一人息子が勇者として旅立ちました。でもお母さん、心配なのでこっそり付いていっちゃいます [壁]ω・*)

九頭七尾

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第3話 まさか、わたしが知らないとでも?

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 ……気のせいだろうか?

 いや、そうに違いない。
 まったく予期していなかったとはいえ、非力な女性が熟練の剣士ですら微塵も反応できない速さでナイフを投擲してくるなど、あり得ない話である。

 そもそも投げる瞬間すらも見えなかったのだ。
 どう考えても気のせいに違いなかった。

 ケインはそう内心で結論づけながら、目の前で微笑んでいる美しい未亡人を見遣る。

 ちなみに頬を掠めたナイフのせいで、その後のセルアの発言は聞こえていなかった。
 ゆえに手酷い言葉で断られたとは知らずに、彼は口説きを再開する。

「えっと……それで、つまり……オレと一緒になるのはあんたにとっても悪い話じゃねぇはずだ。これでもオレは元王宮騎士だしな。未だに村の若い女からも人気だ。人気者同士、お似合いだと思うぜ」
「あら? 聞こえませんでしたか? あなたと再婚する気などありませんと、たった今はっきり申し上げましたけれど」

 セルアは相変わらず笑顔だが、その声は冷ややかだった。
 にべもなく断られて一瞬怯んだが、ケインはすぐに気を取り直すと、

「息子のことなら心配要らねぇだろう。あいつは強くなった。きっと魔王を倒して帰ってきてくれるはずだ。むしろ心配なのはあんたの方だ。それまでずっと息子を一人で待ち続けるのは辛いぜ?」
「……」
「あいつも母親の幸せを願っているに違いねぇ。それに再婚の相手が師匠のオレだったら、必ず喜んでくれるはずだ」
「……」
「だから、どうだ? 息子のためにも新しい家族を作ってみね―――っ?」

 ケインはそこで思わず息を呑んだ。
 セルアの表情から笑みが消え去っていたからだ。
 その艶やかな唇が開く。


「あなたごときがあの子のことを、まるで分かったかのように語らないでいただけますか?」


 吐き出されたのはあまりに辛辣な言葉だった。

「なっ……」

 ケインはここでようやく、相手との間にあるどうしようもないほどの距離に気づいた。
 それでもまだ可能性はゼロではないと、縋るような思いで言葉を吐く。

「そ、そりゃ、オレは一応あいつの師匠だ。あいつはオレのことを慕ってくれていた。王宮騎士の頃のことを話してやると、いつも目を輝かせて喜んでくれていたしな」
「それは純粋無垢な子ですもの。どんな話だろうと喜んで聞いてくれます」

 セルアはきっぱりと告げた。

「勇者の師匠? 単に他に適任がいなかっただけでしょう? 所詮は過去のつまらない栄光に縋っているだけの抜け殻。あの子の師匠には相応しくないと、わたしはずっと思っていました」
「な、なんだとっ……」

 ケインはカッとなって立ち上がっていた。

「このアマっ、人が下手に出てりゃあ、好き勝手言いやがって! 大人しくオレの女になっていればいいんだよっ!」
「ふふふ、ようやく本性を表しましたね」
「ああそうだよっ! 正直オレは結婚がどうとかどうでもいい! ただあんたを抱けさえすればなァっ!」

 叫びながら、ケインはセルアに近づいていく。

「せっかく優しくシてやろうと思っていたのによぉ、あんたのせいで荒々しくなっちまいそうだぜぇ?」

 怒りと欲望で顔を醜く歪め、舌舐めずりするケイン。
 そして一気に襲い掛かった。

 伸ばした手がセルアを押し倒す――

「……え?」

 ――はずが、空を切っていた。
 セルアの姿が消えたのだ。

「遅過ぎますね」
「っ!?」

 背後に気配。
 いつの間に後ろに回ったのかと、驚きで目を大きく見開くケイン。
 振り返ろうとしたが、その前に後頭部を鷲掴みされていた。

 所詮は女の非力……と思いきや、物凄い力で頭部を押されたかと思うと、家の壁へ顔面から叩きつけられていた。

「ぶごっ!?」

 視界に火花が飛び散り、壁に激突した鼻から血が噴き出す。

「今のはあの子を氾濫した川に突き落とした分です」
「……っ?」

 背筋が凍るような声に、ケインの身体がびくりと震えた。
 同時に愕然とする。
 なぜそれを知っているのか、と。

 直後、ケインは足払いを喰らって床に引っくり返った。
 さらにそこへ容赦なく踵が降ってくる。

「ぶげっ!?」

 ケインの腹部に足をめり込ませながら、セルアは言う。

「今のはあの子をマンティコアの巣に置き去りにした分です」
「な、な、なんで、そんなことまでっ……?」

 セルアは鼻を鳴らした。

「まさか、わたしが知らないとでも? あなたは何度も何度も何度も何度も何度も何度も、あの子を理不尽に痛めつけましたよね?」
「っ!」

 あのガキ、母親に話していやがったのかと、ケインは顔を歪める。
 訓練のことは絶対に誰にも言うなと、何度も釘を指していたというのに。

 そんなケインの考えを読んだかのように、セルアは首を振った。

「違いますよ。
「あ、あり得ねぇ! そんな気配は一度も感じなかった!」

 ケインはセルアの足を押し退けると、素早く起き上がって距離を取った。
 そして腰に常備している剣を抜き放つ。

 だが次の瞬間、手の甲にナイフが突き刺さっていた。

「~~~~っ!?」

 堪らず剣を取り落としてしまう。

「今のはあの子を木に括りつけて何時間も放置した分です」

 慌てて剣を拾おうとするも、その前にセルアの蹴りが顎下に叩き込まれていた。
 ケインは縦方向にほぼ一回転しながら吹っ飛ばされる。

「今のはあの子を――」
「ち、違うっ! どれもこれも、あいつを鍛えるためだっ! 別に痛めつけるためにやったわけじゃねぇ!」
「本当にそうですか? あなたは一切の不純な動機なくそれをしたと断言できますか?」
「た、確かにそれがまったくなかったとは言わねぇ! だが、修練のためでもあったことは確かだ! お、オレだって王宮騎士になるために血を吐くような訓練をやったしよっ! それになんたってあいつは勇者だ! 魔王に勝つには理不尽なくれぇのシゴキは不可欠だってっ!」

 必死に叫ぶケイン。
 もはや彼ははっきりと己の立場を悟っていた。
 下手な真似をしたら命がない、と。

「ええ、そうですね。だからこそ、わたしも涙を呑んで見守るだけに努めたのです」
「だ、だったら……」

 ケインの顔に微かな安堵が浮かぶ。
 しかしそれを吹き飛ばすような一言をセルアは口にした。

「けれど、だからと言ってそれを許せるかどうかは別問題です」

 たとえそれが勇者として必要なことだったとしても、知ったことではない。
 目の前の男が、可愛い息子に辛い思いをさせたのは事実。

 ならば誅罰を。
 それが親バカが出した結論だった。

「ひ、ひいいいいいいっ!?」

 ケインは情けない悲鳴を上げながら逃げ出した。
 だが直後、その首が締まり、「ぐえ」と潰れた蛙のような声とともに地面にスッ転ぶ。

 いつの間にかケインの首に縄が括りつけられていた。
 その縄の反対側を手に、セルアがにこやかな笑みを浮かべる。

「ふふふ、逃がすわけがないじゃないですか?」
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