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1章

4.

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 パチパチと薪が燃えるような音が聞こえてくる。目を開け、一瞬、目がくらんだ。
 揺らめきながらオレンジ色に燃える、まぶしいくらいの炎。その前では、あの男があぐらをかいて大剣を布で拭いていた。

「気が付いたか」

 男が剣を見つめたまま言った。まぶしい炎に照らされ、男の彫の深い横顔もやけにまぶしく見えた。
 男の体から延びる巨大な影は岩肌に映し出され、炎に合わせてゆらゆら揺れていた。あたりには木の一本も生えていない。

「どこだ、ここ……?」
「お前を見つけた場所からそう離れていないところにある洞穴だ。お前を休ませることが最優先だと判断して連れてきた」

 確かに、炎の明りが届く範囲には一面岩壁しかない。唯一あるのは、そんな空間にぽっかりと穴が開いたようにして広がる闇だけだ。この洞窟の出入り口なのだろう。男の向こうで、不気味に口を広げて静かにたたずんでいる。
 悠人は体を起こした。体にかけられていた布がずれ、自分が裸なことに気づいた。さらに後ろの穴がじくじくと痛むことにも気づき、気を失う前に男としていた行為が頭に蘇ってくる。
 慌てて布を持ち上げて体を隠す。男は無言で剣を置いて長袖のシャツを脱ぎ始めた。

「っ!!」

 思わず体がこわばった。しかし、上半身裸になった男はちらっと横目で悠人を見た後、足元にあった黒い布きれと一緒にシャツを放り投げて来た。

「着ろ」
「……アンタは?」
「必要ない」

 それなら遠慮なく――悠人はシャツと布切れを拾った。
 布切れは最初に会った男たちから着せられた卑猥な下着のようなものだった。そんなものでも股間を隠せる以上、着ないよりはましに思えた。手早く身に付けた後、男のシャツを着た。体格のいい男のものだけあって悠人には大きく、袖は完全に手が隠れ、裾も尻が隠れるくらいの長さがあった。
 
 着替え終わった後、体にかけられていた布を男に返した。男のマントだった。男はそれを羽織ることなく横に置いた。

(生で見るとすげー体……)

 悠人はまじまじと男の上半身を眺めた。
 炎に照らされる男の体。いたるところに古そうな傷跡が残っている体だが、何よりも目を引くのはその筋肉だ。
 広い肩幅から延びる二の腕は悠人の三倍以上の太さがあり、胸は大きく盛り上がり、腹筋は見事なまでに割れている。無駄な脂肪なんてどこにもない。全身が凶器といえそうなほど、硬く分厚い筋肉の鎧で覆われた体だった。 

(こんなのにガチでぶん殴られたら一発で死ぬな……)

 気に食わない相手ではあるが、なるべく怒らせるような態度はとらないほうが賢明だろう。

「調子はどうだ」
「ちょうし……?」
「体の調子だ。翼を切られてだいぶ弱っていただろ」

 そういえば、確かにそんなこともあった。男に犯された後ろの場所は今もまだ痛みがあり、ぐちゃぐちゃと濡れているような嫌な感じが残っているが、それ以外はまるで森の中で起きたことが夢だったかのように何もない。尻尾も消えていれば自分が人外の生き物に転生したことさえ忘れてしまいそうだが――残念なことにそこまで都合よくはいかないようだ。悠人の尻からは相変わらず黒くて細い尻尾が伸び、だらりと力なく地面にたれ落ちていた。

「大丈夫……だと思う」
「見せてみろ」

 言いながら、男はようやく悠人のほうに顔を向けた。
 炎から顔を背けると男の顔には影がかかり、ただでさえ彫の深い顔がさらに際立つ。
 やはり端正な顔をしている。中性的だとよく言われる悠人の顔とは違い、どこか無骨でゴツゴツとした男らしさがある。しかしすべてのパーツが綺麗に整っているせいか、男くさくなりすぎてもいない。絶妙なバランスで成り立っている顔だった。
 男の手が伸びてくる。悠人の肩に触れる。森の中で男に組み敷かれたときの感触がよみがえり、体が硬直した。

「…………」

 男は無言のまま動きを止め、それから、ぼそりと独り言のように言った。

「後始末が面倒だった。今夜はもう何もしない」
「……まだ中にすげぇ残ってるみたいなんだけど」
「塗り薬じゃないか? 血が出ているようだったから、出したものを掻き出してから一応中に塗り付けておいた」
「ああ、そう……」

 とてもじゃないが感謝する気にはなれなかった。
 男に肩を押され、悠人は男に背中を向けるように体の向きを変えた。
 シャツが捲られる。

「大丈夫だな。傷は完全に塞がっている」

 男は言って、すぐにシャツを戻してくれた。男のほうに向きなおさせられる。

「呼吸が弱っていたから一応傷薬を塗った。そのせいかお前が自力で体を治したのかは分からないが、もう問題はないだろう」

 つまり手当をしてくれたということか。
 男はあのとき悠人を殺そうとしていた。それなのになぜ――いや、そもそも今のこの状況がおかしい。淫魔である悠人を抱いたことで死ぬはずの男が、なぜ今ここにいるのか。

「俺とヤった相手が死ぬって言ったのはアンタだろ。まさか騙したわけ?」

 恨みがましい目で睨みつけたところで、まっすぐ見つめ返してくる男の小さな瞳にはどんな感情も見えなかった。  
 冷たく静かな瞳の表面で、オレンジ色の炎だけがメラメラと燃え盛っていた。

「……騙してはいない。かつて何万という人間が淫魔に魅入られて殺されてきた」
「だったらアンタが生きてることはどう説明つけんだよ?」

 男に訊ねた次の瞬間、突然伸びて来た手が悠人の前髪を乱暴に鷲掴んだ。

「いてっ!!」
「説明をつける必要があるか?」

 そう言いながら男は悠人を自分の方に引き寄せる。そしていつの間に手にしていたのか、短刀を悠人の首筋に突き付けてきた。

「っ……」
「お前の生死は俺の一存で決まるということがまだわかっていないようだな。頭で理解できないなら体に教えてやろうか?」

 いらない――そんな一言さえ口から出てこない。首筋に感じる冷たい刃の感触に頭が真っ白になり、悠人の体は完全に硬直していた。

「……やはり刃物への反応が強いな。体に残る傷跡と関係があるのか?」

 男の視線が悠人の腹のあたりに注がれる。
 男が言っているのは転生前の世界で殺されるときに付けられた傷のことだろう。どういうわけだか、悠人の体には死ぬときに付けられた刺し傷がいくつも残っていた。

「どうした? 早く答えろ」

 何も答えない悠人に焦れて、男は再び聞いてくる。
 答えなければ何をされるか分からない。
 だがどう答えればいいのだ?

 一度は死に、目が覚めたら別の世界に転生していました。
 しかも淫魔になっていました。
 体に残る傷は死ぬときに付けられた傷です。

 そんな話を誰が信じる? 当事者である悠人自身でさえまだ訳が分からないというのに、一体どうやってこの男に納得させられる?

 それでも答えないわけにはいかないから、悠人は震える声を必死に押し出した。

「……おぼえて、ない」
「…………」
「なんも、わかんねぇんだよ……。森で目が覚めて、それまでのこと……全部……」

 これしかない。
 男は怪訝そうな顔をする。

「記憶がないということか?」

 そう。記憶喪失だ。
 
 悠人がこくりと頷くと、男はスッと目を細めた。だがそれだけだった。
 短刀を引っ込め、投げ捨てるような乱暴な手つきで悠人の髪を離す。

「しばらくの間お前の面倒をみてやる。その代わり俺が許可したとき以外は喋るな。反論や抵抗、質問も禁止だ。逆らえば殺す」
「は……? なんで?」

 思わず聞いてしまったが、この質問は許容されていたようだ。男は「死にたくないんだろ」と言った。

「お前みたいなのが一人でいれば人間に捕まって死ぬまで慰み者にされるか魔物に食われるかのどちらかだ。俺の言うことを聞く限りは守ってやる」
「……じゃなくて、なんでそんな……」
「大人しくしているなら性処理くらいには使える」

 その答えを聞いた瞬間、自分でも驚くほど、すっと感情の波が引いていくのを感じた。そしてなぜだか分からないが、少しだけ笑ってしまった。

「……なんだよそれ。肉便器としてなら生かす価値があるってわけ?」
「それ以外お前になにができる?」

 答えられるはずがない。
 この世界のことを何も知らない。金も武器も知恵も力もなく、おまけに魔物として尻尾の生えた体に生まれ変わってしまったのだ。
 男の言う通り、きっと一人では生きることもできない。目の前にいる男に頼る以外道がない。そんな悠人が男に提供することができるものといえば、体だけだ。

(どうせもう一回掘られてんだし、二回も三回も変わんねーもんな。キモイおっさんじゃないだけマシだし……ってか、ホモに拾われただけラッキーだよな。コイツが男に興味なかったら、俺なんかとっくに殺されてたわけだし……)

 諦め、流される。生きていくにはそれが一番楽なのだ。
 悠人は体育座りをするように膝を抱えた。
 男に借りたシャツから延びる生足と、股間をぎりぎり隠す程度しかない極端に面積の小さい下着。改めて見てもひどい恰好だが、今の自分にはこれ以上ないくらいふさわしい恰好に思えた。

(異世界に転生して勇者のおっさんのオナホになりましたってか……。こんなんならアイツにヤらせてたほうがマシだったかもな。そうすりゃ案外殺されてなかったりして)

 後悔してももう遅い。どうしようもならないことを考えるのはやめて、悠人は男に聞いた。

「なんて呼べばいい?」
「ガスパル」

 お前は、とは聞かれなかった。ガスパルからしてみれば悠人はただの「淫売」でしかなく、呼び名などどうでもいいのだろう。

(別にいいけど。変にべたべたしたの要求されるより、お互い割り切って利用しあうほうがこっちも気が楽だし)

 誰かに頼るのは嫌いだ。あんな殺され方をするずっと前から他人のことなんて信用していないし、いっそ一人で誰とも関わらずに行きたいと思っていた。ただ、そうするだけの知恵も能力もなかっただけだ。
 何もかもを捨て、ひそかに貯めていた三万と数千円だけを持って東京に出た。けれども十五歳だった当時の悠人はどこへ行ったらいいのかもわからず、人であふれる街中でただ圧倒されながら立ち尽くすことしかできなかった。
 あのときも今も同じだ。差し伸べられた手にしがみつく以外、ほかに生きる術などなかった。
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