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第22話 犯人の確定

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 日が昇りきった午前九時。
 教会の時報が鳴り終わったあと、兄様は儀礼室に並ぶ人々を見回した。
 反り返って腹を突き出す、騎士長・ゾロ。
 斜め後ろからすべてを睨む、正騎士・イグナス。
 落ち着きなく髪の先を弄る、軍医・タレイア。
 我関せずと宙を見つめる、記録官・ポルク。
 一番後ろで静かに控える、書記官・ルーヴ。
 離れた場所で腕を組む、副団長・ブルアン。
 この事件に関係する容疑者の面々だ。
 浮かんでいる表情は不安が多いように見えるけれど、そうでない人もいるらしい。
 兄様の隣で同じ景色を見る私にはそれがよく分かった。

「調査官殿。こうして集めたということは、犯人が分かったということですかな?」

 大きな腹を揺らしながら、ゾロがどこか苛立たしげに問いかける。
 外部犯を推しに推していた立場としては、関係者を集めることが不満なのだろう。
 けれど兄様は気にすることなく、遺体のあった場所にピンと立つ。

「そうですね。僕なりに事件は解決できたかと」

 その言葉を聞いた面々の反応は様々だ。
 中でも目につくのは、なぜか目を怒らせたイグナスだった。
 もしかして犯人は……。
 そこまで考えて、確実な現場不在証明があったことを自分に言い聞かせた。

「それでは、順を追って説明します」

 そう言って、兄様は前髪で隠れた視線を巡らせた。

「まずは外部犯の可能性から検討しましょう。
 ゾロ騎士長の説によると、無断で儀礼室に入り込んだ犯人が、偶然レオーネ団長に発見された。
 慌てた犯人は壁に飾られた宝剣ですきを突いて殺害。
 確実に死に至らしめるために過剰に損壊されたと」

 今聞いてみてもありえない話だ。
 それはこの場にいるほとんどが同意見のようで、否定の言葉は出てこなかった。

「こちらの説が難しい理由。第一に警備体制があるでしょう。
 いくらほとんどの団員が遠征に行っていたとはいえ、不届き者の侵入を許すとは思えない。
 第二に、もしもの可能性で侵入者がいたとしても、衛兵を呼べば済む話でしょう。
 団長自ら追いかける必要はない」

 ゾロの案を丁寧に否定する兄様は、自慢気でも優越的でもなく、ただ淡々としている。
 そんな兄様に何を思ったのか、ゾロはわざとらしく鼻で笑った。

「だというのなら、一体誰がレオーネ殿を呼び出したというのですか?
 わたくしどものうち、深夜に騎士団長殿にご足労を願えるような者は少ないはずですがな!」

 じろりと目線を向けられたタレイアは、不機嫌そうに顔を背けた。
 元愛人という立場は誰もが知っているようで、疑心暗鬼な視線が集中する。
 けれどそんな意識を取り戻すかのように、端的な質問が投げかけられた。

「逆ならどうですか?」

 ゾロの笑いやタレイアの不機嫌さが、一瞬の空虚のあと驚きに変わった。
 それは他の人も、私も同じだった。

「どんなに調べても、最高責任者であるレオーネ団長を呼び出せる人物はいない。
 しかし、騎士団の中でレオーネ団長が呼び出せない人物はいない。
 お誂え向きに、個人で儀礼室の鍵も持っていたようですしね」

「そんなわけが……」

 ゾロの低い呟きは、否定の色を持っていなかった。
 今までずっと、誰がレオーネを呼び出したのかと考えていた。
 けれど兄様は、その大前提をひっくり返した。
 レオーネは自分で犯人を呼び出し、意図的に二人きりになったのか。

「これで一つ解決しました。犯人は部外者ではない。レオーネ団長自らが呼び出した関係者である」

 はっきりとした断定に否定の声は聞こえない。
 つかの間の沈黙を裂くように、兄様は変わらぬ声で続けた。

「事件当日、レオーネ団長は周囲に外出すると言っていたようですね。
 それなのに儀礼室に向かったということは……あまりいい意味ではなかったんでしょう」

「くそっ!」

 表情を変えずに言われたことに、イグナスが苛立たしげに床を蹴った。
 レオーネの目的は想像できる。
 イグナスやブルアンが言っていた、いわゆるいじめ行為なのだろう。
 関係者が激減している騎士団の中でなら、いつもより過激な行為ができると思ったのか。
 部外者の私ですら内蔵が重たくなる話だ。
 関係者の忌ま忌ましそうな表情は見るに堪えなかった。
 その中でいち早く我に返ったのは、兄様から遠い位置に立っていたブルアンだった。

「レオーネの奴は返り討ちに遭い……あんな目にあったのか」

 細められた目には不快さのほかに憐れみのようなものが映っていた。
 レオーネの行動は許されるものではないだろう。
 けれど、その代償があの死に様だというのなら。
 長い付き合いのブルアンには思うところがあるのかもしれない。
 兄様はブルアンの呟きに対し、あえて質問を投げかけた。

「レオーネ団長の剣の腕はどうでしたか?」

「あいつは帝国が誇る騎士団の団長様だ。純粋な武力で勝てる者は少ないだろう」

「不意をついたとしたら?」

「俺たちは寝る時以外は帯刀している。そんな相手に警戒を怠るとは思えんな」

 ブルアンの腰にある無骨な剣は、見る者を萎縮させもするだろう。
 ほとんど文官であるゾロは別として、イグナスも使い込んだ剣を下げていた。
 ということは、犯人は帯刀していない人物?
 そんな安直な答えでいいのかと思っていると、兄様はがらりと話を変えた。

「いい機会です。ブルアン副団長、この石床に剣を突き立てられるかやってみてくれません?
 ああ、剣が痛むのが困るようでしたら壁に掛けてあるもので大丈夫ですよ」

「かまわんが……」

 全員の注目を集めたブルアンは、一番近くに掛けられていた長剣を取った。
 もちろん刃は潰されていて、抜き身で振られても恐怖は少ない。
 けれどなんとなく一歩下がり、困惑顔のブルアンと笑みを浮かべる兄様を見比べた。

「思いっきりやってください。でないと検証にならないので」

「なら……ハァッ!!」

 息を詰めてからの一閃が石床を穿つ。
 けれど反動も大きかったのか、ブルアンは渋い顔で手を握りしめていた。
 手を離しても長剣は倒れなかったけれど、あまり深くまで入っているわけではないらしい。
 
「ブルアンさんでそれじゃ、あたしには絶対無理ね。おチビちゃんや子豚ちゃんもじゃない?」

「できないことを認めるのは癪だが、ボクは剣など握る必要がないからね!」

 タレイアの声高な主張に、ポルクは深く頷いた。
 ルーヴは口を挟まないようだけれど、誰もが認めているのだろう。
 けれどこの謎は解けている。

「そこに武具のかけられていない金具がありますね。
 置かれていたのは、木槌か何かだったんじゃないですか?」

「た、確かに木槌がかけてありました。しかし、いつからなくなったのかは誰も覚えておらんのですよ。
 生憎、天幕で隠れてしまう場所ですからな」

 ゾロが戸惑いながら認めると、兄様は穿たれた剣の前に立った。 

「武具は飾り用にか、すべて刃を潰されていました。
 そんな鈍らを床に突き立てられるのは、ブルアン副団長ほどの腕力が必要でしょう」

 だから力の弱い者は犯人ではない、という理屈は通らない。
 周りの反応を待つことなく、兄様は柄に拳を押しあてた。

「しかし、木槌を使えばそれは可能になります。
 幸い時間はありましたからね。
 鈍らの武具を杭にして、少しずつ肉と骨を貫いていったんでしょう」

 兄様がそう説明すると、数名に浮かんでいた安堵の色がかき消えた。
 考えてみれば、木槌で打ち込むことも相当な行動だ。
 まるで呪いをかけるかのように、一つ一つ打ち付けたのだとしたら。
 想像するだけでぞっとしてしまった。

「あちらの控え室の暖炉に大量の灰が残っていました。
 証拠隠滅のために燃やしたんでしょうね」

 ここからは見えないけれど、あえて見に行く者もいない。
 ただただ、兄様の解決に目も意識も惹きつけられていた。

「もしかしたら、殺害は衝動的なものだったのかもしれません。
 計画的なら、証拠隠滅がこんなに杜撰なはずがない」

 今も空いたままの金具を見て、ゾロはまたしても忌ま忌ましそうな鼻息を漏らしていた。

「これでもう一つ解決しました。犯人に腕力は必要ない。木槌さえ振れれば可能である」

 またしても否定の声はないけれど、今度は違った声が上がってしまった。

「つべこべ言ってねぇでさっさと言えよ! 犯人の名前をよぉっ!!」

 突然響き渡った激しい音に、思わず飛び跳ねてしまった。
 叫びと共に剣が鞘を走り、床に突き刺さった刀身を弾き飛ばした。
 この場で帯刀しているのはたった二人。
 最初から苛立ちを隠さなかったイグナスが、とうとう耐えきれなくなったらしい。
 刃を潰された長剣は何度か床に跳ね返り、部屋の隅で止まった。

「ここで犯人の名前を言ったところで、ほとんどの人が認めませんよ」

「んなの分かんねぇだろうが!」

「いいえ、分かります。だからこそこの事件は、ここまで拗れてしまったんですからね」

 それはどういうことなのか。
 兄様の言葉に、視界の中でいくつもの目配せが生まれた。
 不安そうに、気まずそうに、兄様から視線をそらす。
 かと思えば、疑わしそうに、そっと誰かに視線を向けるのだ。
 前に立っているブルアンは気付かないのだろう。
 荒ぶるイグナスに警戒の視線を向けたままだった。

「誰もが解決に納得するために、僕は僕の手法を変えませんよ」

 兄様の確固たる意思を込めた言葉に、イグナスは床に唾を吐き捨てる。
 それはちょうどレオーネが倒れていた場所で、死後に至るまで嫌っているのかと呆れてしまった。

「といっても、解決すべき事柄はあと少しです。
 この事件を複雑にしてしまった理由の一つに、早朝の鐘は欠かせないでしょう。
 午前零時の犯行を朝四時に知らしめた。
 それはもちろん、わざわざその時間に鍵を開けて鳴らしたというわけではないんです」

 誰にも現場不在証明のない時間に鳴らされた鐘。
 自己顕示欲でもなく、早期発見のためでもない。
 その理由はまだ聞かされていないけれど、兄様の頭の中には納得のいく解決が出ているはずだ。

「フィオナ。昨日説明してくれたことをやってくれるかい?」

 ここに来て初めて私に顔を向けた兄様に、深く頷きを返した。
 銀製の大きな水瓶を抱え、ある一点を目指して台に置く。
 そして鐘つき部屋からたるんだロープを引っ張ってきて、緩く結べばそれで終わりだ。
 水は準備されていなかったからそのまま元の位置へ戻った。

「レオーネ団長が殺されたあと。鍵をかけた儀礼室にはこんな仕掛けが施されていたのでしょう」

「これは……どういうことだ?」

「まぁ、見ていてください」

 そう言うと、兄様は水瓶の横で天井を見上げた。
 何を待っているのだろう?
 今も荒い呼吸を続けるイグナスに意識を向けていると、高い音が響いてきた。
 ぴたん……ぴたん……ぴたん……。
 昨晩と違って明るい室内で、歪んだ染みは濃さを増していた。
 どうやら兄様は屋根に水を撒いていたらしい。
 水滴は天井の染みから滴り落ち、水瓶の中に溜まっていく。
 事件当日を正しく再現された光景に、なぜだか既視感を覚えた。
 昨日実験したから?
 いや、なんだかそれとは違うような……。
 答えが出るより前に、兄様は驚いた顔で水滴を見つめる面々に向き直った。

「こうして水が溜まり、満ちるころにはバランスを崩して落下する。
 するとロープが引っ張られ鐘が鳴るという仕掛けなんです」

 この速さでは水瓶がいっぱいになるまで数時間はかかるだろう。
 けれどそれが、あの晩に起こったことなのだ。
 昨日の深夜、実験の結果鳴り響いた鐘は誰もが聞いたはずだ。
 だというのに……この場にいるほとんどが、兄様から僅かに視線をそらしていた。
 その全員が犯人だなんてことはありえない。
 なのにどうしてこんな反応を示すのか。
 その答えも、兄様がはっきりと解決を見せつけるのだ。

「みなさん、知っていたんでしょう?
 事件当日、この地域には珍しく雨が降っていたと。そしてそれを僕に……部外者に知られたくなかった」

 兄様の断言に、その場の空気に緊張が走った。

「ポルク記録官」

「な、なんだい、クリシュナ氏?」

「あの日の天気はどうでしたか?」

「い、いや、言っただろう? あの日は記録を取っていなか……」

 言い訳じみた言葉が途切れた理由は、骨と皮だけの指が示したものだった。
 大きな紅玉のついた、嫌味なほどに豪華なブローチ。 
 紅玉の大きさは権力と比例し、今の私たちは皇帝に次ぐ権力を持つ。
 貴族の生まれであるポルクは、騎士たちよりも重さを知っているのだろう。
 数度口を開いたあと、項垂れるように頷いた。

「あの日は……日付を超えるころに雨が降った」

 苦々しそうな言葉に、ことの重大さが突きつけられたように感じる。
 ただの天気の話ならこんなことにはならなかったのだろう。
 けれど騎士団長という存在が無残に殺された特別な日に、普段と違ったことがあったのなら。
 それを口にしないということが、一体どういう意味を持つのか。

「イグナス正騎士が絶好の機会だった酒盛りを中断したのも雨によるものでしょう。
 そして当然、ブルアン副団長も知っていましたよね?
 遠征帰りの荷車に雨具が積まれていたんですから」

「クリシュナさん、雨が降っていたのがなんだってんだ?
 戦時中じゃあるまいし、ここらの天気がどうであれ関係は……」

「関係あるんですよ」

 ブルアンの言葉を遮ると、兄様はこの場にいる人物を見回した。
 視線を正面から受け止めているのは、ブルアンとイグナス、そしてルーヴの三人だけだった。

「皆さん、薄々勘づいていたんじゃないですか?
 この犯行には、雨がなんらかの役目を果たしていると。そしてそれは、犯人の手がかりになると」

「はぁ? そんなもんがなんの役に立つんだよ!?」

「現に役に立っているじゃないですか。この雨漏りのおかげで、犯行時刻と鐘の鳴った時間にずれが生じた。
 レオーネ団長の殺害だけが目的なら、鐘なんて鳴らさなくていいんです。
 それでも鳴らした理由はなんなのか」

 緩く結んだロープを解き、強く引っ張る。
 高らかに鳴る鐘は、昨日と同じく室内に轟音を響かせた。

「それは、全員に現場不在証明がある時間に鳴らし、内部の人間には不可能だと印象づけるためです」

 兄様の出した答えはあまりにも予想外で、なかなか頭に入り込まない。
 ようやく言っている意味が分かった時には、鐘の音がほとんど終わっていた。

「もう一度聞きます。ポルク記録官、雨の強さや時間はどうでしたか?」

 もはや隠す気はないのだろう。
 ポルクは深いため息をつくと、短い腕を肩の横で振った。

「ボクの予測では、雨の強さは一定で翌日の午前中まで続くはずだった。
 しかし雨脚は強く、豪雨の末に夜明け前には止んでしまったのさ」

 だから昼過ぎに到着した私たちの目に映らなかったのか。
 気付けなかったことを不甲斐なく感じてしまうけれど、兄様は過去を振り返りはしなかった。

「ということは、犯人が狙った時間はもっと遅かったのでしょう。
 例えば……勤務時間に現場不在証明のない人は少ないでしょうね」

 なんということだろう。
 犯人は自分が罪から逃れるためではなく、全員が疑われないことを狙っていただなんて。
 あんなに残虐な行為をした犯人が、思いやりのある行動をするなんて思えない。
 けれど兄様の解決は否定が思い浮かばず、反論の声は上がらない。
 無言の納得を見届けた兄様は、小さく息を吸い込んだ。

「これでまた一つ解決しました。鐘が鳴った時間の現場不在証明に意味はない。
 もっとも、あの時間にそれを主張できる人はほとんどいませんでしたけどね」

 兄様は誰にも聞こえないくらい小さな息を吐く。
 ここまでほとんど兄様一人で喋っているのだから疲れているのかもしれない。
 けれどこの場で私が引き継ぐことはできず、兄様も望んでいないだろう。
 前髪に隠されているというのに、鋭い視線が向かっているのを感じた。

「以上の理由から、犯人の条件は三つ」

 がさがさに荒れた指が一本立てられる。

「一つ目は、レオーネ団長の死亡推定時刻に現場不在証明がない。
 鐘の鳴った朝四時の現場不在証明など関係ない。二十二時から午前零時のみです」

 曲がった爪の填まった指がもう一本立てられる。

「二つ目は、儀礼室に入ったことがある。
 初めて入った場所であの所業は難しいでしょう。
 木槌を燃やした控え室など、明かりの少ない深夜に初見で分かるはずもない」

 最後に立てられた三本目は、小刻みに震えていた。

「三つ目は、雨漏りを知っている。
 大雨の中、些細な水音に気付けるとは思えません。
 さっきと同じく、暗闇の中でこの場所を探り当てるのは難しい」

 静まり返った部屋の中で、兄様の声だけが続いていく。

「まず、分かりやすい人から省いていきましょう。
 国境付近まで遠征に行っていたブルアン副団長は除外されます。
 それと同じく、規則違反の酒盛りをしていたイグナス正騎士も除外できるでしょう」

 これは私も聞いていたことだ。
 ブルアンは言わずもがな。
 イグナスも動機の面では第一容疑者だけれど、明確な現場不在証明があったのだから。
 真っ先に否定されたというのに、二人は決して晴れやかな表情を浮かべていない。
 ただただ兄様の話を待ち、焦れる気持ちを抑え込んでいたように見えた。

「次はポルク記録官とタレイア医師ですね。
 お二人は神聖な儀礼室に入ったことはなく、ならば雨漏りも知らないでしょう。
 それにタレイア医師は当直だったようですから、長時間席を外すのは危険が多かったはずです」

 強く否認していた二人は、さすがに胸をなでおろしたらしい。
 けれど安堵とまではいかないようで、忙しない視線を送ったままだ。
 あっという間に容疑者が減っていく。
 本当に事件は解決されるのか。
 迫り来る終わりを前に、私の胸が重々しい鼓動を続けていた。

「ゾロ騎士長は当然ながら儀礼室に入ったことがあり、雨漏りも知っているでしょう。
 しかしこちらもタレイア医師と同様です。
 深夜まで仕事をしていたとのことですから、いつ呼び出しがかかるか分かりません。
 それと、体格的に鐘つき部屋に入るのは難しいでしょう。これはポルク記録官にも言えます」

 頷くゾロだけれど、見るからに不承不承といった様子だ。
 兄様はもうすぐ、犯人の名前を口にするのだろう。
 名前が呼ばれていないのは誰かと見回すとと、無意識のうちに唇が震えていた。
 それはこの場に居るほとんどが同じ気持ちのようで、いくつもの見開いた目が向けられる。
 まさか、そんな。
 信じられない気持ちは、誰よりも信じられる人の声で否定された。

「ルーヴ書記官」

 兄様の呼びかけに、全員の意識が集中した。
 薄青の瞳は、こんな時でも感情を映していなかった。 

「書記官であれば儀礼室に入ったことがあり、雨漏りも知っていたでしょう?」

 できることなら否定してほしい。
 懇願にも近い気持ちを抱きながら、ゆっくり開くルーヴの薄い唇を見つめるしかできなかった。

「存じております」

 中性的な声が震えることはない。
 そんなルーヴを見て、兄様も声色を変える気はないのだろう。
 今まで接してきたのと同じように、親しげなまま話を続けた。

「あの水瓶が満ちるのは、あとどれくらいですかね?」

「この速度ですと、五時間半で仕上がります」

「おや、あの時と同じくらいかと思ったんですがね。少し足りなかったですか」

 苦笑交じりの言葉に、ようやく既視感の理由が思いついた。
 ぴたん、ぴたんと続く水滴の音は、聖水作りで聞いたものだったのだ。
 ルーヴはあの時も正確に時間を言い当てていた。
 そもそも、満ちる時間が分からなければ計画に組み込めるわけがない。
 その点からも、この仕掛けを使える人物は限られているわけで……。

「壁の武具を外したのも、外部犯に見せかけた事後工作ですね?
 高い位置から取るのは大変だったでしょう」

 私とほとんど変わらない身長では、外されていた位置は自然ではない。
 けれど、だからこそその場所から取らなければならなかったのだ。
 見せかけたかったのは、騎士団長をも瞬殺し、一突きで地面を穿つ武芸の達人なのだから。
 私たちのように小柄な体躯をしているわけがない。
 信じたくないのに、信じずにはいられない。
 今も明確に否定しないルーヴを前に、弾けるような声が響き渡った。

「お待ちください、調査官殿!」

 それは額に脂汗をたっぷり浮かべたゾロだった。
 目に映る驚愕はそのままに、短い腕を忙しなく振り回している。

「以前お伝えしましたけど、犯人の処分についてはお任せしますよ」

「いいえ、いいえ、そうではない、そうではないのです!」

 兄様の冷淡にも思える指摘にすら、気を向ける余裕がないらしい。
 意味を持たない呻きの合間に、別の方向から声が上がった。

「そ、そうよ! だったら部外者が入り込んだっていうほうがまだ分かるわ!
 あいつ、妙なとこで嗜虐心があったもの。どうせ懲らしめて遊ぼうとしたのよ!
 ねぇっ、あんたたちもそう思うわよねっ?」

 常に余裕と遊びを持っていたはずのタレイアが、キンキンと金切り声を上げている。
 見開いた目は爛々と光りながら、圧倒される周囲に視線を巡らせた。

「ぼ、ボクもタレイア女史の意見に賛成だね。
 クリシュナ氏の言うように木槌を使ったとして、あの細腕でできるものかい?
 ま、ボクのように頭脳労働を主とする人間にも到底難しい犯行さ!」

 我関せずな態度を取っていたポルクすら、急に態度を一変させる。
 自己保身のように聞こえる気もするけれど、明らかに兄様の意見を否定するものだ。
 これは一体どういうことか。
 突然の擁護に驚いてしまうけれど、それは私一人ではないらしい。
 目を見張って意見の主たちを見回すブルアンと、もう一人。

「てめぇら、何言ってやがんだよ……?」

 苛立ちと困惑混じりの苦悶を滲ませるイグナスがいた。
 兄様が解明した通り、外部犯はありえない。
 プライドの高いレオーネが衛兵の仕事をやってやるはずもない。
 模造品の木槌は誰だって打ちおろせる。
 だというのに、この場にいるほとんどが否定するだなんて……。

「これが、この事件がここまで捻れてしまった原因です」

 異様な喧騒を壊すかのように。
 根拠のない主張を砕くように。
 よく通る声は、ざわめく一同の口を封じた。
 捻れてしまった原因とは何か。
 息を呑んで続く言葉を待った。

「ゾロ騎士長。
 あなたは、王宮への士官をレオーネ団長に妨害されていた」

 突然の名指しに、ギトギトと光る顔の色が変わった。

「タレイア医師。
 あなたは、すでに終わった関係を強要されていた」

 移った視線から逃れるように、自分の爪先をきつく睨みつけた。

「ポルク記録官。
 あなたは、騎士でないというだけで非人道的に扱われ、自分の生きがいを否定されていた」

 軽口を飲み込んだあと、気障ったらしく首を竦めた。

「ブルアン副団長。
 あなたは、立場が入れ替わった途端に陰湿な嫌がらせを受けていた」

 一瞬顔をしかめながら、視線をそらすことはしなかった。

「イグナス正騎士。
 あなたは……不当な扱いに怒りを覚えているように振る舞っていた」

 躊躇うような言葉に、血走った目を見開いた。
 少し間が空いたけれど、否定の声は上がらなかった。
 兄様はそれを確認すると、慈しみを持った声でこう言った。

「レオーネ団長が死んだと聞いた時。みなさん、何を思いましたか?」

 肩を揺らしたり、身体を強張らせたり。
 ほとんどが後ろめたさを隠せない表情になり、脳裏を想像できてしまう。
 あぁ、なんということだ。
 あぁ、どうすればいい。
 あぁ、……よかった。
 そう思ってしまったことに、なんの咎があるというか。

「みなさん全員に、レオーネ団長の死を是とする動機が存在したんです」

 同情心のようなものを感じていると、兄様は静かに話を続けた。

「ここにいるほとんどが犯人に感謝していたのでしょう。
 だからこそ、ゾロ騎士長は初動捜査を先延ばしにした。
 タレイア医師は死亡推定時刻を曖昧にした。
 ポルク記録官は珍しい天気をひた隠しにしていた」

 だから、事件は捻れてしまったのだ。
 犯行とは無関係の人間が、意図的に情報を隠していたのだから。
 けれど兄様は明かした。
 いや、明かしてしまった。
 こちらを凝視する視線を見れば、そう思ってしまうのも無理はないはずだ。
 そしてその気持ちは、前髪に隠れた視線に対し撃ち放たれてしまった。

「ええい、違う! 違うと言っているっ!
 犯人は外部から侵入した不届き者! それの何がおかしい! それでよろしいではないかっ!!」

 顔を真っ赤にしたゾロは、地団駄を踏みながらそう主張する。
 その言葉に続くように、あちらからも、こちらからも同様の叫びが叩きつけられた。
 ここに居る人間は正しい解明など望んでいなかったのだろうか。
 悪意に満ちた怒声に身を固めていると、周りを制するように手を上げた者がいた。
 それはこの事件でもっとも容疑者から遠く、もっとも容疑者と親しい人間だった。

「あなたも否定しますか? ブルアン副団長」

 優しい問いかけに、ブルアンはなんと答えるのだろうか。
 路上生活から救い出し、慈悲深くも世話を続けてきた相手の犯行を前に。

「クリシュナさん、そんなことはありえない。この子が……この子があんなことをできるはずがない……っ」

 絞り出すような低い叫びは悲痛に溢れていた。
 肩を丸めた覇気を感じさせない様子とは違う、聞く者の胸を苦しくさせる姿。
 兄様はそんなブルアンではなく、その後ろへと視線を向けた。

「聡明なあなたのことです。
 こうなることを見越して、決定的な証拠を持ってきているんじゃないですか?」

 その質問に、ブルアンがじわりと身体を反転させる。
 兄様も、私も、その他の人間も、無表情を浮かべるルーヴを見つめる。
 ぶかぶかの制服から覗く手が、大きなポケットの中に吸い込まれる。
 そこからゆっくり姿を現したのは、豪勢な作りの鍵だった。
 銀色の鎖がついたものは、昨日の夜にここを開けてもらった時と同じものだ。
 それがなんの証拠になるというのだろう?
 怪訝そうな顔が並ぶ中、真っ先に声を上げたのはゾロだった。

「それは……っ!」
 
 呻くように呟くと、慌てて自分のポケットに手を入れる。
 そこからでてきたのは、何も付いていない鍵と、革紐が結ばれた鍵だった。

「持ってきてもらったのが無駄にならなくてよかったです。
 儀礼室の鍵は三本存在するそうですね。
 一つは警備室。一つはゾロ騎士長。そしてもう一つは……」

 思い出してみれば、私はゾロの持つ鍵を見たことがあるのだ。
 その時は確かに革紐が付いていた。
 そして何も付けない素っ気ないものは、警備室で備品として扱うのに相応しい。
 と、いうことは。
 細い鎖のついた鍵。
 その持ち主はただ一人……レオーネ、だ。
 理解した瞬間に血の気が引いた。
 けれどさらに衝撃を受けている人物が眼の前にいる。
 この場の誰よりも信じたくなく、信じられないだろう。
 だとしても、ルーヴの指に絡んだものは、誰の否定もはねのけた。

「自分が団長様を殺しました」

 ここに来て初めて発したルーヴの言葉に、誰もが動揺を隠せなかった。
 平静を保っているのはルーヴと兄様だけだ。
 たった二人だけが視線を交わし、周囲の人間はただ黙って見ることしかできない。

「あの晩に何があったのか。教えてもらえます?」

 初日から何度も口にした問いかけに、ルーヴはまるで同じに答えた。

「承知いたしました」
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