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第三章 夢よ現よ
なよ竹のかぐや姫②
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すっかり夏がきた。
肉厚の入道雲が青い背炙山のむこうにまぶしくせり上がり、蝉が競うように鳴く午前。
明け五ツ半(朝九時ごろ)にはじまった琴の稽古がやっと終わり、入れかわりに茶の湯の女師がくるのを待っていたときのことだ。
明けから暮れの日がながくなると当然に一時が延びてしまうので、暑さもあいまって稽古ごとがつらく感じられもする。
ほてった顔を手で扇ぎながらふと隣をみると、いつものごとく袖珍本を開いている千重子がいた。彼女はいつも空き時間に読むための本を、振袖のなかにしのばせてある。
「今日はなにをお読みですか」
よばれて夢からかえったように視線を浮かせ、声の主をさがすように千重子がこちらを見た。ゆっくりと気恥ずかしげそうに笑みをたたえ、華奢な肩をもちあげながら首をかしげさす仕草をした。
「竹取物語です」
「というと、それは……」
「はい、かぐや姫のお話ですよ。ずいぶん以前に涼斎先生からご紹介をいただいていらい、私はこのお話が大好きで。この袖珍本は写本してつくった手製なのです」
「まぁ、すごい」
開いて見せられた頁には、朱書きでびっしりと注釈やおぼえ書きが記されてある。
「もう何度読んだかことかしれません。じつは涼斎先生、竹取物語を長らくご研究なさっておいでなのですよ。私が存じあげるかぎり、第一人者と申しあげても過言ではないかもしれません」
「そうなのですか。与八さまはすごい方だったのですね」
「それはもう、君公が国史や和歌についてお尋ねあそばされるほどですから。まさしく生き字引ですね」
あさ子が知っている涼斎といえば、強くてやさしい宝蔵院流師範の顔だけだ。人はいろいろな顔をもっているものだと唸らされる。
またかぐや姫といえば、子供のころに祖母から語りきかせてもらった童のための昔話のはずだ。それを涼斎がわざわざ研究し、十六歳の千重子が夢中で読んでいるというのが妙だった。
不思議そうにしているあさ子の顔を見て、千重子がクスリと笑う。
「ほら、涼斎先生は国学と和歌にご造詣がふかくあられますでしょう」
「はい、そういえば」
「この竹取物語は、たんなる夢物語ではないのです。なんといいましょうか……そう、たくさんの教訓や意味深の風刺をこめた物語なのです」
「そう、だったのですか……」
ごくごくたのしげに、千重子はあさ子にもわかるよう丁寧に解説してくれた。
まず竹取物語は、言わずとしれた竹から生まれたかぐや姫の物語である。
彼女はわずか三ヶ月でみるみる美しく成長し、家を富ませ、育て親の翁と媼に恩がえしをする。その美貌はたいへんな評判となり、聞きつけた五人の貴公子たちが求婚にやってきた。
だがかぐや姫はまるでそっけない。
かわりに貴公子たちの志と人柄をためすため、それぞれにめずらしい宝物を探してくるよう頼んだ。すると貴公子たちは己の権力や財力にものをいわせ、そろって偽物をもってきたり、虚言と虚飾をならべたてたり、あるいはあきらめて行方知れずとなった。
さらにかぐや姫の評判は、帝の耳まではいることになる。
帝は翁に官位をちらつかせながら姫を見せるよう翁に命じ、欲に目がくらんだ翁はとうとう篭絡されてしまう。もしもかぐや姫が后となれば帝の義父になれるのだから、その誘惑には勝てなかった。
翁のみちびきで不意うちにその姿を盗み見た帝は、ひと目惚れして求婚をせまった。
が、かぐや姫はいっさいなびかない。
やがてかぐや姫は己の正体について月の者であると告白する。月から迎えの使者がくるので帰らなければならなくなったと打ち明けるのだが、帝は二千もの猛々しい軍兵で屋敷をかため帰らせまいとする。
しかし、不思議な飛車にのった月の使者が光につつまれ降りてくると、どうしたことか軍兵たちは戦意を喪失して身に力がはいらなくなり、一矢すら放てなかった。
ついにかぐや姫は、羽衣と不死の薬をのこして月へと帰ってゆく。かなしみに暮れた帝は不死の薬を一番高い山で焼かせた。それからその山は不死の山、富士山と呼ばれるようになった――というあらすじだ。
涼斎いわく、この物語は古代にあったできごとを基にした創作で、たいせつな意味が隠されてあるのではないかということだ。
かつて飛鳥の地に宮殿があったころ、乙巳の変と壬申の大乱がおこった。それに勝利した皇子は天智天皇となり、詔勅を発して大陸の唐を手本とした律と令による執政がはじまった。
功労者で側近の中臣鎌足は藤原氏の祖となり、その子孫たちが朝廷内で権勢をふるい繁栄してゆくようにもなる。
涼斎は丹念に調べるうち、ある仮説にたどりついた。
劇中にある五人の貴公子とは、いずれも藤原氏の実在した人物を揶揄したものだ。
帝とはやはり天皇のことであるし、二千の軍兵とは武家の起源となった錦旗に侍る皇軍のこと。
ではどうして月なのか。
いわずもがな天皇は大日をつかさどる天照大神の天孫であるが、天照大神には月読命《つくよみのみこと》というもの静かな弟あるいは妹がいた。したがい、かぐや姫は月読命の裔とも解釈できるし、夜中に遣わされた月の使者にたいし帝ひきいる軍兵の弓矢がおよばなかったのは、そのためだとも取れる。たとえ帝であろうとも、威光のおよばぬ領域があるということだ。
また使者は言う。
「いざかぐや姫、穢きところにいかでか久しくおはせん――」
こんな穢れた乱世に長居は無用、さっさと清らかで静かな月の世界に帰ろうということだ。
さりげなく置かれたこの一言の意味は重く、凄みがある。本来であれば帝のおわす世が穢れなきところであり、帝の威をもってしても教化できない、律令外の卑しき夷のいる地を穢きところとしてきたからだ。
おそらく名もしれぬ筆者は、天皇に諌言するつもりでしのばせたのかも知れない。嘘偽りばかりで志のない奸臣を側に侍らせ、官位をもって人をあやつり、武威があれば何でも屈服させられると錯覚していることに。
武器を用いるのも人の心。軍兵の戦意が無力化されてしまったのは、その心を治めることこそが大切であると示唆している。
つうじて物語のなかには光と風が象徴としてでてくるのだが、かぐや姫がまとう光はゆるがぬ清らかな心や真理をあらわし、風は人の行く手をはばむ逆境や苦難を表現していると解釈できる。
すなわち、人の志は風のなかであきらかになり、何人であろうとも侵せぬ人心の真理があるということを暗にしめしているのがこの物語だ。そして月は、穢き風がふきすさぶ人世のうつろいをずっとしずかに照らしている、見ているということなのだろう。
「――人は己と他者の心を尊び、風にたちむかう志をもたねばならない、またしかるべき立場にある者はその範たるべし、という教えがこの不思議な物語のなかにこめられてあるのだと私は思います。たとえその相手が、どんなに高い官位をもった公卿様であろうとも、天朝様であろうとも。決してたわまぬ、なよ竹のかぐや姫のように」
袖珍本を胸にのせ、興奮をおさえるように瞳をとじた千重子の横顔が、あさ子の目にはかぐや姫そのもののように凛と清らかに映った。
肉厚の入道雲が青い背炙山のむこうにまぶしくせり上がり、蝉が競うように鳴く午前。
明け五ツ半(朝九時ごろ)にはじまった琴の稽古がやっと終わり、入れかわりに茶の湯の女師がくるのを待っていたときのことだ。
明けから暮れの日がながくなると当然に一時が延びてしまうので、暑さもあいまって稽古ごとがつらく感じられもする。
ほてった顔を手で扇ぎながらふと隣をみると、いつものごとく袖珍本を開いている千重子がいた。彼女はいつも空き時間に読むための本を、振袖のなかにしのばせてある。
「今日はなにをお読みですか」
よばれて夢からかえったように視線を浮かせ、声の主をさがすように千重子がこちらを見た。ゆっくりと気恥ずかしげそうに笑みをたたえ、華奢な肩をもちあげながら首をかしげさす仕草をした。
「竹取物語です」
「というと、それは……」
「はい、かぐや姫のお話ですよ。ずいぶん以前に涼斎先生からご紹介をいただいていらい、私はこのお話が大好きで。この袖珍本は写本してつくった手製なのです」
「まぁ、すごい」
開いて見せられた頁には、朱書きでびっしりと注釈やおぼえ書きが記されてある。
「もう何度読んだかことかしれません。じつは涼斎先生、竹取物語を長らくご研究なさっておいでなのですよ。私が存じあげるかぎり、第一人者と申しあげても過言ではないかもしれません」
「そうなのですか。与八さまはすごい方だったのですね」
「それはもう、君公が国史や和歌についてお尋ねあそばされるほどですから。まさしく生き字引ですね」
あさ子が知っている涼斎といえば、強くてやさしい宝蔵院流師範の顔だけだ。人はいろいろな顔をもっているものだと唸らされる。
またかぐや姫といえば、子供のころに祖母から語りきかせてもらった童のための昔話のはずだ。それを涼斎がわざわざ研究し、十六歳の千重子が夢中で読んでいるというのが妙だった。
不思議そうにしているあさ子の顔を見て、千重子がクスリと笑う。
「ほら、涼斎先生は国学と和歌にご造詣がふかくあられますでしょう」
「はい、そういえば」
「この竹取物語は、たんなる夢物語ではないのです。なんといいましょうか……そう、たくさんの教訓や意味深の風刺をこめた物語なのです」
「そう、だったのですか……」
ごくごくたのしげに、千重子はあさ子にもわかるよう丁寧に解説してくれた。
まず竹取物語は、言わずとしれた竹から生まれたかぐや姫の物語である。
彼女はわずか三ヶ月でみるみる美しく成長し、家を富ませ、育て親の翁と媼に恩がえしをする。その美貌はたいへんな評判となり、聞きつけた五人の貴公子たちが求婚にやってきた。
だがかぐや姫はまるでそっけない。
かわりに貴公子たちの志と人柄をためすため、それぞれにめずらしい宝物を探してくるよう頼んだ。すると貴公子たちは己の権力や財力にものをいわせ、そろって偽物をもってきたり、虚言と虚飾をならべたてたり、あるいはあきらめて行方知れずとなった。
さらにかぐや姫の評判は、帝の耳まではいることになる。
帝は翁に官位をちらつかせながら姫を見せるよう翁に命じ、欲に目がくらんだ翁はとうとう篭絡されてしまう。もしもかぐや姫が后となれば帝の義父になれるのだから、その誘惑には勝てなかった。
翁のみちびきで不意うちにその姿を盗み見た帝は、ひと目惚れして求婚をせまった。
が、かぐや姫はいっさいなびかない。
やがてかぐや姫は己の正体について月の者であると告白する。月から迎えの使者がくるので帰らなければならなくなったと打ち明けるのだが、帝は二千もの猛々しい軍兵で屋敷をかため帰らせまいとする。
しかし、不思議な飛車にのった月の使者が光につつまれ降りてくると、どうしたことか軍兵たちは戦意を喪失して身に力がはいらなくなり、一矢すら放てなかった。
ついにかぐや姫は、羽衣と不死の薬をのこして月へと帰ってゆく。かなしみに暮れた帝は不死の薬を一番高い山で焼かせた。それからその山は不死の山、富士山と呼ばれるようになった――というあらすじだ。
涼斎いわく、この物語は古代にあったできごとを基にした創作で、たいせつな意味が隠されてあるのではないかということだ。
かつて飛鳥の地に宮殿があったころ、乙巳の変と壬申の大乱がおこった。それに勝利した皇子は天智天皇となり、詔勅を発して大陸の唐を手本とした律と令による執政がはじまった。
功労者で側近の中臣鎌足は藤原氏の祖となり、その子孫たちが朝廷内で権勢をふるい繁栄してゆくようにもなる。
涼斎は丹念に調べるうち、ある仮説にたどりついた。
劇中にある五人の貴公子とは、いずれも藤原氏の実在した人物を揶揄したものだ。
帝とはやはり天皇のことであるし、二千の軍兵とは武家の起源となった錦旗に侍る皇軍のこと。
ではどうして月なのか。
いわずもがな天皇は大日をつかさどる天照大神の天孫であるが、天照大神には月読命《つくよみのみこと》というもの静かな弟あるいは妹がいた。したがい、かぐや姫は月読命の裔とも解釈できるし、夜中に遣わされた月の使者にたいし帝ひきいる軍兵の弓矢がおよばなかったのは、そのためだとも取れる。たとえ帝であろうとも、威光のおよばぬ領域があるということだ。
また使者は言う。
「いざかぐや姫、穢きところにいかでか久しくおはせん――」
こんな穢れた乱世に長居は無用、さっさと清らかで静かな月の世界に帰ろうということだ。
さりげなく置かれたこの一言の意味は重く、凄みがある。本来であれば帝のおわす世が穢れなきところであり、帝の威をもってしても教化できない、律令外の卑しき夷のいる地を穢きところとしてきたからだ。
おそらく名もしれぬ筆者は、天皇に諌言するつもりでしのばせたのかも知れない。嘘偽りばかりで志のない奸臣を側に侍らせ、官位をもって人をあやつり、武威があれば何でも屈服させられると錯覚していることに。
武器を用いるのも人の心。軍兵の戦意が無力化されてしまったのは、その心を治めることこそが大切であると示唆している。
つうじて物語のなかには光と風が象徴としてでてくるのだが、かぐや姫がまとう光はゆるがぬ清らかな心や真理をあらわし、風は人の行く手をはばむ逆境や苦難を表現していると解釈できる。
すなわち、人の志は風のなかであきらかになり、何人であろうとも侵せぬ人心の真理があるということを暗にしめしているのがこの物語だ。そして月は、穢き風がふきすさぶ人世のうつろいをずっとしずかに照らしている、見ているということなのだろう。
「――人は己と他者の心を尊び、風にたちむかう志をもたねばならない、またしかるべき立場にある者はその範たるべし、という教えがこの不思議な物語のなかにこめられてあるのだと私は思います。たとえその相手が、どんなに高い官位をもった公卿様であろうとも、天朝様であろうとも。決してたわまぬ、なよ竹のかぐや姫のように」
袖珍本を胸にのせ、興奮をおさえるように瞳をとじた千重子の横顔が、あさ子の目にはかぐや姫そのもののように凛と清らかに映った。
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