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87 婚約の解消
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それからのフェルディナン様は、昼夜を問わず多忙を極めた。連日のように国防軍の本部で寝泊まりするようになり、私と顔を合わせる機会もほとんどなくなった。
王都は北の国境線から離れているとはいえ、街を覆う雰囲気は一変してしまった。
私が再び領地へ戻ることを決意した頃、フェルディナン様もまた、重大な決断を下そうとしていた。
パルナス王国の軍事侵攻に対抗するため、国防軍と騎士団とが合同で大軍を編成し、北の国境線へ向けて派兵することが決まったのだ。
そして、フェルディナン様にこの軍事作戦の指揮を執ることが打診された。
熟考したうえ、彼はこれを承諾した。
フェルディナン様が出征する日、国防軍の本部まで出向いて見送った。
以前、フェルディナン様が言ってくれた、『心配するな。俺は、貴女を残して逝ったりはしない』という言葉が、お守りのように私を支えてくれた。
もう泪は見せなかった。
それから、別邸の使用人たちを連れてフェルディナン様の両親が待つ領地へと再び戻った。
パルナス王国との軍事衝突は日々激しさを増し、ついに、オリヴィエ隊にも出征命令が下りた。
フェルディナン様の出征を見送った後、領地に再び戻っていた私がその知らせを聞いたのは、オリヴィエ隊の出征からすでに7日が過ぎた頃だった。
「オリヴィエ隊長……どうか無事でいてください。みんなも。騎士見習いだったユーゴも参戦しているのかしら。エリックさんは、第一子が産まれたばかりだったのに」
意図せず職場復帰のきっかけとなった、あの出産を想い出す。
命の誕生は、いくつもの奇跡の積み重ねという、当たり前のようでそうでない事実にいたく感動したあの日。私の復帰を誰よりも喜んでくれたフェルディナン様の笑顔が脳裏に浮かぶ。
「誰の命も、失わせたくない。私が今、いたいと思う場所は、ここじゃない……」
それからの私の行動は早かった。
両親へ手紙を書き、出征命令が下りた場合には応じるつもりであることを綴った。
私は外国の医師免許で登録をしているため、自ら希望しない限り、出征する義務はない。逆に言えば、本人が希望しその旨を届け出た場合には、出征命令を拒否することはできない。一部の例外――たとえば、妊娠中又はその可能性がある場合などを除き。
現況を考えると、医師として従軍希望の届出を提出すれば、間違いなく数日以内に出征命令が下りるだろう。
その届出を、私は実の両親とフェルディナン様の両親にだけ告げて行うことにした。
案の定、フェルディナン様の両親は反対した。
「ローズちゃん、私は反対よ。なにも戦地へ赴かなくても、医師として救助活動に携わることはできるでしょう?」
「ローズの意思は尊重したいが……こればかりは、賛成してやれない。息子と約束したんだ。何としても必ずローズを守ると」
「お義父様、お義母様、我儘をお許しください。わたし、フェルディナン様の近くで一緒に戦ってる人たちを支えたいんです。一番助けを必要としている人たちの側に、いたいんです」
「……ローズちゃんは、フェルディナンの子どもを宿している可能性もあるでしょう? そんな状態の義娘を戦地へ送るなんてこと、絶対にできないわ」
「お義母様……」
「お願いだから、ここにいてちょうだい」
「……妊娠の可能性は、ない、です。その……っ、そういう事は、結婚するまで待とうってフェルディナン様が――」
彼の両親の前でこんなことを暴露するなんて……。顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。
「まあ!! そうだったの!?」
「ヴィクトワール……」
「だってほら、貴女たちが時々、王都の別邸で共寝していたことは監視役から報告を受けていたから。……てっきり、ねぇ?」
驚きに目を見開くヴィクトワール夫人と、それを窘めるように夫人の耳元で何かをささやく公爵……。結果として、お義母様の恥ずかしい勘違いのおかげで、なし崩し的に自分の想いを押し通すことができた。
届出をして戻ってきた私は、予めまとめておいた荷物を箱へ詰めた。
沢山の想い出と愛おしさに溢れたこの部屋の私物も、まとめてしまえば洋服が1箱に書籍が1箱、医療器具が1箱。たったの3箱分でしかなかった。
それから、出征の際に持っていく必要最低限の荷物を、手鞄に詰めた。
3日後、私に出征命令が下った。
出発は2日後。出征先は、オリヴィエ隊長率いる部隊だった。
その日の夕方、私は鏡台の前に立ち、長く伸びた髪の毛を耳の下でバッサリと切った。少しでも性別を悟られないように、と思ってしたことだった。
それから公爵の執務室を訪ね、出征命令が下りた旨を告げると、フェルディナン様から預かっていた公爵家の紋章が入った指輪を手渡した。
「ローズ。これは、ローズの代わりに私が預かっておく。息子が帰ってきたら、ローズから手渡してやってほしい」と言って、抱きしめてくれた。愛する人と同じ、シダーの香りが私を優しく包んでくれた。
ヴィクトワール夫人からは、無事の帰還を祈るモチーフの刺繍が施された白いハンカチを貰った。お義母様は、最後まで涙を見せることなく、気丈に私を送り出してくれた。きっと、本当は、泣きたいほど心を痛めていただろうに。
ターニャは、髪の毛を短くした私の姿を見て一瞬息を呑んだが、キュッと唇を結び直すと、「せめてこのくらいはさせてほしい」と言って、ハサミで毛先を整えてくれた。
――そして出征日。
義両親と使用人達に見送られて、私は北の国境へ向けて旅立った。
出征から10日が経過したころ、公爵家へ一枚の書類が届いた。
王命によるフェルディナン様と私の婚約解消を認める旨の書簡だった。理由は、婚約契約書第4条3項 ローズの戦地への従軍、によるものだった。
王都は北の国境線から離れているとはいえ、街を覆う雰囲気は一変してしまった。
私が再び領地へ戻ることを決意した頃、フェルディナン様もまた、重大な決断を下そうとしていた。
パルナス王国の軍事侵攻に対抗するため、国防軍と騎士団とが合同で大軍を編成し、北の国境線へ向けて派兵することが決まったのだ。
そして、フェルディナン様にこの軍事作戦の指揮を執ることが打診された。
熟考したうえ、彼はこれを承諾した。
フェルディナン様が出征する日、国防軍の本部まで出向いて見送った。
以前、フェルディナン様が言ってくれた、『心配するな。俺は、貴女を残して逝ったりはしない』という言葉が、お守りのように私を支えてくれた。
もう泪は見せなかった。
それから、別邸の使用人たちを連れてフェルディナン様の両親が待つ領地へと再び戻った。
パルナス王国との軍事衝突は日々激しさを増し、ついに、オリヴィエ隊にも出征命令が下りた。
フェルディナン様の出征を見送った後、領地に再び戻っていた私がその知らせを聞いたのは、オリヴィエ隊の出征からすでに7日が過ぎた頃だった。
「オリヴィエ隊長……どうか無事でいてください。みんなも。騎士見習いだったユーゴも参戦しているのかしら。エリックさんは、第一子が産まれたばかりだったのに」
意図せず職場復帰のきっかけとなった、あの出産を想い出す。
命の誕生は、いくつもの奇跡の積み重ねという、当たり前のようでそうでない事実にいたく感動したあの日。私の復帰を誰よりも喜んでくれたフェルディナン様の笑顔が脳裏に浮かぶ。
「誰の命も、失わせたくない。私が今、いたいと思う場所は、ここじゃない……」
それからの私の行動は早かった。
両親へ手紙を書き、出征命令が下りた場合には応じるつもりであることを綴った。
私は外国の医師免許で登録をしているため、自ら希望しない限り、出征する義務はない。逆に言えば、本人が希望しその旨を届け出た場合には、出征命令を拒否することはできない。一部の例外――たとえば、妊娠中又はその可能性がある場合などを除き。
現況を考えると、医師として従軍希望の届出を提出すれば、間違いなく数日以内に出征命令が下りるだろう。
その届出を、私は実の両親とフェルディナン様の両親にだけ告げて行うことにした。
案の定、フェルディナン様の両親は反対した。
「ローズちゃん、私は反対よ。なにも戦地へ赴かなくても、医師として救助活動に携わることはできるでしょう?」
「ローズの意思は尊重したいが……こればかりは、賛成してやれない。息子と約束したんだ。何としても必ずローズを守ると」
「お義父様、お義母様、我儘をお許しください。わたし、フェルディナン様の近くで一緒に戦ってる人たちを支えたいんです。一番助けを必要としている人たちの側に、いたいんです」
「……ローズちゃんは、フェルディナンの子どもを宿している可能性もあるでしょう? そんな状態の義娘を戦地へ送るなんてこと、絶対にできないわ」
「お義母様……」
「お願いだから、ここにいてちょうだい」
「……妊娠の可能性は、ない、です。その……っ、そういう事は、結婚するまで待とうってフェルディナン様が――」
彼の両親の前でこんなことを暴露するなんて……。顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。
「まあ!! そうだったの!?」
「ヴィクトワール……」
「だってほら、貴女たちが時々、王都の別邸で共寝していたことは監視役から報告を受けていたから。……てっきり、ねぇ?」
驚きに目を見開くヴィクトワール夫人と、それを窘めるように夫人の耳元で何かをささやく公爵……。結果として、お義母様の恥ずかしい勘違いのおかげで、なし崩し的に自分の想いを押し通すことができた。
届出をして戻ってきた私は、予めまとめておいた荷物を箱へ詰めた。
沢山の想い出と愛おしさに溢れたこの部屋の私物も、まとめてしまえば洋服が1箱に書籍が1箱、医療器具が1箱。たったの3箱分でしかなかった。
それから、出征の際に持っていく必要最低限の荷物を、手鞄に詰めた。
3日後、私に出征命令が下った。
出発は2日後。出征先は、オリヴィエ隊長率いる部隊だった。
その日の夕方、私は鏡台の前に立ち、長く伸びた髪の毛を耳の下でバッサリと切った。少しでも性別を悟られないように、と思ってしたことだった。
それから公爵の執務室を訪ね、出征命令が下りた旨を告げると、フェルディナン様から預かっていた公爵家の紋章が入った指輪を手渡した。
「ローズ。これは、ローズの代わりに私が預かっておく。息子が帰ってきたら、ローズから手渡してやってほしい」と言って、抱きしめてくれた。愛する人と同じ、シダーの香りが私を優しく包んでくれた。
ヴィクトワール夫人からは、無事の帰還を祈るモチーフの刺繍が施された白いハンカチを貰った。お義母様は、最後まで涙を見せることなく、気丈に私を送り出してくれた。きっと、本当は、泣きたいほど心を痛めていただろうに。
ターニャは、髪の毛を短くした私の姿を見て一瞬息を呑んだが、キュッと唇を結び直すと、「せめてこのくらいはさせてほしい」と言って、ハサミで毛先を整えてくれた。
――そして出征日。
義両親と使用人達に見送られて、私は北の国境へ向けて旅立った。
出征から10日が経過したころ、公爵家へ一枚の書類が届いた。
王命によるフェルディナン様と私の婚約解消を認める旨の書簡だった。理由は、婚約契約書第4条3項 ローズの戦地への従軍、によるものだった。
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