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第24話 牢獄での告白
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二十一時の鐘が鳴った。
けれど三日目の儀式を行う必要はなく、私と兄様は薄暗い廊下を歩いていた。
あれから報告書の作成を行い、ついさっきようやく終わったのだ。
兄様が犯人だったという虚偽の報告ではなく、事件を正しく記録したもの。
けれどどこか納得のいかない結末に、私の胸中は重苦しいままだった。
「兄様、どこに行くのですか?」
行き先を言わないまま貴賓室を出て、もうどれくらい歩いただろうか。
この三日間で一度も通ったことのない薄暗い場所は、明かりと衛兵の数が反比例しているようだ。
警戒の視線で肌がひりひりしそうになりながら、兄様は平然と歩き続ける。
そうしてたどり着いたのは、見るも明らかな牢獄だった。
本来ならば、部外者は近づくことも許されないだろう。
けれど兄様が紅玉を突きつけると、見張りは敬礼をしながらその場を去った。
所々に錆が浮いた鉄格子は私の腕くらい太く、設けられた隙間は私の頭すら通らないだろう。
そんな狭苦しい隙間から見えたのは、ぼろぼろの服を着せられたルーヴの姿だった。
「ちょっとお話、いいですかね?」
兄様の呼びかけに、ルーヴは相変わらずの無表情を向けてきた。
痩せ細った手首に嵌められた手枷が痛々しい。
暖炉も絨毯もないというのに、背筋を伸ばして石床に座っているのがらしいと思ってしまった。
「この度は大変なご迷惑をおかけいたしました」
すっと立ち上がったルーヴは、私たちに向かって深々と頭を下げた。
制服を脱いだ身体はここまで貧弱に見えてしまうものなのか。
私と変わらない肩幅に頼りなさを感じ、なんとなく目線をそらしてしまった。
「ルーヴ書記官」
「自分はもう、書記官ではございません」
「それもそうですね。では……ルーヴ嬢」
……嬢?
兄様の呼びかけに思わず顔を上げ、ルーヴの顔を凝視する。
けれどルーヴは否定も困惑もせず、まるで肩の荷が下りたかのような表情を浮かべていた。
「クリシュナ様は、すでにご存知だったのですね」
「事件に関係なければ、口にする気はなかったんですけどね」
分かりあったかのような雰囲気に疎外感しか感じられない。
これは一体どういうことだ。
ルーヴが女性だった?
そのことにも驚くけれど、事件に関係がある?
分からない、分からない。
助けを求めるように兄様を見上げると、隠し事が見つかってしまったように笑っていた。
「ルーヴ嬢の年齢は十八歳。そして、孤児院にいられるのは十五歳までなのは知っているね」
もちろんそれくらい分かっている。
けれど今更ながら言われてみると、それはおかしな話だった。
たしかルーヴは、入団して一年経ったと言っていた。
となると、どう考えても計算が合わない。
騎士団に入る前に他で働いていたのだろうか?
けれど働き口などそうそう見つかるものでもないだろう。
だったら空白の二年間、ルーヴはどこで何をしていたのか。
「ルーヴ嬢の居た孤児院は、フィオナが行くはずだった修道院に併設されていた。
その修道院の特徴を覚えているかい?」
教会の中でも高名で、いわゆる、やんごとなき立場の者が入る場所。
模範的で、慈愛に溢れ、清らかな淑女が敬虔な信者になるための場所。
つまり……女性、専用。
分かりきっていたはずなのに、まるで頭から消えていたらしい。
その事実から導き出される答えは一つしかない。
ルーヴは孤児院ではなく修道院に、おそらくシスターとして所属していたのだろう。
そう考えると、驚きよりも納得が上回った。
丁寧な言葉や気遣い、年齢の割に落ち着いた雰囲気などはシスターならば違和感がない。
腑に落ちたのが分かったのか、ルーヴは静かに口を開いた。
「自分の性別を知っていたのはブルアン様と、おそらく、タレイア先生だけでした」
中性的な声は元からなのだろう。
男性にしては高くても、女性としてなら少し低い程度だ。
今までと変わらぬ声の話に、兄様は穏やかに問いかけた。
「医者なら気づきそうですしね。レオーネ団長はどうでしたか?」
「最近、お知りになったようです」
部外者の兄様が三日と経たずに分かったことだ。
最高責任者としてすべての経歴を閲覧できる立場なら、知っていてもおかしくない。
そしてそれを、私欲のために利用したとしても。
「手を上げられたのは事実でも、それは叱責ではないんでしょう?」
兄様の遠回しな質問に、ルーヴは一瞬目を伏せてから頷いた。
男だと思っていた部下が女だった。
それも、貶めたい相手と懇意の者だったとしたら……。
胸の不快感を押さえきれずに居ると、ルーヴは静かに語りだした。
「遠征には、団長様も自分も参加する予定でした。
なのに突然人員が変更された時、嫌な予感はしていたのです。
そしてそれは、呼び出しを受けて確信に変わりました」
自分で人員を操作できる遠征は、絶好の機会だと思ったに違いない。
大規模な遠征なら団長が参加するのが自然だ。
それを急遽取りやめたのなら、そう考えるのも当然だろう。
「団長様は、自分を汚すことがブルアン様の苦しみに繋がると判断されたのです。
抵抗されるとは思われなかったのでしょう。
団長様は警戒することなく、自分に手を上げようとされ……」
それ以上を語る必要はない。
兄様はゆっくり首を振り、ルーヴは安堵したように息を吐いた。
「修道院に来てくださったブルアン様は、日に日に苦しそうなお顔をしていらっしゃいました。
ですから、自分は少しでもブルアン様のお力になりたくて騎士団に入団したのです。
それなのに、自分が枷になることなど許せるはずがありません。ならば、せめて……」
ゆっくり瞬きした薄青色の瞳は、燃えるように鮮やかだった。
「ブルアン様の苦しみの元凶を、自分の手で葬ればいいと思ったのです」
強い意志を持った言葉に、批難など向けられるはずがない。
身近で過ごすことで、ブルアンがレオーネに貶められていると気づいてしまったのだろう。
自分の人生を救ってくれた相手が、見るからに苦しめられている。
その上、ブルアンを害するためだけに我が身を甚振られそうになったのだ。
どちらも根底にはブルアンがいる。
大切な人のために大罪を犯す覚悟を持つのは……尊い、のではないだろうか。
それが間違っていたとしても、頭ごなしに否定することは私にはできなかった。
ただ、それほどの覚悟を持っていたのだとしたら。
あの時のルーヴの行動は、どう考えても意思に反しているはずなのだ。
「ルーヴさん」
ここに来て初めて出した声は、少し掠れて震えていた。
だって、理由がまるで分からないから。
私の呼びかけに兄様は少し身を引き、ルーヴは私に目線を合わせた。
「どうして……協力、してくれたのですか?」
ちょうど一日前だろう。
深夜に訪れた私を招き入れ、事件解決のために調査を手伝ってくれた。
それどころか、鐘を鳴らした方法を突き止めるために援助さえしてくれたのだ。
あのままだったら、もしかしたら事件は解明されなかったかもしれない。
そうすれば、ルーヴの犯行だと糾弾する者は居なかっただろう。
そうまでして、自分を追い込んだ理由はなんなのか。
頭の中で目まぐるしく荒れる混乱を押さえつけ、じっと耳を傾ける。
「自分のような救いがたい罪人のために、フィオナ様が傷つかれる必要はありません」
ルーヴはほとんど考えることなく、無表情のまま言い放った。
自分のせいで他人が傷つくことをよしとしないのだろう。
どこまでも心優しい姿に、納得と同時に胸が痛む。
ただその言葉で、私が調査団の本当の役割を口にしてしまったことが分かったのだろう。
兄様は少し咎めるように私を見たあと、苦笑交じりのため息をついた。
「一応機密事項なんで、口外しないようお願いしますね」
事件を解明できなければ、調査官が罪を被って自死する。
それは監視官になった私ですら事前に聞かされなかったのだ。
無関係の人間に知られることは避けなければいけない。
「自分の行いはすべてクリシュナ様がご説明してくださいました。
お二方より先、自分が口を開くことはございません」
静かに言うけれど、これからルーヴには厳しい尋問が行われるだろう。
もしかしたら、拷問まがいのこともあるかもしれない。
それなのに口を開かないとはどういうことか。
思わず首を傾げると、ルーヴは当たり前のことのように言った。
「軍法により自分は断首刑です。たとえ口を開かずとも、結果は変わりません」
断首刑。
この国において、最も不名誉な死に方だと言われている。
身体と首が繋がっていなければ神の元へ帰れないからだ。
想像するまでもなく背筋が凍り、平然としたルーヴに奇異の目を向けてしまう。
恩人のために、それほどまでの覚悟があったということなのか。
想像よりも遥かに強い意志に戦いていると、ルーヴは私たちをゆっくりと見つめた。
「なのでせめて、死にゆく愚か者にお聞かせください。
なぜお二人は、そのような過酷な運命を背負われているのですか」
それは決して口にしてはいけないことだ。
けれどルーヴの切なる願いに、どう答えるのだろう。
兄様はふっと息を漏らすと、鉄格子に一歩近づいた。
「タレイア医師と話した時、言いましたっけね。
僕が素顔を見せるのは命をかける相手だけだ、と」
ルーヴをその相手とみなしたということか。
兄様は目元にかかった前髪に手を伸ばし、額に向かってかき上げた。
常に隠されていた、痩せ細り、肌理が粗く、青白い顔が月明かりに晒される。
「フィオナ。お前もそれを取りなさい」
兄様の言葉に、私も不慣れな眼帯に手を伸ばした。
この事件にかかわるために外に出た時、初めて付けたものだ。
固い結び目を両手でほどき、久しぶりに両目で景色を見た。
私たちの素顔を目にしたルーヴは、薄く口を開いていた。
「紅玉は、皇帝が認めた相手にだけ直々に下賜される。
そう言われている理由は、皇帝が赤い瞳を持っているからなんですよね」
騎士団は黄色。
教会は緑色。
そして、皇帝は赤色。
そう決められたのは、一番最初にその地位を築いた者の瞳の色だったからだ。
「瞳、が……」
目を見張ったルーヴの視界には、三つの赤色が見えているはずだ。
濁った灰色の中に混じる赤と、青色と対になった赤。
この色を持って生まれるのは、皇帝の血筋を示すものだった。
「お二人は……皇帝陛下のご子息、なのですか」
震えた声は敬意か恐怖か。
どちらとも取れる声色に対し、兄様の声はまるで変わらなかった。
「ええ。ただ残念なことに、生まれに見合わぬ不良品でしてね。
散々教育を施したにもかかわらず、実ることのなかった出来損ないなんですよ」
自虐に塗れた言葉には頷くことしかできなかった。
兄様も私も、生まれてからずっと様々なことを教え込まれてきた。
男である兄様は武術に政治、帝王学を。
女である私は主に色術を。
けれど求める領域に達することはなく、切り捨てられてしまったのだ。
私もそこまでは知っていたけれど、本当の意味は初めて耳にする。
ルーヴと同じくらい緊張しながら、息苦しさを堪えながら耳を傾けた。
「皇帝には多くの後継者が居ましてね、使えないものを残す必要はない。
かといって秘密裏に処分することも叶わず、こうした遊戯をはじめたんです」
「遊戯、とは……?」
気遣わしげなルーヴの視線に、兄様はあっさりと言い放った。
「調査官は、自分を贄にして生を得ているんですよ」
探偵として生きながらえるか、犯罪者として処分されるか。
難解な事件にぶつけることで、どちらかの成果を出さなければいけない。
なんて非人道的な行為なのか。
だというのに、どうして薄く笑っていられるのか。
自分で飛び込んだ立場だというのに、膝から広がる震えが抑えきれなかった。
「そんな行為が……許されてしまうのですか」
「もちろん。ただ、フィオナは免除が決まっていたんです。
それなのに巻き込んでしまったのは……僕の弱さですね」
その一瞬だけ、兄様は薄い笑みを消していた。
本当なら、私はこの遊戯に参加せずに済んだのだろう。
最後に生まれた私は、身分を捨てて修道院に行くことが決まっていたのだから。
それでも私は監視官の立場を選んだ。
理由は唯一つ。
そうすれば兄様のそばにいられるから。
そして兄様は、そんな私の気持ちを嬉しいと感じてくれたのだから。
「私は、ずっと兄様のそばに居ます」
過酷な境遇に肩を落とすルーヴと、微かに顔を歪める兄様に向けて言った。
利用されてもかまわないのだ。
これが父親の気まぐれな遊戯だとしても、兄様と一緒に居られるならなんだってする。
気持ちを込めた宣言に、二人は少しだけ表情を和らげてくれた。
「クリシュナ様」
もうじき日付を超えるだろう。
遠くで鐘の音が響いたあと、改まったように呼びかけられた。
「不躾ではございますが……お願いがございます」
そう言って頼まれたことは、本当にささやかなものだった。
兄様が深く頷くと、ほっとしたように頬を緩めたのが印象的だった。
「フィオナ様」
ルーヴの次なる呼びかけに、私もしっかり返事をする。
日付を超えたら、私たちはこの地を発つ。
だからきっと、これが最後の会話になるだろう。
決して聞き逃すことがないよう近づくと、枷をはめた小さな手が肩に触れる。
年齢の割に小さな手は、女性に相応しい繊細さを持っていた。
「これから歩む道に、女神様の祝福が賜れますよう」
中性的な声で囁かれた祝詞は、今まで聞いた誰よりも神聖さに満ちていた。
ルーヴは鉄格子から一歩下がると、膝を折って両手を組み合わせた。
「お二人のご多幸を、お祈りいたします」
最後に向けられたのは、美しい微笑みだった。
慈愛に満ちた表情はシスターそのもので、少年兵と判断した自分を情けなく思う。
私と同じような体格をした、男を装ってまで騎士団に居た少女。
どこまでも心優しく、どこまでも恩義に熱い姿に、喉元に熱がこみ上げてきた。
「ありがとう、ございます」
声と共に涙が溢れる寸前、兄様に背中を押され牢獄を出た。
けれど三日目の儀式を行う必要はなく、私と兄様は薄暗い廊下を歩いていた。
あれから報告書の作成を行い、ついさっきようやく終わったのだ。
兄様が犯人だったという虚偽の報告ではなく、事件を正しく記録したもの。
けれどどこか納得のいかない結末に、私の胸中は重苦しいままだった。
「兄様、どこに行くのですか?」
行き先を言わないまま貴賓室を出て、もうどれくらい歩いただろうか。
この三日間で一度も通ったことのない薄暗い場所は、明かりと衛兵の数が反比例しているようだ。
警戒の視線で肌がひりひりしそうになりながら、兄様は平然と歩き続ける。
そうしてたどり着いたのは、見るも明らかな牢獄だった。
本来ならば、部外者は近づくことも許されないだろう。
けれど兄様が紅玉を突きつけると、見張りは敬礼をしながらその場を去った。
所々に錆が浮いた鉄格子は私の腕くらい太く、設けられた隙間は私の頭すら通らないだろう。
そんな狭苦しい隙間から見えたのは、ぼろぼろの服を着せられたルーヴの姿だった。
「ちょっとお話、いいですかね?」
兄様の呼びかけに、ルーヴは相変わらずの無表情を向けてきた。
痩せ細った手首に嵌められた手枷が痛々しい。
暖炉も絨毯もないというのに、背筋を伸ばして石床に座っているのがらしいと思ってしまった。
「この度は大変なご迷惑をおかけいたしました」
すっと立ち上がったルーヴは、私たちに向かって深々と頭を下げた。
制服を脱いだ身体はここまで貧弱に見えてしまうものなのか。
私と変わらない肩幅に頼りなさを感じ、なんとなく目線をそらしてしまった。
「ルーヴ書記官」
「自分はもう、書記官ではございません」
「それもそうですね。では……ルーヴ嬢」
……嬢?
兄様の呼びかけに思わず顔を上げ、ルーヴの顔を凝視する。
けれどルーヴは否定も困惑もせず、まるで肩の荷が下りたかのような表情を浮かべていた。
「クリシュナ様は、すでにご存知だったのですね」
「事件に関係なければ、口にする気はなかったんですけどね」
分かりあったかのような雰囲気に疎外感しか感じられない。
これは一体どういうことだ。
ルーヴが女性だった?
そのことにも驚くけれど、事件に関係がある?
分からない、分からない。
助けを求めるように兄様を見上げると、隠し事が見つかってしまったように笑っていた。
「ルーヴ嬢の年齢は十八歳。そして、孤児院にいられるのは十五歳までなのは知っているね」
もちろんそれくらい分かっている。
けれど今更ながら言われてみると、それはおかしな話だった。
たしかルーヴは、入団して一年経ったと言っていた。
となると、どう考えても計算が合わない。
騎士団に入る前に他で働いていたのだろうか?
けれど働き口などそうそう見つかるものでもないだろう。
だったら空白の二年間、ルーヴはどこで何をしていたのか。
「ルーヴ嬢の居た孤児院は、フィオナが行くはずだった修道院に併設されていた。
その修道院の特徴を覚えているかい?」
教会の中でも高名で、いわゆる、やんごとなき立場の者が入る場所。
模範的で、慈愛に溢れ、清らかな淑女が敬虔な信者になるための場所。
つまり……女性、専用。
分かりきっていたはずなのに、まるで頭から消えていたらしい。
その事実から導き出される答えは一つしかない。
ルーヴは孤児院ではなく修道院に、おそらくシスターとして所属していたのだろう。
そう考えると、驚きよりも納得が上回った。
丁寧な言葉や気遣い、年齢の割に落ち着いた雰囲気などはシスターならば違和感がない。
腑に落ちたのが分かったのか、ルーヴは静かに口を開いた。
「自分の性別を知っていたのはブルアン様と、おそらく、タレイア先生だけでした」
中性的な声は元からなのだろう。
男性にしては高くても、女性としてなら少し低い程度だ。
今までと変わらぬ声の話に、兄様は穏やかに問いかけた。
「医者なら気づきそうですしね。レオーネ団長はどうでしたか?」
「最近、お知りになったようです」
部外者の兄様が三日と経たずに分かったことだ。
最高責任者としてすべての経歴を閲覧できる立場なら、知っていてもおかしくない。
そしてそれを、私欲のために利用したとしても。
「手を上げられたのは事実でも、それは叱責ではないんでしょう?」
兄様の遠回しな質問に、ルーヴは一瞬目を伏せてから頷いた。
男だと思っていた部下が女だった。
それも、貶めたい相手と懇意の者だったとしたら……。
胸の不快感を押さえきれずに居ると、ルーヴは静かに語りだした。
「遠征には、団長様も自分も参加する予定でした。
なのに突然人員が変更された時、嫌な予感はしていたのです。
そしてそれは、呼び出しを受けて確信に変わりました」
自分で人員を操作できる遠征は、絶好の機会だと思ったに違いない。
大規模な遠征なら団長が参加するのが自然だ。
それを急遽取りやめたのなら、そう考えるのも当然だろう。
「団長様は、自分を汚すことがブルアン様の苦しみに繋がると判断されたのです。
抵抗されるとは思われなかったのでしょう。
団長様は警戒することなく、自分に手を上げようとされ……」
それ以上を語る必要はない。
兄様はゆっくり首を振り、ルーヴは安堵したように息を吐いた。
「修道院に来てくださったブルアン様は、日に日に苦しそうなお顔をしていらっしゃいました。
ですから、自分は少しでもブルアン様のお力になりたくて騎士団に入団したのです。
それなのに、自分が枷になることなど許せるはずがありません。ならば、せめて……」
ゆっくり瞬きした薄青色の瞳は、燃えるように鮮やかだった。
「ブルアン様の苦しみの元凶を、自分の手で葬ればいいと思ったのです」
強い意志を持った言葉に、批難など向けられるはずがない。
身近で過ごすことで、ブルアンがレオーネに貶められていると気づいてしまったのだろう。
自分の人生を救ってくれた相手が、見るからに苦しめられている。
その上、ブルアンを害するためだけに我が身を甚振られそうになったのだ。
どちらも根底にはブルアンがいる。
大切な人のために大罪を犯す覚悟を持つのは……尊い、のではないだろうか。
それが間違っていたとしても、頭ごなしに否定することは私にはできなかった。
ただ、それほどの覚悟を持っていたのだとしたら。
あの時のルーヴの行動は、どう考えても意思に反しているはずなのだ。
「ルーヴさん」
ここに来て初めて出した声は、少し掠れて震えていた。
だって、理由がまるで分からないから。
私の呼びかけに兄様は少し身を引き、ルーヴは私に目線を合わせた。
「どうして……協力、してくれたのですか?」
ちょうど一日前だろう。
深夜に訪れた私を招き入れ、事件解決のために調査を手伝ってくれた。
それどころか、鐘を鳴らした方法を突き止めるために援助さえしてくれたのだ。
あのままだったら、もしかしたら事件は解明されなかったかもしれない。
そうすれば、ルーヴの犯行だと糾弾する者は居なかっただろう。
そうまでして、自分を追い込んだ理由はなんなのか。
頭の中で目まぐるしく荒れる混乱を押さえつけ、じっと耳を傾ける。
「自分のような救いがたい罪人のために、フィオナ様が傷つかれる必要はありません」
ルーヴはほとんど考えることなく、無表情のまま言い放った。
自分のせいで他人が傷つくことをよしとしないのだろう。
どこまでも心優しい姿に、納得と同時に胸が痛む。
ただその言葉で、私が調査団の本当の役割を口にしてしまったことが分かったのだろう。
兄様は少し咎めるように私を見たあと、苦笑交じりのため息をついた。
「一応機密事項なんで、口外しないようお願いしますね」
事件を解明できなければ、調査官が罪を被って自死する。
それは監視官になった私ですら事前に聞かされなかったのだ。
無関係の人間に知られることは避けなければいけない。
「自分の行いはすべてクリシュナ様がご説明してくださいました。
お二方より先、自分が口を開くことはございません」
静かに言うけれど、これからルーヴには厳しい尋問が行われるだろう。
もしかしたら、拷問まがいのこともあるかもしれない。
それなのに口を開かないとはどういうことか。
思わず首を傾げると、ルーヴは当たり前のことのように言った。
「軍法により自分は断首刑です。たとえ口を開かずとも、結果は変わりません」
断首刑。
この国において、最も不名誉な死に方だと言われている。
身体と首が繋がっていなければ神の元へ帰れないからだ。
想像するまでもなく背筋が凍り、平然としたルーヴに奇異の目を向けてしまう。
恩人のために、それほどまでの覚悟があったということなのか。
想像よりも遥かに強い意志に戦いていると、ルーヴは私たちをゆっくりと見つめた。
「なのでせめて、死にゆく愚か者にお聞かせください。
なぜお二人は、そのような過酷な運命を背負われているのですか」
それは決して口にしてはいけないことだ。
けれどルーヴの切なる願いに、どう答えるのだろう。
兄様はふっと息を漏らすと、鉄格子に一歩近づいた。
「タレイア医師と話した時、言いましたっけね。
僕が素顔を見せるのは命をかける相手だけだ、と」
ルーヴをその相手とみなしたということか。
兄様は目元にかかった前髪に手を伸ばし、額に向かってかき上げた。
常に隠されていた、痩せ細り、肌理が粗く、青白い顔が月明かりに晒される。
「フィオナ。お前もそれを取りなさい」
兄様の言葉に、私も不慣れな眼帯に手を伸ばした。
この事件にかかわるために外に出た時、初めて付けたものだ。
固い結び目を両手でほどき、久しぶりに両目で景色を見た。
私たちの素顔を目にしたルーヴは、薄く口を開いていた。
「紅玉は、皇帝が認めた相手にだけ直々に下賜される。
そう言われている理由は、皇帝が赤い瞳を持っているからなんですよね」
騎士団は黄色。
教会は緑色。
そして、皇帝は赤色。
そう決められたのは、一番最初にその地位を築いた者の瞳の色だったからだ。
「瞳、が……」
目を見張ったルーヴの視界には、三つの赤色が見えているはずだ。
濁った灰色の中に混じる赤と、青色と対になった赤。
この色を持って生まれるのは、皇帝の血筋を示すものだった。
「お二人は……皇帝陛下のご子息、なのですか」
震えた声は敬意か恐怖か。
どちらとも取れる声色に対し、兄様の声はまるで変わらなかった。
「ええ。ただ残念なことに、生まれに見合わぬ不良品でしてね。
散々教育を施したにもかかわらず、実ることのなかった出来損ないなんですよ」
自虐に塗れた言葉には頷くことしかできなかった。
兄様も私も、生まれてからずっと様々なことを教え込まれてきた。
男である兄様は武術に政治、帝王学を。
女である私は主に色術を。
けれど求める領域に達することはなく、切り捨てられてしまったのだ。
私もそこまでは知っていたけれど、本当の意味は初めて耳にする。
ルーヴと同じくらい緊張しながら、息苦しさを堪えながら耳を傾けた。
「皇帝には多くの後継者が居ましてね、使えないものを残す必要はない。
かといって秘密裏に処分することも叶わず、こうした遊戯をはじめたんです」
「遊戯、とは……?」
気遣わしげなルーヴの視線に、兄様はあっさりと言い放った。
「調査官は、自分を贄にして生を得ているんですよ」
探偵として生きながらえるか、犯罪者として処分されるか。
難解な事件にぶつけることで、どちらかの成果を出さなければいけない。
なんて非人道的な行為なのか。
だというのに、どうして薄く笑っていられるのか。
自分で飛び込んだ立場だというのに、膝から広がる震えが抑えきれなかった。
「そんな行為が……許されてしまうのですか」
「もちろん。ただ、フィオナは免除が決まっていたんです。
それなのに巻き込んでしまったのは……僕の弱さですね」
その一瞬だけ、兄様は薄い笑みを消していた。
本当なら、私はこの遊戯に参加せずに済んだのだろう。
最後に生まれた私は、身分を捨てて修道院に行くことが決まっていたのだから。
それでも私は監視官の立場を選んだ。
理由は唯一つ。
そうすれば兄様のそばにいられるから。
そして兄様は、そんな私の気持ちを嬉しいと感じてくれたのだから。
「私は、ずっと兄様のそばに居ます」
過酷な境遇に肩を落とすルーヴと、微かに顔を歪める兄様に向けて言った。
利用されてもかまわないのだ。
これが父親の気まぐれな遊戯だとしても、兄様と一緒に居られるならなんだってする。
気持ちを込めた宣言に、二人は少しだけ表情を和らげてくれた。
「クリシュナ様」
もうじき日付を超えるだろう。
遠くで鐘の音が響いたあと、改まったように呼びかけられた。
「不躾ではございますが……お願いがございます」
そう言って頼まれたことは、本当にささやかなものだった。
兄様が深く頷くと、ほっとしたように頬を緩めたのが印象的だった。
「フィオナ様」
ルーヴの次なる呼びかけに、私もしっかり返事をする。
日付を超えたら、私たちはこの地を発つ。
だからきっと、これが最後の会話になるだろう。
決して聞き逃すことがないよう近づくと、枷をはめた小さな手が肩に触れる。
年齢の割に小さな手は、女性に相応しい繊細さを持っていた。
「これから歩む道に、女神様の祝福が賜れますよう」
中性的な声で囁かれた祝詞は、今まで聞いた誰よりも神聖さに満ちていた。
ルーヴは鉄格子から一歩下がると、膝を折って両手を組み合わせた。
「お二人のご多幸を、お祈りいたします」
最後に向けられたのは、美しい微笑みだった。
慈愛に満ちた表情はシスターそのもので、少年兵と判断した自分を情けなく思う。
私と同じような体格をした、男を装ってまで騎士団に居た少女。
どこまでも心優しく、どこまでも恩義に熱い姿に、喉元に熱がこみ上げてきた。
「ありがとう、ございます」
声と共に涙が溢れる寸前、兄様に背中を押され牢獄を出た。
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