海怪

五十鈴りく

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海怪

海怪 ―壱―

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 天保九年。花のお江戸、両国にて――

 両国といえばまず、春秋二度の本場所、相撲興行が行われる本所回向院ほんじょえこういんがある。六月からは信濃善光寺、阿弥陀如来あみだにょらい開帳も始まり、両国橋のきわは相も変わらず騒がしい。
 吹けば飛ぶようなこも掛けのチャチな見世物小屋が立ち並ぶ辺りには、道の土さえも見えぬほどの人で溢れ返っていた。

 春になって急にパッと咲いた花に似た、新興の都である江戸。その地に住まう江戸っ子たちはノリがよく、話題に乗り遅れるような野暮は我慢ならぬ。
 よって、どれほど混雑しようとも、どうしてもそこへ行かねばならぬと誰しもが思うのだ。

 今、巷で噂のあの獣を一目見て、井戸端や酒席の話のネタにしたいのである。
 見世物小屋は見世物の絵を入れた大看板やのぼりを掲げ、詠うような誘い文句で客を集める。

「さあさ、寄ってらっしゃい寄ってらっしゃい。世にも稀な海のばけもの。遠路はるばるやってきた海のばけもの、お江戸で見られるのはこの寅蔵座だけでございッ。さあさ、御覧じろ、御覧じろ」

 口上呼びの声も軽やかに通る。連日満員御礼。大盛況の見世物小屋だという誇らしさが口上の声に滲んでいた。その謳い文句に誘われ、見物客が飴に群がる蟻のように寄ってくるのだ。

「ああ、ここだよ、ここ。ここに珍しい生き物がいるってぇ評判だ」
「でも海から来たんだろ。海のばけものはやっぱり磯臭いんだろうねぇ」
「なんだぁ、ここまで来て莫迦ばかなこと言うんじゃねぇよ」
「あいあい」

 行列の中、若夫婦が他愛ない喋りをしていたかと思えば、子供たちは待ちきれずに足踏みをしたり飛び跳ねたりしている。
 そんな様子を物陰から覗いた甚吉はクスリと笑った。
 見世物小屋で下働きをしているこの小僧、甚吉じんきちは年明けて齢十四となった。

 物心ついた頃、すでに親はなく、見世物一座に拾われて雑用をこなしながら自分の口を養っていた。ただ、見世物小屋で働くにしては芸がちっとも身につかなかった。生来、不器用なたちであったのだ。
 色は白く、肌の肌理細やかさはあれど、目は大きく丸く、機微の読める聡さもなく、色を売るには向かぬと陰間茶屋に売られることがなかったのは幸いである。

 よって、見世物小屋の仕事が割り振られた。
 例えば、雨戸の板に血のりをかけたりといったことをする。
 これで大鼬オオイタチ(大板、血)――なんてのでも、笑いが取れれば客は案外怒らない。見世物は所詮そんなものである。

 甚吉なりに毎日を忙しく過ごして今に至るのだ。気が利かぬも生真面目であり、与えられた仕事は愚図だと謗られようと最後までこなす。途中で投げ出さぬことだけを肝に銘じ、ただひたすらに生きるのみである。

 そんな小僧であるのだから、手持ちの銭などたかが知れており、自分の楽しみのために使うことはほぼなかった。残飯であろうと飢えぬ程度に飯が食えれば甚吉はそれでよかったのだ。幸いなことに己の舌は贅沢に慣れておらぬと甚吉自身がよくわかっている。

 どこにでもいる小僧だった。
 まめに手入れすることもなく伸びきった髪や継のある着物がみすぼらしくはあるけれど、誰に恥じることもなく生きている。
 そして、ここ最近の甚吉の仕事は、見世物小屋の稼ぎ頭とも言えるある生き物の世話だった。

 鼠色に斑点模様、ころんころんの丸い筒のような体はいつもぬらりと艶めき、手も船を漕ぐべらのように平たい。坊主みたいに丸い頭は薄茶色で、口元には猫のような髭が生えている。
 けれど、そのまなこは黒々と赤ん坊ほどに澄んでいて愛くるしい。あの眼に見つめられてしまうと、誰もがあの生き物の虜になるのだ。

 水の中を器用に泳ぎ、魚を好んで食べる海の生き物。ちゃんとした名前があるのかもしれないけれど、知っている人はいない。だから通り名は『海怪うみのばけもの』。
 ばけものなんて可哀想な呼び名ではあるけれど、その生き物はお構いなしに見物客に愛嬌を振り撒く。甚吉はこの生き物に『マル公』と名づけた。自分が世話をする、言わば相棒だ。ばけものと呼びかけるのは忍びないのだ。

 甚吉は毎朝魚河岸うおがしまで魚を買いつけに行く棒手振ぼてふりの男たちから魚を仕入れる。一日で千両もの金が動くとされる魚河岸だ。そこで働く男たちは大抵気が荒い。甚吉はへこへこしながら魚を受け取るのである。

 それが済むと、今度は掃除だ。こも掛け掘立小屋。掘り抜いて板張りをしたところに水を張った生けがマル公の居場所だ。その手前には、見物客が水の中に落ちぬように一本の棒が柵代わりに渡してある。ここの掃除も甚吉の仕事だ。
 その棒を外すと、水を張った大盥おおだらいにマル公を移す。もちろん、甚吉に四尺もあろうかというマル公を抱えることはできない。マル公は人語を解する、それは賢い生き物なのだ。

「マル公、たらいに入りな」

 手を打ってそう言えば、マル公は泳ぎを緩め、スイっと甚吉の方にやってきてその平たい両手を甚吉のいる板敷の上に乗せた。

「ヲゥ」

 なんとも不思議な声で鳴く。水飛沫を上げ、マル公は愛くるしい体を板敷に乗せきると、つるりと滑るようにして盥の中に収まった。またしても大きな水音がして、マル公は盥に汲み溜めた水をまき散らかしながらも盥に入っている。マル公には狭すぎる盥であるけれど、少しの間だけ辛抱してほしい。甚吉はその水飛沫を浴びつつ苦笑する。

 さて、ここからが大仕事だ。
 まず、生け簀の中の汚れた水を桶で何度も溝に捨てるという作業を繰り返す。毎日掃除するというわけにも行かず、三日に一度といったところなのだ。だから水は少し――割と臭う。けれどこれもマル公のためだとがんばるのだ。

 水をぎりぎりまで減らすと、後は生け簀の壁にある小さな板を外し、僅かな残りの汚水を流す。そうして、水垢を丁寧に荒縄でこすり落とし、井戸水を汲んできて流す。綺麗になったら、一座の男衆が汲んでおいてくれた海の水を満たすのだ。江戸の上水も捨てたものではないと思ってくれたらいいのだけれど、マル公は海の水以外には小半時(30分)も浸かっていてくれない。
 せっせと汲み足し、半分ほど海水が溜まった頃、マル公は呼ぶまでもなく生け簀に戻った。

「ヲゥ」

 マル公は満足げに鳴いた。今日もありがとう、と言ってくれている、甚吉にはそんな気がするのだった。朝が早くとも、水が重くとも、甚吉はマル公のために働くことが億劫だとは思わない。楽しく、満ち足りた毎日だ。

「ヲゥウ」

 水を足し続ける甚吉のそばでマル公がもう一度鳴いた。黒い眼が見つめてくる。甚吉はくすりと笑った。
 マル公が甚吉の言葉を解するように、甚吉もまたマル公が何を言わんとするのかがわかるような気がするのだ。

「悪いな、餌はもうちょいと我慢してくんな」

 マル公に餌をあげるのは見物客だ。見料を払って見世にやってきた客が手ずから餌をやり、マル公がそれを食べる。客はよく慣れたマル公に大喜びなのだ。
 だから、見世を開けるまで餌はあげられない。
 海水をたっぷりと満たした頃、甚吉は朝のうちからどっと疲れる。けれど、これが甚吉の役目なのだ。

 こうして今日も甚吉の何気ない日々が始まる。日差しが燦々と煌めく夏の日だ。
 甚吉が大きく伸びをする様子を、生け簀の中のマル公が小首をかしげて見上げている。その仕草がまるで人のようで甚吉は小さく笑った。

「おい、甚、飯だぞ」

 葦簀よしずの陰からそう呼びに来てくれたのは、一座の長八ちょうはちである。年は二十歳。甚吉の兄貴分である。甚吉だけ特に目をかけてくれるというわけではなく、下の者にも分け隔てない。特別の色男というでもないが、長八の口上こうじょうは絶妙である。あの伸びのある声はなかなかに得難い。

「へい。今行きやす」

 すかさず返事を返し、それから甚吉はマル公に向けて柔らかく目を細めて語りかける。

「じゃあな、すぐ戻らぁ」

 マル公と接するのは何も甚吉ばかりではないけれど、マル公は甚吉に一番懐いてくれていると自分でも思うのだ。
 一座の頭、寅蔵を店の裏の掘立小屋の上座に、皆が僅かばかりだが炊き立ての飯を頂く。

 寅蔵は一見して四十路の強面こわもて。若かりし頃、見せ物にするつもりだった熊にやられたとかで額から右目の上、眉が半分削れている古傷がある。明らかなやくざ者の風体だ。その傷を負わせた熊を返り討ちにしたとかで、ついた二つ名が『熊殺しの寅』である。
 けれど、甚吉を拾ってくれたのはこの頭であり、情け深い面も持ち合わせている。厳しくはあるものの、甚吉は恩義しか感じたことはない。

 寅蔵が朝餉に箸をつけ、汁をすすり出すと、続いて長八たち甚吉の兄貴分が食い始め、それを見計らって甚吉も食べ始める。箸をつけるのが遅くとも、食べ終わるのが遅くなってはいけない。味わう間もなく一汁一菜の朝餉を掻っ込むのだ。この寅蔵座、十三人もの所帯なのである。そのうち女子おなごは三人。元女義太夫で今は飯炊きの姥桜うばざくらてる。こちらは婀娜あだな姐様方、指人形を操る傀儡子くぐつし奈津なつ、三味線弾きのたえ

 甚吉よりも幼い坊主もいる。そうした子供には甚吉も何かと世話を焼くのだが、人の心配よりも自分の事をしろと長八にチクリと言われるのである。
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