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1章

12.

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 宿屋の一階にある外廊下を抜けると、その先は酒場に繋がっていた。それなりの規模がある宿屋の場合、酒場兼食堂のような施設が隣にあるのがこの世界では一般的なことらしい。もちろん併設された酒場は宿泊者以外でも利用することができる。
 酒場にはいかにもモンスターを倒していそうな屈強な男から町の住人らしき老爺まで集まっており、席なんて概念がなさそうな感じで好き勝手に酒を酌み交わしながら騒いでいた。そんな中でもガスパルは隅にある薄暗いソファー席をわざわざ指定し、悠人と向かい合って座った。

「好きなものを頼め」

 そう言ってガスパルから手渡されたメニュー表には悠人が見たこともない文字が書かれていた。言葉は当たり前のように通じているのに文字が読めないというのも不思議な話だ。
 賑わう酒場ではひっきりなしに湯気を漂わせた肉やスープ、見たこともない料理があちこちの席に運ばれていく。その匂いを嗅いでいるうちに胃袋がギュッと縮むような感じがして、ようやく朝から何も口にしていないことを思い出したが、いちいち料理の説明を聞くのも面倒で注文はガスパルに任せることにした。
 やたらと露出の多い女性店員を呼び、ガスパルは覚えきれないほどの量の料理を注文する。それから店主を呼ぶように頼んだ。舌足らずな甘えた声で「は~い」と答えて女性店員が去って行ったのを確認した後、悠人はテーブルの下でガスパルのブーツを軽く蹴った。

「さすがに頼みすぎじゃね? 俺そんなに食えねえからな」
「残れば俺が食う」
「アンタそんな大食いなの?」
「普通だ。――しっかり食わないとでかくなれないぞ」

 言ってから、ガスパルは水の入ったグラスに口を付けながらわずかに口角をあげた。
 喉ぼとけが大きく膨らんだ喉がごくごくと動く。ガスパルなりの軽口だったのだと気づいたときにはもう、立派な鼻ひげを蓄えた中年男性が二人の席まで来て土下座せんばかりの勢いで頭を下げていた。

「お、お待たせいたしました。銀の勇者様、何か不手際がありましたでしょうか?」
「いや、そうじゃない。明日からしばらくの間、俺のいない日中この席をここにいる連れのために取っておいてもらいたい。席料は払う」
「それは勿論構いませんが……。飲食などの提供はいかがいたしましょう?」
「金は宿代と一緒にまとめて俺が払うから、コイツが欲しがるものはなんでも出してやってくれ。それとほかの客がちょっかいかけてこないようにだけ気を付けておいてもらいたい」
「かしこまりました。それでは毎朝十一時からでしたらいつでもいらっしゃってください。準備し手お待ちしております」
「ああ、頼んだ」

 店長が去って行った後、悠人はすかさず訊ねた。

「おい。今のどういうことだよ」
「聞いたままだ。俺がいない間部屋に一人でいたくなければここで酔っ払いどもの様子でも眺めて時間をつぶしていろ。ただし他の客や店員と余計なことは喋るなよ。どこかの変態に売り飛ばされてもしらないからな」

 この場所にいても特にやることもないが、それでも部屋の中で一人ぼーっと過ごすよりは確かにマシな気はする。しかし、悠人が部屋以外で過ごすことを許可するということは、明日以降外出するときに悠人を自由にさせておくことと同義でもある。この横暴な男がそんなことを許すというのがどうしても信じられない。

「アンタマジで言ってんの? 俺が逃げたらどうすんだよ?」
「逃げたところで死ぬだけだというのはお前が一番わかっているだろ。それに、もうどこにいてもお前の居場所はわかる」
「……なにそれ。どういう意味?」
「さっき足輪を付けてやったろ」

 ガスパルの言葉を受け、悠人はテーブルの下の左足首を見た。
 小さな青色の石が埋め込まれた金属製の足輪。部屋を出る直前、悠人の前にひざまずいたガスパルから無理矢理付けられたものだった。その時は「なんだよこれ」と聞いても回答はなかったが、やはりただの装飾品ではなかったらしい。

「外してみろ」
「んだよ急に――あれ? なんだこれ? 全然外れねえ」
「それは奴隷なんかにも使う魔法具だ。対となるこの石を使って持ち主の居場所を特定できる」

 そう言ってガスパルは服の首元からネックレス状の紐で繋がれた青い石を取り出し、再び服の中に戻した。

「足輪を外すにもこの対となる石と魔法が使える人間が必要になる。だからお前が俺から逃げることは不可能だ」
「それってアンタがその石を失くしたらどうなるわけ?」
「知るか。俺は魔法にも魔法具にも疎い」
「はぁ!?」

 思わず素っ頓狂な声が出た。が、それも仕方のない話だ。

「てめぇ!! そんないい加減な知識で下手すりゃ一生モンになるかもしんねえ謎アイテムを人に使うなよ!」
「その代わりとして多少の自由を与えてやると言っているんだ。ただし行き来していいのは部屋と酒場だけだぞ。自分が人間から見てどういう生き物かってことだけは常に頭の片隅に置いておけ」
「……わかってるよ」

 分かっている。この世界の人間からすれば悠人は性処理の対象か金づるでしかないし、殺したって許される。人間ではないのだから。
 それなのにガスパルは肉便器として悠人を生かしてくれているうえに自由まで与えてくれようとしている。感謝こそすれ、生意気な口を効けた立場ではない。さっきの理不尽な暴力についても文句を言えた立場にはないのだ。
 分かっている。
 頭では分かっているが、心はどうしてもついていかない。
 悠人はテーブルの上で頬杖を付き、挑発するように笑いながらガスパルを上目遣いで睨みつけた。

「そんなに淫売野郎の汚ねぇケツ穴の具合が気に入った?」
「…………」

 ガスパルは渋い顔で黙った後、「俺は……」と何かを言いかける。が、最後まで言い切らないうちに口を閉じ、騒いでいる客たちのほうに視線を向け、それっきりだんまりを決め込んだ。

(なんなんだよ。最後まで言えよ)

 なんだか無性に腹が立ち、悠人も口を噤んでガスパルから目を逸らす。気まずい沈黙の時間がしばらく続いた後でようやく料理が運ばれてきた。
 豆が入ったスープ。野菜サラダ。野菜のから揚げ。魚の揚げ物。焼いた骨付き肉。汁に浸かった角煮のような肉。まだ口を付ける前なのに、テーブルはどんどん皿で埋まっていく。

「一口ずつでも味見をしてみて気に入ったものがあればそれを食え。追加で注文してもいいぞ」

 ガスパルがフォークとスプーンを手渡してくる。それを黙って受け取った。

 どこから手を付けたらいいだろうか。
 とりあえずサラダから食べる。軽い塩気以外には野菜の味しかしないサラダだった。
 野菜はその一口だけにしておき、次は肉。角煮のような塊肉を選んだ。これは当たりだった。あまじょっぱい味で煮られたその肉は、口に入れるとまるで泡のように溶けて消えていく。

「うまっ……」

 思わず声が出てしまった。ガスパルがちらっと悠人の方を見て、「もう一皿頼むか?」と聞いてくる。

「そんなに食えるかよ。先にテーブルの上の片付けようぜ」
「ここにあるのは俺一人でも食いきれる。お前が気に入ったものがあるなら追加で頼め」
「いいって。明日の昼間とか食うし。名前覚えてられる自信ないから、メニューのどこに書いてあるかだけ教えてよ」

 ガスパルは椅子に投げてあったメニュー表を取って一番下にあるアルファベットが変形したような文字を差した。

「『ベルグの甘煮』と書いてある。覚えられるか?」
「たぶん。そっちの文字がメニュー名?」
「そうだ」
「じゃあ隣が金額?」
「そうだ」

 その回答を聞いて冷や汗が出て来た。メニュー表にはいくつものメニューが並び、隣には記号のような文字で金額が書かれている。問題はその桁数だ。他のメニューに比べ、『ベルグの甘煮』だけが記号の数が二つも多い。

「……なんかここだけ桁がバグってね?」 
「たいした金額じゃない。お前は気にするな」

 そう言われても、一円も持っていない悠人が食事をするにはガスパルに奢ってもうらうしかない。それなのに金額を気にせず注文できるほど図太い神経はしていない。

(つーか食いもんだけじゃねえしな……。宿代とか服代とかいろいろかかってるよな、たぶん)

 急に居心地が悪くなってくる。
 悠人は残り半分ほどに減った肉の皿をガスパルのほうにそっと押した。

「あの……どうぞ」
「なんだ急に」
「いや、俺はそろそろ腹いっぱいになるし。残り全部アンタが食ってよ」

 恐る恐るガスパルの顔色を窺う。ガスパルは悠人の顔をジッと睨むように見つめ、面倒臭そうにガシガシと頭を掻いた。

「お前はもっと素直になれないのか?」
「は? ふつーに素直だし、俺」
「どこがだ。素直なのは体だけだな」

 エロ漫画かよと突っ込みを入れたかったが、エロ漫画が通じるかもわからないし、通じたとしても記憶喪失の淫魔が口にするような単語ではないと思って心の中だけに留めておいた。代わりに、「どういう意味だよ」と睨みつけておく。

「後ろだ」
「後ろ?」
「今はしょぼくれて分からなくなっているが、気に入ったものを食っている最中はマントの上からでもわかるくらい大きく揺れていたぞ。気を付けろ」

 尻尾のことだ。慌ててマントの上から尻尾を押さえつける。
 ガスパルの言う通り今はぺったりと椅子の上にたれ落ちているが、さっきまでは違ったのだろう。自分では意識することがない上に視界にも入ってこないから全く気が付かなかった。
 なんとなく悔しくて睨んでも、ガスパルはそれを鼻で笑って受け流した。

「体だけでも素直なのは結構だが、そいつはなんとかする必要があるな」
「……なんか物騒なこと考えてねえよな?」
「心配するな。切り落としたりはしない」

 本当だろうか。この男のことだから突然ブチ切れて力づくで引きちぎってきそうな気もする。
 尻尾は悠人が人間ではないことを示す邪魔な存在ではあるが、もうこれ以上痛い思いをしたくないというのが正直なところだ。
 そんな悠人の考えも見通したようにガスパルは説明した。

「淫魔の売買に関して記された記録をこれまで何度か見たことがあるが、どの絵でも淫魔は翼だけをもがれて尻尾はそのままの状態で売り買いされていた。何かそうせざるを得ない事情があるのかもしれないな」
「尻尾を切ると死ぬとか?」
「そうだな。淫魔は翼と尻尾だけは自力での再生が苦手らしいが、特に尻尾には何かあるのかもしれない」
「翼は切っても問題ないんだもんな。ってか、翼もなんでわざわざ切り落とすんだ? 逃亡防止用とか?」
「プラスして、人間が上位の体位を取るのに邪魔って理由もあるらしい。淫魔ってのは雌雄関係なく人間を組み敷いた体位で行為することを好むから翼が邪魔にならないらしいが、人間が淫魔を好きに扱うとなれば当然翼は邪魔になる。そのために切り落とすそうだ」

 そこまで言ったところで、「もっとも」とガスパルは話を戻した。

「理由なんてなくてもわざわざ尻尾を切り落とすつもりはない」
「なに? アンタそんなに気にいってんの?」

 わざと馬鹿にしたような口調で聞いてみた。ガスパルは咎めることもなく、「ああ」と答えて目の前の皿に乗っていたステーキにフォークを突き立てた。

「俺が奥を突いてやると嬉しそうにゆっくりパタパタと横に振れるからな」
「っ!! てめぇっ!! こんなとこで何言ってんだよ!?」
「事実だ。ついでに言うと、イきそうなときはピンと張りつめて、達した瞬間は蕩けたみたいにぐにゃぐにゃになっている。見ていると面白いぞ」
「だからやめろって! 俺の意志じゃねーんだよ! 体が勝手にそうなんの!」

 真っ赤になった悠人の顔を見て口元を微かに笑わせ、ガスパルは切り分けもせずにステーキの塊を口にねじ込む。

(この変態ホモ野郎! そのまま喉詰まらせて死んじまえ)

 もちろんそんなことになるはずもなく、ガスパルは数回噛んだだけでごくりと飲み、また口を開いた。

「お前の体と意志がかみ合っていないことはわかっている。俺に抱かれるのも本当は死ぬほど嫌なんだろ?」
「は? 何急に……」
「わかっているから誤魔化す必要はない」

 本当に何も思っていないのか、ガスパルは涼しい顔をしている。それでも素直に「はい、そうです」と答えて万が一にも抱かれなくなってしまえば、困るのは淫魔として転生した悠人のほうだ。

(コイツ、どういうつもりでそんなん言い出してんだよ……)

 意図が全くわからず、しばらくガスパルの出方を待った。だがガスパルは何も言わずに黙々と食事を勧めている。表情も相変わらず読めず、仕方なく、悠人から先に口を開いた。

「……アンタにされんのが嫌っていうか……そもそも男相手ってのがさぁ……」
「だろうな。お前は淫売じゃない」

 その言葉には一瞬固まってしまった。
 淫売じゃない? 悠人のことを散々「淫売」呼ばわりしてきたのはガスパルのほうじゃないか。

「……急になんだよ」

 警戒しながら聞いてみても、ガスパルは「お前が俺の思っていたような生き物じゃないと思ったからそう言ったまでだ」としか答えない。
 本当に突然だ。ついさっきは悠人が部屋に男を連れ込んだと思い込んで暴力を振るってきたくせに―ーだからこんなにも腹が立つし大嫌いだと思うのに―ー今更そんなふうに手のひらを返されても困る。

「……アンタが俺のことをどう思ってたとしても、アンタにヤられないと困るのは俺のほうだから……」
「ああ。だからこれからもお前を抱く。頻度は一日一回程度にしようと思うがどうだ?」

 はっきり答えるのも妙な気がして、少し俯いて無言でうなずく。

「そうか」
「…………」

 もう一度うなずく。
 ガスパルはテーブルの真ん中あたりにあったスープ皿を自分のほうに引っ張り、フォークをスプーンに持ち替えながら言った。

「俺が言いたかったのは、お前が好きで男に体を許す淫売ではないと分かっているってことだ」
「……うん」
「お前がその体だったことも良かったと思っている。どうせ生きるために抱かれなければならないなら、せめて体だけでも感じられたほうがいいに決まっているからな」

 それを言うなら、そもそも悠人が普通の人間として転生できていればよかったのだ。そうすれば男に抱かれる必要だってなかったはずだ。

 ガスパルは銀色のスプーンを使ってトマトのスープを口に運ぶ。なんの変哲もないごく普通のスプーンだが、二メートル近くあるガスパルが使っているとまるで玩具のように見える。
 あんなに巨大な刀を軽々と振り回して何体もの巨大なモンスターを殺していた男が、今はこうしてちまちまとスプーンを動かして食事をしていると思うと、なんだかむずむずするような妙な気持ちになってくる。

 もしも悠人が普通の人間のまま転生していれば。
 最初に悠人を連れ去ろうとした男たちは悠人のことを無視して通り過ぎ、悠人はガスパルと出会うことなく森の中で死んでいたかもしれない。運よくガスパルと出会えたとしても、ガスパルは悠人を性処理の対象として捉えず、そのまま見捨ててモンスター狩りに戻ってしまったかもしれない。

 転生したこと自体が超常的かつ奇跡的なことなのだ。
 こうしてガスパルと食事を共にしている今が、普通に考えたらありえないことだった。

「俺はただ……死にたくなかったから」
「ん?」

 ガスパルはスプーンを動かす手を止めた。
 悠人はテーブルに所狭しと並べられた料理だけをじっと見つめながら、ずっと胸の中につかえていたもやもやしたものを吐き出すように言った。

「殺されるよりマシだって思って、なんとかアンタの気を逸らしたくて、アンタのこと誘った。大人しくヤられてんのだって、そうしなきゃ死ぬからってだけだし……」
「ああ。分かっている」
「アンタには世話になってるとも思うよ。実際。アンタがいなきゃとっくに死んでたと思う。……でもさ、やっぱ俺」

 心の中のことを話すのは苦手だ。だから自分でもわかるくらい声が震えているし、少し早口になっていると思う。
 けれども今を逃せば、決して対等にはなりえないこの関係で、この気持ちを吐き出すことはできない気がする。
 だから震える声のまま、震える手を強く握り、ガスパルの顔は見ずに言った。

「今さらアンタが何言っても、俺、アンタのこと大っ嫌いだから」
「…………」
「でも世話になってる分、俺の体なんかでよければ好きに使わせてやるよ。飽きたら遠慮なく捨ててもいいし。……アンタとはそれでいいんだよ。俺の気持ちなんて気にしたり理解しようとしたり、そーゆーのいらないから、マジで。俺のことなんて今までどおり便器とかオナホとか思ってろよ」

 顔をあげてガスパルの表情を確かめる勇気はなかった。ガスパルも何も言わなかった。だからガスパルがどう思ったかは分からない。
 分からないが……これでいい。

 勘違いしてはいけない。
 別の生き物として生まれ変わったとしても、悠人は悠人のままだ。これまで犯した罪が消えたわけではないし、悠人という人間の本質は何も変わってはいない。

 だから慣れあいはいらない。
 他人との関係の間に必要なのは利害の一致だけで、それ以外の余計なものは何もいらない。そんな権利など、悠人には存在しないのだ。

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