛ぶ木々の枝葉、砕かれる岩、えぐり取られる土。
根本から破壊され、倒木した樹木も何本かある。
……何も知らない人間が通りがかったら、自然破壊が趣味の狂人が暴れていると思うだろう。
両腕の糸を駆使し、木々の間を縦横無尽に駆け巡り、こちらの攻撃を一つ漏らさず躱し続けるレニ。
もはや、放つ衝撃波の頻度にも威力にも速度にも、一切の加減はしていなかった。
それなのに。
(かすりもしない、なんてこと、ある――⁉)
いや、正しくは服はかすめており、ところどころ裂けている。だが、肉体には一切当たっていない。
冬の空気が気にならないほど、全身が熱を産み、汗が吹き出していた。
もう何十分経過しただろう。それほどの長時間、二人で飛び回っている。
――気付けば。
そのレニの回避行動に、目を奪われていた。
胸中に湧く焦りが、羨望に変わっていた。
下手な歌劇よりも、圧倒的に見るものを惹き付ける、しなやかで美しい、その挙動。舞い。
生身の身体で。機械の力を借りているとはいえ、こんなにも効率的に、華麗に、人は動けるものなのだろうか。
「……」
自分を抱いた身体の、魅惑的な姿。
新たな一面――
だが。見惚れている場合ではない。
相手に、魔術を使う気配は一切無い。
もう、相手の力を引き出さなければならない。
正体を、暴かなければならない。
だったら。
(これなら――どう⁉)
呪文に移る。
直線軌道に目を慣らせた直後の。
速度をばらつかせた弾幕に隠した、曲線軌道の本命を死角から当てる、衝撃波の一斉射撃。
学術院の模擬戦闘で最も勝率の高い、自分の得意とする型。
(一人たりとも――教授陣でさえ、初見でこれは見切れなかった!)
ここまでの攻撃で、相手の目は慣れているはずだ。事前準備は終えている。
詠唱を完了する。両手の魔術印の挙動で、それらの発射座標と軌道を定義する。
必勝の策を巡らせた渾身の弾丸を、一斉発射する。
(これで、見極める‼)
集中力を増す。精神の処理能力が加速し、相対的に知覚時間が減速する。
襲う弾幕。レニはそれらを、これまで通り紙一重で躱しながら。
本命の一撃の、不規則なカーブを描く複雑な曲線軌道を。
レニは正確に目で追っていた。完全に見切っていた。
「……」
生身のままで。
こちらの挙動と思考の癖を読んだ上での。
操魔の知識に裏打ちされた、観察眼。
彼は、紛れもなく操魔士だった。これまで出会った、誰よりも。
(……凄い)
思わず思考の中で、感嘆の声を上げる。――だが。
着弾の直前。
レニは視線をこちらに移し。
氷の表情を溶かし、微かに笑みを浮かべ。
一切の防御や回避をせず。
――その一撃を、受け入れた。
「……え?」
レニが吹き飛ぶ。思わず声が漏れる。
いつぞやとは比べ物にならないほど高く、遠く。
かつて自分が身を投げようとした崖。墓標。
レニが描く放物線は、その縁の先へと続いた。
「‼」
咄嗟に崖の縁まで移動し下を眺めると、激しくうねる水面へ落下してゆくレニを視認できた。
反射的に思考する。
今なら助けられる。
自分も落ち、落下中に飛行術式を発動し、彼を拾うだけだ。――けど。
彼が本当に高位の操魔士なら、このまま大人しく落ちるわけがない。
命と天秤に掛ける程の秘密なんて、この世にあるわけがない。
だいたい、彼は今の攻撃をわざと受けたのだ。
きっとこれは、挑戦状だ。
この極限状態で、果たしてこの駆け出し操魔士の小娘が、偉大なる騎士たる自分の力を見切れるかどうか、試してる。そうに違いない。
見極めねばならない。
彼は、通常では測れない力を持つのだから。
これくらいの窮地、こちらを欺きながら助かる手立てを隠しているはずだ。
よく見ろ、よく見ろ――。
しかし。
その落下音も、飛沫も、轟音の激流が掻き消して。
レニは呆気なく、川へ吸い込まれていった。そう見えた。
「……レニ……?」
そのまま数秒が経過するが、見た限り何ら変化は無い。荒れ狂う水面が、ただそこにあるだけだ。
先程まで感じていたレニの僅かな魔素反応すら、消えて無くなった。
***
ふと。
普段なら当たり前に出来ていた思考回路が戻ってくる。物事の道理。世界の法則。なるべくしてなること。そういったものの、考え方が。
仮に彼が自分の命を繋ぐ手段を持っていたとして。どうやって、それを行使する?
水に包まれ、呪文も唱えずに?
溺水し、呼吸を止めながら?
果てに酸素が滞り、意識を失いながら?
魂が抜け落ち、激流に身を砕かれ、土に還りながら?
(……そんなこと)
できる、はずが、ない――
「レニ‼」
崖から身を投げる前。
咄嗟に脱げたのは、ジャケットだけだった。
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