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1章
3. ***
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どれだけ逃げられただろうか。遠くからまた蛇の化け物の雄叫びが聞こえた。
(だめだ……。もう、動けねぇ……)
這い蹲って逃げている途中、背の低い草むらの中で悠斗は力つきた。
うつ伏せの格好で地面に頬を付け、荒く息をする。
(頭ぼーっとする……。また死ぬのかな、俺……)
熱でも出てきたのか全身が熱い。あまりにも身体が怠くて、今にも眠ってしまいそうだ。
(いや、弱気になるな。あのときとは、違う。まだ、やれる……)
なんとか必死に自分を奮い立たせ、少しでも進もうと前に手を出し、草をわし掴む。
『ぐぎゃああああああ!! ぎぃっ! ぎぃいいいいいいい!!』
これまでとは全く違う、苦しむような化け物の声。まさか男たちが化け物を殺したのだろうか。
(どっちにしろ、誰に捕まっても終わりだ。早く……逃げなきゃ……)
ブチブチと草を千切りながら、なんとかわずかに体を進める。
前へ。少しでも前へ。
必死に進もうとする悠斗の後ろで、微かだが草を踏みしめる音が聞こえた。
(ヤバイっ!)
そうは思っても、体はどうしても思うようには動かない。
焦る。だが非情にも、草を踏みしめる音は確実に近づいてきていた。
そして、ついに。
「人間じゃないな?」
さっきの男たちとは違う、地を這うように低く、感情のない声。
「――淫魔か」
振り返る。
やはりさっきの男たちではない。
見たこともない男だ。年齢は二十代後半くらいだろうか。浅黒い肌に黒く短い髪、太い眉。鼻筋が通っていて端正な顔をしているが、鋭い目はぞっとするほど冷たく感情がない。どこか不気味な男だった。
だが何よりも印象的なのはその体だ。
男の体は百九十センチ以上はありそうな長身で、それ自体が鎧と言えそうなほどに鍛え上げられた筋肉で覆われている。さらにその上には本物の鎧をまとい、背中には艶のある銀色のマントを羽織っている。まるでRPGゲームに出てくる勇者だ。
(まるで……じゃない。さっきの化け物といい、こんなの現実じゃない)
正確に言えば、悠斗の知る世界ではない。
頭の中に一つの単語が浮かんだ。
『ハルト~。お前、異世界転生ものって知ってる? 最近やたら流行ってんじゃん』
あの明るく人なつっこい笑顔を思い出し、心臓がバクバクと嫌な感じに鼓動を早めた。
異世界転生。
現実世界で死んだ人間が、マンガやゲームに出てくるファンタジー世界に生まれ変わるというジャンルらしい。悠斗は古いRPGゲームで遊ぶくらいしか趣味がないから読んだことはないのだが、ライトノベルが好きなアイツはよく「面白いから」と悠斗に薦めてきた。
今の悠斗の状況は、まさにそれとしか思えない。
(ありえないことだけど、でもこんなの、他に説明つかねえだろ……)
茫然と勇者のような男を見上げる悠斗。男は、血塗れの大剣の切っ先を悠斗に向けてきた。
「お前は向こうで死んでいた男たちの荷物か?」
説明が少なくてはっきりと答えることはできないが、状況的にはそうなるのだろう。悠斗は頭を縦に振った。
「男たちを襲ったムグリスとは何か関係があるのか?」
「むぐ……りす……?」
「巨大な蛇の姿をしたモンスターだ」
男たちを襲っていたあの蛇――今度は首を横に振る。すると男は「そうか」とつぶやき、悠斗の髪を乱暴にわし掴んだ。
「いっ……!」
「起きろ」
そう言って、力付くで上に引っ張り起こそうとする。
(痛ぇ! 髪が抜ける!!)
慌てて力を振り絞り、なんとか自力で上体を起こすことはできた。しかし支えもなしにその状態を保つことは厳しく、再び地面に倒れ込む。男は悠斗の頭の先から足先までを汚い虫でも見るような目で眺め、「淫売が」と心底嫌そうに吐き捨てた。
男の靴が悠斗の腹の上に乗る。ぐっと圧迫され、靴裏で軽く押される。弱り切った悠斗の体は、背中から地面に倒れるように転がった。
「いっづぅううううう!!」
ボロボロの背中に小石がめり込む。痛くて体を転がそうとするけれども、男は再び悠斗の腹に硬い靴を乗せ、地面に縫いつけるように踏みつけてきた。
「痛いっ……! はな、せ……!」
「淫魔がなぜまだ生きている? あの男たちとはどこで出会った? 答えろ」
淫魔――聞き慣れない言葉だが、そういえばさっきの男たちからも何度かそう呼ばれていた気がする。
上から見下ろしてくる男の冷たい目を見上げ、悠斗は尋ねた。
「インマ、って……?」
「何?」
男は顔をしかめた。
「お前、自分が何者かもわかっていないのか?」
そんなものは分かっている。
分からないのは今のこの状況だ。
「気づい、たら……ここに、いた」
「――そうか」
「あの男たちもいて、背中、ぶたれて……痛くて……。馬車に乗せられて、こんな格好させられて、襲われそうに、なって……そしたら外から叫び声がして、あいつら、出てって……そしたら急に、馬車が吹っ飛んで、でっかい蛇が――いて、俺、必死で逃げて……」
たどたどしい説明も、男は口を挟まずにじっと聞いていた。そして終わると言った。
「お前は淫魔だ」
「だからインマって――」
「性行為を通して人間から命を奪って生きながらえる。下劣で薄汚いモンスターだ」
「……は?」
何を言われているのか全くわからなかった。
(俺がモンスター……? しかもエロいことして生きるって?)
ありえない。意味が分からない。
しかしそんな悠斗の考えを見透かすように、男はかがんで黒い紐のようなものを引っ張り上げた。
「いっ……!!」
体が引っ張られたような痛みが走った。腰の少し下あたり。男の手に握られているものとそこが繋がっていることに気づき、悠斗は驚愕した。
「これはお前のしっぽだ。そしてさっき、向こうで切り落とされた翼も見つけた。お前の背中から切り落とされたものだろう」
確かに、目を覚ました直後、あの男たちは悠斗の背中に何かをしていた。引きちぎられるような痛みを感じる「何か」だ。
(俺……人じゃない、のか……?)
信じたくはないが、しっぽが生えているのは事実だ。
はっとした。まさか見た目まで変わっているのでは?
「あの……俺! 顔は!? どうなってる!?」
男は顔をしかめ、悠斗の顔の前に剣を持ってきた。刃についた血の合間から見えるわずかな部分に、見慣れた自分の顔が映る。
(全然変わってねえ……。間違いなく俺の顔だ……)
ほっと一息つく。その喉元に、突然刃先が突きつけられた。
「っ……!」
冷たく分厚い刃先。腹に何度も突き立てられた感触を思い出し、全身から嫌な汗が噴き出した。
「記憶を失っているようだが関係ない。モンスターは殺す」
「な……んで? 俺、何もしてない……」
「今はしていなくとも、いずれすることになる」
刃が喉に食い込んでくる。触れただけで切れるほど鋭いわけではなさそうだが、それでも男の気分一つで首を切り落とされてしまうかもしれない状況が怖くないはずがない。悠斗の体は小刻みに震え始めていた。
「淫魔は翼としっぽ以外人間と同じ外見をしている。生殖器も同じだ。ほとんどが人間の女と同じ生殖器を持って男を誘うが、まれにいるお前みたいな雄型は男を誘う他にも男女問わずレイプすることがある。生殖器をつなぎ合わせることで人間から生命力を奪って殺す」
「……ヤらなきゃいいじゃん。俺、そんなのいらねえし……」
「お前たちにとって性行為は食事だ。人間が食べて体を作るように、お前たちは性行為で人間から取った生命力を魔力に変えて体を作る。性行為しなければ魔力が尽きて死ぬ」
「なんだよ、それ……」
悠斗は絶望した。そうするしかなかった。
転生する前もセックスなんてしたことはなかったのに、突然、死にたくなければ男でも女でもいいからセックスしろ。ただし漏れなく相手は死ぬ、と言われたようなものだ。納得できるわけがない。
死ぬのは嫌だ。だけど誰かを死なせたいわけではないし、好きでもない相手ととっかえひっかえセックスしたいわけでもない。
(死ななかったのはラッキーだったけどさ……だけど、そもそも俺、殺されるようなことしたかよ? そりゃあろくな人間じゃなかったのは確かだけど、俺だって全部やりたくてやってたわけじゃねえじゃん。なんで俺ばっか、いつもいつもこんな目にあわなくちゃいけねーんだよ……)
悔しくて、惨めで、どうしもなく怖くて……だけどそれでも死にたくなくて、悠斗はきつく奥歯をかみしめた。そうしないと泣いてしまいそうだった。
「……誰も、傷つけないで……」
震えた声では男まで届かなかったようだ。男は「なんだ?」と聞き返してくる。
「……俺も、死なない、方法は?」
「ない」
分かってはいたが非情な答えだった。
いつでも殺すことはできる。そのはずなのに、男は死んだ魚のような目で悠斗をじっと見つめたまま、悠斗の白い肌の上で刃を動かす。
切れてこそいないがくっきりと横線のような跡がついた首から剣先が離れ、喉仏まで滑り降りて、そこを軽く押す。かと思うとまた剣先で首の痕をなぞる。
「淫魔は魔力を使って翼と尻尾以外の部分を再生できるらしい。切り落とした手さえも再生できると聞くから、お前は今相当弱っているはずだ」
仰向けになったまま動けずにいる悠斗の鎖骨まで鋭い刃は下りてくる。そしてさらに下り、透けるレース素材に隠された乳首の先を押してくる。
「あっ……」
思わず変な声が漏れ、悠斗は慌てて口を閉じた。
乳首は自慰をするときもよくさわる。だからといって、こんな状況でも感じるとは思っていなかった。淫魔の体になったということだろうか。
「やはりひどい淫売のようだな」
男は吐き捨てるよう言った。そのまなざしは相変わらず冷たく見下すようで、男から心底嫌悪されているのを感じる。
(そんな目で見るくらいなら、さっさと殺りゃあいいじゃん……。いつまでもじわじわいたぶるみたいなことしやがって)
男の剣が再び首のところに戻ってくる。しかし、やはりその刃は皮膚の上で止まったままだ。
どういうつもりなのか。探るように男を見上げ、ふと気がついた。
(まさかコイツ……)
鎧のせいで見えづらいが、意識して覗けば隙間から少しだけ見える。
男が履くズボン。その股間部分が不自然なくらい押し上げられていたのだ。
(どいつもこいつもホモばっかじゃねえか……。気色悪ぃ)
だが唯一の救いでもある。
男の話によれば、淫魔は性行為を通して魔力を得て、その魔力を使って体を修復する。もし本当に悠斗が淫魔なのであれば、人間とセックスすれば男たちから付けられた傷も治せるはずだ。
あんなモンスターがいるこの世界で生きていける自信は微塵もない。けれども、とにかく今を乗り切らなければ先はない。
(女じゃねぇんだし、別に掘られるくらいなんともねえし……)
強がりだ。分かっていながら自分に言い聞かせ、最後の力を振り絞って体をわずかに持ち上げる。
「――おい。勝手に動くな」
無視して体を起こし、よろけるように男の体にもたれ掛かった。
「動くなと言ったろ。次に勝手に動いたら――」
「ヤろうぜ」
なんとか男を見上げ、言った。
男の眉がぴくっと動く。
「なに?」
「抱かせてやるって言ってんだよ……」
そうこう言っている間にも全身は悲鳴をあげるように痛み、頭がくらくらしていつ気を失ってもおかしくはない。猶予は一刻もなかった。
「人の話を聞いてなかったのか。お前を抱いた人間は死ぬ」
分かっている。
だけど、見知らぬ他人を犠牲にしてでも、悠斗だって死にたくないのだ。
鎧の隙間から顔をいれ、男の膨らんだ股間に頬をすりつける。
男の体がぴくっと微かに震えた。
「すげぇ……でかい、な……」
少し棒読みだったかもしれない。
唇を開け、ズボンの上からそこをくわえる。
お世辞ではなく、男のその場所は明らかに大きかった。体が大きいからだろうか。
男はまだ剣をかまえたまま動かない。しかし、そんな弱点に触れられても動かないと言うことそのものが答えだ。
(ヤりてぇんだろ? さっさとヤれよ)
そして体が回復し、この男が死んだ後は剣を奪って逃げる。それでいい。こんな暴力的で偉そうな男がどうなろうとしったことではない。
男同士の行為がどういうものかはだいたい分かる。この世界に来る前に一度、無理やり男の娘モノのAVを見せられたことがあったからだ。
上目遣いに男を見上げ、男のはちきれんばかりに膨らんだ股間に鼻先をこすりつけながら、悠斗は自身の指をなめた。そして濡れた指を後ろにまわし、Tバックの細い紐の横からすぼんだ穴に挿れる。
「っ……」
座薬さえ入れた記憶のない場所だったが、案外すんなり指の先端を受け入れた。
そこは異様に熱かった。熱っぽいせいだろうか。
肉の壁は乾いていて、悠斗の細い指をぎゅっときつく締め付けてくる。こんなところに男の巨大なペニスが入るとはとうてい思えない。
(くそっ……。動画じゃ余裕で入ってるっぽかったのに。なんでこんなかてぇんだよ……)
しかも内側をさわっても少しも気持ちよくない。むしろたった指一本なのにすごい圧迫感があり、気持ち悪かった。
わき上がりそうになる焦りをこらえ、男の様子をうかがう。
目が合い、その瞬間、男は不快そうに顔をゆがめた。
「離せ、淫売」
大きな手が悠斗の頭を掴んでそこから引き剥がす。その勢いのまま、悠斗は地面に倒れた。
「つっ……」
しかしすぐに体を転がして四つん這いになり、上体は地面につけたままで尻をわずかにもちあげる。そして穴の中にもう一本指をいれ、二本の指で入り口を広げて男の方を振り返る。
「使いてぇんだろ? ここ……」
男の表情が変わった。
侮蔑的だったはずの目をぎらつかせ、男は食い入るように悠斗の体を見つめる。
(やっぱヤりてぇんじゃん……。どいつもこいつもクソばっかだな……)
もちろん、そこには自分も含まれている。
肩で息をしながら自嘲し、悠斗は男に言った。
「はやく……。使えよ、ここ……」
「…………」
男が一歩悠斗に近づいた。
手にしていた剣を地面に突き立てる。そして、一秒も待てないと言うように性急にズボンの前を下げ、下着の中から大きく膨らんだペニスを取り出した。
その塊の巨大さに悠斗は息をのんだ。
(いやいやいや……。あんなん聞いてねぇし。ぶっ壊れんだろ、マジで)
しかし後悔する間もなかった。
男は悠斗の腕を掴んで後ろの穴から指を抜かせる。そして悠斗の尻を両手で掴んで開き、先走りで濡れた先端を押しつけてきた。
「あっ……、ちょっと待――」
ぴりっと入口が裂けるような痛みを感じた。
狭い場所を無理やりこじ開けられる。その中に、巨大な杭のような塊がねじ込まれた。
「いででででっ……!!」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
苦しい。無理だ。
アダルト動画では男性器が大きければ大きいほど女優は嬉しそうな声を出していた。だけど今なら言える。そんなわけがない。限界を越えて体を無理やりこじ開けられる行為なんて、ただの暴力でしかない。
「やめろっ……!! やっぱ無理! そんな……っ!!」
悠斗は逃げだそうとする。男はその腰を握りつぶさんばかりの強さで押さえつけてきた。
「力を抜け」
さらに奥にねじ込まれる。
「っぐぁああああああ……!!」
体がミシミシっと悲鳴をあげた。
どこまでの長さがあるのか、男の塊はどんどん深いところに入ってくる。そしてようやく、男の下腹部と悠斗の尻がぴったりとくっつくところまでたどり着いた。
(なんだよこれ……。やべぇ……。腹破れる……)
本気でそう思った。
痛みはある。だがそれ以上に、内側をみっしりと埋められ、今は苦しさのほうが上だった。
(マジ、吐きそう……)
中から内臓を押し上げられているような感覚だった。
気持ち悪い。
息を吸うことさえ苦しい。
背後からは男の洗い息遣いが聞こえてくる。ふーふーと興奮した獣のような息遣いだ。
男はゆっくりと腰を動かし始めた。
限界まで埋まったところから腰を引き、つられてすぼみそうになる悠斗の体を再びこじ開けて奥に戻る。
男の巨大なカリの部分が内側の肉壁をぐりぐりとこすり、えぐる。そこにしっかりペニスが入っていると教え込むようだった。
激しい痛みと悔しさが交互に押し寄せてきて、悠斗は手当たり次第に触れた草を握りつぶしては地面から引きちぎる。
(気持ち悪ぃ……。さっさと終わらせろよ。このくそホモ遅漏野郎)
男の腰遣いはだんだん早くなっていった。
ぬるぬるした先走りを悠斗の中にたっぷり擦り付けるように動き、しばらくして、その動きがぴたりと止まった。
「っ……!!」
男は小さくうめくような声を漏らす。
悠斗の中で巨大な杭がびくびくっと震え、熱いものが広がっていく。
(……は? こいつ、中で出した……?)
信じられない思いで男のほうを振り返る。男は体をつなげたまま放心したように悠斗を見下ろしていたが、悠斗の視線に気づくとすぐに顔を背けて体を離した。
後ろの穴からドロッとした液体が垂れてくるのを感じる。
やはり中で出されたのだ。
(死ねよクソ野郎……)
屈辱的だった。
死にたくなるくらい最悪な気分だった。
だけどどうしようもなく死ぬのが怖かった。
死にたくなかった。
(そうだ……。死ぬのは俺じゃない。コイツなんだ……)
男の言うことが正しければ、そういうことになる。
ぼろきれのような布で下腹部を拭いた後に身支度を整え始めた男からはまだそんな気配は感じられないが、きっともうすぐ死ぬのだろう。そうすれば悠人が男に犯されたという事実を知る人間もこの世から消える。
(……俺が殺したんじゃねえし。わかっててヤったコイツのせいだろ)
俺のせいじゃない。
俺のせいじゃない。
必死で自分に言い聞かせながら右手を前に伸ばし、土に爪を立てる。
とにかく遠くへ行きたかった。
この男が死ぬ前に。
また誰か見知らぬ男に襲われる前に。
モンスターも人間も存在しない、悠人でも一人でひっそりと生きられる、どこか安全な場所に。
指先に力をこめて体を前に進めようとするが、もう体がボロボロで少しも力が入らない。
全身が焼けるように熱くて痛かった。
少し動くだけで内側から壊れるようにミシミシと音を立てているようだ。
頭もくらくらする。
息が荒く、呼吸も苦しかった。
(……話、違ぇーし)
男を受け入れれば魔力を得ることができ、そうすれば傷も癒せるという話だった。
それなのになぜこんなに苦しいのか。
傷を癒すにも何か魔法のようなものを使う必要があるのかもしれないが、そんなことを考える気力ももう残っていなかった。
「おい」
男の低い声がやけに遠く感じる。
「おい淫売。お前――」
どんどん遠くなっていき、もう聞こえない。
重くなっていく瞼が完全に閉じてしまう直前、男の大きな手が頭に触れた気がした。
(だめだ……。もう、動けねぇ……)
這い蹲って逃げている途中、背の低い草むらの中で悠斗は力つきた。
うつ伏せの格好で地面に頬を付け、荒く息をする。
(頭ぼーっとする……。また死ぬのかな、俺……)
熱でも出てきたのか全身が熱い。あまりにも身体が怠くて、今にも眠ってしまいそうだ。
(いや、弱気になるな。あのときとは、違う。まだ、やれる……)
なんとか必死に自分を奮い立たせ、少しでも進もうと前に手を出し、草をわし掴む。
『ぐぎゃああああああ!! ぎぃっ! ぎぃいいいいいいい!!』
これまでとは全く違う、苦しむような化け物の声。まさか男たちが化け物を殺したのだろうか。
(どっちにしろ、誰に捕まっても終わりだ。早く……逃げなきゃ……)
ブチブチと草を千切りながら、なんとかわずかに体を進める。
前へ。少しでも前へ。
必死に進もうとする悠斗の後ろで、微かだが草を踏みしめる音が聞こえた。
(ヤバイっ!)
そうは思っても、体はどうしても思うようには動かない。
焦る。だが非情にも、草を踏みしめる音は確実に近づいてきていた。
そして、ついに。
「人間じゃないな?」
さっきの男たちとは違う、地を這うように低く、感情のない声。
「――淫魔か」
振り返る。
やはりさっきの男たちではない。
見たこともない男だ。年齢は二十代後半くらいだろうか。浅黒い肌に黒く短い髪、太い眉。鼻筋が通っていて端正な顔をしているが、鋭い目はぞっとするほど冷たく感情がない。どこか不気味な男だった。
だが何よりも印象的なのはその体だ。
男の体は百九十センチ以上はありそうな長身で、それ自体が鎧と言えそうなほどに鍛え上げられた筋肉で覆われている。さらにその上には本物の鎧をまとい、背中には艶のある銀色のマントを羽織っている。まるでRPGゲームに出てくる勇者だ。
(まるで……じゃない。さっきの化け物といい、こんなの現実じゃない)
正確に言えば、悠斗の知る世界ではない。
頭の中に一つの単語が浮かんだ。
『ハルト~。お前、異世界転生ものって知ってる? 最近やたら流行ってんじゃん』
あの明るく人なつっこい笑顔を思い出し、心臓がバクバクと嫌な感じに鼓動を早めた。
異世界転生。
現実世界で死んだ人間が、マンガやゲームに出てくるファンタジー世界に生まれ変わるというジャンルらしい。悠斗は古いRPGゲームで遊ぶくらいしか趣味がないから読んだことはないのだが、ライトノベルが好きなアイツはよく「面白いから」と悠斗に薦めてきた。
今の悠斗の状況は、まさにそれとしか思えない。
(ありえないことだけど、でもこんなの、他に説明つかねえだろ……)
茫然と勇者のような男を見上げる悠斗。男は、血塗れの大剣の切っ先を悠斗に向けてきた。
「お前は向こうで死んでいた男たちの荷物か?」
説明が少なくてはっきりと答えることはできないが、状況的にはそうなるのだろう。悠斗は頭を縦に振った。
「男たちを襲ったムグリスとは何か関係があるのか?」
「むぐ……りす……?」
「巨大な蛇の姿をしたモンスターだ」
男たちを襲っていたあの蛇――今度は首を横に振る。すると男は「そうか」とつぶやき、悠斗の髪を乱暴にわし掴んだ。
「いっ……!」
「起きろ」
そう言って、力付くで上に引っ張り起こそうとする。
(痛ぇ! 髪が抜ける!!)
慌てて力を振り絞り、なんとか自力で上体を起こすことはできた。しかし支えもなしにその状態を保つことは厳しく、再び地面に倒れ込む。男は悠斗の頭の先から足先までを汚い虫でも見るような目で眺め、「淫売が」と心底嫌そうに吐き捨てた。
男の靴が悠斗の腹の上に乗る。ぐっと圧迫され、靴裏で軽く押される。弱り切った悠斗の体は、背中から地面に倒れるように転がった。
「いっづぅううううう!!」
ボロボロの背中に小石がめり込む。痛くて体を転がそうとするけれども、男は再び悠斗の腹に硬い靴を乗せ、地面に縫いつけるように踏みつけてきた。
「痛いっ……! はな、せ……!」
「淫魔がなぜまだ生きている? あの男たちとはどこで出会った? 答えろ」
淫魔――聞き慣れない言葉だが、そういえばさっきの男たちからも何度かそう呼ばれていた気がする。
上から見下ろしてくる男の冷たい目を見上げ、悠斗は尋ねた。
「インマ、って……?」
「何?」
男は顔をしかめた。
「お前、自分が何者かもわかっていないのか?」
そんなものは分かっている。
分からないのは今のこの状況だ。
「気づい、たら……ここに、いた」
「――そうか」
「あの男たちもいて、背中、ぶたれて……痛くて……。馬車に乗せられて、こんな格好させられて、襲われそうに、なって……そしたら外から叫び声がして、あいつら、出てって……そしたら急に、馬車が吹っ飛んで、でっかい蛇が――いて、俺、必死で逃げて……」
たどたどしい説明も、男は口を挟まずにじっと聞いていた。そして終わると言った。
「お前は淫魔だ」
「だからインマって――」
「性行為を通して人間から命を奪って生きながらえる。下劣で薄汚いモンスターだ」
「……は?」
何を言われているのか全くわからなかった。
(俺がモンスター……? しかもエロいことして生きるって?)
ありえない。意味が分からない。
しかしそんな悠斗の考えを見透かすように、男はかがんで黒い紐のようなものを引っ張り上げた。
「いっ……!!」
体が引っ張られたような痛みが走った。腰の少し下あたり。男の手に握られているものとそこが繋がっていることに気づき、悠斗は驚愕した。
「これはお前のしっぽだ。そしてさっき、向こうで切り落とされた翼も見つけた。お前の背中から切り落とされたものだろう」
確かに、目を覚ました直後、あの男たちは悠斗の背中に何かをしていた。引きちぎられるような痛みを感じる「何か」だ。
(俺……人じゃない、のか……?)
信じたくはないが、しっぽが生えているのは事実だ。
はっとした。まさか見た目まで変わっているのでは?
「あの……俺! 顔は!? どうなってる!?」
男は顔をしかめ、悠斗の顔の前に剣を持ってきた。刃についた血の合間から見えるわずかな部分に、見慣れた自分の顔が映る。
(全然変わってねえ……。間違いなく俺の顔だ……)
ほっと一息つく。その喉元に、突然刃先が突きつけられた。
「っ……!」
冷たく分厚い刃先。腹に何度も突き立てられた感触を思い出し、全身から嫌な汗が噴き出した。
「記憶を失っているようだが関係ない。モンスターは殺す」
「な……んで? 俺、何もしてない……」
「今はしていなくとも、いずれすることになる」
刃が喉に食い込んでくる。触れただけで切れるほど鋭いわけではなさそうだが、それでも男の気分一つで首を切り落とされてしまうかもしれない状況が怖くないはずがない。悠斗の体は小刻みに震え始めていた。
「淫魔は翼としっぽ以外人間と同じ外見をしている。生殖器も同じだ。ほとんどが人間の女と同じ生殖器を持って男を誘うが、まれにいるお前みたいな雄型は男を誘う他にも男女問わずレイプすることがある。生殖器をつなぎ合わせることで人間から生命力を奪って殺す」
「……ヤらなきゃいいじゃん。俺、そんなのいらねえし……」
「お前たちにとって性行為は食事だ。人間が食べて体を作るように、お前たちは性行為で人間から取った生命力を魔力に変えて体を作る。性行為しなければ魔力が尽きて死ぬ」
「なんだよ、それ……」
悠斗は絶望した。そうするしかなかった。
転生する前もセックスなんてしたことはなかったのに、突然、死にたくなければ男でも女でもいいからセックスしろ。ただし漏れなく相手は死ぬ、と言われたようなものだ。納得できるわけがない。
死ぬのは嫌だ。だけど誰かを死なせたいわけではないし、好きでもない相手ととっかえひっかえセックスしたいわけでもない。
(死ななかったのはラッキーだったけどさ……だけど、そもそも俺、殺されるようなことしたかよ? そりゃあろくな人間じゃなかったのは確かだけど、俺だって全部やりたくてやってたわけじゃねえじゃん。なんで俺ばっか、いつもいつもこんな目にあわなくちゃいけねーんだよ……)
悔しくて、惨めで、どうしもなく怖くて……だけどそれでも死にたくなくて、悠斗はきつく奥歯をかみしめた。そうしないと泣いてしまいそうだった。
「……誰も、傷つけないで……」
震えた声では男まで届かなかったようだ。男は「なんだ?」と聞き返してくる。
「……俺も、死なない、方法は?」
「ない」
分かってはいたが非情な答えだった。
いつでも殺すことはできる。そのはずなのに、男は死んだ魚のような目で悠斗をじっと見つめたまま、悠斗の白い肌の上で刃を動かす。
切れてこそいないがくっきりと横線のような跡がついた首から剣先が離れ、喉仏まで滑り降りて、そこを軽く押す。かと思うとまた剣先で首の痕をなぞる。
「淫魔は魔力を使って翼と尻尾以外の部分を再生できるらしい。切り落とした手さえも再生できると聞くから、お前は今相当弱っているはずだ」
仰向けになったまま動けずにいる悠斗の鎖骨まで鋭い刃は下りてくる。そしてさらに下り、透けるレース素材に隠された乳首の先を押してくる。
「あっ……」
思わず変な声が漏れ、悠斗は慌てて口を閉じた。
乳首は自慰をするときもよくさわる。だからといって、こんな状況でも感じるとは思っていなかった。淫魔の体になったということだろうか。
「やはりひどい淫売のようだな」
男は吐き捨てるよう言った。そのまなざしは相変わらず冷たく見下すようで、男から心底嫌悪されているのを感じる。
(そんな目で見るくらいなら、さっさと殺りゃあいいじゃん……。いつまでもじわじわいたぶるみたいなことしやがって)
男の剣が再び首のところに戻ってくる。しかし、やはりその刃は皮膚の上で止まったままだ。
どういうつもりなのか。探るように男を見上げ、ふと気がついた。
(まさかコイツ……)
鎧のせいで見えづらいが、意識して覗けば隙間から少しだけ見える。
男が履くズボン。その股間部分が不自然なくらい押し上げられていたのだ。
(どいつもこいつもホモばっかじゃねえか……。気色悪ぃ)
だが唯一の救いでもある。
男の話によれば、淫魔は性行為を通して魔力を得て、その魔力を使って体を修復する。もし本当に悠斗が淫魔なのであれば、人間とセックスすれば男たちから付けられた傷も治せるはずだ。
あんなモンスターがいるこの世界で生きていける自信は微塵もない。けれども、とにかく今を乗り切らなければ先はない。
(女じゃねぇんだし、別に掘られるくらいなんともねえし……)
強がりだ。分かっていながら自分に言い聞かせ、最後の力を振り絞って体をわずかに持ち上げる。
「――おい。勝手に動くな」
無視して体を起こし、よろけるように男の体にもたれ掛かった。
「動くなと言ったろ。次に勝手に動いたら――」
「ヤろうぜ」
なんとか男を見上げ、言った。
男の眉がぴくっと動く。
「なに?」
「抱かせてやるって言ってんだよ……」
そうこう言っている間にも全身は悲鳴をあげるように痛み、頭がくらくらしていつ気を失ってもおかしくはない。猶予は一刻もなかった。
「人の話を聞いてなかったのか。お前を抱いた人間は死ぬ」
分かっている。
だけど、見知らぬ他人を犠牲にしてでも、悠斗だって死にたくないのだ。
鎧の隙間から顔をいれ、男の膨らんだ股間に頬をすりつける。
男の体がぴくっと微かに震えた。
「すげぇ……でかい、な……」
少し棒読みだったかもしれない。
唇を開け、ズボンの上からそこをくわえる。
お世辞ではなく、男のその場所は明らかに大きかった。体が大きいからだろうか。
男はまだ剣をかまえたまま動かない。しかし、そんな弱点に触れられても動かないと言うことそのものが答えだ。
(ヤりてぇんだろ? さっさとヤれよ)
そして体が回復し、この男が死んだ後は剣を奪って逃げる。それでいい。こんな暴力的で偉そうな男がどうなろうとしったことではない。
男同士の行為がどういうものかはだいたい分かる。この世界に来る前に一度、無理やり男の娘モノのAVを見せられたことがあったからだ。
上目遣いに男を見上げ、男のはちきれんばかりに膨らんだ股間に鼻先をこすりつけながら、悠斗は自身の指をなめた。そして濡れた指を後ろにまわし、Tバックの細い紐の横からすぼんだ穴に挿れる。
「っ……」
座薬さえ入れた記憶のない場所だったが、案外すんなり指の先端を受け入れた。
そこは異様に熱かった。熱っぽいせいだろうか。
肉の壁は乾いていて、悠斗の細い指をぎゅっときつく締め付けてくる。こんなところに男の巨大なペニスが入るとはとうてい思えない。
(くそっ……。動画じゃ余裕で入ってるっぽかったのに。なんでこんなかてぇんだよ……)
しかも内側をさわっても少しも気持ちよくない。むしろたった指一本なのにすごい圧迫感があり、気持ち悪かった。
わき上がりそうになる焦りをこらえ、男の様子をうかがう。
目が合い、その瞬間、男は不快そうに顔をゆがめた。
「離せ、淫売」
大きな手が悠斗の頭を掴んでそこから引き剥がす。その勢いのまま、悠斗は地面に倒れた。
「つっ……」
しかしすぐに体を転がして四つん這いになり、上体は地面につけたままで尻をわずかにもちあげる。そして穴の中にもう一本指をいれ、二本の指で入り口を広げて男の方を振り返る。
「使いてぇんだろ? ここ……」
男の表情が変わった。
侮蔑的だったはずの目をぎらつかせ、男は食い入るように悠斗の体を見つめる。
(やっぱヤりてぇんじゃん……。どいつもこいつもクソばっかだな……)
もちろん、そこには自分も含まれている。
肩で息をしながら自嘲し、悠斗は男に言った。
「はやく……。使えよ、ここ……」
「…………」
男が一歩悠斗に近づいた。
手にしていた剣を地面に突き立てる。そして、一秒も待てないと言うように性急にズボンの前を下げ、下着の中から大きく膨らんだペニスを取り出した。
その塊の巨大さに悠斗は息をのんだ。
(いやいやいや……。あんなん聞いてねぇし。ぶっ壊れんだろ、マジで)
しかし後悔する間もなかった。
男は悠斗の腕を掴んで後ろの穴から指を抜かせる。そして悠斗の尻を両手で掴んで開き、先走りで濡れた先端を押しつけてきた。
「あっ……、ちょっと待――」
ぴりっと入口が裂けるような痛みを感じた。
狭い場所を無理やりこじ開けられる。その中に、巨大な杭のような塊がねじ込まれた。
「いででででっ……!!」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
苦しい。無理だ。
アダルト動画では男性器が大きければ大きいほど女優は嬉しそうな声を出していた。だけど今なら言える。そんなわけがない。限界を越えて体を無理やりこじ開けられる行為なんて、ただの暴力でしかない。
「やめろっ……!! やっぱ無理! そんな……っ!!」
悠斗は逃げだそうとする。男はその腰を握りつぶさんばかりの強さで押さえつけてきた。
「力を抜け」
さらに奥にねじ込まれる。
「っぐぁああああああ……!!」
体がミシミシっと悲鳴をあげた。
どこまでの長さがあるのか、男の塊はどんどん深いところに入ってくる。そしてようやく、男の下腹部と悠斗の尻がぴったりとくっつくところまでたどり着いた。
(なんだよこれ……。やべぇ……。腹破れる……)
本気でそう思った。
痛みはある。だがそれ以上に、内側をみっしりと埋められ、今は苦しさのほうが上だった。
(マジ、吐きそう……)
中から内臓を押し上げられているような感覚だった。
気持ち悪い。
息を吸うことさえ苦しい。
背後からは男の洗い息遣いが聞こえてくる。ふーふーと興奮した獣のような息遣いだ。
男はゆっくりと腰を動かし始めた。
限界まで埋まったところから腰を引き、つられてすぼみそうになる悠斗の体を再びこじ開けて奥に戻る。
男の巨大なカリの部分が内側の肉壁をぐりぐりとこすり、えぐる。そこにしっかりペニスが入っていると教え込むようだった。
激しい痛みと悔しさが交互に押し寄せてきて、悠斗は手当たり次第に触れた草を握りつぶしては地面から引きちぎる。
(気持ち悪ぃ……。さっさと終わらせろよ。このくそホモ遅漏野郎)
男の腰遣いはだんだん早くなっていった。
ぬるぬるした先走りを悠斗の中にたっぷり擦り付けるように動き、しばらくして、その動きがぴたりと止まった。
「っ……!!」
男は小さくうめくような声を漏らす。
悠斗の中で巨大な杭がびくびくっと震え、熱いものが広がっていく。
(……は? こいつ、中で出した……?)
信じられない思いで男のほうを振り返る。男は体をつなげたまま放心したように悠斗を見下ろしていたが、悠斗の視線に気づくとすぐに顔を背けて体を離した。
後ろの穴からドロッとした液体が垂れてくるのを感じる。
やはり中で出されたのだ。
(死ねよクソ野郎……)
屈辱的だった。
死にたくなるくらい最悪な気分だった。
だけどどうしようもなく死ぬのが怖かった。
死にたくなかった。
(そうだ……。死ぬのは俺じゃない。コイツなんだ……)
男の言うことが正しければ、そういうことになる。
ぼろきれのような布で下腹部を拭いた後に身支度を整え始めた男からはまだそんな気配は感じられないが、きっともうすぐ死ぬのだろう。そうすれば悠人が男に犯されたという事実を知る人間もこの世から消える。
(……俺が殺したんじゃねえし。わかっててヤったコイツのせいだろ)
俺のせいじゃない。
俺のせいじゃない。
必死で自分に言い聞かせながら右手を前に伸ばし、土に爪を立てる。
とにかく遠くへ行きたかった。
この男が死ぬ前に。
また誰か見知らぬ男に襲われる前に。
モンスターも人間も存在しない、悠人でも一人でひっそりと生きられる、どこか安全な場所に。
指先に力をこめて体を前に進めようとするが、もう体がボロボロで少しも力が入らない。
全身が焼けるように熱くて痛かった。
少し動くだけで内側から壊れるようにミシミシと音を立てているようだ。
頭もくらくらする。
息が荒く、呼吸も苦しかった。
(……話、違ぇーし)
男を受け入れれば魔力を得ることができ、そうすれば傷も癒せるという話だった。
それなのになぜこんなに苦しいのか。
傷を癒すにも何か魔法のようなものを使う必要があるのかもしれないが、そんなことを考える気力ももう残っていなかった。
「おい」
男の低い声がやけに遠く感じる。
「おい淫売。お前――」
どんどん遠くなっていき、もう聞こえない。
重くなっていく瞼が完全に閉じてしまう直前、男の大きな手が頭に触れた気がした。
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