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1◆猫又手前のトラさん
◆1
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春のくせに夏かと思うような暑い日が続く中、求猫募集を聞きつけて僕のもとへやってきたのは、タビーの老猫だった。俗にヨモギとかキジトラとかいうやつだね。
雑種と言えばそうなんだけど、日本猫らしくていい。
でもさぁ――
「君、猫又一歩手前なんじゃないの?」
思わずそう言ってしまったのは、僕が借りているオンボロアパートのドアノブに飛びついて開けた後、中に入って器用に戸の角に爪を引っかけて戸を閉めたからだ。開けた戸を閉めたら猫又の始まりだ。
けれど、そんなことを言った僕に、タビーの老猫はにゃあと怒った。まだそんな年じゃないとのこと。
「それは失礼。ええと、お嬢さんのお名前は?」
にゃあ。
「トラさん、と。それはまた古風なお名前で……」
そう言ったら睨まれた。
毛並みはパサついて年を感じさせるんだけど、目だけは夜空に浮かぶ月がふたつあるかのように煌めいている。やっぱり、そんじょそこらの若猫には出せない迫力だ。猫又一歩手前のトラさんは言った。
ここへ行けば三食昼寝つきだというのは本当かと。
「まあね。でも、ただでって言うんじゃないよ。猫カフェのスタッフとして働いてもらいたいんだ」
トラさんは途端に鼻面に皺を寄せた。老齢――いやいや、古風なトラさんは猫カフェなるものを知らないのだそうだ。詳しく説明しろと言う。
「うん。猫が好きなお客さんが遊びに来るんだ。僕がお茶を出すから、猫スタッフはお客さんに愛想を振り撒いてほしいんだ。撫でたり抱っこしたりしたがるお客さんもいる。そういうの、大丈夫かな?」
すると、トラさんはここへ来て一番の力ない声を出した。
ヒトに撫でまわされるのは少し苦手だとのこと。
僕だって、自分の何倍もある巨人に撫でまわされたら逃げたくなるからね。気持ちがわからないわけじゃない。
「トラさんはずっと野良猫をしていたのかい?」
突然面接が始まってしまって、僕はトラさんに座布団も勧めていなかった。自分の気の利かなさを反省しつつ、僕は自分の尻であたためていた座布団を差し出した。トラさんはちょっと潰れた唐草模様の座布団の匂いをフンフンと嗅いだ。
え? 臭いとか言わないでくれる? まあ、最近干してないけど。
それでも、トラさんは我慢してくれるそうだ。座布団に載り、体を横たえながら答える。
トラさんは飼い猫だったらしい。
「だったってことは、今は違うんだね? 飼い猫はスタッフにできないよ。飼い主が探すからね」
ふと、トラさんはヒゲを立てて上を向いた。それはわざと僕の方を見ないようにしているんじゃないかなと思える仕草だった。
トラさんは天井に向けてにゃあ、と鳴いた。
「……そうだったのか。それは大変だったね」
飼い主はいなくなったのだそうだ。いや、トラさんは飼い主とは言わない。同居人だと言う。
猫は犬のようにヒトを主人だとは思わない。トラさんがそう言うのは当然なのかもしれなかった。
「ねえ、嫌じゃなかったら聞かせてくれないかな? その、トラさんがヒトと一緒に住んでいた時のこと。これから一緒に仕事をするのなら、トラさんのことをよく知っておかないといけないから」
トラさんは耳をピンッと横に動かした。僕の言ったことが不愉快だったのかなと思ったけれど、そういうわけじゃなかったらしい。
トラさんは、僕に水を求めた。長い話になるから、喉が渇くとのこと。
僕は冷蔵庫でよく冷えたミネラルウォーターじゃなく、ぬるめの水道水を茶碗に入れて差し出した。トラさんはそれをピチャピチャと音を立てながら三分の一ほど飲み、今度は肉球を舐め、毛づくろいを始めた。
……なんて焦らし技だろうか。
僕はやきもきしながらトラさんの毛づくろいが終わるのを待った。
トラさんはそんな僕を横目で見ると、毛づくろいをやめて長い尻尾を座布団に叩きつけた。それが話し始めの合図だった。
トラさんはにゃあ、と語り出す。
雑種と言えばそうなんだけど、日本猫らしくていい。
でもさぁ――
「君、猫又一歩手前なんじゃないの?」
思わずそう言ってしまったのは、僕が借りているオンボロアパートのドアノブに飛びついて開けた後、中に入って器用に戸の角に爪を引っかけて戸を閉めたからだ。開けた戸を閉めたら猫又の始まりだ。
けれど、そんなことを言った僕に、タビーの老猫はにゃあと怒った。まだそんな年じゃないとのこと。
「それは失礼。ええと、お嬢さんのお名前は?」
にゃあ。
「トラさん、と。それはまた古風なお名前で……」
そう言ったら睨まれた。
毛並みはパサついて年を感じさせるんだけど、目だけは夜空に浮かぶ月がふたつあるかのように煌めいている。やっぱり、そんじょそこらの若猫には出せない迫力だ。猫又一歩手前のトラさんは言った。
ここへ行けば三食昼寝つきだというのは本当かと。
「まあね。でも、ただでって言うんじゃないよ。猫カフェのスタッフとして働いてもらいたいんだ」
トラさんは途端に鼻面に皺を寄せた。老齢――いやいや、古風なトラさんは猫カフェなるものを知らないのだそうだ。詳しく説明しろと言う。
「うん。猫が好きなお客さんが遊びに来るんだ。僕がお茶を出すから、猫スタッフはお客さんに愛想を振り撒いてほしいんだ。撫でたり抱っこしたりしたがるお客さんもいる。そういうの、大丈夫かな?」
すると、トラさんはここへ来て一番の力ない声を出した。
ヒトに撫でまわされるのは少し苦手だとのこと。
僕だって、自分の何倍もある巨人に撫でまわされたら逃げたくなるからね。気持ちがわからないわけじゃない。
「トラさんはずっと野良猫をしていたのかい?」
突然面接が始まってしまって、僕はトラさんに座布団も勧めていなかった。自分の気の利かなさを反省しつつ、僕は自分の尻であたためていた座布団を差し出した。トラさんはちょっと潰れた唐草模様の座布団の匂いをフンフンと嗅いだ。
え? 臭いとか言わないでくれる? まあ、最近干してないけど。
それでも、トラさんは我慢してくれるそうだ。座布団に載り、体を横たえながら答える。
トラさんは飼い猫だったらしい。
「だったってことは、今は違うんだね? 飼い猫はスタッフにできないよ。飼い主が探すからね」
ふと、トラさんはヒゲを立てて上を向いた。それはわざと僕の方を見ないようにしているんじゃないかなと思える仕草だった。
トラさんは天井に向けてにゃあ、と鳴いた。
「……そうだったのか。それは大変だったね」
飼い主はいなくなったのだそうだ。いや、トラさんは飼い主とは言わない。同居人だと言う。
猫は犬のようにヒトを主人だとは思わない。トラさんがそう言うのは当然なのかもしれなかった。
「ねえ、嫌じゃなかったら聞かせてくれないかな? その、トラさんがヒトと一緒に住んでいた時のこと。これから一緒に仕事をするのなら、トラさんのことをよく知っておかないといけないから」
トラさんは耳をピンッと横に動かした。僕の言ったことが不愉快だったのかなと思ったけれど、そういうわけじゃなかったらしい。
トラさんは、僕に水を求めた。長い話になるから、喉が渇くとのこと。
僕は冷蔵庫でよく冷えたミネラルウォーターじゃなく、ぬるめの水道水を茶碗に入れて差し出した。トラさんはそれをピチャピチャと音を立てながら三分の一ほど飲み、今度は肉球を舐め、毛づくろいを始めた。
……なんて焦らし技だろうか。
僕はやきもきしながらトラさんの毛づくろいが終わるのを待った。
トラさんはそんな僕を横目で見ると、毛づくろいをやめて長い尻尾を座布団に叩きつけた。それが話し始めの合図だった。
トラさんはにゃあ、と語り出す。
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