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第二章 蝶よ花よ
水戸の天狗②
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駆けて角をひとつ折れたとき、十間ほどむこうに我が目をうたがう瞬間を見た。
表どおりから小さく漏れた灯りを背にし、小太郎とおぼしき影が四人がかりで四方から串刺しにされ、どっと崩れたのである。
「小太郎……」
同行のもう一人は、すでに地に伏せてあった。
敵の影は六つある。
口々に手強かった、彦根の者もなかなかやるなどと言いながら、懐紙で刀の血をぬぐってバラ撒き、落とし差しの鞘に納めて現場から立ち去ろうとした。
びっこを引く者や、肩を支えあって行く影もいくつかある。小太郎に斬られたのだろう。
源右衛門は、全身の血がサァッと下から上にのぼって身がふるえるのを覚え、視界が急激に狭まった。
「待て貴様ら!」
いまさら問答など無用、奴らが下手人であることは明白だ。
スラリと刀を抜きはなち、その背を追う。
手傷を負った四人が先をあらそって逃げようとしたが、二人が振り返って居残った。
左の者がとびだしてきて居合いを抜いてきたが、源右衛門はとびこみながらかわし、いきおいのまま身をまわして首に斬りつけた。
捉えた、と思った瞬間、気配もなくせまった右の男が居合い抜きを円に迸らせた。その切っ先は、あわてて飛び退いた源右衛門の腹をかすめ、ヒュッと空を裂いて空転した。
斬りつけたはずの軌道はゆがみ、左の侍の頬をざっくりと裂いただけだった。
危うかった。回避が寸毫も遅れていたら、今ごろ臓物を地に垂れ流していただろう。
あらためて間合いを取り直そうとしたところ、こんどは左から袈裟斬りが落ちてきた。身をひらいてかわし、いなや右からきた斬り上げをのけぞって寸前によけた。
切っ先が鼻先をかすめてすぎてゆく。
一刀では仕留められないと判断した源右衛門は、脇差をぬきはなって二刀を車にまわし、右左、つぎは上下と、矢継ぎ早にせまる息のあった連携をさばき、かわし、くずしながら二人の手足を浅く斬り刻んだ。
それでも奴らは怯まずに攻めてくるのだから、斬りあいというものを心得ているのだろう。稽古場のようにきれいな一本はいらない。致命傷を避けながらとにかく立ちきり、刀を振りつづけなければならないのが命をかけた斬りあいである。
シャリーン、シャリーンと刀の擦れあう音が、冷たい余韻を孤に引いて通りの闇に霧散してゆく。
形勢はしだいに地力の差があらわれ、源右衛門が一歩二歩と押しこむようになった。
あせりを感じたのか、右の侍が強烈な体当たりと足搦めをしかけてきた。
ところが源右衛門の腰はピクリともせず、脛を小さく振るわせて逆に弾きかえすと、奴は身をくずしてよろけた。
そこに上から斬りつける。刀で受けとめられはしたが、肩の肉を斬った感触があった。奴はうしろにふっとんで、福井藩邸の白壁に背をうちつけた。
「おのれ!」
左からきた上段を二刀で円に絡めとり、腰が浮いた刹那、脇差で首の脈を断とうとしたところ、奴は情けなく刀を離しながら尻持ちをついて難を逃れた。
源右衛門が左右を睨みつけて問う。
「貴様ら、どこの下郎か」
誰何に応答はなかった。
二人の侍は肩で息をしながら立ち上がり、そろって八相の構えをとった。
源右衛門は腰を深くしずめ、それぞれに二刀の切っ先をさし向ける。
左の者が右頬から血を垂らしながら、歯をむきだしにした。
「奸臣伊井の下僕が、何を偉そうに言うか」
やはりこいつらは、こちらが会津の者だとわかっていない。彦根伊井家中の者と勘ちがいをしているらしい。小石川周辺のどこの家中からわいて来たのか察しはついたが、小太郎の仇を見すごせるはずもない。行きがかりの結果として斬り捨ててもかまわないと判断した。
暗がりに目をほそめ、あらためて近くから相手の構えと顔をあらためた。そして驚かされたのは、二人ともやたらと若く、どう見ても二十歳そこそこの若者であったことだ。にもかかわらず場慣れした太刀さばきをしていて、連携の呼吸もよくそろってある。
どちらも背丈は源右衛門のおなじくらいであるが、右の者はやや小太りで、左の者は細身だった。おなじ流儀をつかうようすでいて、剣先を斜めに寝せた独特な八相の構えを忠実になぞってある。
それぞれ手傷を負ったというのに心は折れていない。相当に鍛えられてあるのは明らかだ。殺気に満ちた、狼のような眼光で憎悪をあらわにしている。
うしろからヤーヤーと騒がしく声をはりあげて平内がやってきたが、
「来るな!」
と一喝して制した。もう一人いるとかえって計算が狂ってこまる。二対一は、二人で一人に集まってくるという点で予測をたてやすいものだ。
ほかの四人はすでに余力がなかったのだろう。ずっと遠巻きから見守っている。
おそらく次の攻防できまる。
奴らは八相の構えをとって息が整うころあいを待っているにちがいない。
双方微動もせず、およそ呼吸が十二ばかり、睨みあったまま機をうかがっていた。
が、突然割ってはいる声がして、向こうの闇のなかから姿をあらわした。
「待て、待てい。それまでだ」
身なりのよい侍が三人、家中勤めの臭いがする者たちだった。まだ抜刀をしてはいないが、二人が柄に手を置いて居合いの構えを低くとる。
一目してわかる。若い二人の侍とおなじ流儀をつかうのだろう。
つまり奴らは仲間で、通りの闇にひそみながら始終を監視していたのだ。
平内も文官とはいえ江戸の日新館で鍛えた会津の武家である。前にでて刀を構えたが、二対五とさらに四人。にわかに趨勢が厳しくなった。
奴らの頭目とおぼしき者が声をひそめて言った。
「しもむら、しちり、もうよい。退け。そろそろ福山藩邸から誰か出てくる」
チッっと舌打ちを鳴らしたあと、肩から血をたらした小太りの男が、さきに刀をおさめて一抜けをした。
だが青白い顔をした細身の男は、不満をあらわにして訴える。
「私は顔を斬られました。やられたままでは面白くありません」
「うるさい、さっさと退け。我らに迷惑をかけるつもりか」
「くッ……」
九人の侍たちはじりじりと足下の砂をひきずりながら油断なく下がり、やがて闇の向こうに溶けて行った。
追うかと平内が問うたが、源右衛門は首を横に振った。
すでに状況はかわった。どこの者たちかもおおよそ見当がついている。これ以上深追いをすれば衆目のある武家屋敷街の大通りにながれ、引くに引けない家中同士の騒動になるのは必至。しかもあちらは周辺に藩邸が二つもあり、小石川は本拠地のようなものだ。
それよりも小太郎である。
囲まれて脱出ができなくなるまえに駕籠をよびとめて運びだしてやるのが先決だ。
もどってあらためると同行の者はすでにこと切れていたが、小太郎は血を大量に流しながら、息をたえだえに漏らしていた。
身を抱え起こして呼びかける。
「おい、しっかりせよ小太郎。儂がわかるか、源右衛門だ」
小太郎は紫色になった唇を震わせながら、源右衛門の手をつよく握り、やっと声を振り絞った。
「宝蔵院流と、父のことを、どうか――」
「もちろんだ、なにも心配するな。これからも皆で一致団結し、身命を賭して会津宝蔵院流をつなぎ、武名をとこしえに轟かせると約束する。きっとだ!」
そう聞いて安心をしてしまったのか、小太郎はかすかに笑みをうかべ、ゆっくりと、
「ありがとう――」
と唇をうごかしたあと、源右衛門の腕のなかにあった身から魂の重みがフッと抜けた。
腹についてあった横三寸ほどの刀傷に気がついたのは、一里ほどはなれた芝の会津藩邸までもどり、平内に指摘されてからだった。
表どおりから小さく漏れた灯りを背にし、小太郎とおぼしき影が四人がかりで四方から串刺しにされ、どっと崩れたのである。
「小太郎……」
同行のもう一人は、すでに地に伏せてあった。
敵の影は六つある。
口々に手強かった、彦根の者もなかなかやるなどと言いながら、懐紙で刀の血をぬぐってバラ撒き、落とし差しの鞘に納めて現場から立ち去ろうとした。
びっこを引く者や、肩を支えあって行く影もいくつかある。小太郎に斬られたのだろう。
源右衛門は、全身の血がサァッと下から上にのぼって身がふるえるのを覚え、視界が急激に狭まった。
「待て貴様ら!」
いまさら問答など無用、奴らが下手人であることは明白だ。
スラリと刀を抜きはなち、その背を追う。
手傷を負った四人が先をあらそって逃げようとしたが、二人が振り返って居残った。
左の者がとびだしてきて居合いを抜いてきたが、源右衛門はとびこみながらかわし、いきおいのまま身をまわして首に斬りつけた。
捉えた、と思った瞬間、気配もなくせまった右の男が居合い抜きを円に迸らせた。その切っ先は、あわてて飛び退いた源右衛門の腹をかすめ、ヒュッと空を裂いて空転した。
斬りつけたはずの軌道はゆがみ、左の侍の頬をざっくりと裂いただけだった。
危うかった。回避が寸毫も遅れていたら、今ごろ臓物を地に垂れ流していただろう。
あらためて間合いを取り直そうとしたところ、こんどは左から袈裟斬りが落ちてきた。身をひらいてかわし、いなや右からきた斬り上げをのけぞって寸前によけた。
切っ先が鼻先をかすめてすぎてゆく。
一刀では仕留められないと判断した源右衛門は、脇差をぬきはなって二刀を車にまわし、右左、つぎは上下と、矢継ぎ早にせまる息のあった連携をさばき、かわし、くずしながら二人の手足を浅く斬り刻んだ。
それでも奴らは怯まずに攻めてくるのだから、斬りあいというものを心得ているのだろう。稽古場のようにきれいな一本はいらない。致命傷を避けながらとにかく立ちきり、刀を振りつづけなければならないのが命をかけた斬りあいである。
シャリーン、シャリーンと刀の擦れあう音が、冷たい余韻を孤に引いて通りの闇に霧散してゆく。
形勢はしだいに地力の差があらわれ、源右衛門が一歩二歩と押しこむようになった。
あせりを感じたのか、右の侍が強烈な体当たりと足搦めをしかけてきた。
ところが源右衛門の腰はピクリともせず、脛を小さく振るわせて逆に弾きかえすと、奴は身をくずしてよろけた。
そこに上から斬りつける。刀で受けとめられはしたが、肩の肉を斬った感触があった。奴はうしろにふっとんで、福井藩邸の白壁に背をうちつけた。
「おのれ!」
左からきた上段を二刀で円に絡めとり、腰が浮いた刹那、脇差で首の脈を断とうとしたところ、奴は情けなく刀を離しながら尻持ちをついて難を逃れた。
源右衛門が左右を睨みつけて問う。
「貴様ら、どこの下郎か」
誰何に応答はなかった。
二人の侍は肩で息をしながら立ち上がり、そろって八相の構えをとった。
源右衛門は腰を深くしずめ、それぞれに二刀の切っ先をさし向ける。
左の者が右頬から血を垂らしながら、歯をむきだしにした。
「奸臣伊井の下僕が、何を偉そうに言うか」
やはりこいつらは、こちらが会津の者だとわかっていない。彦根伊井家中の者と勘ちがいをしているらしい。小石川周辺のどこの家中からわいて来たのか察しはついたが、小太郎の仇を見すごせるはずもない。行きがかりの結果として斬り捨ててもかまわないと判断した。
暗がりに目をほそめ、あらためて近くから相手の構えと顔をあらためた。そして驚かされたのは、二人ともやたらと若く、どう見ても二十歳そこそこの若者であったことだ。にもかかわらず場慣れした太刀さばきをしていて、連携の呼吸もよくそろってある。
どちらも背丈は源右衛門のおなじくらいであるが、右の者はやや小太りで、左の者は細身だった。おなじ流儀をつかうようすでいて、剣先を斜めに寝せた独特な八相の構えを忠実になぞってある。
それぞれ手傷を負ったというのに心は折れていない。相当に鍛えられてあるのは明らかだ。殺気に満ちた、狼のような眼光で憎悪をあらわにしている。
うしろからヤーヤーと騒がしく声をはりあげて平内がやってきたが、
「来るな!」
と一喝して制した。もう一人いるとかえって計算が狂ってこまる。二対一は、二人で一人に集まってくるという点で予測をたてやすいものだ。
ほかの四人はすでに余力がなかったのだろう。ずっと遠巻きから見守っている。
おそらく次の攻防できまる。
奴らは八相の構えをとって息が整うころあいを待っているにちがいない。
双方微動もせず、およそ呼吸が十二ばかり、睨みあったまま機をうかがっていた。
が、突然割ってはいる声がして、向こうの闇のなかから姿をあらわした。
「待て、待てい。それまでだ」
身なりのよい侍が三人、家中勤めの臭いがする者たちだった。まだ抜刀をしてはいないが、二人が柄に手を置いて居合いの構えを低くとる。
一目してわかる。若い二人の侍とおなじ流儀をつかうのだろう。
つまり奴らは仲間で、通りの闇にひそみながら始終を監視していたのだ。
平内も文官とはいえ江戸の日新館で鍛えた会津の武家である。前にでて刀を構えたが、二対五とさらに四人。にわかに趨勢が厳しくなった。
奴らの頭目とおぼしき者が声をひそめて言った。
「しもむら、しちり、もうよい。退け。そろそろ福山藩邸から誰か出てくる」
チッっと舌打ちを鳴らしたあと、肩から血をたらした小太りの男が、さきに刀をおさめて一抜けをした。
だが青白い顔をした細身の男は、不満をあらわにして訴える。
「私は顔を斬られました。やられたままでは面白くありません」
「うるさい、さっさと退け。我らに迷惑をかけるつもりか」
「くッ……」
九人の侍たちはじりじりと足下の砂をひきずりながら油断なく下がり、やがて闇の向こうに溶けて行った。
追うかと平内が問うたが、源右衛門は首を横に振った。
すでに状況はかわった。どこの者たちかもおおよそ見当がついている。これ以上深追いをすれば衆目のある武家屋敷街の大通りにながれ、引くに引けない家中同士の騒動になるのは必至。しかもあちらは周辺に藩邸が二つもあり、小石川は本拠地のようなものだ。
それよりも小太郎である。
囲まれて脱出ができなくなるまえに駕籠をよびとめて運びだしてやるのが先決だ。
もどってあらためると同行の者はすでにこと切れていたが、小太郎は血を大量に流しながら、息をたえだえに漏らしていた。
身を抱え起こして呼びかける。
「おい、しっかりせよ小太郎。儂がわかるか、源右衛門だ」
小太郎は紫色になった唇を震わせながら、源右衛門の手をつよく握り、やっと声を振り絞った。
「宝蔵院流と、父のことを、どうか――」
「もちろんだ、なにも心配するな。これからも皆で一致団結し、身命を賭して会津宝蔵院流をつなぎ、武名をとこしえに轟かせると約束する。きっとだ!」
そう聞いて安心をしてしまったのか、小太郎はかすかに笑みをうかべ、ゆっくりと、
「ありがとう――」
と唇をうごかしたあと、源右衛門の腕のなかにあった身から魂の重みがフッと抜けた。
腹についてあった横三寸ほどの刀傷に気がついたのは、一里ほどはなれた芝の会津藩邸までもどり、平内に指摘されてからだった。
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