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第一章 天よ地よ
河原家の朝①
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かんかんかん、かんかんかん――
慶応四年八月二十三日、明け五ツ時(午前七時すぎ)ごろ。
数日まえからつづく霖雨の肌ざむい朝だった。
若松城の用人所にある火の見櫓の早鐘が、城下にけたたましく鳴りひびいた。
事前にあった通達では、早鐘は三度にわけて鳴ることになっている。
一番鐘は仕度せよ、二番鐘は出達せよ、三番鐘は入城せよを意味する。
つまりこの早鐘は仕度せよということだ。
河原家の屋敷は、城下西がわの本一之丁北、諏訪神社の入口ちかくにある。
まわりとくらべればこぢんまりとした敷地ではあるが、城下を東西につらぬく本一之丁は、家老職はじめ重き役まわりをなす歴々の家が屋敷をつらねる目抜き通りだ。
あさ子はいよいよきたかと思い、膝のうえで眠る国子をそっと揺りおこした。
「お国、起きて。お城へ入りますから仕度をするのですよ」
「はい……おはようございます、母さま」
二日まえからだ。大砲の音が遠雷のように城下まで届きはじめると、こわがって国子の寝つきが悪くなった。まだ八歳なのだから、仕方ないといえば仕方ない。
ふらふらと寝ぼけまなこで立ったのを、うしろに引きよせて着物と髪を整えてやる。
小さな身をつつむ白無垢と小袴は、あさ子とそろいの装束だ。
すべて皆と同じがよいというので髪までおろしてやった。それが大人の娘子が城へお出かけするときの装いだと勘違いをしたものか、いまやすっかりお気にいりでいる。
胸元に河原家の定紋である丸に松川菱紋と、袖口には河原善左衛門娘と書かれた袖標をぬいつけてある。
それが視界にはいり、ふと手がとまった。みずからの手で準備したものであるというのに、いまさらになりそら寒い心地をおぼえたのである。
かきけして心中に繰りかえす。
「全員の白無垢と籠城の準備はととのった。これならばいつどこで斃れようとも死に恥をさらさなくて済むというもの――」
否が応もなく、戦は始まったのだと思い知る。
ここ数日は急転直下だった。
八月二十日、石筵口方面から二、三千の敵兵が侵してきた。
そして八月二十二日の早朝、敵は要衝の母成峠をぬき、猪苗代まで迫っているとのしらせがあって城下が騒然とした。猪苗代といえば目と鼻のさきである。
さっそく家財をまとめ避難する町人も多くあったかたわら、郭内では籠城の準備がはじまり、米穀や味噌と塩、弾薬や薬種、身のまわり品などなど、数百人の人夫がながい列をつくり城へ運びいれた。
いっぽう軍務局から男子は武装のうえ三ノ丸へあつまるよう陣ぶれが発せられた。
とはいっても、正規の兵は四方の前線へほとんど出はらっており、いま城下にあるのは白虎隊と老人、娘子、負傷兵とわずかの守備兵、後方の兵站をになう者しかいなかった。
国産奉行として内外の事情をよく知る善左衛門の言いつけにより、最悪の場合も見越していた河原家が浮き足だつことはなかった。一家そろって賑やかな朝食をとったあと、小雨のなか御薬園の人参役場に詰める隊列を見おくった。
堂々たる出陣だった。
背丈のある善左衛門が黒毛馬の背にひらりとまたがれば、陣笠をのせた頭がひときわたかい位置まで昇る。それを家族親戚一同で見あげた。
善左衛門が城下で馬をのりまわす機会を目にしたことがなかったので、あさ子は夫の手綱さばきがなかなかのものであるとはじめて知った。
この七年。
京、江戸、長岡、米沢、仙台と、夫が東奔西走してきた道のりをおもえば、こみあげてくるさまざまな感情で胸が詰まった。
善左衛門は、黒のだん袋(ズボン)に黒羅紗の筒袖陣羽織をまとう。背には真紅の糸で刺繍した丸に松川菱紋があざやかにはえた。それはひと針ずつ願いをこめてあさ子が縫いあげたものであるが、なかなかの仕あがりになったと目をほそめた。
また陣笠にかくれているが髷の断髪を済ませてある。肩にかけた愛用の馬上スペンサー銃とあいまって、まるで西洋の軍人をみるようだった。
古来、戦装束は武家の華ともいう。まったくそのとおりだとあさ子は思う。
すると急に国子が、馬にのってみたいと言いだした。
ならぬとたしなめたが、善左衛門が今日は特別によいと言う。まえに乗せてやり、本一之丁の大通りをゆっくりと一周した。
馬の蹄が地をたたいて軽やかな音をたてるたび、きゃっきゃっと無邪気な笑い声があがる。
善左衛門の弟の河原岩次郎、長男の勝太郎と次男の勝治、三十人ほどの隊士が小銃と手槍をたてて列になっていたが、緊張でこわばっていた表情が自然とゆるんだ。
馬上から国子の身をあずけながら、善左衛門がしみいる声音であさ子に言った。
「では行ってくる。すまぬがあとのことをよろしく頼む」
「おまかせください」
「また会おう」
「はい」
「きっとだ」
「はい……きっと。ご武運を」
「うむ、まかせろ」
もっと気のきいたことを言えたらよかったのだが、それ以上が思いうかばなかった。
善左衛門はおだやかな微笑みをうかべると、黒毛の馬首を颯爽とめぐらせ、隊士の一人ひとりに装備をあらためるよう声をかけた。
つづいて父親の面ざしによく似てきた勝太郎が、かかとを合わせて背筋をのばし、晴れやかに宣言した。
「母上、いってまいります。きっと手柄をたててご覧にいれます」
「まぁ、それは楽しみ。ですがくれぐれも突出はなりませんよ。単騎ぬけがけなどもってのほか。戦は武芸の試合ともちがい一人では勝てませぬ。隊を乱さぬようまわりに目をくばるのです。だんなさまと人参方の皆様をよくおささえし、河原家の名に恥じぬ働きをするのです。それから陣中にあっても身だしなみはつねにととのえ――」
「心得ております。戦場においては突っ込むばかりでなく、押し引きこそ肝要、すなわち風林火山、ですね。それは何度も聞きました。私だってもう十五なのですから、子供あつかいはやめてください」
言われてあさ子は、はっと口に手をあてる。
そうでしたと苦笑いでとりつくろい、とくに乱れてもいない髪を整えてやるふりをして、いつのまにか自分の背丈をおいこした頭をそっとなでた。
でも、まだ十五歳なのだ。
白虎隊にも入隊できない年であるが、人参方の仕事を学びたいという本人たっての希望により善左衛門の隊にくわわった。日新館に通うおなじ年の学友が、生年をごまかして白虎隊へ入隊したのを聞きつけ、いてもたってもいられなくなったらしい。
「持ち場となる御薬園の敷地は広大。お守りしようにも戦経験のない文筆の吏からなる人参方では、兵らしき兵もなく人手が不足しているではありませんか。これは河原家の面目と忠義にかかわる問題です。もしも長子である私が命をおしみ、逃げかくれしようものなら後ろ指をさされましょう。古来のならわしに照らしあわせれば、けして早い初陣でもありません。なにとぞ」
そう言って、勝太郎は両親のまえで平伏した。
膂力のよわい勝太郎がいても足手まといになるだけだからと夫婦で反対したが、勝太郎はひき下がらなかった。むしろ内外の時勢をみごとに説きあかし、なぜ自分の出陣が必要であるのか順序だてて披露してみせた。
まちがいなく善左衛門ゆずりであろう。いつのまにか冴えた弁説をつかいこなすようになった息子の真剣なまなざしに、そろっておどろかされたものである。
そして夫婦はいくつかの条件をつけるかたちでついに承諾させられた。
父とそろいの軍装をした勝太郎が、声をひそめてしずかに笑い、白い八重歯をのぞかせた。
「――あと、勝治のことはおまかせください。夜になったらちゃんと帰しますから」
「すいません、お願いしますね」
勝治は十歳だ。もちろん戦なんて無理であるし、いまは跡つぎのいないあさ子の実家、原家の養子となっているのだから何かがあっては困る。
父や兄と一緒に出陣するといってきかなかったので、みかねた義母の菊子がせめて真似ごとだけでもと一計を案じた。夜になったら理由をつけて原家へ呼びもどす段どりにしてある。
いよいよ出達のときはきた。
「人参方、前へ」
善左衛門の号令と同時に、會の隊旗が先頭で高々とかかげられ、西洋式のかたい足なみを鳴らし隊列が整然とすすむ。
本一之丁の沿道にはたくさんの人が見おくりにでていた。隊士の家族や親族、長年つかえた使用人たちだ。
そこかしこから女の声で檄があがり、息子、夫、父に武運長久あれと叫ぶ。
むこうの桂林寺町通りには城へむかう白虎隊の列がうかがえ、旗指物つきの朱具足に十文字槍をかついだ老兵がほこらしげに闊歩していた。
馬上でまっすぐ伸びた善左衛門の背と、勇ましく歩む息子たちの背が、しだいに小さくなってゆく。
せめて天寧寺町口の郭門までついて行きたい衝動にかられたが、それはならない。
あさ子は、国子をはさんで菊子とかたく手を結び、やがて見えなくなるまで見おくった。
慶応四年八月二十三日、明け五ツ時(午前七時すぎ)ごろ。
数日まえからつづく霖雨の肌ざむい朝だった。
若松城の用人所にある火の見櫓の早鐘が、城下にけたたましく鳴りひびいた。
事前にあった通達では、早鐘は三度にわけて鳴ることになっている。
一番鐘は仕度せよ、二番鐘は出達せよ、三番鐘は入城せよを意味する。
つまりこの早鐘は仕度せよということだ。
河原家の屋敷は、城下西がわの本一之丁北、諏訪神社の入口ちかくにある。
まわりとくらべればこぢんまりとした敷地ではあるが、城下を東西につらぬく本一之丁は、家老職はじめ重き役まわりをなす歴々の家が屋敷をつらねる目抜き通りだ。
あさ子はいよいよきたかと思い、膝のうえで眠る国子をそっと揺りおこした。
「お国、起きて。お城へ入りますから仕度をするのですよ」
「はい……おはようございます、母さま」
二日まえからだ。大砲の音が遠雷のように城下まで届きはじめると、こわがって国子の寝つきが悪くなった。まだ八歳なのだから、仕方ないといえば仕方ない。
ふらふらと寝ぼけまなこで立ったのを、うしろに引きよせて着物と髪を整えてやる。
小さな身をつつむ白無垢と小袴は、あさ子とそろいの装束だ。
すべて皆と同じがよいというので髪までおろしてやった。それが大人の娘子が城へお出かけするときの装いだと勘違いをしたものか、いまやすっかりお気にいりでいる。
胸元に河原家の定紋である丸に松川菱紋と、袖口には河原善左衛門娘と書かれた袖標をぬいつけてある。
それが視界にはいり、ふと手がとまった。みずからの手で準備したものであるというのに、いまさらになりそら寒い心地をおぼえたのである。
かきけして心中に繰りかえす。
「全員の白無垢と籠城の準備はととのった。これならばいつどこで斃れようとも死に恥をさらさなくて済むというもの――」
否が応もなく、戦は始まったのだと思い知る。
ここ数日は急転直下だった。
八月二十日、石筵口方面から二、三千の敵兵が侵してきた。
そして八月二十二日の早朝、敵は要衝の母成峠をぬき、猪苗代まで迫っているとのしらせがあって城下が騒然とした。猪苗代といえば目と鼻のさきである。
さっそく家財をまとめ避難する町人も多くあったかたわら、郭内では籠城の準備がはじまり、米穀や味噌と塩、弾薬や薬種、身のまわり品などなど、数百人の人夫がながい列をつくり城へ運びいれた。
いっぽう軍務局から男子は武装のうえ三ノ丸へあつまるよう陣ぶれが発せられた。
とはいっても、正規の兵は四方の前線へほとんど出はらっており、いま城下にあるのは白虎隊と老人、娘子、負傷兵とわずかの守備兵、後方の兵站をになう者しかいなかった。
国産奉行として内外の事情をよく知る善左衛門の言いつけにより、最悪の場合も見越していた河原家が浮き足だつことはなかった。一家そろって賑やかな朝食をとったあと、小雨のなか御薬園の人参役場に詰める隊列を見おくった。
堂々たる出陣だった。
背丈のある善左衛門が黒毛馬の背にひらりとまたがれば、陣笠をのせた頭がひときわたかい位置まで昇る。それを家族親戚一同で見あげた。
善左衛門が城下で馬をのりまわす機会を目にしたことがなかったので、あさ子は夫の手綱さばきがなかなかのものであるとはじめて知った。
この七年。
京、江戸、長岡、米沢、仙台と、夫が東奔西走してきた道のりをおもえば、こみあげてくるさまざまな感情で胸が詰まった。
善左衛門は、黒のだん袋(ズボン)に黒羅紗の筒袖陣羽織をまとう。背には真紅の糸で刺繍した丸に松川菱紋があざやかにはえた。それはひと針ずつ願いをこめてあさ子が縫いあげたものであるが、なかなかの仕あがりになったと目をほそめた。
また陣笠にかくれているが髷の断髪を済ませてある。肩にかけた愛用の馬上スペンサー銃とあいまって、まるで西洋の軍人をみるようだった。
古来、戦装束は武家の華ともいう。まったくそのとおりだとあさ子は思う。
すると急に国子が、馬にのってみたいと言いだした。
ならぬとたしなめたが、善左衛門が今日は特別によいと言う。まえに乗せてやり、本一之丁の大通りをゆっくりと一周した。
馬の蹄が地をたたいて軽やかな音をたてるたび、きゃっきゃっと無邪気な笑い声があがる。
善左衛門の弟の河原岩次郎、長男の勝太郎と次男の勝治、三十人ほどの隊士が小銃と手槍をたてて列になっていたが、緊張でこわばっていた表情が自然とゆるんだ。
馬上から国子の身をあずけながら、善左衛門がしみいる声音であさ子に言った。
「では行ってくる。すまぬがあとのことをよろしく頼む」
「おまかせください」
「また会おう」
「はい」
「きっとだ」
「はい……きっと。ご武運を」
「うむ、まかせろ」
もっと気のきいたことを言えたらよかったのだが、それ以上が思いうかばなかった。
善左衛門はおだやかな微笑みをうかべると、黒毛の馬首を颯爽とめぐらせ、隊士の一人ひとりに装備をあらためるよう声をかけた。
つづいて父親の面ざしによく似てきた勝太郎が、かかとを合わせて背筋をのばし、晴れやかに宣言した。
「母上、いってまいります。きっと手柄をたててご覧にいれます」
「まぁ、それは楽しみ。ですがくれぐれも突出はなりませんよ。単騎ぬけがけなどもってのほか。戦は武芸の試合ともちがい一人では勝てませぬ。隊を乱さぬようまわりに目をくばるのです。だんなさまと人参方の皆様をよくおささえし、河原家の名に恥じぬ働きをするのです。それから陣中にあっても身だしなみはつねにととのえ――」
「心得ております。戦場においては突っ込むばかりでなく、押し引きこそ肝要、すなわち風林火山、ですね。それは何度も聞きました。私だってもう十五なのですから、子供あつかいはやめてください」
言われてあさ子は、はっと口に手をあてる。
そうでしたと苦笑いでとりつくろい、とくに乱れてもいない髪を整えてやるふりをして、いつのまにか自分の背丈をおいこした頭をそっとなでた。
でも、まだ十五歳なのだ。
白虎隊にも入隊できない年であるが、人参方の仕事を学びたいという本人たっての希望により善左衛門の隊にくわわった。日新館に通うおなじ年の学友が、生年をごまかして白虎隊へ入隊したのを聞きつけ、いてもたってもいられなくなったらしい。
「持ち場となる御薬園の敷地は広大。お守りしようにも戦経験のない文筆の吏からなる人参方では、兵らしき兵もなく人手が不足しているではありませんか。これは河原家の面目と忠義にかかわる問題です。もしも長子である私が命をおしみ、逃げかくれしようものなら後ろ指をさされましょう。古来のならわしに照らしあわせれば、けして早い初陣でもありません。なにとぞ」
そう言って、勝太郎は両親のまえで平伏した。
膂力のよわい勝太郎がいても足手まといになるだけだからと夫婦で反対したが、勝太郎はひき下がらなかった。むしろ内外の時勢をみごとに説きあかし、なぜ自分の出陣が必要であるのか順序だてて披露してみせた。
まちがいなく善左衛門ゆずりであろう。いつのまにか冴えた弁説をつかいこなすようになった息子の真剣なまなざしに、そろっておどろかされたものである。
そして夫婦はいくつかの条件をつけるかたちでついに承諾させられた。
父とそろいの軍装をした勝太郎が、声をひそめてしずかに笑い、白い八重歯をのぞかせた。
「――あと、勝治のことはおまかせください。夜になったらちゃんと帰しますから」
「すいません、お願いしますね」
勝治は十歳だ。もちろん戦なんて無理であるし、いまは跡つぎのいないあさ子の実家、原家の養子となっているのだから何かがあっては困る。
父や兄と一緒に出陣するといってきかなかったので、みかねた義母の菊子がせめて真似ごとだけでもと一計を案じた。夜になったら理由をつけて原家へ呼びもどす段どりにしてある。
いよいよ出達のときはきた。
「人参方、前へ」
善左衛門の号令と同時に、會の隊旗が先頭で高々とかかげられ、西洋式のかたい足なみを鳴らし隊列が整然とすすむ。
本一之丁の沿道にはたくさんの人が見おくりにでていた。隊士の家族や親族、長年つかえた使用人たちだ。
そこかしこから女の声で檄があがり、息子、夫、父に武運長久あれと叫ぶ。
むこうの桂林寺町通りには城へむかう白虎隊の列がうかがえ、旗指物つきの朱具足に十文字槍をかついだ老兵がほこらしげに闊歩していた。
馬上でまっすぐ伸びた善左衛門の背と、勇ましく歩む息子たちの背が、しだいに小さくなってゆく。
せめて天寧寺町口の郭門までついて行きたい衝動にかられたが、それはならない。
あさ子は、国子をはさんで菊子とかたく手を結び、やがて見えなくなるまで見おくった。
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