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*18*我慢の時
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その日の帰り、電話をして会う約束を取りつけるまでもなく、僕は白澤に会った。いつもの場所で海を眺めている。会えて嬉しいけれど、何故かその背中に心がざわついた。
それは、あの土砂降りの日、雨に打たれていた背中と同じに見えたから。
そんなのは気のせいだと、僕は首を振って不安を飛ばした。
夏が終わって、少しずつ日が暮れるのが早まる。油断しているとすぐに辺りは真っ暗になってしまうから、あんまり時間はかけられない。
「白澤」
道路の方から声をかけて白澤のそばへと急いだ。白澤はゆっくりと振り返る。どこかぼんやりとした表情だった。
僕はそんな白澤に向かって言った。
「あのさ、海って危ないからな。波が高い日は道路まで海水がかかるくらいなんだ。季節によってはここも危ないから気をつけろよ」
台風にはまだ少し早いけど、海が荒れる日はある。今日もどちらかというと波が高い。
地元の人なら海との付き合いも長くて、なんとなく危険を肌で感じるけど、白澤はそうじゃない。海の怖さなんて何も知らないから。
「うん」
返事はするけど、本気でわかっているのかどうかは怪しい。やっぱり、ちょっとぼうっとしている。
それでも、ここにいるのは僕に何か話があるからなんだろう。
何か切り出しにくいことなのかもしれない。きっぱりとした性格の白澤が言い出さないのは珍しい。
だから僕の方が自然と水を向ける。
「どうしたの?」
カバンを後ろに置き、僕はユニフォームの汗臭さを気にしながら白澤の隣に座った。そうしたら、白澤はさらに強く膝を抱えた。その仕草に僕はいつも以上に壁を感じた。
そんな中、白澤は海を見ながらぽつりとつぶやく。
「……ねえ、あたしがクラスに馴染もうとしない理由、聞きたい?」
「そりゃあ、話してくれるなら聞きたい」
それはものすごく聞きたいことだった。ずっと知りたいと思っていた。
でも、白澤が話してくれるふうじゃないから、あえて訊かなかった。
それを話してくれる。そのことに僕は期待した。話してくれる気になったのなら、それは僕を信頼してくれてのことなんだって。
白澤は僕の方に顔を向けないまま、いつになく力の抜けた声で続けた。
「だって、たった二年だもん」
「え?」
「ここにいるのはたった二年間。あたし、東京の大学を目指すから。寮でも一人暮らしでもいいから東京に戻るの。だから、ここでの二年はあたしにとって我慢の時」
我慢――?
都を忘れられず、都に焦がれて過ごす日々。
佐渡の地の順徳天皇のような。
だからね、と白澤はやっと僕に首を向けた。でも、その目は僕に挑みかかるように鋭かった。
僕が驚いて言葉をなくすと、白澤はそこから畳みかけるように言った。
「だから、あたしはここに親しい人間なんて作る気がなかったの。いつでも捨てられるものしかここにはなくていいって。だからあたし、名塚のこともそういうふうにしか見てなかった。どうせ東京に戻るんだから、戻ったら会わなくなるんだから、そんなに深入りしないでおこうって」
ここでの友達なんて要らない。白澤はそう割りきっていたっていうのか。
僕にだけ親しみを向けてくれているように思えたのは、たった一人なら切り捨てるのも簡単だから。
白澤の言葉が頭の中でわんわんと響く。
なんだろう、この状況。波の音も烏の声も遠のいていく。
それでも、白澤の抑えた声が僕を現実に繋ぎ止めていた。
「あたしってそういうところがあるの。高校を卒業したらおしまい。名塚とこうして会ってたのも、東京に戻ったらきっと思い出さない。そういうの、嫌? 嫌ならあんまりあたしに付き合わなくていいから。名塚は地元の付き合いを優先してよ」
息継ぎさえもしたのかわからないような早口で、白澤は言いきった。それはとても一方的で、僕が言葉を挟める余地はなかった。
頭がぐらぐらする。
二年経ったら、さようなら。
だから、親しい人は要らない。
僕はその二年間の間に合わせにしかなれないって、白澤は言うのか。
好きだって自覚した途端にこれは皮肉にもほどがある。
それとも、僕が白澤に対して特別な感情を抱いて、それに浮かれているのが本人に伝わってしまったのかな。だから急にこうして突き放される。
そうだとしたらすごく滑稽で恥ずかしい。
これはかなりショックで、僕は固まってしまっていた。そんな僕を、一度顔を背けた白澤が直視することはなかった。
勢いよく立ち上がると、カバンを抱えて道路へ続く階段に向けて駆け出した。僕はそれをただ見送ることしかできなかった。
でも、白澤が階段を上りきって道沿いに走る横顔を、僕は見ることができた。
カバンを片手で抱え、もう一方の手は顔をこすっていた。あれは――泣いていたんじゃないだろうか。それとも、そうであってほしいと僕が思ったから、そんなふうに見えただけなんだろうか。
たった二年と白澤は言うけれど、その時間は一人で過ごすには長すぎる。毎日、ただ早く通りすぎることだけを願って過ごすのは悲しすぎる。
――寂しかったはずなんだ。
そうじゃなかったら、僕とも徹底して関わりを持たなかったと思う。
寂しくて、弱って、ほんの少しだけなら――そう思っていたんじゃないだろうか。そんなに親しくなるつもりはなくて、でも僕はそんな白澤に無遠慮に近づいた。白澤は僕とどう距離を取るべきか迷いながら、そうして答えが出ないまま毎日を過ごしたのかな。
白澤は僕の気持ちを知ったらどうする?
思いきって僕を完全に突き放すかな。
それは白澤にしかわからない答えだから、僕はこの気持ちを伝えるか押し込めるかを決めなくちゃいけない。
今日、一晩はしっかりと考えよう。
絶対に後悔のないように……
それは、あの土砂降りの日、雨に打たれていた背中と同じに見えたから。
そんなのは気のせいだと、僕は首を振って不安を飛ばした。
夏が終わって、少しずつ日が暮れるのが早まる。油断しているとすぐに辺りは真っ暗になってしまうから、あんまり時間はかけられない。
「白澤」
道路の方から声をかけて白澤のそばへと急いだ。白澤はゆっくりと振り返る。どこかぼんやりとした表情だった。
僕はそんな白澤に向かって言った。
「あのさ、海って危ないからな。波が高い日は道路まで海水がかかるくらいなんだ。季節によってはここも危ないから気をつけろよ」
台風にはまだ少し早いけど、海が荒れる日はある。今日もどちらかというと波が高い。
地元の人なら海との付き合いも長くて、なんとなく危険を肌で感じるけど、白澤はそうじゃない。海の怖さなんて何も知らないから。
「うん」
返事はするけど、本気でわかっているのかどうかは怪しい。やっぱり、ちょっとぼうっとしている。
それでも、ここにいるのは僕に何か話があるからなんだろう。
何か切り出しにくいことなのかもしれない。きっぱりとした性格の白澤が言い出さないのは珍しい。
だから僕の方が自然と水を向ける。
「どうしたの?」
カバンを後ろに置き、僕はユニフォームの汗臭さを気にしながら白澤の隣に座った。そうしたら、白澤はさらに強く膝を抱えた。その仕草に僕はいつも以上に壁を感じた。
そんな中、白澤は海を見ながらぽつりとつぶやく。
「……ねえ、あたしがクラスに馴染もうとしない理由、聞きたい?」
「そりゃあ、話してくれるなら聞きたい」
それはものすごく聞きたいことだった。ずっと知りたいと思っていた。
でも、白澤が話してくれるふうじゃないから、あえて訊かなかった。
それを話してくれる。そのことに僕は期待した。話してくれる気になったのなら、それは僕を信頼してくれてのことなんだって。
白澤は僕の方に顔を向けないまま、いつになく力の抜けた声で続けた。
「だって、たった二年だもん」
「え?」
「ここにいるのはたった二年間。あたし、東京の大学を目指すから。寮でも一人暮らしでもいいから東京に戻るの。だから、ここでの二年はあたしにとって我慢の時」
我慢――?
都を忘れられず、都に焦がれて過ごす日々。
佐渡の地の順徳天皇のような。
だからね、と白澤はやっと僕に首を向けた。でも、その目は僕に挑みかかるように鋭かった。
僕が驚いて言葉をなくすと、白澤はそこから畳みかけるように言った。
「だから、あたしはここに親しい人間なんて作る気がなかったの。いつでも捨てられるものしかここにはなくていいって。だからあたし、名塚のこともそういうふうにしか見てなかった。どうせ東京に戻るんだから、戻ったら会わなくなるんだから、そんなに深入りしないでおこうって」
ここでの友達なんて要らない。白澤はそう割りきっていたっていうのか。
僕にだけ親しみを向けてくれているように思えたのは、たった一人なら切り捨てるのも簡単だから。
白澤の言葉が頭の中でわんわんと響く。
なんだろう、この状況。波の音も烏の声も遠のいていく。
それでも、白澤の抑えた声が僕を現実に繋ぎ止めていた。
「あたしってそういうところがあるの。高校を卒業したらおしまい。名塚とこうして会ってたのも、東京に戻ったらきっと思い出さない。そういうの、嫌? 嫌ならあんまりあたしに付き合わなくていいから。名塚は地元の付き合いを優先してよ」
息継ぎさえもしたのかわからないような早口で、白澤は言いきった。それはとても一方的で、僕が言葉を挟める余地はなかった。
頭がぐらぐらする。
二年経ったら、さようなら。
だから、親しい人は要らない。
僕はその二年間の間に合わせにしかなれないって、白澤は言うのか。
好きだって自覚した途端にこれは皮肉にもほどがある。
それとも、僕が白澤に対して特別な感情を抱いて、それに浮かれているのが本人に伝わってしまったのかな。だから急にこうして突き放される。
そうだとしたらすごく滑稽で恥ずかしい。
これはかなりショックで、僕は固まってしまっていた。そんな僕を、一度顔を背けた白澤が直視することはなかった。
勢いよく立ち上がると、カバンを抱えて道路へ続く階段に向けて駆け出した。僕はそれをただ見送ることしかできなかった。
でも、白澤が階段を上りきって道沿いに走る横顔を、僕は見ることができた。
カバンを片手で抱え、もう一方の手は顔をこすっていた。あれは――泣いていたんじゃないだろうか。それとも、そうであってほしいと僕が思ったから、そんなふうに見えただけなんだろうか。
たった二年と白澤は言うけれど、その時間は一人で過ごすには長すぎる。毎日、ただ早く通りすぎることだけを願って過ごすのは悲しすぎる。
――寂しかったはずなんだ。
そうじゃなかったら、僕とも徹底して関わりを持たなかったと思う。
寂しくて、弱って、ほんの少しだけなら――そう思っていたんじゃないだろうか。そんなに親しくなるつもりはなくて、でも僕はそんな白澤に無遠慮に近づいた。白澤は僕とどう距離を取るべきか迷いながら、そうして答えが出ないまま毎日を過ごしたのかな。
白澤は僕の気持ちを知ったらどうする?
思いきって僕を完全に突き放すかな。
それは白澤にしかわからない答えだから、僕はこの気持ちを伝えるか押し込めるかを決めなくちゃいけない。
今日、一晩はしっかりと考えよう。
絶対に後悔のないように……
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